2007年03月01日 21:06
「祈りが上手くなくて・・・」と仰る方がよくいらっしゃいます。確かに‘信仰暦の長い敬虔な方の祈り’や‘祈りの本’に載っている祈りは語彙が豊富な上に非常に整っています。そこで「私なんかは下手で・・・」となってしまうのでしょう。しかし、「‘祈り’は整った言葉でなければならない」というような考え方はどうかと思います。
私は最近祈りの課題が多く与えられていて、しかも、自分の無力さを痛感しながら祈り続けなければならない状況の中にいます。言葉にも出来ないでただうめいているような祈りの時間を過ごすことも多くあります。そのような状況の中で、そこから始まるのが祈りではないのかと思わされています。
マルチン・ルターの言葉に「ただただ、言葉にもならない、うめきでしかない祈りも、天に昇り、高らかに鳴り響き、神様の耳に到達する」というものがあったのを思い出しました。だれもがうめいています。その思いが言葉にならないものであっても神様は聴かれているというのです。
私は牧師のくせに祈りはあまり上手くありません。しかし、うめきから始まる祈りを大切にし続けたいと思います。
そういえばローマの信徒への手紙8章26節にこんな言葉がありました。「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」
私は最近祈りの課題が多く与えられていて、しかも、自分の無力さを痛感しながら祈り続けなければならない状況の中にいます。言葉にも出来ないでただうめいているような祈りの時間を過ごすことも多くあります。そのような状況の中で、そこから始まるのが祈りではないのかと思わされています。
マルチン・ルターの言葉に「ただただ、言葉にもならない、うめきでしかない祈りも、天に昇り、高らかに鳴り響き、神様の耳に到達する」というものがあったのを思い出しました。だれもがうめいています。その思いが言葉にならないものであっても神様は聴かれているというのです。
私は牧師のくせに祈りはあまり上手くありません。しかし、うめきから始まる祈りを大切にし続けたいと思います。
そういえばローマの信徒への手紙8章26節にこんな言葉がありました。「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」





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