たまたま

2006/12/31 Sun 07:49

 ‘たまたま’という言葉が好きです。世の中は不条理や格差に満ちていて失望や怒りを覚える方も多いと思いますが、あまり決め付けてかからなくて良いのではないかと思います。もちろん、個人的な問題のある場合もありますが、かなりの割合で言えることは‘たまたま’ではないかということです。
「何で先生お金持ちの家に生まれる人と貧乏人の家に生まれる人がいるの?」
「何で酒タバコをガンガンしているのに健康で丈夫な人がいるかと思えば、生まれつき病気や障害を持ってる人がおるの?」
「何であんなに良い人と思える人が病気になったり早く亡くなったりするの?」
そんなことを聞かれることが時々ありますが、私の基本的な答えは
「たまたまです。」です。
 上述の質問は一見真面目で人を想う優しさを持った言葉のように聞こえる言葉ですが、
‘良い人は健康で長生きであるべき’
‘病気や障害を持つ人は何か原因があるのではないか’
という区別化・差別化の考えが見え隠れしています。因果応報という考え方の弊害を感じます。そうかと思えば教会などで、
‘皆さんのお祈りのお陰で病気が良くなりました’
‘信仰が篤いから良くなったのね’
という発言などがあったりします。では、祈って直らない人は信仰が薄いということでしょうか。祈りが足りなかったということでしょうか。いずれも的外れな気がします。
 私は前にも書きました21歳の時の肺炎は死を覚悟したとはいえ、自分勝手にそう思っただけで、実際は大したものではありませんでしたからこれは除外しますが、車で縦に3回転しながら道路から転がり落ちて行き、車はグチャグチャに大破したのに無傷だったり、心臓を悪くして医者から「あと5年の命と覚悟して身辺整理されたらどうでしょう」と言われていたにもかかわらず奇跡的に回復傾向にあったりします。人によると「神がかり的だ」とか「神様に守られているのね」とか色々言われますが、はっきり言って‘たまたま’です。たまたま回復する人もいれば、たまたま悪くなる人もいます。たまたま事故に遭ったりたまたま助かったりするだけの話です。たまたまに過ぎず、決して信仰だの人間性だのは関係ありません。
 長く生きて幸せな人もいますし、短くても幸せに生きた人もいます。お金に泣いたり心を見失う人もいれば、人も自分も生かす有意義な使い方の出来る人もいます。いろんな立場、いろんな境遇の人がいるから素晴らしい出会いや重厚な係わり合いが生まれます。ですから一面的な考え方、「○○は不幸だ」「○○だから幸せだ」はちょっと違うと思うのです。‘たまたま’そうであるだけで、後はそれをどう理解し何を大切にして生きていくかだと思います。それで随分人生が違ってきます。ここで勘違いされてはいけないので付け加えますが、この‘たまたま’は‘運命論’とは違います。たまたまであっても定まった運命があるのではないからです。私たちは生き生きと自由に生きていけるからです。
 ‘さて今年はどれだけ生きただろうか’と、そんなことを考える大晦日であります。
 
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失った命の多さ

2006/12/30 Sat 10:04

 今年の交通事故による死者は6,500人を下回る見込みらしいです(今年もあと2日ですから多分達成できるでしょう)。私が子供の頃、年間の死亡者が1万人を超えて‘交通戦争’という言葉が生まれたのを思い出しますが、人口も、免許取得者も、車の数も増えたというのに交通事故、死傷者共に減少しているというのは凄いと思います。しかし、その反面、増加している自殺者、人工妊娠中絶のことを思うと頭がくらくらします。年間自殺者は1998年以降3万人を超えていますし、妊娠中絶は33万人前後で推移しています。交通事故とは桁違いです。また、路上で亡くなった方が昨年の大阪市だけで1,213人もいたそうです。交通事故による死亡者が減って、その他の死者が桁違いに増えている事実に愕然とします。
 交通事故は‘ドライバーの不注意’や‘ドライバーのモラル’の問題とされてきましたが、標識や表示、道路整備を充実させていくなかで減少してきました。もちろん安全運転講習会や交通安全キャンペーンなども継続されていますが、研究の結果、ドライバーのモラルの問題というより、道路の構造上事故が起きやすかった箇所が多かったと考えられているようです。それで現在は交通(道路)工学、人間工学、心理学などに基づいて道路などが整備されてきた結果、交通事故そのものが減っているのです。しかも、その財源には私たちが免許の取得や更新時に何となく任意で納入させられている安全協会費が充てられています。免許を持っている人の殆どが支払っているようですから、膨大な金額が徴収され、ふんだんに使われていることになります。
 それを批判するつもりは全くありませんが、それに対して自殺や妊娠中絶、路上生活者の生活権等々にどれだけの予算が投入され、研究や対策、対応がなされているのかということです。かつて‘ドライバーのモラル’を原因としていたのと全く同じ構図で‘個人の問題’とするレベルのような気がしてならないのです。
 今年は特にいじめによる自殺などが多くありましたから、本当にせつなくてやりきれない思いがしています。
 来年はどんな年になるでしょうか。
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なんでも鑑定団

2006/12/29 Fri 10:28

 クリスマス前に、教会のあちこちに眠っているクリスマス小物を探して回っていたところ、埃を被った細長い箱が見つかりました。開けてみるとそれは掛け軸で‘神はその独子を賜ふほどに世を愛し給へ里’‘賀川豊彦’と書かれていました。言葉はヨハネ福音書3章16節のもの。署名の賀川豊彦先生は書道家ではなく、大正・昭和期の牧師・キリスト教社会運動家で、戦前の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動等々、重要な役割を担った方です。キリスト教の博愛精神を実践した「貧民街の聖者」として世界的に知名度が高い人物でもあります。
 埃を被ったまま眠らせておくのももったいないと、クリスマスを機に礼拝堂に飾ってみました。すると教会員さんたちから「どこにあったの?」「こんなのがあったの?」と聞かれましたから、まさに掘り出し物だったようです。面白いことに何人もの方から別々に「ほれ、テレビの何とか鑑定ほにゃららに出してみたらいいかも~」と言われました。考えることは皆似かよっているということでしょうか。「でも、値打ちというのは、どれだけの気持ちを持って‘欲しい’と考えている人がいるかですから、期待できないですよ」と答えておきましたが・・・。先月、小豆島土庄町に出張鑑定団が来てテレビ放送されましたから、多分その印象が強かったのかもしれません。
 ところで、どうしてこの書が内海教会にあるのかというと、その昔、賀川豊彦先生が内海教会に来られた折にしたためて下さったということが分かりました。そういえば、香川分区の何箇所かの教会で賀川先生の書を見かけたことがあったのを思い出しました。・・・しかし、どれくらいの値打ちがあるのでしょうか。
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聖幼児殉教の日

2006/12/28 Thu 07:16

 クリスマス以降3日続く祝祭日の最後は‘聖幼児殉教の日’つまり新約聖書マタイによる福音書2章に記されているヘロデによって虐殺された幼子たちの記念日です。ヘロデは当時ローマ帝国の属国だったユダヤで、ガリラヤの知事を経て、ローマ皇帝によりユダヤの王に任命された人物です。東方の学者たちから新しいユダヤの王が生まれたと聞かされた彼は、ベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を皆殺しにしてしまいました。とても切なく胸の痛む出来事です。言わばこの虐殺された幼子たちは、無垢のままイエス・キリストの身代わりとなって死んでいったと言えます。
 この3つの祝祭日は、人としてお生まれになられたイエス・キリストの生涯を予表しています。‘命’‘愛’‘受難’‘清浄さ’そういったものがこれらの記念日に表されていて、「降誕された」と喜び迎えたイエス・キリストは実はこのような生涯を歩まれたお方で、そのことを抜きにしてクリスマスの喜びは無いと言われているようです。
 クリスマス後の3日間、彼らに思いを馳せ黙想して過ごすのも意義深いように思えます。ステファノとヨハネ、そして幼子たちが、ベツレヘムの家畜小屋でイエス・キリストの寝ているかいば桶の傍らに寄り添っているような3日間です。
 
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福音書記者聖ヨハネの日

2006/12/27 Wed 10:40

 昨日の‘ステファノの日’に続いて、本日12月27日は‘福音書記者聖ヨハネの日’です。ヨハネはイエス・キリストに愛された弟子として知られています(愛されたといっても、恋愛感情ではありませんのでお間違いありませんように)。また、十字架上のイエス様から母マリアの世話を頼まれた弟子としても知られています。
 教父ヒエロニムスの書いた「ガラテヤ人への手紙講解」にはヨハネに関する興味深い物語が記されています。エフェソに住んでいたヨハネは晩年、誰かにおぶさらなければ教会にも行けず、声もか細く、手も震えていたといいます。そして、自分の意見を語るときもほんの一言で、しかもいつも同じメッセージを繰り返し繰り返し語ったと言います。
 「若い方々。互いに愛し合いなさい」
あまり何度も聞かされるものですから、「どうして、いつもそのことばかり仰るのですか?」と尋ねたところ、
 「それは、主の戒めだからです。もし、このことが本当に守られるなら、もうそれだけで十分です。」
と答えたと言います。私たちを愛してくださった方の御降誕を祝った私たちにとって、互いに愛し合うというメッセージは時適ったものといえます。
※ちなみに上述の何度も登場する‘愛’は‘好き’の最上級形ではありません。新約聖書の言語ギリシャ語で‘アガペー(与える愛、見返りを期待しない愛)’を想定しています。
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殉教者ステファノの日

2006/12/26 Tue 19:53

 クリスマスが終わって、あとは大晦日と正月を待つばかりと言いたい所ですが、教会暦で言うと、クリスマス(聖降誕日)に続いて今日から三日間三つの記念日が設けられています。
 今日12月26日は‘殉教者ステファノの日’です。ステファノという人は使徒時代(キリスト教が誕生して間もない頃)に、貧しい人々の世話をするための執事として選ばれた7人のうちの1人で、しかも、優れた説教者でもありましたが、その大胆な説教の故に反感を買い、ユダヤの指導者たちによって石打ちの刑に処せられ殺されました。彼が息を引き取る間際の言葉は十字架上のイエス・キリストの言葉を髣髴とさせるものでした「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」。
 彼は教会最初の殉教者でした。
 ののしられてのものしり返さず、責められてもなお責める者のために祈られたイエス・キリストの御後を忠実に歩んだ彼の姿勢は、クリスマスを喜びで迎えた私たちに大切なものを思い起こさせてくれます。
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デパートや街では、クリスマスが終わるとツリーやリースが外されて、一夜にして正月色に変わったりします。音楽も、クリスマスソングなんか無かった事であるかのようにぴったりと掻き消えてしまいます。日本はなんて忙しくあわただしい国なのだろうかと思ってしまう瞬間です。ですから教会でクリスマスツリーがいつまでもあると「まだ片付けてないのか、不精だなぁ」と思われてしまうことになります。けれども、クリスマスシーズンというのは1月6日まで続いていまして、ツリーなどその日まで飾っておくものなのです。ツリーのてっぺんに星を飾りますよね。そういうものみたいだからと半ば慣習的に星を飾っている方、何も考えずに飾っておられる方もおられますが、あれは聖書マタイによる福音書2章に出てくる東方の学者を導いたとされる星なのです。しかも、その箇所は顕現日つまり1月6日の日課ですから、ツリーこそ1月6日まで飾るべきものなのです。しかし、日本ではなんと言っても正月が一大イベントですから、クリスマスが浸透してきているとはいえ、ツリーを1月6日まで飾る習慣はまず広がらないでしょうね。
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ほのぼの

2006/12/24 Sun 23:12

 クリスマスの礼拝が終わりました。毎年そうなのですが、イブの夜は頭がさえていてなかなか寝付けません。ちょっとした興奮状態のようなところもあるのでしょうか。子供たちも本当に楽しそうにしていました。かくし芸やお芝居といった特別なイベントなど全く無いのに不思議です。人が集まって笑顔があふれているのはなんと幸せなことでしょうか。神様がここにも居られると感じられます。このほのぼのとした気持ちはなかなか無い感覚です。この感覚を味わってみたい方は、今年はもう終わってしまいましたから、来年の12月24日のイブ礼拝に、どこかの教会へ出掛けてみてください。
 ところで、今日は都合が悪いという方が多かったため、本当ならちょっと寂しいイブ礼拝になるところでした。しかし、ご近所の方が来られたり、高松教会よりたくさんの方がお越しくださったので、賑やかな礼拝となり感謝でした。高松教会の方々には、船の時間の関係で祝会をゆっくりしていただけなかったのが残念です。また何かの機会にご一緒しましょう。
 皆さんの上に神様の祝福が豊かにありますよう祈ります。
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押し売り?!

2006/12/23 Sat 23:30

夕方、どうしても出かける用事がありました。ところが、出掛ける直前、お隣さんと話していると、とてもしつこい布団の訪問販売がさっき来たと言うのです。とても強引で、戸を閉めても玄関先から立ち去らない位らしいのです。留守番の妻にそういう輩の相手をさせるのも可哀想に思い、少し考えて、呼び鈴のところに張り紙をして出掛けることにしました。
‘セールス、押し売り、その他一切の訪問販売、またいかなる勧誘もお断り。例外はありません。しつこい場合は連絡するよう警察に言われています。’
お隣さんの話だと近所を一軒一軒回っていたようですし、立地的にはしばらくするとうちの表の方から来そうだったのですが、結局来なかったとのこと。ですから、「その張り紙が役に立ったのか立たなかったのかは分からないね」と妻は言っていましたが、妻を思う私の気持ちは分かってくれたかなぁ・・・。
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もうすぐクリスマス

2006/12/22 Fri 21:44

早いもので明後日はもうクリスマスです。内海教会には教会学校も婦人会もないので、子供クリスマス会や婦人会のクリスマス会、それに壮年会のといったクリスマス会などありません。前にも言いましたように24日のイブ礼拝も日曜日と重なり、年配の方も多いためクリスマス礼拝は1回になりました。そうです、今まで教会にかかわって20数年になりますが、一冬でクリスマス会が1回というのは初めての経験です。しかし、1回と言っても、少人数で準備することが多々あるため決して楽ではありません。けれども、それはしんどいのではなく、やっぱり楽しいのです。イエス様を心にお迎えする準備だと思うとウキウキしてきます。教会のクリスマスには街のように洗練されたきらびやかさはありませんが、心がほんのり温かくなります。しばらくぽかぽか感が続きます。よくよく考えてみますと、世界で最初のクリスマスは、2000年位前にイエス様がお生まれになった時です。旅先にもかかわらず、両親のヨセフとマリアは宿屋に泊まることが出来ず、家畜小屋で枕しました。そして、その夜、その場でイエス様がお生まれになりました。暗く、寒く、切ない、惨めな夜、私たちを罪から救う救い主としてお生まれになりました。私たちを上からではなく下から支えてくださる神様の思いが込められているようです。内海教会にはきらびやかさも賑わいもなければ、多くの人の関心も向けられていません。経済的にも四国教区の教会・伝道所からの支えで成り立っている貧しい教会です。だからこそ、この貧しさの中でクリスマスを迎えるのが嬉しいのです。
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この写真はエアコンの風でロウソクの炎が揺れ過ぎて煤けないかどうかのリハーサルです。24日は燭火礼拝(キャンドルサービス)です。
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大好き

2006/12/21 Thu 21:07

3歳と1歳の次男三男をお風呂に入れるのは私の役割です。いつも一緒に歌を歌ったり、泡のソフトクリームを作ったりして遊んでいます。指を数えて数字遊びもします。
今日は‘ぞうさん’の歌を歌った後、次男に「Y君もお母さんが好きなの?」と聞いてみたところ、はたして「うん。お母さんが大好き!」と答えるではありませんか。それはそう答えるでしょう。しかし、何となく聞いただけの質問とは言え、このままでは大好きなのがお母さんだけで終わってしまいそうなので、「お父さんも好きだよ」といってもらいたくなり「お父さんは?」と聞いてみると、「お父さんはね、Y君が好きなの」。・・・参りました。その通りです。
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通院

2006/12/20 Wed 20:39

今日は通院のため高松まで自転車で出掛けました。13年ほど前から心臓病のため通院を余儀なくされているのです。小豆島で大きな病院(総合病院)というと近所にある内海病院ですが、残念ながら循環器科がないので定期的に高松まで出掛けています。バイクで出掛けたいところですが、250ccに買い換えてしまったため船賃が跳ね上がり諦めました。仕方なく長男の自転車を借りて行っています。
高松まで出ることはあまりありませんから、島で買えないようなものを買い物したり、人と合ったり、その他もろもろの仕事をするようにしています。しかし、自転車は乗りなれていないので疲れました。普段使わない筋肉を使うからでしょう。通院で疲れるというのも変な話ですが、効率を考えるとどうしてもそうなります。ちなみに自転車に乗っていると、足のある部分の筋肉が鍛えられるため、寝たきりにはならないと聞いたことがあります。しかも、自転車の運転であればどんな運転であってもその効果があるそうです(ノロノロ運転であっても!)。もう少し日ごろから自転車に乗ろうかな、乗ったほうがいいなと考えながら帰ってきました。
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風邪のつけ

2006/12/19 Tue 01:03

11月の末から引いた風邪のつけがまわってきました。20数年ぶりに経験する酷い風邪で体が動かせなかったとは言え、仕方がないでは済まされません。今週は積み残していた仕事がわんさかあります。チラシもまだ配りきっていませんし、イルミネーションもまだ取り付けていません。礼拝もクリスマスなので特別なプログラムにしようと考えていますが、まだ案が固まっていませんし、礼拝後の祝会の中身も考えなければなりません。更に、クリスマスケーキ作りまで引き受けてしまっているのでした。クッキーやケーキを作るのは好きなので、軽く引き受けたものの、こんなに仕事が詰まってくるとは考えてもいませんでした・・・。幸い昨日あたりから体も本調子に戻ってきたようなので、バリバリ仕事は出来そうです。それに、今年はクリスマスの日曜礼拝とイブ礼拝が1日で済むので少し気が楽です。昨年や来年なら2日に分かれている訳ですから、きっと大変だったと思います。そんな風にプラス思考で乗り切って行きます。
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献血

2006/12/18 Mon 17:22

長男から「(彼の通っている)高校で近々献血がある」と聞きました。もちろん希望者対象のようです。そういえば、久しく‘献血’と言う言葉を忘れていました。忘れていたというより気持ち的に無理して意識して来なかったのです。そう言うと、‘牧師のくせに不心得者’と言われそうですが、実のところ持病があるため13年ほど前から毎日服薬していて、献血したくてもできなくなっているのです。若い頃から、事故の危険性を伴うバイク乗りということもあり、献血の重要性は身近な問題として考えていましたから献血は結構熱心にしてきた方でした。また妻も同様に献血できないため、気持ちの中で‘献血’を封印していたのかもしれません。健康な人には分からないかもしれませんが、献血したくても協力できないのは不憫なものなのです。特に夏場の血液が不足しがちな頃、街頭で献血の呼びかけを聞き流しながら立ち去らねばない時など、切なさがこみ上げてきます。こちらとしてはむしろ気になっているくらいで、決して無視したい訳ではないのです。表面的には無視して立ち去っていくように見えるでしょうが、したくてそうしているのではないのです。献血を呼びかける方も、世の中には健康な人ばかりではないことを覚えて下さると助かります。健康なときは本当に考えたこともなかったのですが、定期的に病院へ通う身になってみると、世の中に病人の多いこと多いこと!献血車の前を足蹴く無視して立ち去る方々を‘なんて薄情な人たちなんだろうか’と思ったこともありましたが、そのうちのかなりの人が病気で服薬していて献血できない方々ではないかと思うのです。そんなことを息子と話し合い、「ぜひ献血したほうが良いよ」と勧めました。出来る人は出来ることをした方が良いですよね。
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冷やかし歓迎ですよ

2006/12/17 Sun 07:48

‘クリスマス信者’という言葉があります。もちろん正式な言葉ではなく、誰とはなしに使われている言葉です。一年のうちクリスマスしか教会に行かない人を指していて、使うのはほとんど例外なくその本人です。確かに考えてみると、人から言われるとカチンと来る言葉です。と言うことは半ば自嘲気味に本人が使っている言葉だと言うことになりそうです。そして、もう少し踏み込んで考えてみると、年に一回だけクリスマスにしか教会に行かない人に対して‘信者’という表現は果たして合っているのか疑問視する人もいるでしょう。しかし、聖書のマルコによる福音書でイエス・キリストが「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」と言われているように、年に一回でも教会に足を運ばれる方は十分仲間ではないかと思うのです。第一、気持ちがなければ生涯一回でも教会に来られることはないはずです。実はかく言う私もクリスマス信者だった時代があります。もっとも、恥ずかしくて教会で「クリスマス信者」という言葉すら言えませんでしたけれども・・。教会ではクリスマスにしか来られない方、一回しか来られない方も大切に考えています。「教会やクリスマスにちょっと興味はあるけれど、どうせ一回限りになりそうな気もするから行きずらい」とお考えの方はどうぞ気を楽に冷やかし気分で結構ですからお越しください。クリスマスはあと一週間です。
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別世界

2006/12/16 Sat 16:16

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松坂大輔投手(西武ライオンズ)のポスティングシステムによる交渉権が60億円と言うのにも驚きましたが、契約金が6年分で61億円だと言うのにも驚きました。レッドソックスはヤンキースに次いで金持ち球団だとは言え、お金の使い方を間違えているのではないかと思えてなりません。また、当の松坂選手は浮き足立つほど歓喜しているようですが、それだけの大金が動く事実の前でビビッてしまうのが普通だと思います。只者ではないと賛辞を贈るべきなのでしょうか。それとも、感性がおかしいと切って捨てても構わないのでしょうか。とにかく何かがおかしいというか、共感できないというか、感情移入できないというか、不思議な別世界の出来事のような気がして仕方ありません。しかし、一つ確かなことは、金額には気持ちがこもるということです。もちろん120億出せる経済力があったという背景があっての事といえますが、レッドソックスは120億出しても欲しいと思った訳ですし、松坂選手の側から言えばそう思わせたのは事実です。もちろん代理人の存在も大きいのですが、球団も商売の団体ですから、感情だけでなく120億でペイするという計算が必ずあるはずです。(松坂投手は想像だにしていないようですが)計算違いだと言われないようにがんばってもらうしかないですね。しかし、その金額がはじき出される背景にあるのは、メジャーリーグを支えているファンたちのもたらす経済力の凄さと言うことでしょうか。恐るべしメジャーリーグ。でも‘わざわざアメリカまで出稼ぎに行かなくても良いのに’とか‘プロ野球ファンとしてはプロ野球を面白くして欲しいのに’という思いの方が大きいですね。ただ、一番気になっているのはメジャーから戦力外になって久しい野茂投手がどうなっているのかと言うことです。とにかく気になって気になって仕方ありません。パイオニア的存在だっただけに当初は大騒ぎされていたし、本人も山あり谷ありの中で努力しておられました。ところが、下火になるとマスコミも誰も全く取り上げなくなってきています。それが勝負の世界の現実なのでしょうが、寒々としたものを感じてなりません。やはり別世界なのですね・・・。
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わずか1日・・・

2006/12/15 Fri 17:07

テンプレート、やはりイメージが違いすぎるみたいなのでわずか一日で変えました。コスモスは少し季節はずれの観がありますが、一番好きな花なので大目に見てください。
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チラシ配り

2006/12/15 Fri 16:39

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今日は朝から快晴。午前中にデスクワークをして、午後からクリスマスのチラシ配りをしました。岡山、松山にいた時分の記憶によると、チラシ配りは大体1時間で400枚配れていました。小豆島は家が少し点在気味なので1時間に200枚のペースではないかと踏んでいました。ところがどっこい!そんな考え間甘いも甘い、大甘な考えでした。路地はプライベート空間の様相であったため、今まであまり立ち入ったことがありませんでした。ですから土地勘は皆無と言っても過言ではないのです。通りを一歩入ると道は入り組んでいて、複雑怪奇なラビリンス状態。おまけに、大きな土地の家はどこにポストがあるのかを探すのに一苦労しました。ぐるりと一周したり、敷地内の奥にあったりしますし、信じられませんがポストが見つからない家が結構あるのです。家から家への距離が長くて時間をとられるだけでなく、一軒の家のポストを探すのに時間をとられるとは考えもしなかった落とし穴でした。結局、1時間30分かけて100枚程度しか配れませんでした・・・。気負っていたので、結構凹みました。しかし、在庫を残すわけにもいきませんから、明日からまたがんばって配りたいと思います。
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イメージチェンジ

2006/12/14 Thu 16:35

地味な性格なので時々イメージチェンジをしてみたくなります。・・・と言うことは本来派手好きなのでしょうか?ちょっと分からないです。人間って自分の本質一つ分からないものなんだとつくづく思います。
今回は「ブログのテンプレートがあまりにも地味だ」とか「見づらい」と言われたので、思い切って派手なのにしてみました。そういえばバイクのヘルメットも、20数年間白色や銀色という単色の普通のものしか被ったことがなかったのですが、先月買い替えのときに思い切ってグラフィックモデルにしてみたのでした。二つも続くと、最近、深層心理で脱皮を意識しているのかもしれないなと、そんなことが気になりだしました。
しかし、やっぱり、このテンプレートは近々変更するかもしれません・・・。
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今日は雨でした・・・。

2006/12/13 Wed 17:17

昨日、クリスマスのチラシを印刷してきたので、今日は颯爽と配って歩こうと思っていたのに朝から雨が降っていました。気持ちを萎えさせる雨と言いたいところですが、気持ちを切り替えて今日はデスクワークです。牧師の仕事は臨機応変に変幻自在なのが真骨頂です。もちろん、決まっている集会や礼拝、突然のカウンセリングなどは言うまでもなく動かせませんが。
そういえば最近図書館に行っていなかったのを思い出し、昼食後に子供たちを連れて本を借りに行って来ました。平日は利用者も少なく、紙芝居の読み聞かせをしても迷惑にならないのが良いところです。しかも、家から歩いても遠くないので大変便利です。今日は雨でしたから車を使いましたが2分程度で到着です。欲を言えば、もう少し蔵書量が多いと嬉しいところですが、小さな町ですからしかたのないことでしょう。それでもちょくちょく利用しています。
新聞なども数社取り揃えられているので毎日でも行きたいところなのですが、大の男が図書館でブラブラしていると、この町では違和感がありそうなので控えています。
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印刷のための冒険旅行

2006/12/12 Tue 17:36

今日は3歳の次男を連れて高松教会(高松市番町)に行ってきました。内海教会に印刷機が無いので、チラシ(クリスマスの案内)を印刷させてもらうためです。最初、一人で行くつもりでしたが、次男を連れて行ってみることにしました。島ばかりもつまらないだろうし、そういえば今まで母親と離れたことが無いので、これも良い経験になるかもしれないと思ったのでした。どんなハプニングが起きるか未知数なだけに私も少々緊張しました。本人はあっさりお父さんとの二人旅を承諾したのですが、朝フェリーに乗り込むやいなや「お母さん遅いねー」・・・。それから乗って30分ほどで「さあ、家にそろそろ帰ろうか」と言われるし、こちらは冷や汗ものでしたが、きちんと説明すると「ああ、そうだった」と納得してくれました。高松駅前で巨大なクリスマスツリーに歓喜の声を上げたりエスカレーターにびぴったり、工事中のマンションのクレーン作業を熱心に見入ったり、彼にしてみれば刺激たっぷりの冒険旅行だったようです。高松教会のK先生ご夫妻も突然の小さな来訪者を心から歓迎してくださいましたから、息子も緊張することなく楽しい様子であれこれと一生懸命お話していました。山口、愛媛に次ぐもう一組のおじいちゃんおばあちゃんと思ったのかもしれません。帰りの船の中でも「今度はあのおじいちゃんおばあちゃんちにお母さんもみんな一緒に行こうね」とご満悦。今度は仕事のついでではなく、皆で遊びに行きましょうか。K先生とおくさま、お世話になりました。
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イルミネーション

2006/12/11 Mon 09:14

内海教会近くの安田と言うところは、クリスマスのイルミネーションがとっても綺麗なのだそうです。なのだそうですと言うのは未確認情報だからです。我が家には小さい子供がいるため、夜は風呂に入れたり寝かしつけたりと夫婦そろって忙しいのでまだ一度も観に行ったことがないのです。うわさではどうやら年々派手になっているとの事。最近では店舗だけでなく一般家庭でもイルミネーションを飾り始めたからのようです。話を聞くたびに是非観に行こうと思うのですが、夜になるとあわただしさの中で忘れてしまうのでした。ところで、内海教会にもイルミネーションがあるので「お好きに飾ってください」と言われているのですが、入り組んだ所に教会があるため、表を通る人からはほとんど見えないだけにどうしようか思案に暮れています。あと二週間でクリスマスですし、世間では楽しげに飾りつけられているわけですからちょっと焦ってしまいます。今日明日中に決着をつけないといけませんねえ・・・。
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最近困っています・・・

2006/12/10 Sun 20:56

最近困ったことに(今日もそうでしたが)、我が家の1歳になったばかりの三男坊が礼拝の最中私の所まで歩いてくるのです。内海教会はちょっと変わっていて、通常一段高くなっている壇が無くフラットなので、会衆席から説教している所はおろか礼拝堂中どこにでも行けてしまうのです。特に三男は何にでも興味を持ち、何でもしようとする年齢ですから、ちょっと目を離すとどこへ行って何をするか分かったものではありません。設備の整った教会なら礼拝堂の後ろか横にガラスで仕切られた親子室(昔は母子室と呼ばれていました)があって、小さな子供連れの親子はそこでゆったり礼拝を守ることが出来るのですが、内海教会にそんなイカしたものがあるはずがありません。おまけに椅子にじっと座っているはずも無いので安全面も考慮して、床にウレタンのマットを敷いてそこで妻と下の子供たちは礼拝を守ってもらっているのです。そういう状況下のため、一瞬の隙に乗じてタッタカターと前まで来てしまう訳です。前に来るだけなら、他愛もありませんが、ヒムプレーヤー(讃美歌自動演奏機:オルガニストがいないので機械に伴奏を頼っている)の電源やらボリュームをいじりたがったり、礼拝堂の一番前のところに一箇所だけ台があってそこに登りたがったりするので手を焼いています。説教を中断するのも難しいし、冷や汗を流しながら皆さんには迷惑のかけどおしです。落ち着くまでもう少しの辛抱をお願いするしかないようです・・・。申し訳ありません・・・。
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良い人にならなくていいよ

2006/12/09 Sat 11:52

先日、四国新聞の文化欄の囲み記事みたいなのに「良い人ばかりの家より悪い人ばかりの家が良い」というようなものがありました。良い人を自認する親に育てられる子は批判や否定しかされないからビクビク育ってしまうのに対し、悪い家族というのは皆が自分の非を認め合うので暖かい家庭になるというような内容でした(間違っていたらゴメンナサイ)。ちょっと極端な気がしました。悪いと言っても自分の非を素直に認め合う人たちってそんなに悪くないと思いますし、業田良家著「執念の刑事」に出てくる首領のような極悪非道な家族に囲まれていたらかえって良くないような気がします。けれども、良い人云々という部分には共感を覚えました。実際、自他共に認める‘良い人’や‘正しい人’は自分のもたらす弊害に気付かないことが多いからです。例えばその典型例として牧師などが挙げられます‘正しく良い人’である牧師が夫として、父親として家庭に君臨しているケースを時々耳にします。もちろん、それは亭主関白やワンマン親父の体裁ではなく、あくまで家族思いで優しく親切丁寧、愛の塊の様相を呈しているのです。なんといっても‘神様に仕える身’であり、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」と教えている立場ですから。だからこそ何かあると自分のことを当然のように棚に上げた上で優しく話し合い、結局問題は自分以外の人間にあると論理的に説明して責任を転嫁してしまうということが起きやすいのです。口もたちますからね。もちろん全ての牧師がそうだと言うのではありません。恐らく極々一部の方でしょう。しかし、良い人、特に自他共に認める良い人というのは、裸の王様になってしまいやすいので、よくよく自分と言うものを玩味しなければならないのかもしれません。「良い人であるこの私が嫌な思いをさせられているのだから、相手が間違っている、あるいは悪いに違いない!」なんて考え出したら要注意です。そもそも‘良い’‘悪い’なんて相対的なことですし、世の中に‘良いこと’‘悪いこと’はあっても‘良い人’‘悪い人’なんて存在しないように思うのです。良い面悪い面を皆が持っていますし、それでいて、みんなかけがえの無い存在ではないかと思うのです。良い人よりも暖かい人になれたらいいなと思います。
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鈍感~水漏れ

2006/12/08 Fri 09:28

最近水道代がやけに高くなってきていました。水不足の松山で過ごしていたこともあり、節水には心がけている自負心がありますから不可解でした。そういえば長男が最近洗濯物を溜め込んでは夜中に一人で洗濯していることが多かったので厳重注意してみましたが、最近はしていないとの事。役員会で話してみると、「先生それは水漏れじゃないですか?」。「は?水漏れ?」今まで水漏れなんて経験したことありませんでしたから、どうも実感がありません。さっそく止水栓の脇の水量計を調べてみると果たしてコマが回っていました。水を全然使っていないのにです。それでも実感がないままに会計役の方に伝えると「あらま!大変!すぐ手配します!」。ここでやっと自分のお間抜けぶりに気付くわけです。でも、まだ「多分たいしたことないだろう」と考えていたのでした。そこへ今朝、業者の方が来られて調べていただきましたら、太陽風呂(太陽熱温水器)が故障していて、しかも結構なダメージだったとの事。「うーーーん。鈍感さここに極まれりだなぁ」。何はともあれ、これにて一件落着。もっと敏感にならなくちゃと反省させられましました。
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 時々「クリスマスイブのイブって何?」と聞かれることがあります。12月25日がクリスマスでその前日に当たることから、‘前日’とか‘前夜祭’のように受け止められている方が多いようですが‘イブニング’のことです。聖書の世界の暦は日没から新しい日を迎えるものでしたから、クリスマスの12月25日の夜と言うのは、現代の暦で言えば12月24日の夜になってしまう訳です。
 ちなみに‘クリスマス’と言うのは‘キリストのミサ’を意味するラテン語から来ています。この世に到来(降誕)されたキリストを礼拝する日というわけです。
 ところで12月25日がクリスマスだというのは誰でも知っていますし、キリストの誕生日らしいと大勢の人が知っているようです。しかし、正確には12月25日はイエス・キリストの誕生日ではないのです。聖書のどこにも日付は記されていませんし、同様の資料もありません。第一羊飼いが野宿するような季節となると、キリストの誕生日がいつなのか分からなくても、絶対12月なんかではないことが分かります。厳密に言えば‘12月25日クリスマスはイエス・キリストの誕生を覚える日’と言えます。ではどうして12月25日に決まったのかと言いますと、古い異教の太陽神の主なる祭りが冬至で(当時12月25日と考えられていた)、変な話ですがそれを上手に切り替えていったようなのです。ちなみに東方教会のクリスマスは1月6日で、アルメニヤ教会では1月18日らしいです。それぞれの伝統の中で制定されていったことが想像できます。
 また、巷でよく見かける「Xmas」は、ギリシア語のキリスト(Χριστοs:クリストス)の 頭文字X(カイ)に「mas」を付けたものです。時々英語の省略マークのようにアポストロフィーを付けて「X’mas」としていますが、英語ではないので「’」は要りません。
 ・・・話がどんどん逸れていますね。きりがないので今日はここでやめます。
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やまない雨はない

2006/12/06 Wed 15:42

 3歳の次男と「特捜戦隊デカレンジャー」を観ていたら「やまない雨はない」と言う台詞が耳に残りました。「なかなか良い言葉だなあ」と思ったのです。とかく人間というのは、嫌な状態になるとそればかりが気になりやすい上に、いつまでも続いていくような気さえして、押しつぶされそうになりやすいところがあります。もうそれだけが全てであるかのような錯覚に陥り、一歩も思考が前に進まなくなってしまうことがあります。やまない雨が無いように、全ての事柄にも終わりがあります。例えば‘うつ病’という病気があります。うつ病になっただけなのに「もうおしまいだぁ」とでも言わんばかりに嘆く方がいます。本人が精神病に対する偏見を持っていたために、自分で自分を差別し抑圧してしまうのかもしれません。しかし、それ以上気になるのは、永遠にうつ病であり続けるとでも言うような決め付けです。‘うつ病は心の風邪’と言われるように、誰でもかかりうると同時に治る病気です。統合失調症(以前は精神分裂病と言われていた)も薬の発達もありかなり回復します。‘いじめ’にしても永遠に続くものではありませんし、自分の意思で不登校・転校・フリースクールへ転向という手段を使えば今日明日にでも終わります。永遠でないものをさも永遠であるかのように錯覚して自分を窮地に追い込む必要は無いのです。大切な人との死別の悲しみも時間が癒してくれたりします。やまない雨はないのです。デカレンジャーを観ながらそんなことを考えるのもへんな話ですが。
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クリスマス12月24日(日)

2006/12/05 Tue 09:21

 くすしくも今年のクリスマスイブは日曜日です。通常であれば毎週行っている日曜日午前の礼拝でクリスマス礼拝をして、更に12月24日の夜クリスマス・イブ礼拝をします。それが今年は同じ日になりますから、1日2回クリスマスの礼拝をすることになります。ところが、先日の役員会で「1日に2度も教会に来るのはしんどいから・・・」という理由で、内海教会ではクリスマスの礼拝を一本化することになりました。しかも、クリスマス恒例のキャンドルサービスをするには明るいと駄目なので、礼拝は夕方5時からと決まりました。あまりそういうことをする教会は聞いたことがありませんが、高齢者少人数の教会ですから臨機応変にしています。もし、興味のある方がいらっしゃいましたらどうぞお越しください。どなたも大歓迎です。この日は礼拝後に軽食を用意してのクリスマス祝会を行います。参加費は要りませんが、礼拝で席上献金があります(金額もするしないも自由です)。また、お楽しみでプレゼント交換をしますので500円程度のプレゼントにウィットのあるメッセージを添えてご持参ください。聖書や賛美歌は教会にあるのをお使いいただけます。教会のクリスマスを味わっておくのも案外良いものですよ。
小豆島にお住まいでない方は内海教会が無理でも近所の教会に出掛けてみてはいかがでしょうか。
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わがまま

2006/12/04 Mon 12:49

 若い頃は気が短くてすぐ頭に来る方でした。何がしかの気負いがあったのでしょう。最近は年のせいか自分でも驚くほど丸くなってしまいました。昔しか知らない方が今の私を見ればびっくりするかもしれません。あまり頭にこないのです。つらいことやしんどいことが最近続いていたせいで、あることに気付いたのかもしれません。それは、人は皆わがままに生きていということです。単刀直入に言うと、他人は自分(私)のために生きている訳ではない、つまり、自分(私)の気に入るように他人は行動してくれないという、ただそれだけのことですが・・・(言ってみればほんとうに当たり前のことなのですが、それに気付かずにいる人が実に多いのかもしれません)。ですから、人の振る舞いが気に入らないとか、癇にさわるとか、頭に来ると言うのは当たり前なことで、いちいち腹を立てることの方が馬鹿馬鹿しいと気付いたような気がするのです。そうしてみると、昔の私はわがままだったのかもしれませんね。
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按手式参加を断念・・・

2006/12/03 Sun 17:26

 風邪を一週間以上も引きずってしまいました。お医者さんの言いつけを守っておとなしくしていたのにです。いくらなんでも今日までには元気になっていると希望を持っていたのですが、やはり‘希望’と言うのは‘希な望み(まれなのぞみ)’に過ぎないのでしょうか・・・。実は明日、愛媛県の大洲教会で四国教区の臨時総会があり、松山時代親しくしていただいた当時の伝道師さん数名の牧師としての按手式(偉い先生の手を頭に置いて祈っていただく特別な式)が執り行われるので、なんとしても出席したかったからです。まだまだ体がだるく、熱もある状態ですから、ちょっと無理できそうもありません・・・。直接会ってお祝いしたかったので残念ですが、自宅でお祈りさせていただくことにします。
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