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プロフィール

三野慶仁(サンノヨシヒト) HN:ショウゴ

Author:三野慶仁(サンノヨシヒト) HN:ショウゴ
1961年高知市生まれ。4児の父。
趣味はバイクと読書に写真。
小豆島の小さな教会の牧師。
2006年9月21日ブログを開始。
出来るだけ毎日更新中。
詳しいプロフィールは「内海教会ウェブサイト」で。リンクあります。
写真背景はエンジェルロードです。

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もてなし?

 昨日、スーパーがごった返している小豆島のことを書きましたが、今日はお盆休みの最終日という事もあり、少し落ち着きを取り戻してきた感があります。
 少しばかり“やれやれ”といった心境です。
 ところで、改めてスーパーマーケットの豪華食材チラシを見てみると、“すき焼き用のしかも高価な肉”と、これまた高価な“焼肉用の肉”、それに“高価な刺身”や“手巻き寿司用の刺身”、“国産うなぎ”などではないですか・・。
 何も考えていませんでしたが、ちょっと考えてみると“これでいいのか?”という気がします。
 小豆島もスーパーマーケットが進出してきて、買い物など楽になりましたが、これでは高松市内もしくは香川県内(もしくは日本全国)どこでも手に入るものに過ぎないではないですか・・。
 久しぶりの田舎で供される食べ物が“小豆島ならでは”のものではなく、どこででも売られているものだというのであれば、小豆島に里帰りしてきた人たちをほんとうにもてなすことになるのかいささか疑問です。
 もしかしたら日本中どこででもそうなっているのかなぁ・・。

信じないけど好き

 人を信じて、騙されたり傷付けられたりしたことは数え上げればきりがありません。
 どうのこうのと言っても、やっぱりお人よしなのでしょう。
 自分の子供を見てもそうなので、これはきっと遺伝子レベルのいかんともし難いものなのだろうと諦めています。
 痛い目にあったことは本当に数え切れないほどあります。おかげさまでいろんな事を学ばせられました。
 大きいもので言えば“人は変わる”ということと“人は信じられない”というこ2点です。
 人はやっぱり弱いのです。悲しいほど弱く、心変わりも避けられjません。
 でも、そんな弱さを引きずって生きている人間が大好きなのも事実です。
 “人は信じられないけれど人が好き”そんな矛盾した感情で生きています。
 心底、人間臭い人間が好きです。

男尊女卑

 女性に優しい男性は“女性蔑視者”もしくは“女性差別者”なのだそうです。
 平等に扱っていないからでしょう。
 しかし、それなら私も思いっきり女性差別をしている人間の一人だろうと思います。
 優しさは罪ですね・・。

 考えてみると、風呂場の石鹸についてもそうです。
 唐突に風呂場の石鹸がどうして出てくるのか訝(いぶか)られている方もおられるかもしれませんが、石鹸に絡み付いている毛の取り方なのです。
 えっ、ますます分からない?
“おばあちゃんの知恵袋”的に言うと、あの石鹸に絡みついた毛を取るには“お尻にこすりつける”といとも簡単に取れるのです。
 意外とこの事実を知らない方が多いので時折
「石鹸に絡みついた髪の毛ってどうやったら簡単に取れるのだろう?」
と言われる方を見受けることがあるのですが、下品に見られそうで女性には教えてあげにくいし、その図をイメージしてしまうと男性にも教えたくない気持ちになります(その反対はありません。キッパリ)。
  また、女性から
「三野さんって石鹸に着いた髪の毛をいつもお尻で取っているんですか〜?イヤダァ〜!」
なんて言われるのも嫌です。
 どうも、性差を感じてしまう一瞬です。

 最近は“看護婦”や“保母”さんも性差を感じさせないように“看護師”や“保育士”と名称変更していますし、“ウェイトレス”や“ウェイター”も“ホールスタッフ”になっています。そのほかにも挙げればきりがありません。
 また求人広告でも男性や女性と限定することも出来なくなっています。
 とことん男女差別を廃止するぞという意気込みを感じる昨今の勢いですが、例えば、産婦人科に行ってみたら医師も看護師も全員男性だったなんていう極論のような現実も遠い未来の話ではなくなるかもしれません・・。
 そういうことに違和感を感じる私はやっぱり女性差別者なのでしょう・・。
 でも何か違和感が残ります・・。

 そういえば、ある戦争未亡人のおばあさんから聞いた話を思い出しました。
 彼女の夫は結婚して数週間で戦地に赴き、そのまま戦死されて帰らぬ人になられました。子供も授からぬままその後ずっとその戦死した夫を思い続けて生きてこられたということで、そのおばあさんは80歳を越えても少女のような純朴な方でした。
 その方があるとき入院した病院では男性の看護師が担当となり、下着を替えたり体を拭いたり身の回りの世話をしてくださったそうなのですが、
「自分の肌を夫以外の男性に見せたくないという思いが強くて辛かった」
と言われたのです。
 男女平等の結果それが死ぬほど辛いと感じる方もおられるのです。

 数年前に地域の勉強会で男女差別について学んだとき(会場に教会をお貸ししたので私も参加していましたが)、会社でのお茶くみの話になって、
「女性社員ばかりにお茶くみをさせるのはけしからん」
という意見が出たとき、ある年配の男性(はっきり言っておじいさん)が
「そう言っても、若い女性にお茶出されたら嬉しいよ。」
と、火に油を注ぐようなことを言いまして、すかさず女性陣が
「それが差別よ。いやらしい。」
「そうよそうよ。鼻の下伸ばして。」
・・いやはやと思いつつ私、聞いてみました。
「では、今、差別だ、いやらしいと仰った方にお聞きしますが、自分がお客のときにイケメン風の若い男性社員が爽やかにお茶を出してくれたらどうですか?」
「そりゃぁ、そのほうが嬉しいわ」
「私もその方が良い」
「女性社員に出してもらうよりよっぽと良いわ」
「いつもそうして欲しいわ」
と大騒ぎに。女性陣は皆ニコニコ笑顔です。
 最近では、いろんな会社で女性に限らず男性社員もお茶を出すようになっているようですが、相手に合わせてみるのもいいかもしれません。
 性差別と言うより、人間いくら年を取っても“色気”があるということのようです。

 人間は機械ではありませんから、平等は大切だけれども、色気や恥じらいという部分も考慮すべき事柄かなと思ったりします。
 
 

楽しい思い出

 以前関わっていた精神障害者の小規模作業所のメンバーの中に、度々記憶解離してしまう人がいました(“解離”とは激しい心的外傷の結果に防衛機制として働く機能のことで、ある出来事を受け止めきれない場合に、その出来事やそれに関するもの、感情などを無意識的に切り離すために起こる現象のことです)。
 何かあるとしょっちゅう記憶が飛んでしまうのですから生活は大変ですし、付き合わされる周りも大変でした。毎度毎度置かれている状況を説明しなくてはなりませんし、人格が変わる場合などは初対面ということになってしまうので特に大変で、その都度自己紹介も必要なのでした。
 しかし、時々そんな彼のことを“羨ましい”と言う人が必ず出てきたのが面白いところです(そういう私だって羨ましいと思ったことは何度かありました)。何が羨ましいかと言うと、彼の記憶には“嫌な記憶が微塵も存在していない”ということです。
 ネガティブな記憶はすぐに飛んで行ってしまうのですから当然と言えば当然で、必然的にポジティブな記憶しか残らないということになるのでした。本人も“それだけが唯一のメリットかなぁ”とか言っていたように記憶しています。
 ところが、先日何気なく観ていたテレビで、人の記憶の良い思い出と嫌な思い出の割合は決まっていて、それぞれ6割(良い思い出)、4割(嫌な思い出)だと言っていました。大体どのような世代にアンケート調査してもそのような結果になるらしいのです。
 つまり、人は嫌な記憶は無意識的に消し去って、良い記憶は思い出に留める傾向にあるということで、それは記憶解離してしまう神経症の人だけでなく、すべての人間に備わった能力として存在しているということになります。
 そう思うとなんだか大胆に生きていけそうな気がします。
 以前新聞で読んだ “今までで一番楽しかった思い出は?”という中高生へのアンケートの答えで一番多かったのは“家族旅行”だったと記憶にあります。思春期は親に反抗したり、疎ましがったり、口をきかなかったり、家族より友人が大切だったり、自立心にはやったりする時期です。そういう世代の“今までで一番楽しかった思い出は?”の答えが“家族旅行”とは意味深長な気がします。
 そういえば、途中で土砂降りになったり、車が故障して立ち往生したりなど、散々な出来事に見舞われる旅でも、家族と一緒だったら楽しい思い出になっている気がします。
家族との生きた関係とその思い出が、人の自立や独り立ちの力になって行けるのかもしれません。何よりも楽しかろうが苦しかろうが、家族旅行は“良い思い出”になるという事実は父となった身としては、とても励まされる気がしてなりません。
 思い切り (と言っても、そこそこ限度はありますが)、出来れば大胆に(それなりの大胆さで)、この夏も家族と何かしたいなと熱く思う父でした。

屁理屈を言う人

 牧師をしていると実にいろんな人と出会います。
 中には相性の合わない人や苦手な人もいますが、余程のことでもない限り無視したり切り捨てたりしないので、大抵正面から向き合うことになり、結果的にいろんなことを学ばされることもしばしばあります。
 たとえば“屁理屈を言う人”ですが、そういう人の中には、単に“自分勝手”や“わがまま”とも言い切れない人の居ることが分かってきました。
 もちろん屁理屈を言う人は理屈が通じないのでややこしいのですが、よくよく話しを聞いていると、“困って”いたり、“打開策が見つからなくてオロオロしている”ようなケースも多いのです。
 もうどうしようもなくなっていることを本人が気づいているので、屁理屈をこねるしかなくなっているということです。
 はっきり言ってSOSを発信しているのですから、論理的に外堀から埋め始めて、とどめに理屈で押さえつけるようなことをしては酷なのです。
 ですからどのような場合でも、“どうしてこの人は屁理屈を言うのかな”と言うところから考えていくと、一緒に解決策を見つけたりすることも出来ます。
 意外と可愛い性格だったりします。
 もっとも、可愛いには可愛い人だけど、少しおっちょこちょいで、結果的にしょっちゅう自分を窮地に追いやってしまうために屁理屈にすぐ結び着いてしまう人は、可愛い性格なのが分かっても、“もうちょっとがんばっといてほしいなぁ・・”とか“勘弁してほしいなぁ・・”などと思ってしまいます・・。

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