死ぬのかなとちょっぴり考えた21歳の冬

2006年11月30日 23:17

 今回のヒドイ風邪で24年前の肺炎を思い出しました。当時、大学生だった私はアパートの一人暮らしで、勉強の他に、写真部の部長、バイト、教会の青年会活動等で多忙な毎日を送っていました。空腹でもバイクはいつも満タンという、少しばかり偏りのある暮らしをしていたことから察していただけるように、健康管理にはまったく無神経でした。あるときとんでもなく風邪をこじらせてしまったようで、なかなかなおらないどころか次第に悪化の一途を辿っているのが明白となり、病院で診てもらったところ、「肺炎です。気管支炎も併発しています。すぐ入院してください。」とお医者さん。それはそうでしょう。まっすぐ歩けないほどフラフラしているし、熱は40度近くあり、らくだのモモヒキにセーター、ダウンジャケットも着てコタツに入っても寒気がしていましたし、血痰も吐いていましたから。あの時は本気で死ぬのではないかと覚悟したのを思い出しました。血痰を吐いたこともあり、萎えきっていた気持ちでしたから、肺ガンではないかと考えて、おじ惑っていたのも懐かしい思い出です。とにかく‘死’を意識したのは事実です。すぐ良くなりましたが。しかし、その入院中考えたのは‘死ななかったけれども、もし、ここで自分の人生が終わっていたとしたら、一体自分の人生に何の意味があったと言えるのか’ということでした。今まで生きてきた中に何かがあるわけでも無いし、これからの人生の延長線上にこれがあると言えるものも無いと思うと、寒々としたものをリアルに感じたものです。牧師になろうと考えたのはこの時でした。何か大切なものを大切にする生き方がしたいと考えていたら、最終的に牧師職に行き着いてしまったのです。実を言うと、小さい頃から牧師さんに苦労話ばかり聞かされていた事もあり、牧師だけにはなりたくないなと考えていたのですが・・・。神様に首根っこをつかまれたような気がしました。‘牧師になる決意’のことを教会では‘召命感が神様から与えられる’というような表現をします。その説明がまずかったのでしょう。当時の大学の友人たちの間ではこんなことが囁かれていたそうです。「三野はどうやら神の声を聞いて宗教に走ったらしい」。んーーーーー、ちょっと違うような気がするんだけどなぁ・・・。

未回復

2006年11月30日 16:51

 2〜3日寝ていれば風邪も治るだろうと考えていたのは甘かったようです。病院にも行ったし、薬も処方どおりきちんと飲み、無理もせず、ずっと寝て回復を待っているのですが、今日になってもまだ良くなりません。もう、木曜日だというのにです。まったく参りました。体が弱っているのか、風邪がひどかったのか、年のせいなのか分かりませんが、こんなに厄介な風邪だとは思ってもみませんでした。つくづく健康のありがたさが身にしみました。家事を手伝うことも出来ませんから、妻には特に申し訳なく思いました。全てのしわ寄せが行きましたから。回復したら、以前にもまして妻孝行することにします。


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