2007年04月19日 21:58

昨日サイクルポートへ向かう途中、大きな碇のオブジェが目に留まりました。はるか以前からその存在には気付いていたものの、「港近くだからこのようなオブジェがあるのだろう」くらいにしか考えていませんでした。多分昨日は時間が有り余っていたからでしょうか。立ち止まって眺めてみる余裕があったようです。
しかし、よく見ると「宇高連絡船讃岐丸」と書いてあるではありませんか。実は私、高知生まれの高知育ちなものですから、本州に渡る度に宇高連絡船を利用していました。ものすごく懐かしさがこみ上げてきました。駅のホームからそのまま船に乗るという奇妙な空間だったことや、船のデッキ後方にある売店のうどんを食べていたら必ずカモメが寄って来た事など思い出しました。そういえば子供のとき、高松駅の電車の車止めを見て「ここが線路の終点だったのか」と早とちりして感動したこととか、「だからここから先は船なのか」「ここが四国の先っぽなのか」と勝手に思い込んだりした記憶があります。子供だった頃を思い出し、懐かしくて、思わず碇の前で一人ニヤニヤしてしまいました。
それから、高松駅前の花時計にも感動したのを(ついでに)思い出しました。花時計は場所を変えて、今でもバス乗り場近くにあるのを知っていて「ああ、高松駅の伝統なのだな」ぐらいにしか考えていませんでしたが、連絡船と共に子供の頃のなんだか嬉しい気持ちがこみ上げてきました。忘れていたはるか昔の感情が思い出と共に蘇ってきたようです。
しかし、今は宇高連絡船は廃止されマリンライナーが瀬戸大橋を通って大活躍と時代は変わりました。高松駅周辺もサンポートとなり完璧に違う町違う空間になってしまいました。電車はとても便利ですが、本州からの帰り道、連絡船でうどんを食べると「ああ四国に帰ってきたぁ」と郷愁を誘われた、あの感覚はもう味わえません。
そうそう、全く余談ですが、20年近く前の話。岡山の教会に赴任したての頃、高松の教会に用事で出掛けることになり、初めて瀬戸大橋を電車で渡るというのと、久しぶりに四国の土を踏むというのでわくわくしながら出掛けたことがありました。ところが、根っから田舎者の上に、交通手段はバイクと車ばかりという生活でしたから、公共交通機関が苦手なのは言うまでもありませんでした。その結果、なんと全く別の路線に乗ってしまったのでした。確かJR吉備線でした。電車には殆ど乗ったことが無いので料金の目安も分からず、ただ“高松駅”を目指したための失敗でした。実は岡山には秀吉の水攻めで有名な備中高松があり、そこの駅名が“備中高松駅”なのです。しかも、時刻表や駅の表示は略して“高松駅”となっているのです(良くても“備中”は凄く小さな字で表記)。「やっぱり宇高連絡船が良いなぁ」とそのとき呟いたのまで思い出しました。





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