欠けた所の全く無い完全な平和

2007年01月09日 13:23

 聖書に良く出てくる言葉に‘シャローム’があります。‘平和’という意味のヘブル語ですが、そのままではなくやっぱり訳されて聖書に出てきます。それは‘おはよう’だったり‘こんばんは’だったり‘主の平安があなたにあるように’だったりします。そう、ユダヤ社会では‘平和’と言う意味の単語がそのまま挨拶の言葉になっているのです。「変なの」なんて言わないで下さい。日本語の‘お早う’‘今晩は’も冷静に考えると結構変ですからね。歴史的に争いが多く、平和があまり無い社会ゆえ‘シャローム’と言い合うようになったのかもしれません。
 しかも、‘シャローム’の意味する平和は厳密に言えば‘欠けた所がが全く無い完全な平和’を意味します。日本人は聖徳太子以来(?)‘和をもって尊しとする’で来たためかどうかは知りませんが、表面的な平和で良しとしている風潮があるような気がします。‘水に流す’という言葉は懐の広さを感じるにしても根本的な解決策とは程遠いものです。心にしこりやわだかまりがあっても表面的に平和であれば良いのでしょうか。
 人格者は我慢も平気なのかもしれませんが、殆どの場合はいわゆる弱者が我慢を強いられているのが現状ではないでしょうか。弱者と言うのは言うまでもなく‘弱い人’ではなく‘弱い立場に立たされている人’のことです。多くの場合、多くの人は弱者を視野に入れていません。そのような状況で、自分の身の回りが平和そうに感じたとしても、それは見かけ上の平和に過ぎません。
 ‘欠けた所の全く無い完全な平和’なんてこの世に存在しないでしょう。けれども、‘欠けた所の全く無い完全な平和’を目指したり夢見たり意識しているだけで、本当の幸せに一歩近づけるような気がします。
 あなたに神様の平和、欠けた所の全く無い完全な平和が訪れますようにと祈ります。


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