2006年12月31日 07:49
‘たまたま’という言葉が好きです。世の中は不条理や格差に満ちていて失望や怒りを覚える方も多いと思いますが、あまり決め付けてかからなくて良いのではないかと思います。もちろん、個人的な問題のある場合もありますが、かなりの割合で言えることは‘たまたま’ではないかということです。
「何で先生お金持ちの家に生まれる人と貧乏人の家に生まれる人がいるの?」
「何で酒タバコをガンガンしているのに健康で丈夫な人がいるかと思えば、生まれつき病気や障害を持ってる人がおるの?」
「何であんなに良い人と思える人が病気になったり早く亡くなったりするの?」
そんなことを聞かれることが時々ありますが、私の基本的な答えは
「たまたまです。」です。
上述の質問は一見真面目で人を想う優しさを持った言葉のように聞こえる言葉ですが、
‘良い人は健康で長生きであるべき’
‘病気や障害を持つ人は何か原因があるのではないか’
という区別化・差別化の考えが見え隠れしています。因果応報という考え方の弊害を感じます。そうかと思えば教会などで、
‘皆さんのお祈りのお陰で病気が良くなりました’
‘信仰が篤いから良くなったのね’
という発言などがあったりします。では、祈って直らない人は信仰が薄いということでしょうか。祈りが足りなかったということでしょうか。いずれも的外れな気がします。
私は前にも書きました21歳の時の肺炎は死を覚悟したとはいえ、自分勝手にそう思っただけで、実際は大したものではありませんでしたからこれは除外しますが、車で縦に3回転しながら道路から転がり落ちて行き、車はグチャグチャに大破したのに無傷だったり、心臓を悪くして医者から「あと5年の命と覚悟して身辺整理されたらどうでしょう」と言われていたにもかかわらず奇跡的に回復傾向にあったりします。人によると「神がかり的だ」とか「神様に守られているのね」とか色々言われますが、はっきり言って‘たまたま’です。たまたま回復する人もいれば、たまたま悪くなる人もいます。たまたま事故に遭ったりたまたま助かったりするだけの話です。たまたまに過ぎず、決して信仰だの人間性だのは関係ありません。
長く生きて幸せな人もいますし、短くても幸せに生きた人もいます。お金に泣いたり心を見失う人もいれば、人も自分も生かす有意義な使い方の出来る人もいます。いろんな立場、いろんな境遇の人がいるから素晴らしい出会いや重厚な係わり合いが生まれます。ですから一面的な考え方、「○○は不幸だ」「○○だから幸せだ」はちょっと違うと思うのです。‘たまたま’そうであるだけで、後はそれをどう理解し何を大切にして生きていくかだと思います。それで随分人生が違ってきます。ここで勘違いされてはいけないので付け加えますが、この‘たまたま’は‘運命論’とは違います。たまたまであっても定まった運命があるのではないからです。私たちは生き生きと自由に生きていけるからです。
‘さて今年はどれだけ生きただろうか’と、そんなことを考える大晦日であります。
「何で先生お金持ちの家に生まれる人と貧乏人の家に生まれる人がいるの?」
「何で酒タバコをガンガンしているのに健康で丈夫な人がいるかと思えば、生まれつき病気や障害を持ってる人がおるの?」
「何であんなに良い人と思える人が病気になったり早く亡くなったりするの?」
そんなことを聞かれることが時々ありますが、私の基本的な答えは
「たまたまです。」です。
上述の質問は一見真面目で人を想う優しさを持った言葉のように聞こえる言葉ですが、
‘良い人は健康で長生きであるべき’
‘病気や障害を持つ人は何か原因があるのではないか’
という区別化・差別化の考えが見え隠れしています。因果応報という考え方の弊害を感じます。そうかと思えば教会などで、
‘皆さんのお祈りのお陰で病気が良くなりました’
‘信仰が篤いから良くなったのね’
という発言などがあったりします。では、祈って直らない人は信仰が薄いということでしょうか。祈りが足りなかったということでしょうか。いずれも的外れな気がします。
私は前にも書きました21歳の時の肺炎は死を覚悟したとはいえ、自分勝手にそう思っただけで、実際は大したものではありませんでしたからこれは除外しますが、車で縦に3回転しながら道路から転がり落ちて行き、車はグチャグチャに大破したのに無傷だったり、心臓を悪くして医者から「あと5年の命と覚悟して身辺整理されたらどうでしょう」と言われていたにもかかわらず奇跡的に回復傾向にあったりします。人によると「神がかり的だ」とか「神様に守られているのね」とか色々言われますが、はっきり言って‘たまたま’です。たまたま回復する人もいれば、たまたま悪くなる人もいます。たまたま事故に遭ったりたまたま助かったりするだけの話です。たまたまに過ぎず、決して信仰だの人間性だのは関係ありません。
長く生きて幸せな人もいますし、短くても幸せに生きた人もいます。お金に泣いたり心を見失う人もいれば、人も自分も生かす有意義な使い方の出来る人もいます。いろんな立場、いろんな境遇の人がいるから素晴らしい出会いや重厚な係わり合いが生まれます。ですから一面的な考え方、「○○は不幸だ」「○○だから幸せだ」はちょっと違うと思うのです。‘たまたま’そうであるだけで、後はそれをどう理解し何を大切にして生きていくかだと思います。それで随分人生が違ってきます。ここで勘違いされてはいけないので付け加えますが、この‘たまたま’は‘運命論’とは違います。たまたまであっても定まった運命があるのではないからです。私たちは生き生きと自由に生きていけるからです。
‘さて今年はどれだけ生きただろうか’と、そんなことを考える大晦日であります。





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