2007年01月23日 20:26
昨日の伝道協議会で、私の姉が勤務している保育園に関係する牧師さんたちや信徒の方々とお会いすることが出来ました。「私は小豆島の内海教会の牧師で三野と言いますけれども、○○保育園でお世話になっている○○の弟です。姉がいつもお世話になっています。」と挨拶させていただくと、たいそう喜んでくださったのでびっくりしました。
世の中は狭いなあと思うと同時に、私にも姉の知らない人生があるように姉にも私の知らない人生が確かにあって、しかも、いろんな人たちの中でいろんな関りをもってしっかり生きてきたんだなぁと、当たり前のことですけれども、実感として感じられて、しかも、こうしてそれぞれの人生で出会った人たちが繋がってみるとなんとも言い表せない道のりを感じました。
姉たちとは年が離れていたこともあって、私が15歳になるまでしか同居しておらず、その後もたまに会う程度に過ぎなかったからでしょう、いつも姉たちから子ども扱いにされているのを感じています。私も1990年から牧師になりもう45歳なのですが、いまだに姉たちの中の私は中学3年生どまりのようなのです。でも良く考えると反対に私も姉たちを高校生や短大生のままでイメージしているような気がします。
前にも書きましたが、姉たち2人が熱心なキリスト者であったお陰で私のような信仰の弱い者が洗礼を受けられたのですから、やっぱり牧師になったらなったで「大丈夫なの?」と思うのでしょうね。今回、私はお互いに年をとってきている事を実感しましたが、姉はどうでしょうか。
世の中は狭いなあと思うと同時に、私にも姉の知らない人生があるように姉にも私の知らない人生が確かにあって、しかも、いろんな人たちの中でいろんな関りをもってしっかり生きてきたんだなぁと、当たり前のことですけれども、実感として感じられて、しかも、こうしてそれぞれの人生で出会った人たちが繋がってみるとなんとも言い表せない道のりを感じました。
姉たちとは年が離れていたこともあって、私が15歳になるまでしか同居しておらず、その後もたまに会う程度に過ぎなかったからでしょう、いつも姉たちから子ども扱いにされているのを感じています。私も1990年から牧師になりもう45歳なのですが、いまだに姉たちの中の私は中学3年生どまりのようなのです。でも良く考えると反対に私も姉たちを高校生や短大生のままでイメージしているような気がします。
前にも書きましたが、姉たち2人が熱心なキリスト者であったお陰で私のような信仰の弱い者が洗礼を受けられたのですから、やっぱり牧師になったらなったで「大丈夫なの?」と思うのでしょうね。今回、私はお互いに年をとってきている事を実感しましたが、姉はどうでしょうか。





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