2007年01月05日 19:19
「あなたは罪人だ!」と言われたら大抵の人は頭に来ます(犯罪人というイメージに結びつくからでしょうか)。この‘罪’という言葉は聖書によく出てきますし、キリスト教でも大事な言葉ですから厄介です。原語はギリシャ語‘ハマルティア’で‘的外れ’という意味ですから、日本語で言う‘罪’とはちょっと違うのです。ちょっと違うのに‘罪’と訳され、日本語の聖書に記載され、教会でも頻繁に語られているのです。困ったことに、教会では完全に市民権を得ているのに、一般には誤解されやすい言葉なのです。これは訳に無理があるのであって、殆どの人には責任がありません。もう一言付け足すと、教会に通っておられる人の中にも誤解している方がおられますから、本当に厄介な言葉です。
‘罪’と言うとどうしても‘悪いことをした’という観点を連想しますが、もともと‘的外れ’ですから、‘悪いことをした’はもちろん、‘すべきことをしない’という視点も含まれるのです。むしろ、この‘すべきことをしない’に比重が重いように思います。マルチン・ルターなど「日々罪を悔い改めよ」と言っている訳ですから、‘罪’を誤解してこれを実行しようとすると、毎日どんなに小さなことでもいいから‘悪いことをした自分’を見つけ出して懺悔しなければならなくなりますから、それでは人生が暗く落ち込んでしまいます。マザー・テレサは「愛の反対語は無関心です」と言いましたが、まさしく無関心で、関れるはずの大切な事柄の前を通り過ぎてしまう自分、或いは相手の気持ちを確かめずに思い込みと先入観で関るトンチンカンな自分などが含まれると考えていただくと分かりやすいと思います。また、自己中心性などもその根っこにあると思います。
そうしてみると私たちは多くの関りの中で‘的外れ’なことをしてしまっていることを思います。‘罪人’と言うのも‘罪’を犯したから‘罪人’なのではなくて、‘人は的を外し易い性質を持っている存在’ということになります。そのことに気付いていく中で人は成長させられていくように思います。私も昔は誤解していましたから‘私は罪人ですって言うの嫌だな’と思っていました。しかし、‘私は罪人だ’そう自覚できると、人生の可能性が広がるんだなと思っています。
‘罪’と言うとどうしても‘悪いことをした’という観点を連想しますが、もともと‘的外れ’ですから、‘悪いことをした’はもちろん、‘すべきことをしない’という視点も含まれるのです。むしろ、この‘すべきことをしない’に比重が重いように思います。マルチン・ルターなど「日々罪を悔い改めよ」と言っている訳ですから、‘罪’を誤解してこれを実行しようとすると、毎日どんなに小さなことでもいいから‘悪いことをした自分’を見つけ出して懺悔しなければならなくなりますから、それでは人生が暗く落ち込んでしまいます。マザー・テレサは「愛の反対語は無関心です」と言いましたが、まさしく無関心で、関れるはずの大切な事柄の前を通り過ぎてしまう自分、或いは相手の気持ちを確かめずに思い込みと先入観で関るトンチンカンな自分などが含まれると考えていただくと分かりやすいと思います。また、自己中心性などもその根っこにあると思います。
そうしてみると私たちは多くの関りの中で‘的外れ’なことをしてしまっていることを思います。‘罪人’と言うのも‘罪’を犯したから‘罪人’なのではなくて、‘人は的を外し易い性質を持っている存在’ということになります。そのことに気付いていく中で人は成長させられていくように思います。私も昔は誤解していましたから‘私は罪人ですって言うの嫌だな’と思っていました。しかし、‘私は罪人だ’そう自覚できると、人生の可能性が広がるんだなと思っています。





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