2006年11月12日 23:25
私のハンドルネーム‘ショウゴ’は浜田省吾さんから勝手にお借りしたものです。実は私は自他共に認める浜田省吾さんの大ファンで、若い頃は‘浜田省吾の伝道師’とも言われていました(笑)。‘愛奴’時代はまったく知りませんでしたが、ソロデビューして、出したファーストアルバムが評論家から酷評されているのを見たのが気になるきっかけでした。私が高校生の頃です。当時の私は変な所があって、マイナー志向が強く、例えばバスケットシューズというグループの「箱入りどら息子」というレコードなど買ったり、誰がカバやねんロックンロールショーのセカンドアルバム「二枚目」などを聞くようなことをしていました。ですから、その一環に過ぎなかったのでしょうが、浜田さんの歌はすごく印象的でした。何かしら身近に感じるのです。確かに、そのファーストアルバムは歌い方に癖もある上に、ジャンル的にもバラバラで一体何がこの人の本物なのか分からないという印象でした。全てがちぐはぐで歌手一人が空回りしている印象でした。しかし、「路地裏の少年」や「生まれたところを遠く離れて」など心にぐっと来るものがあったのです。ですから、ギャップを抱えているものの、潜在的なポテンシャルは他の人とちょっと違うぞという印象を受けたものです。その後、少しずつ力をつけて徐々に良い曲が生み出されるようになって行くのですが、それほど評価されることもなければ、話題になることもあまりないというギャップも私をひきつける要因だったのかもしれません。最初は興味本位だったのですが、次第に浜田さんのひたむきさ、切なさ、悲しみ、孤独、苛立ち、怒り、希望、夢といった、一人の人間として等身大の思いが込められて生み出されてくる曲に次第にのめりこむようになってしまいました。私も思春期で、何をどうすればいいのか、自分はどこへ向かおうとしているのか分からずもがいていた時代でしたから心情的にぴったり来たのだと思います。それからは、一緒に成長していく兄のような存在として聞いてきたような気がします。ある時雑誌で、売れない時代のことを回顧している記事が載っていて、それを読んだとき、「ああ、私はこういうところに共感を覚えるのだろうな」と納得したのを憶えています。かいつまんで言うと、「当時の楽しみといったら銭湯の一番風呂に入ることくらいしかなかった。仕事が無いのだから。山口百恵さんのアルバム用の曲を書いたりもした。でも、好きな音楽で生きていること自体が嬉しかった。」とそんなことが書かれていたわけです。いくら山口百恵さんと言えども、アイドル歌手のアルバム曲なんて日の目を見るものではありませんから、アーチスト浜田省吾としては虚しかったと思うのですが、音楽で食ってること自体が幸せだという発想が浜田さんの魅力だと思います。最近ではかなりのビッグネームになり、以前のように親近感が感じられなくなりつつある上に、近年発表される曲も自分的にはあまり魅力に乏しいものに感じてきています。それでも、20年以上共に歩んできた事実があって、やっぱり今でも一番大かけがえの無いアーチストです。あ、もちろん、曲は全部歌えます。







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