2006年10月19日 09:20

人の言う正しさというものも相対的なものだと思います。反目しあったりいがみ合ったりしている場合、それぞれお互いに自分なりの正しさを主張する根拠を持っていて、しかも、それは平行線のままで、決して交差しないという事が多いように思えるからです。親子の場合を例にとっても、親は親なりの経験や立場から子供を叱る明確な理由を持っているから子を叱るのに対し、子供は子供で、親の意見に従いたくない理由を自分なりにもっているのです。どちらも自分の考え方は正しいと信じているから反目しあいます。これは親、兄弟、友人、赤の他人、国家間でも言える事で、養老氏の言う‘バカの壁’のようなものです。しかし、こんな‘勝つか負けるか’しか存在しないような‘正しさ’は本当に正しいのかと思います。宗教的な争いに到ってはつくづく、そう思わされます。神様が正しさの根拠だから始末がよくありません。きっと自分の後ろ(後ろ盾)に神様が居ると考えて対立するのでしょうが、自分のためだけに神様は存在されるお方ではありませんし、自分の都合の良いように神様を働かせるものではありません。それでは神様は人間より格下で、人間の道具に成り下がってしまいます。神様は全ての人と共におられます。全ての人のためにおられます。つまり、自分の後ろではなく、自分と相手の間に神様はおられると思うのです。できるだけ自分の考えている正しさを本当に正しいのかと相対化して吟味することができれば、少しずつ人間関係は暖かくなるのかなと思います。





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