2006年11月10日 17:32
私の好きな言葉に「有終の美」というのがあります。言うまでもなく‘物事をやりとおし、最後をりっぱにしあげること’あるいは‘結果がりっぱであること’という意味の言葉です。肝に銘じなければならない言葉として大切にしています。また、自分なりに、この言葉をそのまま読んで‘終わりの有ることの美しさ’と考えてみたりもします。何となく聖書で言うところの終末を連想させられて、それもありかなと勝手に納得しています。キリスト教には終末思想と言うのがあって、いつなのかは分かりませんが、全てが完成するその日を待ち望むのです。世界の終末だけではなく、人には自分の生涯の終焉となる‘死’があります。何をどれだけ持っていたとしても、人は何も持たずに死を迎えます。誰もが裸で生まれてきたように裸で死んでいきます。例外はありません。それなのに自分の欲を満たしていく行き方がいつまでも続くかのように生きている人もたくさんいます。終わりがあることを忘れて、今という時だけに固執して生きて行くなら、わき道に逸れて行ってしまうように思います。少々のまわり道は良いのですが、逸れ過ぎて本来の道に引き返せなくなってしまったら、本人は幸せを感じていようと不幸なのではないかと思います。反対に‘終わりから人生や今という時を見据えてみる’だけで、それまでとは全く違った人生になるはずです。私もあなたも必ず死にます。死ぬのが定めであるとわきまえるだけで、今現在の自分と周りの一人ひとりの命の重みの持つ素晴らしさを感じることが出来るはずです。出会いも関りも別れもかけがえのないものになります。全てのものに終わりがあるのですから、全ての事柄が大切になります。どんなに小さなものも大切になります。本当に大切なものとそうではないものの区別もつくようになると思います。‘人はどうして死ぬんだ’‘どうして終わりがあるんだ’そう嘆きたくなることが人生にはたくさんあります。けれども、終わりが有るからこそ、深く深く生きることが出来るともいえます。私は病気や事故で何度か深刻に死を覚悟したことがありました。同じような経験をされた方は「だから生きていることだけで素晴らしい」と考えるのかもしれませんが、私はクールなのか、そういうことはあまり考えなくて、終わりから今を考えるというただそれだけの姿勢が与えられているだけみたいです。終わりが有るから人生は深く美しいものになるのかもしれません。もっとも、終わりのその先に、つまり終末において、神様の永遠の慰めがあるからなのですが。





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