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Author:三野慶仁(サンノヨシヒト) HN:ショウゴ
1961年高知市生まれ。4児の父。
趣味はバイクと読書に写真。
小豆島の小さな教会の牧師。
2006年9月21日ブログを開始。
出来るだけ毎日更新中。
詳しいプロフィールは「内海教会ウェブサイト」で。リンクあります。
写真背景はエンジェルロードです。
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三番目の子供(次男)の幼稚園一日体験保育に参加しました。来年から通うであろうK幼稚園からお誘いのハガキが来ていたのです。うちには更に0歳の子供がいるため妻一人では大変かと思い一緒に行くことにしたのです。とは言え、うすうす予感はしていた通り、父親で来ているのは私だけでした。確かに平日の昼間に子供と一緒にスーパーに行っても、働き盛りの男性は全くおらず、周りの視線と違和感を感じていたのは真でありましょう。しかし、この状況では開き直りしかありません。私のボディーゾーンに入ってくる子供やお母様方に積極的に話しかけました。しかも、セーブしつつ自然に。これでも一応牧師なので、ご婦人方や子供と接するのは慣れているのです。教会にはご婦人が多い上に、教会学校などもしてきていますから、牧師にとってご婦人方や子供とのトークは何の違和感も無いものなのです。しかも、私は女性の多い家庭で育ちましたし、自分の子供も、少子化の影響を省みず4人もいますから鬼に金棒です。ま、そういうことは置いておいて、実はすごく良い幼稚園に感動しました。町営ということもあるでしょうが、まず敷地の広さ、そして、先生方の感じの良さ、何より園児の屈託の無い素朴さです。以前幼稚園バスの運転手として関わっていた幼稚園も松山では最高にすばらしい幼稚園でしたが、また違った良さを感じる幼稚園でした。実のところ、次男は同世代の子供に対して非常に臆病な面があったので、今回、途中で帰ると言い出したりするのではないかと心配していたのですが、そういったことが一切無いばかりか、すっかり気に入って、帰るのも嫌がったくらいでしたから、きっとここのよさを肌で感じたのかなと思いました。人数が少ないのも良かったのかもしれません。しかし、私が特に感じたのは在園生の雰囲気の良さです。きっと良い保育をしているのだろうなと感じました。そして、小豆島良いなと思いました。


最近、手帳をなくした超多忙な友人とのやり取りを思い出しました。ケータイ電話も余り普及していなかった若い頃の話です。「大切なことは全部あれに書いてあるんだよ。会議、会合、面談をはじめ、ありとあらゆるスケジュールが細かく書いてある上に、何百人分ものアドレスが書いてあってね、全部調べなおさなきゃいけないと思うとぞっとするなあ。」と言っていました。私は「まるで電子頭脳が破壊されたサイボーグのような気持ちじゃないですか」と尋ねてみると、彼は「全くその通りだ」と大笑いしましたが、私はここで一緒に笑えないなとこらえたのでした。どうしてそんなことを思い出したかと言うともう少しでケータイを失くすところだったからです。ケータイを落としたり壊したりしたら手帳どころではないデータを紛失することになります。頭部が吹っ飛んだサイボーグになってしまいます。更に言えば膨大な量のデータがパソコンに入っていますから、パソコンのハードディスクが壊れたりすると信じられない電撃が体を走るはずです。もはや中身の無いブリキのサイボーグフィギュアになってしまいます。しかも、可能性はゼロではありませんから笑えません。「こまめにバックアップを取れば良いんだよ〜」そんなことは言われるまでも無く分かっています。でも、そんなに頻繁にバックアップ取りませんから、一回二回取っても結局いつの間にかバックアップし忘れていくのです。第一、筆グルメとかで作成したもののバックアップ方法なんてまったく分かりません。でも、あれ、ちょっと待ってくださいよ。考えてみればいつも息子に頼ってきたのかもしれません。私のパソコンも息子の手作りだし(中2の時に作っもらった)、教会のホームページもこのブログも息子にしてもらいました。ちょっと困ればいつでも助けてくれるので甘えすぎでいたのかもしれません。でも、息子が高校を卒業して家から(小豆島から)出て行ったらどうなるのでしょう。その日は確実にやってきます。これはいけない。私というサイボーグの電子頭脳の一部は息子だったということですから・・・。パソコンそのものに依存的なだけではなく、パソコン操作についても息子にも依存しているという二重の課題を抱えていた訳ですね。きちんと自立しなければならないようです。
「家の雨戸の戸袋にコウモリが巣を作っていて気持ち悪い」と教会に来られているご婦人。姿は見えないにしても糞をされたり、確かに気持ち悪いかもしれません。そういえば牧師館にはコウモリではありませんが、庭先を歩いている蟹を目撃まします。川や海が近いせいでしょうか。どこからどこへ行く途中なのか分かりませんが、チョコチョコえっさっさと脇目もふらず歩く姿は可愛いものです。もっとも、最初に見たときはびっくりで、最近慣れてきたところですが。秋になって閉口しているのは寝室の窓すぐ下の鈴虫です。恐らく百匹以上いると思われます。人に話すと「鈴虫が庭で鳴いてるなん風情があって良いじゃないか」と言われます。数匹なら風情があるのでしょうが、頭に響くくらいの大音量で、バッタとか他の虫も混ざっている始末。「教会支援事業として販売したらどう?郵便局のふるさと小包みたいに」と言って下さる方もいますが、注文に応じられないと大変な事態になりますから、最終的には繁殖させたりする羽目に陥りそうな気がします。やはり、慣れるのを信じてそっとしておきましょう。クモやトカゲ、団子虫にも慣れてきましたしね。
昨日9月24日に小豆島ふるさと村で‘第20回どでカボチャ全国大会’があったので家族と一緒に礼拝後行ってみました。「小豆島もやるなあ」「でもどんな規模なんだろうか」と漠然と意識していたものの、正直、朝刊に折り込まれていたチラシに‘餅投げ’の文字がなかったら行っていなかったと思います。しかし、行った時間が遅すぎて、売店やフリーマーケットは閉店間際で品物もあまり無い状態。おまけに、肝心の餅投げではひとつも拾うことが出来ない有様でした。唯一、栗やバナナのソフトクリームが美味しくて救われた気がします。そうそう、どでカボチャ大会でした。優勝者は岡山県倉敷市の方でなんと357キロのカボチャを育てて2年ぶり7回目の優勝ということでした。くりぬけば中に人が入れるほどのカボチャをよくも育てたものだと感心しました。なんでも、優勝者は10月にアメリカのオレゴン州で行われる‘どでカボチャ世界大会’に出席するとのこと。そのための往復航空券も賞品に入っていました。なるほど。すごいなあ。がんばってください。大会最後の挨拶で「今年からどでカボチャの買取を始めました」と主催者。ハロウィーンの飾り用にレストランやテーマパークに売れるようになったそうです。小豆島をどでカボチャの島、ハロウィーンの島として全国にPRし、島おこしにしてゆきたいという抱負でした。気合の入った言葉に影響されて、うちでもどでカボチャを育ててみようかという気になり、帰って早速畑に出来そうな庭に回ってみると、そこは雑草の嵐。思わず口をついて出た「まずは草抜きだな」との力の無い独り言には、もはやどでカボチャを育てるとか島おこしへの思いはかき消えていました。「来年また行けたら中央前付近でちゃんとスーパーの袋も準備して・・」と餅投げのことを考えています。
私の人生は‘まわり道’や‘寄り道’が多かったように思います。考え過ぎたり悩んだり、それはそれなりに真剣に生きてきたつもりなのですが、振り返ってみると、その時々の自分がもう少し大人だったら随分違った人生を歩んでいたのではないか、もう少し楽に生きられたのではないかと歯がゆくなることもあります。反対に、その‘まわり道’や‘寄り道’があって今の自分があるのも事実だと、自分を納得させようとすることもありました。でも、そこで味わうしんどさは、結局自分の責任にすぎません。
むしろ、今感じているのは、自分の半生を肯定したり否定したりする以前に、「悩みや挫折や苦痛から多くのものを学ばせてもらってきた」という実感です。「だから良かった」とか「だから悪かった」ではなく、ただそれだけのことだと自分を受け止めているような気がします。自分の中身は変わっていないのに、自分の立場や境遇が少し変わっただけで、周りの人の対応や態度が変わってしまうことは多々あります。変わらないのは、私を捉えていて下さる神様だけだったという経験が大きいのかもしれません。
ですから、「自分を受け止めているような気がする」と言ってみても、それはいつも変わらず自分を受け止めてくださっている神様がおられるからなのだろうなと思います。今までもこれからも私の‘まわり道’や‘寄り道’に神様が付き合ってくださると単純に信じられるから私は必要以上にくよくよしないのかもしれません。神様が共におられたから悩みや挫折や苦悩から多くのものを学ぶことになったのかもしれません。
聖書には、悩む者、苦しんでいる者、弱い立場に置かれている者と共に神様がおられることが書かれています。それで私は納得しました。私の信仰の故ではなく、私の弱さや情けなさの故に神様は私と共にまわり道を歩んで下さっていたということが良く分かりました。皆さんも悩みや挫折や苦痛のとき、自分の傍らにたたずんでおられる神様を心で探してみてくださいませんか。
2006年9月21日にブログを開設しました。ホームページとしても何か読み物のあったほうが楽しそうだし、かと言って日曜日の礼拝説教を載せるのも何か違うような気がしたので、とりあえずブログを開設することにしました。つぶやきや独り言になってしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。
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