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ウグイスの鳴き声
2007 / 04 / 29 ( Sun )
 今日はスカッと晴れた気持ちのいい朝でした。おまけにウグイスの鳴き声がしばらく聞こえていて、日曜日の朝というのにゆったりくつろげました。実際は玄関先を掃除しなおしたり、教会受付に聖書や讃美歌、週報などを並べたりとすることはいくらでもあるのですが、人間気持ちが大切ということでしょうか。
 ウグイスや他の野鳥の餌箱など庭先に置いたらもっと楽しめるのかなとそんなことを考えてしまいました。
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 「ああ、何だか今日は空気もうまいなあ」と更に玄関先に立って物思い中、突然“鳥の糞”がわたしの右横30センチの所に落ちてきました。そういえば、電線があるわけでもないのに、玄関前や玄関の前に駐車している車の屋根によく鳥の糞が落ちています。ちょうど鳥の通り道なのでしょうか。
 やっぱり鳥の餌箱を設置するのはやめよう。
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家族サービス
2007 / 04 / 28 ( Sat )
 世間はゴールデンウィークに入ったようです。
 しかし、我が家とは無関係で、私は未だにゴールデンウィークに旅行やレジャーなど楽しんだことがありません。恐らく牧師一家は皆そうだと思います。
 まず、日曜日の礼拝が休みになることはありませんし、準備のための土曜日もすることで一杯です。ではゴールデンウィークの土日以外の休みの日はと言いますと、確実な休みということで、教会関係の行事が大抵入っています。
 私はよく、自己紹介などで趣味を“家族サービス”と明言したりしていますが、よくよく考えてみると、土日、祝日、ゴールデンウィーク、、クリスマス、年末年始など全く家族サービスと無縁です。ですから、毎日、家事を手伝ったり、子供と遊んだり絵本を読み聞かせたり、出来ることを出来るだけするようにしているのかもしれません。
 ですから、家族サービスしている方だとは思いますが、実際にはスゴク偏っているのだなぁと、ふと思ってしまいました。
12 : 55 : 04 | プライベート | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
命拾い
2007 / 04 / 27 ( Fri )
 昨日、玄関の修繕をしていたら戸や窓がガタガタ揺れ始めたのでびっくりしました。そんなに強く叩いたりしていなかったのに予想以上に振動したからです。もちろん、それはすぐに地震と分かりました。後から、中四国地方広域にわたっていたと知って二度びっくりです。とにかく被害が少なかったのは不幸中の幸いでした。
 地震といえば、上京したての頃、地震に驚き慌てたのを先輩にひどく馬鹿にされたのを思い出します。関東では地震が多いから皆慣れていて、少々の地震で慌てる者などいないのだそうです。確かに5年もいると小さな地震では驚かなくなりました。慣れもある意味怖いものです。
 そういえば地震で思い出しましたが、2001年芸予地震のあった3月24日15時28分、私は松山の教会にいました。しかもその日は教会の屋根を整備する予定の日でした。ところが作業着に着替えようとした15時ちょっと前に、一人の人が相談に来られました。「ああ、今日中に屋根の修理を済ませたかったのになぁ。今日は無理かなぁ。でも、相談は大切だからなぁ。」とか考えつつカウンセリングをしておりました。その時でした“ゆ゛っさ、ゆ゛っさ”と激しく強くしかも比較的長い時間の揺れを感じたのは。そうです。私は間違いなく屋根に上っていたはずですから、アポ無しで相談に来られたこの方の存在が無ければ、確実に転落していたはずです。そういう具合でなんとか命拾いをしましたが、やはり思い出すだけで今でもちょっとビビリます。
 やっぱり突然やってくる地震は怖いですね。
12 : 31 : 46 | 出来事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
網戸っ!
2007 / 04 / 26 ( Thu )
 網戸をなんとか玄関に取り付けたい。それは切実な願いです。昨年は蚊取り線香を焚いて対応していましたが、それでも玄関からの蚊をはじめとする色んな虫の進軍に対処できないでいました。それで今年は網戸を取り付けてなんとか玄関で阻止したいと考えているのです。
 しかし、問題があります。実は玄関には網戸用のレールがありますし、裏口には、かつて玄関にはめてあった網戸が少しも痛んだ様子も無く立てかけてあります。しかしながら、この網戸は壊れてもいないし網に穴も開いていないのに取り付けられないのです。正確には取り付けられるけれども、使えないのです。
 ご察しのように教会の玄関は引き戸です。網戸が取り付けられる仕組みです。しかし、この引き戸、どういう訳か本来内側からの鍵しかないタイプで、外には施錠するために新たに別の鍵が取り付けられていて、防犯上ばっちりです。・・・と、防犯はともかくとして、この後から取り付けた鍵が出っ張ってしまっているので、網戸を取り付けても、鍵がストッパーになってしまい、ピクリとも動かすことが出来ないのでした。虫は入れないばかりか、人っ子一人通れなくなってしまうのです。
 そこで、カーテンのように二枚の網を内側からマジックテープで止めるタイプのかんたん網戸と言うのを買ってきました。これで、問題解決!とルンルン気分で取り付けたのは良いですが、思っていた以上にゆったりしていなくて、通りにくいといったらありません。よく考えてみると、上と横をしっかり止めている訳ですから、端と端を結ぶ斜めのラインまでしか網は動かないのです。二枚の網の対角線と対角線の下までしか開きませんから、体を低くしてすり抜けなければならない感じです。
 なんだか不便なものを取り付けてしまったと後悔しています。数日のうちに取り払う可能性大です。
 あーーー。網戸を何とかして玄関に取り付けたい。それは切実な願いです。
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20 : 31 : 39 | プライベート | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
離島だったのか・・・
2007 / 04 / 25 ( Wed )
 次男(3歳)と三男(1歳半)のために“レゴブロック”を買ってあげようと、インターネットで大手外資系おもちゃ屋のオンラインショップで注文しようとしたところ、送料が1,250円かかると表示されました。注文しようとしたのは3,990円の商品で、そのオンラインショップでは3,900円以上の買い物で送料無料になるはずだったので合点が行かず、注文を取り消してメールで理由を尋ねたところ、「沖縄と離島は送料1,250円ですから」との返事が帰ってきました。確かに小豆島は島ですけど、中四国のあちこちとフェリーや高速艇でつながっていますし、その便数は相当な数です。また、所要時間も高松からは1時間(高速艇だと30~40分)、岡山からは70分、姫路からは100分ですから、“島”であるけれども“離島”とは思ってもみませんでした。
 最近、よく通信販売を利用して買い物をしていて、特別割高な料金が要ったということもありませんでしたし、まさに不意を突かれたような感覚でした。しかし、そういえばすっかり忘れていましたが、昨年の母の日に妻が喜びそうなスイーツを取り寄せようと注文した後、先方から折り返し帰って来たメールには「船便である以上欠航の可能性がありますから、鮮度が落ちる危険性を考慮して、離島からの注文はお断りしています。」と、あっさり注文を取り消されてしまったことがありました。
 それぞれ考えがあったり、事前に取り決めがあったりしている訳ですから仕方ありません。しかし、島というのはこういう時に不便さを感じてしまいます。
 ・・・今、考えているのは、このブロックの送料を払わずに買う方法です。香川分区の親しい牧師さんの教会を“配達先”にしてもらえれば、配達先が離島扱いにならなくなりますし、教師会の直前に届くように手配しておけばすぐに受け取ることができるのです。とは言え、やっぱり頼みにくいですねぇ。
22 : 01 : 52 | 出来事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
絵本の読み聞かせボランティア
2007 / 04 / 24 ( Tue )
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 今日は図書館で絵本の読み聞かせをしてきました。
 先月、朗読ボランティアの申し込みをしたとき「実際に朗読してみせて」と言われること無く「それでは4月24日火曜日午前10時にお願いします。」と言われただけで、細かい打ち合わせがあるでもなく、読む本も私が適当に選んで良いとの事でしたから、少し不安でしたが、いつものように何の根拠も無く「何とかなるだろう」と気持ちはすぐに余裕綽々でした。
 絵本は土日に図書館で選ぶつもりでしたが、最初なので自宅にある絵本を持ち込むことにしました。朗読の決まった当所は「しっかり練習して望もう」と心構えは立派だったのですが、「何度も読んだことのある本だし、喉も痛いしなぁ」と当日朝ものんびりしていたため、妻からは「そんなので大丈夫なの?」とあきれられる始末でした。そう、あいにく昨日から風邪気味で喉が痛くなってしまったので、私としては、実際に声を出して練習すると“かえって喉を痛めてしまう”とイメージトレーニングに切り替えていたのです。でも周りから見ると、朗読をなめているとしか思えないでしょうね。喉に関してはほんの少し不安でしたが、幸い咳も出ず、ガラガラ声でもなかったのでなんとか聞き苦しくなないように(?)最後までできました。
 子供4人(+大人4人)と若干少なめでしたが、最初ですから何人でも気になりません。問題といえば、子供たちは1歳半~3歳でしたから、理解力と集中力のポテンシャルがどれだけあるかということでした。案の定、1歳の子供たちはあまり聞いている様子はありませんでしたが、3歳の子は熱心に聞いてくれました。でも、楽しそうな雰囲気の中にいたと思ってもらえるだけでも成功です。
 次回は5月6日(日)午後3時と決まりました。この日はオリーブの木を使っての工作に続いての朗読会なので、人数も多いでしょうし、もう少し大きな子供たちが集まると思います。今日は2~3歳と最初から分かっていたので本は読む分だけ用意すれば良かったのですが、今度は年齢の幅がある上に、蓋を開けてみるまで偏りとか分かりませんから、絵本を何冊も用意しておいた方が良さそうです。さあ、楽しくなってきました。

14 : 31 : 49 | 行事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
カムイ伝
2007 / 04 / 23 ( Mon )
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 香川分区の親しい牧師さんに“カムイ伝”(言わずと知れた白土三平氏の劇画)を貸してあげると2月から約束しているのにまだ貸してあげていません。心理学者に分析されると、多分「深層心理で貸したくないと思っているのだ」と言われそうです。でも実際は貸したくないのではなく“ついうっかり”なのです。それが証拠に、私はこの漫画を一人でも多くの人に読んでもらいたくて、自分の愛蔵用と貸し出し用の2セット持っていたくらいです。持っていたというのは、引越しに継ぐ引越しのためどうしても1セット手放さざるを得なかったからで、しかも残したのは貸し出し用なのです。T先生ごめんなさい。次回教師会には必ず持参いたしませう。
 ところで、このカムイ伝は知っている人は知っているのに知らない人はまったく知らない漫画です。少し知っているという人でも「忍者ものだろう」という程度でしかありません。確かにタイトルにもなっている主人公であるべきはずの“カムイ”は忍者ですが、残念ながら殆ど登場していません。終わりごろには完全に存在が無くなっています。どちらかと言うと主人公はカムイの義兄(姉の夫)正助と言ったほうが良さそうです(とはいっても、タイトルが“カムイ伝”ではなく“正助伝”だったらあまり売れなかったかもしれません)。
 この漫画は、それぞれの登場人物の視点から、江戸時代の身分差別政策を真っ向から取り上げている点が凄いのです。カムイは忍者だと言いましたが、非人部落の出身という設定ですし、義兄正助は百姓の下人です。底辺から身分差別政策を丁寧に描いています。また、そうかと思うと、権力者側からの視点の描写もリアルにされていて読み応え満点です。一気に引き込まれるように読んでしまい、読み終えると脱力感に襲われる漫画です。はっきり言って疲れますが、一度は読んでおきたい漫画です。
 ちなみにこの“カムイ伝”、あまり主人公のカムイが出てこない上に、忍者アクションも控えめなため著者もジレンマを抱えていたのでしょうか、これとは別に“カムイ外伝”なる漫画が著されています。もちろんカムイがしっかり主人公として活躍する忍者漫画です。こっちの方はテレビマンガにもなりました。
14 : 39 : 32 | 楽しみ | トラックバック(0) | コメント(3) | page top
また、ざんげだぁ
2007 / 04 / 21 ( Sat )
 今日は香川分区総会のため高松へ行ってきました。開場は高松市番町の日本基督教団高松教会です。総会は午後1時半からでしたから、それまでの時間を使って、高松市内の病院に入院されている内海教会員さんのお見舞いに行きました。朝10時50分草壁港発のフェリーだったので、時間的に余裕がそれほどありませんが、一便前の7時50分では早すぎるのでいたしかたありません。
 見舞いを済ませると、徒歩で会場まで移動しました。しかし“それほど遠くない”と侮っていたのが間違いでした。以外と距離があったのと、少し道を行き過ぎてしまったこともあり、結局時間に追われる羽目に・・・。それなのに昼食がまだでしたから、教会近くのうどん屋で食べることにしました。ここなら目と鼻の先なので、時間が残り少ないとは言え、気持ち的に落ち着いて食べることができます。ところが、やっぱり時間というプレッシャーに負けてしまい、朝からここまで一緒に行動していた内海教会の役員さんを、薄情にも一人うどん屋に残して先に会場入りしてしまいました。
 開会礼拝の説教の担当だったので、あまり遅いとスタッフに心配をかけてしまうのが気がかりだったのです。案の定、高松教会にたどり着くと、出迎えてくださった方々の顔には“三野先生やっと到着”と書かれているようでした。みなさんご心配をおかけしました。ごめんなさい。
 この時私は平静を装っていましたが、さすがに到着してすぐでしたから、礼拝へと気持ちを切り替えるのに少し苦労しました。決して、ぶっかけうどんの特大を食べた直後だったから眠かったのではありません。いや、少しは影響したかもしれません・・・。
 そうこうしているうちに、老眼鏡を掛け忘れて聖壇に上ってしまい、賛美歌や説教の原稿が読み辛いことといったらありませんでした。やっぱり朝7時台の船で来るべきだったかもしれません。
 いろいろありましたが、礼拝の奉仕も無事終えることができましたし、総会自体も無事終わりました。香川分区の総会はもめて大変になるというようなことがありませんから、穏やかな気持ちで帰途につくことができました。めでたしめでたしと・・
 ・・・と、ここまで書いていて、今、はたと気付きました。昼のうどん代金を役員さんに立て替えていただいたまま払っていないではないですか!!・・・ごちそうさまでした。じゃなくて、明日、教会で忘れずお返ししなければなりません!あーー。また一つ失敗だぁ。今日もざんげして寝ます。
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共通の財産
2007 / 04 / 20 ( Fri )
 世の中、平等ではありません。“格差社会”“勝ち組、負け組み”“貧富の差”“競争原理”“実力主義”“差別”いろんな言葉や考え方がそれを物語っています。不平等だらけです。
 そんな私たちですが、これは平等だと思えるものが幾つかあります。
①誰もが命を与えられている
②誰もが罪人である(的を外す人の意。自分勝手な思いによってすべきことをしない、或いは、良くないことをしてしまう、そのような性質を持っている)
③全ての人のためにイエス・キリストは十字架で死なれた。
④それで全ての人は救いに招かれている
⑤人は必ず死ぬ
 牧師故に信仰がかった事柄も挙げていますが、改めて思いつくものを列挙してみると、根本的に(神様と私たちとの関係において)人はすべて皆平等なのだということがはっきりしてきます。
 私たちの不平等感や、そこから派生する諸々の感情というものは、殆どが人と人との関係の中で作られて来たもののようです。とにかく考えなければならない大切なことは、人は本来平等であるはずなのに、弱い立場に追いやられ、痛みや苦しみを味わっている人たちを、私たちの社会は作り出し続けているという事実です。そして、そのように私たちと言う場合、気付かずに犯している自分の罪を薄く小さなものとして考えてごまかしがちだということです。
 敏感さや思いやりや温かさこそ、共通の財産にしたいものです。
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宇高連絡船の思い出
2007 / 04 / 19 ( Thu )
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 昨日サイクルポートへ向かう途中、大きな碇のオブジェが目に留まりました。はるか以前からその存在には気付いていたものの、「港近くだからこのようなオブジェがあるのだろう」くらいにしか考えていませんでした。多分昨日は時間が有り余っていたからでしょうか。立ち止まって眺めてみる余裕があったようです。
 しかし、よく見ると「宇高連絡船讃岐丸」と書いてあるではありませんか。実は私、高知生まれの高知育ちなものですから、本州に渡る度に宇高連絡船を利用していました。ものすごく懐かしさがこみ上げてきました。駅のホームからそのまま船に乗るという奇妙な空間だったことや、船のデッキ後方にある売店のうどんを食べていたら必ずカモメが寄って来た事など思い出しました。そういえば子供のとき、高松駅の電車の車止めを見て「ここが線路の終点だったのか」と早とちりして感動したこととか、「だからここから先は船なのか」「ここが四国の先っぽなのか」と勝手に思い込んだりした記憶があります。子供だった頃を思い出し、懐かしくて、思わず碇の前で一人ニヤニヤしてしまいました。
 それから、高松駅前の花時計にも感動したのを(ついでに)思い出しました。花時計は場所を変えて、今でもバス乗り場近くにあるのを知っていて「ああ、高松駅の伝統なのだな」ぐらいにしか考えていませんでしたが、連絡船と共に子供の頃のなんだか嬉しい気持ちがこみ上げてきました。忘れていたはるか昔の感情が思い出と共に蘇ってきたようです。
 しかし、今は宇高連絡船は廃止されマリンライナーが瀬戸大橋を通って大活躍と時代は変わりました。高松駅周辺もサンポートとなり完璧に違う町違う空間になってしまいました。電車はとても便利ですが、本州からの帰り道、連絡船でうどんを食べると「ああ四国に帰ってきたぁ」と郷愁を誘われた、あの感覚はもう味わえません。
 そうそう、全く余談ですが、20年近く前の話。岡山の教会に赴任したての頃、高松の教会に用事で出掛けることになり、初めて瀬戸大橋を電車で渡るというのと、久しぶりに四国の土を踏むというのでわくわくしながら出掛けたことがありました。ところが、根っから田舎者の上に、交通手段はバイクと車ばかりという生活でしたから、公共交通機関が苦手なのは言うまでもありませんでした。その結果、なんと全く別の路線に乗ってしまったのでした。確かJR吉備線でした。電車には殆ど乗ったことが無いので料金の目安も分からず、ただ“高松駅”を目指したための失敗でした。実は岡山には秀吉の水攻めで有名な備中高松があり、そこの駅名が“備中高松駅”なのです。しかも、時刻表や駅の表示は略して“高松駅”となっているのです(良くても“備中”は凄く小さな字で表記)。「やっぱり宇高連絡船が良いなぁ」とそのとき呟いたのまで思い出しました。
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高松市のレンタサイクル
2007 / 04 / 18 ( Wed )
 今日は高松市のレンタサイクルを利用して来ました。小豆島から出る場合、大抵はバイクを使いますが、今日は高松市内の狭い範囲を移動するだけだったので自転車で十分でした。
 自転車の場合、以前は片道280円の自転車代を払って(息子から借りた自転車を)フェリーに乗せていましたが、最近になって高松市には便利なレンタサイクルのシステムがある事を知ったのです(ちなみにバイクだとフェリー料金840円です)。こういう時はレンタサイクルが一番です。何せ一日の使用料が100円とかなりリーズナブルなのです。

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 まずは高松港下船してから徒歩でJR高松駅前のレンタサイクルポート(地下駐輪場)に行き、事務所で身分証明書と申請書を提出して利用者カードを作成してもらいます。これはタダですし、使用期限の無いものだそうです。「再発行は難しいので失くさないように」と係りの人。

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 カードを提示してレンタサイクルをお願いすると鍵を渡してくれます。今日のは338番と書かれていました。広い駐輪場はブロックごとにナンバーを表示しているので(NO.○○○~NO.○○○)簡単に探し出せます。

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一応空気圧やブレーキの点検をしてから100円を入れて通過するゲートに向かいます。これで今日中に返せばOKです。地下駐車場から地上に上がるスロープには自転車専用の幅20cm程のエスカレーターが並行してあり便利でした。

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 ところで、注意事項として次のようなことを聞かされました。駐輪禁止区域に停めて撤去されるようなことがあれば、借主(私)が責任を持って引き取りに行かなければならないとのこと。勿論、引き取り時に派生する1500円も自腹だそうです。面白かったのは、鍵を開けるとき必ずレンタサイクルに張られているナンバーが鍵のナンバーと同じかどうか確認してくださいというものでした。なんでも、時々違う自転車なのに鍵が開いてしまうことがあるのでそうです。台数が多いとは言え本当かなと少し疑ってしまいました。
 ちなみにこの高松市のレンタサイクルは放置自転車の再利用で、出来るだけ多くの人に使ってもらおうとの意図のようです。レンタサイクルポートは市内に6箇所あり(高松駅前広場地下、瓦町地下、市役所、南部駐車場、栗林公園駅前)何処で返しても良いそうです。料金は24時間以内なら100円。24時間を超過して利用した場合でも24時間までごとに100円。定期利用も可能で1ヶ月2,000円(学生1,800円)、3ヶ月5,500円(学生5,000円)です。
 覚えておくと高松市内の散策にとても便利ですよ。高松市内は高低差もあまりありませんから自転車にはもってこいですし。

20 : 47 : 44 | 地域情報 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
虫対策
2007 / 04 / 17 ( Tue )
 蝿です。“五月蝿い”と書いて“うるさい”と読みます。しかし、まだ、五月でもないのに“蝿”の出現なのです。信じられませんが“蚊”も既にお出ましなのです。次男や三男などは蚊に襲われ易いらしく、顔のあちこちに虫に食われた痕があります。
 田舎なので虫がたくさんいるのは仕方ないと割り切りつつも、ちょっと早い気がします。ちなみに昨年の“蚊”は12月まで出現していました。活動期間が長すぎです。おまけに教会は古いので(築60-70年以上の木造)、窓や戸に隙間があるため、どうやっても虫たちが入って来ます。なんと礼拝堂に至っては、室内から外が見えるほどの隙間が空いていたりするのですから、防ぎようはありません。
 そういえば、昨年の経験から言うと、そろそろ団子虫も家の中に入ってくる頃です。また、カニが庭を徘徊し始めるのも近いはずです。
 “バポナ”とか強力な虫除けの薬を買おうかと思ったこともありますが、(劇薬扱いなので)購入時に印章が要ると聞いては、強力すぎるというか小さな子供には悪そうなので買えずにいます。
 結局、昨年は蚊取り線香やベープマットのみで過ごしましたが、手に負えませんでした。どなたか、安全で効果的な虫対策の方法をご存知でしたらお教えください。
21 : 01 : 53 | 行事 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
仕事がつんできました・・
2007 / 04 / 16 ( Mon )
 昨日、内海教会の定期総会(2007年度)が終わってほっとしています。役員会でしっかり準備していますからもめることもありませんが、一応大きな行事なので、やはり無事終わるとほっとします。
 しかし、ほっとしてばかりはいられません。今週末には香川分区の総会、今月末には四国教区の総会があります。分区総会では開会礼拝の説教担当なので、その準備をしなければならないのです。また、教区総会の準備は無いのですが、その数日後に依頼されている四国教区青年大会の主題講演の準備にやや支障がありそうです。一応、準備は始めているので、ドタバタする必要はありませんが、仕事がつんでいると思うと少しプレッシャーを感じます。
 しかし、このプレッシャーも大切で、じっくり時間をかけて練り続けた考えをプレッシャーの中で整理するのが性に合っているようです。
 昔、日本語の出来ないアメリカ人夫妻が教会に来られていたので、英語に訳した説教を準備していたことがありました。もちろん、英語の得意な教会の方に英訳をお願いしていたのですが、訳す時間が要るので、説教の原稿は毎週木曜日に訳者へお渡ししていました。がんばれば用意できますが、やはり、ぎりぎりまで時間をかけて準備したかったなと感じたものです。
 程よいプレッシャーを感じつつ準備したいと思います。
21 : 31 : 02 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
「よく」と「ちょっと」
2007 / 04 / 15 ( Sun )
 似ているけど違うものがたくさんあります。
 そのうちの一つでしょう。ちょっと気になる言葉があります。
 ①「よく考えてみなさい」「よく考えてみたら?」。
 ②「ちょっと考えてみなさい」「ちょっと考えてみたら?」。
 「よく」と「ちょっと」だけの差のようですが、随分ニュアンスが違う上に、その違いが分かりづらい言葉です。
 「ちょっと」の方は考える側(の意思)に主導権があるのに対し、「よく」の方は発言者側(の意思)に誘導的な感じです。「ちょっと」の方がちょっとですから時間的に短く、「よく」の方は時間に余裕があるようで、「よく」の方が親切に聞こえます。
 ところが、「よく」には「じっくり時間をかけて私の考えが正しいことを理解しなさい」という意味合いを感じます。
 反対に「ちょっと」と言うのは、「あなたはちょっとでもいいから、自分の意思で考えて決定したらいいんじゃないかな」と主体性を尊重しているような意味合いのようです。
 よくよく考えてみると、「よく」という言い出しの場合、「(結論は)○○でしょう」と、その人(発言者)が用意していた結論へとつながっていきます。「ちょっと」の方にはあらかじめ設定されていた結論はありません。
 つまり「よく」の場合は時間をたっぷりかけていいのですし、結論まで用意されていますから本当に親切この上なく聞こえる言葉です。しかし、実際は自分の意思は無視されて相手に誘導されてしまうものです。
 「ちょっと」はあくまで自分で考えなさいというスタンスなので少しばかり冷たい印象がありますが、どのような結論であっても自分で決定すべきと言う、主体性の尊重があります。
 人生で大切なのは、正しい選択をすること以上に、自分で選択し、その責任を自ら負っていくということであると思います(正しいという概念も相対的です)。結果的にどんなに正しくても他人の選択に頼っているのであれば、自立ではありません。失敗しても、少々間違っても、自分で責任を負っていく中で成長なり成功があり、喜びもあると思うのです。
 「よく」と「ちょっと」よく耳にし口にする言葉ですが、ちょっと考えて使いたいものです。
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自由な人
2007 / 04 / 13 ( Fri )
 どうと言うことではないのですが、自由な人になりたいなと思っています。勝手気ままに生きるとか、大胆不敵に生きたいというのではなく、物事や出来事を自由に受け止められればなと思うのです。
 大抵のものは、多数意見が主流になっているだけで、同じ出来事や物事には少数意見もあるわけです。流行などもっとも顕著な例です。多数意見を掴めた者の勝ちとなっています。・・・ここではファッションは置いておいて、“どんなものにも二面性や多面性があるということであり、どう解釈するかは本来自由ではないのか”ということが言いたいのです。人の性格にしても、見ようによっては同じものが長所であったり短所であったりします。(ちょっと極端かもしれませんが、例えば)せっかち⇔行動的、おおらか⇔鈍感、気が弱い⇔優しい、などなど。
 ですから、誰から見ても、世間一般的に言っても、社会通念上○○だと言うものでも、一面的な見方でしかないのです。どれだけマイナスのレッテルを貼られるようなことでも、裏を返せばプラスであったりします。
 しかし、私はいつもプラス思考をしたいというのではないのです。一面的な見方に縛られるのではなく、いずれの見方もわきまえた上で、「とりあえずここでは△△という解釈をしておこう。その方が今は良いだろう。」というような自由さのある人間になりたいなと思うのです。
17 : 16 : 30 | 思ったこと | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
泣いて泣いて泣き止んだら
2007 / 04 / 12 ( Thu )
 以前、教会関係のある勉強会でロールプレイではないですが、3人1組で倫理的な課題に取り組んだことがありました。1人の人を天使役が正しい道に導こうとし、悪魔役が間違った方向へ引き込もうとするのです。それも、判断する人の役、天使役、悪魔役を順番に回り持つのです。何の目的でそういうことをしたのか、忘れてしまいましたが、興味深かったのは「天使役のとき効果的な導きの言葉がなかなか浮かびづらいのに、反対に悪魔役のときはスラスラと誘惑の言葉が浮かんでくる」と誰もが口を揃えていたということです。本筋よりそちらの方が面白かったのでそこだけが印象に残っています。そのとき、人間って本質的に罪人なんだなと改めて思ったのと同時に、そうでありながらも大切なものは何か、大切な生き方は何処にあるかと、多くの人は悩んだりもがいたりしながら生きているという事実の素晴らしさを感じました。多くの人は悪魔の誘惑にさらされながらも、大切なものをかすかに聞こえる天使のささやきから手繰り寄せようと努力し続けているのではないでしょうか。そこに神様の見えざる導きもあると思います。
 どうしてそんなことを書いたかといいますと、先日、本屋さんでの天使と悪魔の立ち話について書いたのもありますが、今日、次男の幼稚園登園初日だったからです。初日と言うのは3歳の子供にとってはまさに大冒険です。数時間とは言え、家族と離れ離れになるのも生まれて初めてです。特に母親と離れてしまうことはどれだけの不安が襲うかなんて想像を絶する辛さだと言えるでしょう。案の定、本人は「泣いた」と言っていました。「寂しかったもんね。そういう時は泣いていいよ」と私。悲しかったり寂しかったり不安だったときに泣く、泣きたいときに泣くのは大切だと思うのです。泣いて泣いて泣いた挙句に、何か新しい感覚を発見して成長すると思うからです。今までの経験で言うと、「みんなの迷惑になるから幼稚園で泣いちゃ駄目だよ」と親に言われて、がんばって歯を食いしばって泣かないでいる良い子は、自分の意思や感情を押し殺させられているので、幼稚園に溶け込むのが泣きたいだけ泣いている子より遅いようです。反対に泣くことしか出来ないような子は、最初遊ぶことはもちろん、何も出来ずにただ泣いているだけですが、泣き疲れた頃に、友達たちが遊んでいる中に入って一緒に遊んだほうが、泣いているより楽しそうだなと思うようになり、自然と自分の意思で輪に入って行ったりします。親の言いつけを守って泣かなかった良い子は、自分の意思で行動するという点で出遅れるのではないでしょうか。親は外見として現れる成長に気をとられるのではなく、その子がその子なりに成長していけるよう、その思いに寄り添って支えることに集中すべきだと思います。親が気を使っても、いろんな雑音は入ると思います。そういう中で、泣きながら、この3歳の次男も、本当に大切と思える言葉や方向性を手探りで見つけていくのだなと、そんなことを今日は思ったのでした。やはり、人は皆、神様に支えられているからそうやって生きていけるのではないでしょうか。
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新しい世界、自分の居場所
2007 / 04 / 11 ( Wed )
 今日は次男の入園式がありました。今日から年少さん、幼稚園児です。
長男が学校から帰ってくるなり「今日、幼稚園どうだった。Yはどうだった。」と、幼稚園と次男のことを聞いてきました。
「することが多くてしんどかったよ。でも、Yは楽しそうだったよ。」。
「そうか。それは良かったねぇ。でも、僕が幼稚園に入ったばかりの頃は、『行きたくない』とか『離れたくない』とか言っていつも泣いてたんだよね。Yは偉いな。」などと言っていました。
弱々しくて頼りなさげな気がしていたのに、長男も何だか兄貴として弟を暖かく包み込んでいるんだなと、そんな気がしました。
 幼稚園でPTA会をしている時、次男は母親が居ないのが気になっておやつに手を出せないでいたかと思うと、クラスでの自己紹介では名前に続けて「ゲキレンジャーが好きです!」と言っていました。名前だけでよかったみたいですが・・・。
 さあ、これから次男の世界が広がっていくのだな、自分でその世界の中に居場所を作っていくんだなと思うと、凄いことだと改めて思いました。子供に負けないように親も成長したいものです。
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天使と悪魔の外見は?
2007 / 04 / 10 ( Tue )
 先日、高松市の「CDブックス・グレース」というキリスト教関係の書店で立ち話をしていたところ、天使と悪魔の話題になりました。どちらも聖書に登場してきますが、あまり詳しい描写は無く良く分からない方たちです。おまけに、中世には“手のひらに何人の天使が載るか”といった研究がされていたり、守護天使がどうしただとか、彼らには荒唐無稽に思えるような尾ひれはひれもついています。私たちも別に真面目に論じた訳ではなく、なにげなく天使と悪魔の話になっただけでした。面白かったのは天使と悪魔の外見ということで、当たり前のように、何の疑いも無く、多くの人は、天使は美しく清らかな姿で、悪魔は恐ろしげな容姿だと考えていますが、反対ではないのかというものです。天使は性別が無く中性的と言われているにも関らず、女性的に想像されているようですが、聖書に出てくる天使の名前は男っぽい名前ですし、結構荒々しいこともする上に、現れるなり「恐れるな」と言うなど、どう考えてもいかつい姿ではないかと思えるのです(本当は「恐れるな」と言う言葉は容姿に対してというより、突然現れたからでしょうけど)。反対に悪魔というのは、すんなり人の心に入ってきます。つまり、簡単に迎え入れてしまいやすいということです。ごっつい雰囲気なら、第一印象で拒否されますから、にこやかで穏やか、温厚そのものといった容姿でないと説明がつきません。いわゆる悪徳商法のセールスマンだって、温厚そうにして近づいてくるような気がします。ですから、天使のイメージと悪魔のイメージとを入れ替えるとまでは言いませんが、イメージと反対と言って良いのではないかなと、そんなことをワイワイ立ち話したという、それだけのことです・・・。もちろん、神学議論ではなく、あくまで冗談めいた話なのであまり真剣に受け止めないで下さいね。
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たまご
2007 / 04 / 09 ( Mon )
 そういえばイースターにどうして“たまご”を用意するのか述べていませんでした。遅ればせながら、簡単に説明させていただきます。
 硬い殻の中から、新しい生命が出るというところから“甦り”や“永遠の生命”と結び付けられたようです。・・・しかし、ゆでたまごにするのが習慣が主流ですから、新しい命の誕生など不可能になってしまっていますが・・・
 また、イースターにたまごを食べる習慣の起源は幾つかあるようです。グレゴリウス1世の時にはレント(受難節)の期間中、禁欲的な生活をするのが当たり前で、肉や卵を食べることは禁じられていて、復活日(イースター)に祝福していただき、改めて感謝して食べていたと言いますから、こういった習慣の中で何故かたまごだけが残ったと考えられています。
 ところで、たまごは自転車と並んで物価指数の優等生と言われるように、20年以上値上がりしていません。ですから、たまごを1年に1回イースターに用意するのに負担感はあまりありませんが、昔の教会では大変だったのではないかと思います。
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たまごの準備
2007 / 04 / 07 ( Sat )
 受難週最後の日ですから、本当なら今日は静かに過ごしたいところなのですが、毎年そういうわけにも行ずジレンマを抱えています。そう、翌日がイースターなのでその準備があるのです。一番の仕事はイースターの玉子を準備することです。茹で玉子を作り、色を付けたり文字やイラストを書き、ラッピングしたりします。茹で具合で玉子が割れてしまったりするので、神経を使います。どうしてイースターに玉子なのかは後日説明します。茹で玉子の他に、今日は卵形のカプセルにお菓子を詰めたものも用意しました。子供たちにイースターの朝、玉子探しというゲームをさせるためです。本物の玉子でも良いのですが、お菓子も喜ぶので今回はこれにしてみました。以前、姉家族がアメリカに滞在していたとき、送ってくれたイースター用の卵型カプセルがあるのです。
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聖金曜日
2007 / 04 / 06 ( Fri )
 聖金曜日。イエス・キリストが十字架で殺された日です。全ての人の罪を担って、その贖いとして、私たちの身代わりとして苦しみを受け死なれた、そのことを覚える日です。多くのことを語るより、瞑想を続けたい日です。
20 : 40 : 35 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
聖木曜日
2007 / 04 / 05 ( Thu )
 聖木曜日です。イエス・キリストが弟子たちと最後になる“過ぎ越しの祭り”の食事をした日です。“過ぎ越しの祭り”というのはユダヤの三大祭りの一つで、かつて指導者モーセと共に神様の導きによってエジプトから脱出したことを記念する行事です。この席で主イエスはパンを裂きぶどう酒を配りつつ「これは私の体である」「これは私の血である」と語られ、この聖晩餐が聖餐式として教会の礼拝の中心の一つとなるわけです。また、この席で主イエスは弟子たちの足を洗われたことが聖書に記されています。当時のユダヤでは足を洗う行為というのは奴隷の仕事でしたから、弟子たちも大慌てしたようです。仕える者になりなさい、主イエスはそのことを分かり易くしかも、実にインパクトのある方法で示されたのです。教会でも受難週の木曜日に洗足礼拝をすることがあります。かく言う私も以前よく行っていました。過ぎ越しの食事を用意して食事を取りながら礼拝し、途中で私が皆さんの足を実際に洗わせていただくのです。内海教会でも木曜日と金曜日の特別礼拝をしたかったのですが、役員会に諮ったところ「夜来るのはしんどい」ということでボツになりました。残念。
20 : 39 : 27 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
聖水曜日
2007 / 04 / 04 ( Wed )
 受難週の水曜日は、サンヘドリン(ユダヤの最高議会)の陰謀、イスカリオテのユダ(12弟子の一人だが銀貨30枚でイエス・キリストを売り渡した)との密約などが行われた日です。イエス・キリストを十字架刑にしようという水面下の暗躍が着々と進められていったのです。
 ユダがどうして裏切ったのかは諸説ありますが、いずれも推測に過ぎず真実は闇の中です。彼に対して批判的な態度の人(ユダは絶対救われないと考える人)や、同情的な人(裏切ったのではなくて、主イエスを窮地に追いやることによってユダの望んでいた政治的指導力を主イエスに発揮させようとしたのではないかと考える人)もいます。後にユダは主イエスが十字架で死なれたことを後悔し自殺したと聖書は記しています。
 しかしながら決定的に言えることは、ユダの裏切りが無くても、遅かれ早かれイエス・キリストは殺されていたということです。そう思うと、ユダの過ちの真相は分からないにしても、自らの罪に気付いたとき、人には二つの選択肢があるということを考えさせられます。それは後悔と反省です。後ろを振り返って悔いるだけで終わるのか、反省して生き方を改めるか、それは似ていますが、180度全く違うものです。ユダもそうですが、私たちもイエス・キリストの第1声「悔い改めて福音を信じなさい(マルコ福音書1章15節)」をターニングポイントで思い起こしたいものです。
11 : 52 : 22 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
受難週に入りましたね
2007 / 04 / 03 ( Tue )
 いつの間にか受難週です。教会暦では先日の日曜日が“棕櫚の主日(パームサンデー)”で、次週は“主の復活日(イースター)”です。
 棕櫚の主日というのはイエス・キリストが平和の象徴であるロバにまたがってエルサレムに入城された記事によっています。イエス・キリストの最後のエルサレム入城です。群集が歓呼の声をあげて、勝利の象徴である棕櫚の葉を振って主イエスを迎えたことが聖書に記されています。華やかにも思える場面ですが、数日後にはこの群集たちが「イエスを殺せ」と叫び、主イエスは十字架刑を受けて死ぬことになるのです。祭司長たちの扇動があったとは言え、人の心に巣食う罪深さを考えさせられます。そして、自分も彼らと同列にあるということを考えなければならないでしょう。
16 : 40 : 43 | 行事 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
思い込み
2007 / 04 / 02 ( Mon )
 今日は香川分区の教師学習会があり、琴平教会まで行って来ました。いつものように車両デッキにバイクを置いて客室に上がってみると、まるで別の船のように椅子や自販機のレイアウトが変わっていてびっくりしました。「いつの間にか船の内部を改装したのか。すごいなあ。」とその時思いましたし、ずっとそう思っていました。ところが、帰りによくよく外観を眺めてみると全く違う船でした。そう、今日から数日間ドック入りのため、大部港(小豆島の北側の港)~日生港(岡山県)の船が代役を務めていたのでした。ちょっと考えてみれば分かりそうなものなのに、改装と思い込んでそれをそのまま信じていた自分が情けなく思えました。すっかり自分にだまされていたのです。昨日のエプリールフールが不謹慎だったから神様に懲らしめられたのかもしれません・・・。そうですよね、トイレの位置まで変わっていましたから、内部のリフォームの訳が無いですよね。疲れていたのかなぁ。
22 : 40 : 46 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
大変!礼拝堂にバイクが突っ込んだ!
2007 / 04 / 01 ( Sun )
 いつものように遅く起きて来た長男と長女に「困った。今朝早くに近道しようとして教会の裏口から入ってきたバイクが教会に激突して、乗っていた人に怪我は無かったんだけど、礼拝堂に大穴が開いてんだ。え、凄い衝撃だったけど気付かなかった?」と言うと、案の定たいそうびっくりしてくれました。そう、エプリールフールの嘘です。やはり季節の行事は大切にしないといけません。昨年はすぐにばれて失敗したので、今年は寝起きを狙ってみました。今までで一番優れていたのは何年か前についた嘘で、子供たちがみえみえの嘘をついてきた時に平然と言い返したものです。確か淡々とした口調で「それって嘘だろ。・・・遅れているなぁ。もう駄目なんだよ。え、知らなかったの?昨年とその前の年にエプリールフールの嘘が原因で人身事故がいろんな国で起きちゃって、もうこれは良くない、やめにすべきだというので、WHOだったか国連だったかの決議で、もう今年から世界中でエプリールフールの嘘は廃止になってんだよ。」という嘘でした。あまり新聞やニュースを見ないから引っかかるのは明白でしたけど、あんなに真顔で信じて恐縮されるとかえって申し訳なくなりました。しかし、そうは言いましても、さて、来年はどうやって子供たちを引っ掛けようかと構想を練ってしまうのでした。
14 : 28 : 43 | 楽しみ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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