2007年04月12日 22:19
以前、教会関係のある勉強会でロールプレイではないですが、3人1組で倫理的な課題に取り組んだことがありました。1人の人を天使役が正しい道に導こうとし、悪魔役が間違った方向へ引き込もうとするのです。それも、判断する人の役、天使役、悪魔役を順番に回り持つのです。何の目的でそういうことをしたのか、忘れてしまいましたが、興味深かったのは「天使役のとき効果的な導きの言葉がなかなか浮かびづらいのに、反対に悪魔役のときはスラスラと誘惑の言葉が浮かんでくる」と誰もが口を揃えていたということです。本筋よりそちらの方が面白かったのでそこだけが印象に残っています。そのとき、人間って本質的に罪人なんだなと改めて思ったのと同時に、そうでありながらも大切なものは何か、大切な生き方は何処にあるかと、多くの人は悩んだりもがいたりしながら生きているという事実の素晴らしさを感じました。多くの人は悪魔の誘惑にさらされながらも、大切なものをかすかに聞こえる天使のささやきから手繰り寄せようと努力し続けているのではないでしょうか。そこに神様の見えざる導きもあると思います。
どうしてそんなことを書いたかといいますと、先日、本屋さんでの天使と悪魔の立ち話について書いたのもありますが、今日、次男の幼稚園登園初日だったからです。初日と言うのは3歳の子供にとってはまさに大冒険です。数時間とは言え、家族と離れ離れになるのも生まれて初めてです。特に母親と離れてしまうことはどれだけの不安が襲うかなんて想像を絶する辛さだと言えるでしょう。案の定、本人は「泣いた」と言っていました。「寂しかったもんね。そういう時は泣いていいよ」と私。悲しかったり寂しかったり不安だったときに泣く、泣きたいときに泣くのは大切だと思うのです。泣いて泣いて泣いた挙句に、何か新しい感覚を発見して成長すると思うからです。今までの経験で言うと、「みんなの迷惑になるから幼稚園で泣いちゃ駄目だよ」と親に言われて、がんばって歯を食いしばって泣かないでいる良い子は、自分の意思や感情を押し殺させられているので、幼稚園に溶け込むのが泣きたいだけ泣いている子より遅いようです。反対に泣くことしか出来ないような子は、最初遊ぶことはもちろん、何も出来ずにただ泣いているだけですが、泣き疲れた頃に、友達たちが遊んでいる中に入って一緒に遊んだほうが、泣いているより楽しそうだなと思うようになり、自然と自分の意思で輪に入って行ったりします。親の言いつけを守って泣かなかった良い子は、自分の意思で行動するという点で出遅れるのではないでしょうか。親は外見として現れる成長に気をとられるのではなく、その子がその子なりに成長していけるよう、その思いに寄り添って支えることに集中すべきだと思います。親が気を使っても、いろんな雑音は入ると思います。そういう中で、泣きながら、この3歳の次男も、本当に大切と思える言葉や方向性を手探りで見つけていくのだなと、そんなことを今日は思ったのでした。やはり、人は皆、神様に支えられているからそうやって生きていけるのではないでしょうか。
どうしてそんなことを書いたかといいますと、先日、本屋さんでの天使と悪魔の立ち話について書いたのもありますが、今日、次男の幼稚園登園初日だったからです。初日と言うのは3歳の子供にとってはまさに大冒険です。数時間とは言え、家族と離れ離れになるのも生まれて初めてです。特に母親と離れてしまうことはどれだけの不安が襲うかなんて想像を絶する辛さだと言えるでしょう。案の定、本人は「泣いた」と言っていました。「寂しかったもんね。そういう時は泣いていいよ」と私。悲しかったり寂しかったり不安だったときに泣く、泣きたいときに泣くのは大切だと思うのです。泣いて泣いて泣いた挙句に、何か新しい感覚を発見して成長すると思うからです。今までの経験で言うと、「みんなの迷惑になるから幼稚園で泣いちゃ駄目だよ」と親に言われて、がんばって歯を食いしばって泣かないでいる良い子は、自分の意思や感情を押し殺させられているので、幼稚園に溶け込むのが泣きたいだけ泣いている子より遅いようです。反対に泣くことしか出来ないような子は、最初遊ぶことはもちろん、何も出来ずにただ泣いているだけですが、泣き疲れた頃に、友達たちが遊んでいる中に入って一緒に遊んだほうが、泣いているより楽しそうだなと思うようになり、自然と自分の意思で輪に入って行ったりします。親の言いつけを守って泣かなかった良い子は、自分の意思で行動するという点で出遅れるのではないでしょうか。親は外見として現れる成長に気をとられるのではなく、その子がその子なりに成長していけるよう、その思いに寄り添って支えることに集中すべきだと思います。親が気を使っても、いろんな雑音は入ると思います。そういう中で、泣きながら、この3歳の次男も、本当に大切と思える言葉や方向性を手探りで見つけていくのだなと、そんなことを今日は思ったのでした。やはり、人は皆、神様に支えられているからそうやって生きていけるのではないでしょうか。





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