まわり道

2006年09月23日 15:11

 私の人生は‘まわり道’や‘寄り道’が多かったように思います。考え過ぎたり悩んだり、それはそれなりに真剣に生きてきたつもりなのですが、振り返ってみると、その時々の自分がもう少し大人だったら随分違った人生を歩んでいたのではないか、もう少し楽に生きられたのではないかと歯がゆくなることもあります。反対に、その‘まわり道’や‘寄り道’があって今の自分があるのも事実だと、自分を納得させようとすることもありました。でも、そこで味わうしんどさは、結局自分の責任にすぎません。


 むしろ、今感じているのは、自分の半生を肯定したり否定したりする以前に、「悩みや挫折や苦痛から多くのものを学ばせてもらってきた」という実感です。「だから良かった」とか「だから悪かった」ではなく、ただそれだけのことだと自分を受け止めているような気がします。自分の中身は変わっていないのに、自分の立場や境遇が少し変わっただけで、周りの人の対応や態度が変わってしまうことは多々あります。変わらないのは、私を捉えていて下さる神様だけだったという経験が大きいのかもしれません。


 ですから、「自分を受け止めているような気がする」と言ってみても、それはいつも変わらず自分を受け止めてくださっている神様がおられるからなのだろうなと思います。今までもこれからも私の‘まわり道’や‘寄り道’に神様が付き合ってくださると単純に信じられるから私は必要以上にくよくよしないのかもしれません。神様が共におられたから悩みや挫折や苦悩から多くのものを学ぶことになったのかもしれません。


 聖書には、悩む者、苦しんでいる者、弱い立場に置かれている者と共に神様がおられることが書かれています。それで私は納得しました。私の信仰の故ではなく、私の弱さや情けなさの故に神様は私と共にまわり道を歩んで下さっていたということが良く分かりました。皆さんも悩みや挫折や苦痛のとき、自分の傍らにたたずんでおられる神様を心で探してみてくださいませんか。



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