行動してみよう

2007/05/31 Thu 14:23

 「おかあさん、みてみて!」なにやら洗面台の方で次男(3歳半)の声。
 それに続いて「すっごーい!」と、妻の弾んだ声。
 何事かと思いきや、息子は“うがい”をしていたと言うのです。そういえば今まで“うがい”なんかしているところを見たことはありませんし、出来ると聞いたこともありません。どうやら初めて“うがい”が出来た瞬間だったようです。
 しかし、長男や長女が“うがい”を出来るようになったのはいつだったか覚えていませんし、“うがい”が出来るとか出来ないとか今まで意識したこともなければ、すごいとも思っていなかったので何とも言いようがありませんが、子供って着々と成長しているなと思いました。
 そうです。言われてみればすごいことなのです。口に水を含んで上を向き、ガラガラといわせるのは結構な業です。それに“うがい”が出来れば、風邪対策に帰宅後のうがいを習慣にすることもできます。
 どうやら、幼稚園で年中さんや年長さんがしているのを見て刺激されたようです。
 “僕もやってみよう”その気持ちの大切さを思わせられました。それは大人になってからも同じで、“自分でやってみよう”と思わなければ、どんなことも身につきません。
 足を病んでいた人がイエス・キリストに癒されたという話が聖書にありますが、「立ち上がりなさい」と言われて立ち上がらなければ、彼は立てなかったのだと思います。
 「無理だよ」「もう駄目だよ」そう思って地べたに座り込んでしまっている人のなんと多いことか。私たちはどんなときも絶えず成長の機会が備えられていると思うのです。軽い気持ちでもいいから「私も行動してみよう」と考えられると人生は随分違ってくるはずです。
 「よし、父も負けてないぞ」うがいの出来るようになった息子に教えられた気がしました。 
スポンサーサイト
思ったこと | コメント(0) | トラックバック(0)

餃子

2007/05/30 Wed 16:27

 買い置きしていた挽き肉がたくさんあるのでどうしようかと妻。
 「それは餃子ですねー。餃子を作りましょう。」
 手作り餃子は大好きですが、最近作っていませんでした。二人で作ればすぐなので、早速作ることにしました。

20070530162312.jpg

 チーズ入りのも含めて全部で60個作りました。しかし、我が家は口が多いのでこの数でも少ないくらいです。

20070530162456.jpg

 我が家のレシピは以下の通り。結構美味しいですよ。

☆☆☆ 焼き餃子(24個分) ☆☆☆
<材 料>
・餃子の皮    24枚
・豚挽き肉    100g
・白菜(塩もみ) 200g(約1/10個)
・にら       30g(約1/3束)
・おろししょうが  10g
・塩        1g
・酒     小さじ2
・胡麻油   小さじ2
・醤油    大さじ1

<作り方>
①「ひき肉」に「塩」を加えて3分間こねる(手のひら全体で押すようにして)。
②「酒」「胡麻油」「醤油」で味付けする。
③3分後、「しょうが」「にら」を入れて混ぜ合わせる。
④「白菜」を入れて1分間こねる。
⑤「餃子の皮」に包む。1個あたり大さじ1(15~20g)

<焼き方>
①強火で1分間フライパンを加熱。
②餃子を並べて1分間焼く。
③お湯をフライパンの高さ1/3まで入れ、ふたをして中火で蒸し焼きにする。
④ふたを取り、水気が飛んだら油を加えて焼く。

 時間があれば皮も小麦粉で作りますが、今回は早く仕上げたかったので市販の皮を使いました。


楽しみ | コメント(2) | トラックバック(1)

聖書のネコ

2007/05/29 Tue 16:18

 「先生。聖書にネコは出てきますか?」
 教会の方から突然電話での問い合わせ。
 「えっ、ネコですか。確か猫は出てきませんねぇ。」
 記憶を辿りながら答えます。突然、聖書知識を試されているようで、わくわくしました。
 「ネコは出ないんですね。」
 「はい。出てません。」自信をもって答えます。

 でも、これで終わっても面白くないので、遊び心(イタズラ心)でつい余計な事を付け加えてしまいました。

 「・・・でもですね、動物の猫は出ないんですが、列王記下(23章、24章。エレミヤ46章など)に、“ネコ”と言う名のエジプトの王様が出ていますけれども。」
 「・・・えっ、・・・でも、動物の猫ではないんですよね・・・」
 「はい、人間のネコです。」
 「人の名前のネコですよね。」
 「はい。ネコと言う名の王様です。」

 予想外の惑う様子に申し訳ない気持ちがこみ上げてきました。
 困惑させてごめんなさい。でも、どうして猫が聖書に出ているかどうかが気になったのでしょう・・・。謎は謎のままでおいておきましょうか。

 しかし、次は何を問われるのだろうかとちょっぴり不安になりました。
出来事 | コメント(17) | トラックバック(0)

草抜き

2007/05/28 Mon 17:41

 3月に庭改造計画を練っていたのに、4月5月と忙しい日々が続き、庭の雑草は麦畑のように生い茂っていく有り様でした。
 「このままではいけない!」と、昨日から雑草を抜き始めました。雑草を焼き払うバーナーを既に購入済みですが、雑草が伸びすぎているため、ある程度は抜かないと火事になってしまいそうだからです。

20070528173413.jpg

 一応2日間で、こんだけ抜きました。握力が少々弱り気味になっています。

20070528173757.jpg

 ちなみに草抜きする前はこんな様子でした。

20070528173838.jpg

 上は草抜きした後です。あともう少しでやっとバーナーの出番です。
 その後、砂利を撤去して、ガーデニングのスタート地点に立てます。
 道のりはまだまだ遠いようです。
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0)

聖霊降臨日(ペンテコステ)

2007/05/27 Sun 14:59

 今日は教会暦で“聖霊降臨日”と言います。“ペンテコステ(Pentecoste)”とも言われますが“ペンテコステ”には“聖霊”とか“降臨”といった意味は全く含まれておらず“50日目”という意味です。新約聖書の使途言行録2章の出来事(イエス・キリストの復活・昇天後、祈っていた使徒たちに聖霊が降った出来事)によってペンテコステと聖霊降臨とが結びついたためです。この日は、もともと五旬祭(ごじゅんさい)と呼ばれるユダヤ教の祭りの日だったのです(詳しくは使徒言行録2章1節~42節をご覧下さい)。

 ペンテコステという名前はギリシャ語の“Pentékosté(50番目)”に由来していて、本来はユダヤ教の祭日シャブオット(Shavuot)のギリシャ語訳です。シャブオットは過越の祭の第2日目(ユダヤ暦のニサンの月の16日)の50日後(シワンの月の6日)に祝われる“刈り入れの祭り(7週の祭り・五旬祭)”で、小麦の収穫感謝祭でした。ややこしいことに、後のユダヤ教ではこの日を、シナイ山で十戒が与えられた日として再解釈し、律法を感謝する日になりましたし、キリスト教では、キリストの復活(過ぎ越しの祭りと同じ頃)から50日目に聖霊が降った日として、その出来事を記念するようになりました。

 また、キリスト教では、この聖霊降臨日(ペンテコステ)を“教会がたてられた日(教会の誕生日)”として認識されています。

 ちなみに聖霊降臨日は“クリスマス”“イースター”と並んでキリスト教の三大祝日の一つです。しかし、聖餐式を執り行う以外特別な行事を私はしたことがありません。・・・いや、ありました。以前、居た教会ではこの日に信徒の証し礼拝をするようにしたことがあります。確か、イースターに洗礼を受けられた方の証しをお願いしたのがきっかけでした。その次の教会からはしなくなったので、それっきりになっていました。・・・再考の余地があるかもしれません。

行事 | コメント(1) | トラックバック(0)

生存能力

2007/05/26 Sat 15:55

 「全てを失った」
 「どうしてうまくいかないのか」
 そういう悩みや壁にぶち当たったとき、絶望しかないような気がしてしまうものです。
 しかし、面白いことに、聖書でおなじみの“ユダヤ人”の発想では簡単に絶望しないらしいのです。その辺の違いが、ディアスポラ(離散)やホロコーストなどを潜り抜けてきた生命力と生存能力なのかなと思います。
 ユダヤ人の発想法は幾つもあるようですが、最も興味深いのが“段階論”と“0の捉え方”です。
 “段階論”と言うのは簡単に言うと“急がば回れ”ということです。ユダヤ人の時間感覚と言ってしまえばおしまいですが、ユダヤ人は私たちよりはるかに気長に一つ一つを積み上げて徐々にステップアップしていくことを考えているようです。
ここには
「全能の神でさえ、この世を創造されるのに6日間もかかっているのだ」
「ヤコブは天に続く階段を見て召命を受けたのだ」
「モーセが率いたユダヤ人たちの群れはシナイ半島を40年間もさまよったのだ」
という聖書からの考え方が深く刻まれているからでしょう。
 また、“0の捉え方”というのは、数字の“0”は停止した状態だと考えるのが普通だとすると、ユダヤ人の考え方では“0”は動いている状態だと考えるらしいのです。
“2=1の証明”など有名ですから、そこから考えてみましょう。これは「a-b=0」を抜きにしたた考え方と言うところがみそです。

   2=1の証明(a=bとする)

        a²=ab
      a²-b²=ab-b²
(a-b)(a+b)=b(a-b)
       a+b=b
        2b=b
        ∴2=1

 もちろん、これはユダヤ人のジョークなのですが、この遊び心というか、余裕が窮地で生かされているようです。
 私たちなら、何もかも失って、ただオロオロし絶望する状況下でも、ユダヤ人たちは「0の状態か、ではこの0という状態をうまく利用して1を2に出来ないか考えてみよう」と前向きに考えるらしいのです。
 つまり、私たちが「無い」としか考えられない“0”を無限の可能性がある数字として捉えることができるのです。「“0”さえ神様から与えられた財産だ。どうやってこの“0”を使おうか」という考え方です。

 ユダヤ人ってほんとうに興味深い人たちだと思います。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

2007/05/25 Fri 16:49

“心”と言う字は面白いと思います。
見たとおり4画の漢字ですが、1画ごとに全部が長さも向きもてんでバラバラで、平行な線などありません。
しかし、そうかといってバランスが悪いわけでなく、むしろ好んで書にしたためられる字のひとつです。
人が心に様々な思いと不安定さを抱えつつも調和をもって生きているのに似ているような気がします。
そういえば心理学で“心の四つ窓”と言うのがあります。
心を4つのブロックに田の形で分けて表したもので、“自分で理解している自分”2つと“他人が知っている自分”2つを90度の角度で重ねたものです。
それで重なる部分重ならない部分があるので次の四つ窓になるのです。
①“自分も他人も知っている自分”
②“自分は知っているが、他人は知らない自分”
③“自分は知らないが他人は知っている自分”
④“自分も他人も知らない自分”
この中で最も不安感を感じてしまうのはやはり③です。
周りには充分知られているのに、自分は全く気付かない部分って、やはり不安です。
しかも、誰にでもあるはずですし・・・。
しかし、何と言っても④は完全にブラックボックスですから、不安以上に不思議な気がします。
自分も含めて誰も知らない、自分の未知の心の領域です。
もしかしたら、そこは神様と出会っている場なのかもしれません。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

メダカと睡蓮鉢

2007/05/24 Thu 16:25

 “メダカ”を飼っていたことがあります。観賞用の“ヒメダカ”ではなく、高知で捕獲した天然ものです。水槽に水草も植えたり、繁殖もさせていましたからかなり気合いを入れて飼っていた気がします。タマゴは放っておくとメダカに食われてしまうので別容器に移し替えていました。ある時、私の手のひらでタマゴから孵ったことがあり、それはもう大感激しました。しかし、2~3年飼っていたものの、引越しの時に人に譲ってしまいそれきりになったままです。
 どうしてそんなことを言い出したかと言いますと、今朝のチラシに睡蓮鉢が載っていて、何となく思い出してしまったからです。以前は室内の水槽で飼っていましたが、玄関先に置いた睡蓮鉢で飼うのも良いな、特に内海教会のように古びた木造建築にはとても似合うような気がしたのです。ただ、睡蓮鉢はそれほど安くないので、実現するには少々時間がかかりそうです。3,000円~4,000円しますし、水草はもちろん、睡蓮鉢ですから睡蓮も浮かべたいところです。予算的に即決できそうもありません。
 ところで、玄関先に汲み置いた水があると、「ボウフラが湧くのではないか」と心配される方もおられるかもしれませんが、その心配は全くありません。ボウフラはメダカが全部食べてしまうからです。ちなみに、今となっては昔の風物詩ですが、全国の田園の広範囲にわたってメダカが生息していたのは、日本脳炎対策のため人為的にメダカが放流されたからだそうです。メダカの口は水面に浮かんでいるものを食べる形に出来ていることから分かるように、ボウフラ対策の最適任者だったのです。ですから、玄関先でメダカを飼っても問題ないのです。
 島内で睡蓮鉢を譲ってくださる方がおられると嬉しいのですが、すぐには無理でしょう。
20070524191727.jpg

楽しみ | コメント(0) | トラックバック(0)

なんでもない話の背景に

2007/05/23 Wed 21:23

 タクシーの運転手さんには、無愛想な人や無口な人もいますが、聞き上手の話し上手な人もいます。殆どタクシーは使わない私はですが、あるとき聞いた(話し上手な)運転手さんの話は興味深いものでした。なんでも、会話には最低限のルールを決めていると言うのです。何かと思えば以下の三つの話題には自分から触れないし、話をふられても失礼にならない程度に曖昧に答えるということでした。その三つとは・・・
①政治の話題
②野球の話題
③宗教がらみの話題
ということです。
 言われてみると何となく納得できます。
 人によっては、与野党を問わず、ある政党を熱心に支持している場合がありますから、その政党の反対意見などに触れてしまうと確かに厄介そうです。第一相手は客ですから言い争うわけにもいかず、謝るしかないでしょう。野球も“熱心なファン”や“アンチ○○”などいますから同様です。宗教にいたっては、それこそ人それぞれのがんとした考えがありますから、触れないに越したことが無いのも分かります。
 言われてみれば納得です。タクシーの運転手さんも色々と考えておられるのだなと感心しました。
 ところで、このブログはキリスト教関係なので宗教がらみの話は仕方ありませんが、振り返ってみると、政治や野球についてあまり言及してきていないようです。私は牧師ですが、社会学者ではありませんし、野球解説者でもありませんので、勝手な事を言うのも筋違いの気がするからかもしれません。そういえば、キリスト教や聖書の話さえ少ないような気がします。「でも、なんでもない話の背景に“聖書”や“キリスト教”が横たわっている」と察してくださる方が一人でもいてくださったら嬉しいです。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

島から出るとなると

2007/05/22 Tue 19:54

 今日は久々にバイクを洗車しようと言っていましたが、よく考えると今日は“分区教師会”と“地区宣教協議会”のある日でした。会場は仏生山の香川教会で、お昼をはさんでの会議予定です。
 昨日、バイクにそろそろ乗りたいと書きましたが、走行距離はせいぜい20kmなので残念ながら乗ったうちに入りません。でも予告どおり、朝、出かける前にちゃんとバイクを磨きました。公約を果たす意味もありますが、ほんの少しでも乗るなら綺麗にしておきたいという本音と、汚いバイクは適当に扱われそうなので、フェリーに乗るときはできるだけ綺麗にしているという習慣上の理由もありました。慌しかったものの、とにかくバイクは綺麗になりました。
 それはさておき、島から出る機会は貴重なので、必然的に諸々のことをする羽目になります。今日は
①会議までに散髪をし、
②坂出教会の牧師に約束していた「カムイ伝」全21巻を貸し、
③分区の先生方に青年部のアンケートを配布して通信費を浮かし、
④オモチャ屋のオンラインショップで注文したオモチャを受け取り(私用ではなく子供用ですよ)、
⑤子供用のポケットティッシュを購入して帰りました。
今日は寄りませんでしたが、業務用スーパーで食材を仕入れて帰ったり、ミスタードーナツを買って帰ったりすることもあります。
 これらはついででないと経費がかかってしまうので、島から出る機会は出来るだけ活用することになるのです。
 これも父の務めなのです。
行事 | コメント(1) | トラックバック(0)
 今月初めに徳島(青年大会)へ行って以来、自分をはじめ家族が次々と風邪をひいてしまっていたので、最近、バイクに乗っていません。仮面ライダーとDNAが近いのかもしれませんが、しばらく乗っていないとエネルギーが切れてくるような気がします。そういえば学生時代、バイクだけでなく車(と言っても前出の360ccの軽自動車)も持っていましたが、雨でも合羽を着てバイクに乗っていたくらいです。もちろん、車も好きなのですが、体に風を受けることが必要みたいです。
 私は高校生くらいまで以外と引っ込み思案な性格だったのですが、バイクと出合って人生が変わったのです。そもそもスピードにはそれほど興味がなく(若いとき少しは飛ばしていましたが)もっぱら長距離ツーリングがバイクの醍醐味だと思っています。若い頃は5,000円でも臨時収入があると寝袋とテントを積んであちこちへ出かけていたものです。最初のツーリングで思ったのは「こんなちっぽけなエンジンの乗り物を自分で運転してこんなに遠くまで来れた」という感想で、それは自分の中に眠っていた思いがけない力を感じた瞬間でした。もちろん、今では数百キロ走っても何とも感じませんが、あのときの感動の大きさが今に至るまで私をバイクに結び付けているのかもしれません。
 明日はバイクを磨いてやろうっと。
楽しみ | コメント(1) | トラックバック(0)

酢だこに変身!

2007/05/20 Sun 21:08

 今日の午後は予定が入っていなかったので、たまには4人の子供たちを喜ばせようと昨日“タコ”を買ってきていました。そうです。たこ焼きを作ろうと考えていたのです。しょっちゅう作っているので、たこ焼きは御茶の子さいさいなのです。もっとも、自分もたこ焼きが大好きだからこそ作ろうと思った訳ですが。
 ところが、次男(三歳半)に「今日はお父さんがたこ焼きを作ってやろう」と言うと、風邪で本調子でないためか「食べたくない・・・」と言います。更に妻も「K(1歳半の三男)も喉と鼻の調子が悪いし、風邪薬でおなかの調子も心配だからやめた方がいいかな」というので、急遽中止になりました。食べられなかったり喜んでもらえないのなら仕方ありません。長男と長女に聞く前で良かったと思いました。二人ともたこ焼きと聞いていたら話がややこしくなっていたはずです。
 結局、タコは今晩のおかずの一品、“酢だこ”になって食卓に登場しました。全員が「美味しい美味しい」と言って食べているのは微笑ましい光景でしたが、なんとなく寂しい思いを抱いていたのは私一人でしょう。どうして“酢だこ”なら食べられて“たこ焼き”なら食べられないのだろう・・・。・・・分からない・・・。
プライベート | コメント(0) | トラックバック(0)

メロンとアップルマンゴー

2007/05/19 Sat 22:25

20070520155542.jpg

次男(1歳半)と三男(1歳半)の風邪がなかなか良くならず一週間が過ぎようとしています。今週、次男などはあんなに楽しみにしていた幼稚園に一日も行けませんでした。しかも昨日まで2人とも熱がおさまらず、咳や鼻水もあって苦しそうで、見ていてとても可哀想でした。三男など鼻をかむことさえまだ出来ないのです。
 しかし、やっと今日になって、2人とも少しずつ回復傾向にあるようで、少しほっとしてきました。そこで、私がこの風邪をうつした可能性が高いのもありますし、“少しの回復祝い”と“応援”の意味を込めて“メロン”と“アップルマンゴー”を買ってあげることにしました。どちらも丸ごとです。しかも、“アップルマンゴー”なんて初めて買います。親の方がわくわくしているみたいですが、まったくその通りです。
 とは言いましても、自慢でもなんでもなく、ただスーパーのチラシに今日の特売品として二つとも載っていたので買う気になっただけの話です。しかも、それぞれ398円と298円でした。数日前の夕張メロンの初セリで最高値1個百万円がついたという報道があり、それらに比べると完全に負けていますが、それでも我が家の家計では「えいやっ」という掛け声が必要な買い物でした。
 それが証拠に、もったいなくてまだ食べていません。子供たちよまずは目で楽しむのぢゃ。
プライベート | コメント(3) | トラックバック(0)
 今日届いた「JAFメイト」(ロードサービスのJAFから会員に毎月送られてくる機関紙)の読者の投書欄に“駐車した後、車から離れると、傷付けられはしないかとドキドキする”というのがありました。過去に嫌な思い出でもあるのでしょうか。私は何度もあります。駐車中にフェンダーミラー(ドアミラーでないところが時代を感じさせます)が割れていたり、ボディーがへこんでいたことが何度もあり、そのたびに腹立たしい思いをしたものでした。
 一番酷かったのは屋根です。車に戻ると、誰かがふざけて上に乗って暴れたのでしょう、屋根全体が15cm程へこんでいたのです。1972年型のホンダライフ(360cc)でしたが、とても気に入っていて過保護なくらい大切にしていたので凄いショックでした。「はぁ~あぁ・・・」とため息をつきながら思いっきり押し上げると〝バッッコォォーーーンン〟と聞いたことも無いようなけたたましい音と共に元に戻ったのには笑えました。
 他にもナンバープレートが折り曲げられていたりと、何度も何度も何度も、3回ですか、痛い経験をしました。
 しかし、もうかれこれ20年以上も駐車中の車にイタズラされたとか傷付けられた記憶はありません。それでも、不安感は拭いきれないようで、スーパーとかの駐車場に駐めた時、隣の車が妙にデコボコだったり、駐め方が下手(斜めになっているとか)だったりすると、セコイようですが、ケータイのカメラでその車のナンバーを必ず撮るようにしています。イタズラには無意味でも、擦られたりした時には役に立ちそうだからです。役に立った事はありませんが、ほんのちょっとの気休め的安心材料にこれはお勧めです。コストもかかりませんし。
 やっぱりセコイですか。 
プライベート | コメント(2) | トラックバック(0)

人生の責任

2007/05/17 Thu 21:07

 牧師だからでしょうか「クリスチャンホームに育ったんですか?」とか「お父様も牧師さんですか?」と聞かれることが多くあります。残念ながら父は船乗りでしたし、その上キリスト教嫌いでした。
 また、息子が3人もいるからでしょうか「息子さんが牧師になると言ったら嬉しいでしょう」ということも時々いろんな人に聞かれます。残念ながら、息子の人生にまで口出しするつもりはありませんから、自分で責任を持って進んでいける仕事に就けば良いと思っている程度です。
 そういえば、私は小学校の先生になりたくて教育学部を受験したかったのですが、父の(気まぐれとしか思えない)猛反対で受験させてもらえませんでした。“子の人生に親は責任を持てないのだから、好きなようにさせてもらいたかった”と、今でも思っています。もし、あの時、受験に失敗していたとしても教育学部を受験していれば、人生は随分違っていたのではないかと思います。
 そうです。親はどれだけ心配しようと悩もうと、“子供の人生に責任を持つことは出来ない”のです。自分の人生は自分で自分の責任を負って行くしかありませんし、順番から言って大体親の方から先に天に召されます。物理的にも親が子の人生の責任を負うのは不可能です。第一、どんなに小さな事でも自分の人生の責任は自分で負っていかなければ意味がありません。
 ですから、私も子供の将来は子供に任せています。ですから、上の子たちには自分で責任を持って決断したり選択しなければならないと言い聞かせています。「楽な道を選んでも良いし、努力する道を選んでも良い。行き当たりばったりや計画的でも良い。ただし、その結果はすべて自分に降りかかるし、それをすべて自分で引き受けていく覚悟でどんな道でも選択していけば良い」と言っています。
 見ているとヒヤヒヤすることが多いのですが、今さら親がブレる訳にはいきませんから、ぐっとこらえています。
 子を見守るのも結構疲れるものです。
プライベート | コメント(1) | トラックバック(0)

差別と区別

2007/05/16 Wed 14:47

 今月初めに徳島で行なわれた四国教区青年大会での一コマ。
 私の主題講演で差別ということにも触れていたからでしょう、青年たちと話していると、ある青年から「差別は勿論良くないけど、区別は構わないんじゃないでしょうか」と、何時何処ででも誰かが言いそうなセリフの質問を受けました。
 「んーー、区別と言ってもね、何処までが差別意識の無い区別と言えるのかな?『これは区別だからOKだ』と思い込んでいるうちに差別意識が心に巣食うんじゃないかな」と、(その意見はおかしいよということを)きつくならないように答えていると、別のある青年が一言。「『差別は駄目でも区別は良いよ』なんていわゆる弱者の側の人は言いませんよね。」。その通りだと思いました。すごく的確で端的な言葉に脱帽です。「区別はよし」という言葉は差別する側の論理だと思います。私はこんなに敏感な青年と出会えてとても嬉しく思えました。
 そして、私も遅れをとらないように感性を研ぎ澄ませたいものだと思いました。私は若い頃尖っていて、よく誰かと口論していたこともあったので、最初の青年に対して“相手を傷付けてはいけない”と必要以上に気を使って答えていたことに反省させられたのです。やはり上から見下すような感覚があったのではないかと思わさせられたからです。思いがけず、区別も差別もやめた方が良いということを身をもって経験させられたようです。青年たちありがとう。

 余談ですが、同じ青年大会で、私はある牧師と別の話題で激論になってしまいました。すぐ熱くなってしまうのは性分でしょうか。まだまだ修行が足りないようです・・・。
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0)

うつしてしまった

2007/05/15 Tue 20:16

 今日の夕方、妻が三男まで熱っぽいと言い出しました。測ってみると38度5分あるとの事。そういえば咳もしています。「ええーーっ!。Kまで・・・」。実は2日前に次男が39度3分の熱を出し病院に行ったばかりなのです。しかも、その前から妻も喉の調子が良くないと言っていました。症状が私のそれと全く同じじゃありませんか・・・。それぞれ「運動会で疲れたからかなぁ」とか、「砂埃がひどくて、それでアレルギーっぽいのかな」とか言っていたので、それ以上深く考えていませんでしたが、それですべてがつながりました。私は喉の調子が悪くて熱っぽかったのを「疲れが喉に来た」とか「アレルギーかな」とか「喋りすぎたのかな」と好き勝手なことを言っていましたが、風邪だったことが判明し、しかも、妻や次男(3歳半)、三男(1歳半)にまでうつしていたことが発覚してしまったのです。ほんとうにごめんなさい・・・。(けれども、こんなことを言うとひんしゅくですが、声が出なくなった原因が単なる風邪だと分かったので私としてはすっきりしました。)
 しかし、人に風邪をうつした記憶が今まで全くないので、今回がはじめてのケースと言うことになります。私に体力が無いことを暴露しているようですが、今まで風邪をうつされることはあっても、うつしたことは無かったのでした。人にうつすのってこんなに罪悪感のあるものだったのかと、変な実感をしています。しかも、愛する家族、なおかつ体力的に弱い家族にうつしてしまったのでしたから・・・。
 風邪はうつすよりうつされる方が気が楽だなと思いました。早く良くなってください。
プライベート | コメント(1) | トラックバック(0)

みんなに好かれる訳がない

2007/05/14 Mon 21:01

 「皆に好かれようと思って努力し、皆に嫌われた」というジョークがあります。言われてみれば“すべての人に好かれるなんて不可能だ”とすぐ分かるのに、誰かに冷たくされたり嫌われると落ち込む人がたくさんいます。それとこれとは別だと言われればそれまでかもしれませんが、自分にも好感を持つ人と苦手な人がいるように、すべての人に良く思われることなんて不可能です。
 ある人はその理由を「人間は全能の神様ではないから」だと言いますが、神様でもすべての人に好かれるのは難しいようです。以前居た教会の庭先で花壇の手入れをしていたら、眉間にしわを寄せたお婆さんがにじり寄って来て「あんたはここの牧師さん?言っとくけど、キリスト教だなんて外道の宗教今すぐにやめなさい」と憎々しげに言われて閉口したことがあります。ラジオ番組を持っていたときにも、似たような内容で投書が来たことがありました(私宛ではなくラジオ局宛だったのに、私の番組でその手紙を紹介させられたのでした)。
 “神様だって、すべての人に好かれるのは不可能なんだな”と実感しました。ですから、不完全で時に過ちを犯し、時にはすべきことが出来ない、そんな私たちが人から誹謗中傷されたり、嫌われたり、冷たくされることがあってもあまり気にしすぎないほうが良いような気がします。
 もちろん、そう考えていても、やはり生身の人間ですから、面と向かって言いたいことを言われると凹んでしまいますけどね。しかも、その人が、こちらから好感を持っている人だともっと凹みそうです。人生は難しいですね。
思ったこと | コメント(1) | トラックバック(0)

母の日なのに

2007/05/13 Sun 09:36

 20070514203422.jpg

 母の日というのに、長男は朝早くから部活(いつもなら土曜日が部活で日曜日は休みなのに)。長女も今日から修学旅行と言うので早朝より出発。次男は運動会。どうしてよりによって母の日にこんなに行事をするのだろうかと疑問に思ってしまいます。子供や先生、学校、幼稚園、地域は一体何を考えているのでしょうか・・・。
 そういう私も特別“母の日”に何をしようかと考えていた訳でもないので、あまり発言権は無さそうですが・・・。
 ところで、何も用意していなさそうな娘が、出発間際に母親にプレゼントを渡しているのを見て“やられた”と思いました。私はどうやって気持ちを表そうかと焦ってきました・・・。
プライベート | コメント(0) | トラックバック(0)

明日は母の日

2007/05/12 Sat 20:42

 明日は“母の日”です。子供の頃、三人姉弟でお小遣いを出し合って母親に贈り物を買ったり、前々から練習していた人形劇を披露したりしていたのを思い出します。そういうことが出来たのは、一番上の姉がいつもリーダーシップをとって「今年の企画は○○よ!」と言う具合に音頭をとってくれていたおかげです。
 しかし、こちらも大人になってくると、いつの間にか、贈り物などをしても「なんだかこんなことでいいのかな・・・」と虚しさのようなものを感じてしまうようになっています。贈り物をしても、気を使ってそれ以上のお返しが届いたりするのです。お返しと言っても、子供たちや私たち夫婦の誕生日や何かの記念日などに送られてくるものや時々届く宅急便などです。どれだけこちらが気持ちを込めて贈り物などをしても、それ以上の思いに包まれてしまっているのです。こうやって親子の関係はいつまでも続くのかなと思ってしまいます。「子供はいつまでたっても子供」そんな言葉が聞こえてきそうです。
 自分も親になって少し感じているのは、もし、子供から「いつもありがとう」とか「好きだよ」などと言われなくても、子供の気持ちは分かっているし、受け止めているつもりだということです。特別なことはそれほど必要ではないような気がします。そういう思いの延長線上をいつまでも歩んでいくのかもしれません。
 ただ、やはり子供が小さいころは、こちらも微笑ましくなるような素朴な表現をしてくれたらやはり嬉しいですけどね。
 おっと、明日は母の日だーー。何も用意してないような気がする!
行事 | コメント(0) | トラックバック(0)

手を抜かないマイベスト!

2007/05/11 Fri 20:22

 今から数年前“愛媛いのちの電話”の事務局長の任を受けたとき、内報誌に「自分に出来ることをします」と書いた所、ある相談員さんに「出来る事しかされないんですね」と言われました。私としては、その部分はさりげなく書いたつもりだったのですが、ちゃっかり見つけられていたようです。しかし、それはネガティブな気持ちで書いた言葉ではありませんでした。ただ、説明するのが面倒くさかったのでちょこっと書いてやり過ごしていたのでした。「自分に出来る以上のことは出来ませんからね。あなたは私に実力以上のことをすべきだと仰るつもりですか。」と言うと、「いいえ、とんでもない。正直な方だなと思ったんですよ」。相手もよく分かっておられたので二人で思わずクスクス笑ってしまいました。
 人は無意識的にかもしれませんが、環境に順応しようとするものです。特に自分に与えられた役職・役割にふさわしい人間になろうとし、考え方や行動まで枠にはめてしまい易いものです。それでもうまくいっていたり、能力が高くて困らない場合は問題ありませんが、必要以上に努力しなければならないとか無理をし続けなければならないような場合は悲劇です。挫折、病気、家庭へのしわ寄せなどが起こります。
 つまり、人が自分の能力以上のものを振り絞り続けるのは危険な事なのです。当然と思ってしまっている「やるからにはその役割に求められている最善を尽くさねば」という考え方は誰の言葉でしょうか。何処から出てきた言葉でしょうか。誰が決めたのでしょうか。それは思い込みではないでしょうか。“出来ないことは出来ない”としっかり認識して、“恥ずかしい”だとか“責任放棄だ”とか、小ざかしいことは考えないで、誰かに応援を頼んだり代わってもらったりするしかないのです。つまり、その役割におけるベストを目指すのではなく、自分(なり)のベストを尽くすことを考えるべきだと思うのです。誤解を恐れずに言うなら、自分に出来ることをすれば良い訳で、突き詰めれば“自分に出来ることさえすれば良い”と考えていいと思います。もちろん、マイベストを目指すのですから、そこに手抜きはありません。手は抜かないでベストを尽くすけれども、そのベストはマイベストですよということです。
 私はいっぱい失敗してきたので、そんなふうに考えるのかもしれません。「いつも飄々としていますね」と言われるのはそのせいかな・・・。
思ったこと | コメント(1) | トラックバック(0)

人生の基本

2007/05/10 Thu 17:10

 次男が幼稚園に通うようになってもうひと月になります。最初は心配していましたが、最近では楽しそうに出かけてゆくので、ほんとうに楽しいのだろうなと安心して見守っています。
 最近では、変な言葉やしぐさを覚えてくるのが気になりますが、それも集団生活の楽しいところなのかもしれません。考えてみれば、幼稚園というのは“初めで経験する集団生活の場”で、“人と一緒に過ごす大変さや楽しみを最初に実感する時”なんですよね。次男も、少しずつ友達関係という世界に気付いたり、おともだちと仲良くなったり、喧嘩したり、仲直りしたり、自然に出来るルールがあったり、教えられて初めて気付くルールに気付いたりして人間関係の基礎を学んでいるのかと思うと、大人の自分も負けてられないなと思います。
 ちょっと前に「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」という本がありましたが、確かに人間にとって最も大切なことは幼稚園で学んでいるような気がします。挨拶をする、嘘をつかない、叩かない、順番飛ばしをしない、悪いと思ったらすぐ謝る、人に優しくする、ご飯は残さない・・・ちょっと考えてもきりがありません。幼稚園で学んだことを「幼稚園レベル」と決め付けるのは間違いです。むしろ、学んだことを忘れたり踏みにじったりしなければ、世の中は随分違っているようにさえ思えます。頑張れ幼稚園児!君たちは今、人生ですごく大切なことを学んでいるんだよ。生涯の宝物にしてください。そして、親も、改めて子供と一緒に学びなおす機会が与えられたと神様に感謝して、子供と一緒に成長させていただこうではないですか。
思ったこと | コメント(1) | トラックバック(0)

教訓を生かさなければ

2007/05/09 Wed 17:23

 薬局で“うがい薬”を買ってきて頻繁にうがいをし、“南天のど飴”や“ヴィックスドロップ”などもこまめになめるようにしています。お陰で(咳がまだひどいものの)声が戻って来つつあります。喋りにくいのがこんなに苦痛だとは思ってもみませんでした。多分同様だった前回も同じように苦痛だったのでしょうが、喉もと過ぎれば熱さ忘れるなのでしょう。全然覚えていません。嫌なことはすぐに忘れた方が良いとは言え、思いとどめて教訓にしておくべきでした。「喉の調子がおかしくなってきたな」と思っても、さして気にもせず、風邪薬も飲まなければ、うがい一つしませんでしたから・・・。不精にも程があるなと、自業自得だなと、反省しています。それにしても、喋れないのがこんなに苦痛だとはつくづく自分は喋るのが好きなのだなと改めて気付かされました。
プライベート | コメント(0) | トラックバック(1)

貧乏暇無し

2007/05/08 Tue 23:55

 疲れが溜まりすぎているようなので、今日こそは休もうと昨日から決意していました。しかし、そうは問屋が卸さぬで、電話やメールがいつもの何倍もあり、ゆっくり休むどころかいつもより忙しい日でした。分かっちゃいるけど、世の中そう思うように行かないと改めて思い知らされる一日でした。
未分類 | コメント(1) | トラックバック(0)

声が出ない

2007/05/07 Mon 20:26

 今朝、起きてびっくりしました。声が出ないのです。突然ガラガラ声になっていました。寒気がするでもなく、熱もありませんし、原因不明のガラガラ声。疲労が溜まり過ぎて弱いところにSOSが出てきたのでしょうか。最近、睡眠不足がひど過ぎますし、休んだ記憶もありません。ちょっとばかり無理をしすぎたのかもしれません。しかし、今日は四国教区の伝道部第1回目の会議の日です。行かない訳にはいきません。颯爽とバイクで伊予三島までレッツゴーです。
 よせばいいのに人一倍しゃべってきました。こんなときは出来るだけしゃべらないのが常套手段のはずなのに・・・。性格上黙ってられないのでした。えへへ。
 明日こそ休養を取らないと倒れてしまうかもしれません。絶対休みます。・・・ホントかな・・・。
 そういえば5年ほど前にも同じように疲れすぎて喉がかれたことがありました。弱ると免疫力が低下するので、普通なら大したことのない細菌とかに喉がやられてしまうようです。あの時「どうすれば早く直りますか?」と真面目に聞くと、医者は「喋らん事ですな」。鼻水も酷かったので「鼻水がひどいんです」と言うと「上を向いとくんですな」。「それはないでしょう」とかすれて声にならない声で突っ込んだのを思い出しました。
 そうそう、ついでに思い出しましたが、そのとき声がかすれてしゃべると喉が痛いし、医者も喋るなというのでいわゆるヒソヒソ声で喋って過ごしていたのですが、話す相手もみんなヒソヒソ声になったのには笑えました。すごく笑えたのは、ヒソヒソ声でもつい喋ろうとしてしまうので筆談にしたところ、つられて筆談し始める人が居たことでした。世の中優しい人が多いようです。
 今回も皆に迷惑をかけるのでしょうか・・・。
プライベート | コメント(0) | トラックバック(0)

ぽかぽか

2007/05/06 Sun 21:14

 今日、懐かしい方から電話を頂き感激しました。岡山に居た頃に関わらせていただいていた“東中国キリスト者障害を共に学び共に担う会”略して“東中国キ障共”の会長(当時)のT先生でした。岡山の邑久長島光明園の日本基督教団家族教会の牧師先生。自らもハンセン病の患者で、Cコースで教師検定試験を受けて牧師となられた方です。現在は隠退されたとのこと。岡山を出てから年賀状のみの関係になっていましたから、もう12年以上話をしていなかったことになります。今日は思いがけず久しぶりに元気なお声が聞けて小躍りするほど嬉しくなりました。思い起こせばT先生からはいろんなことを学ばせていただきました。
 一番印象に残っているのは、ある一泊の学習会で同室になったとき、「『生まれ変わるとしたらメチャメチャ良い女になりたい』と言う男の人が居た」話を冗談まじりに私が言ったとき、「キリスト教で生まれ変わりは無いけど、それは面白いなぁ。」とT先生。続けて「そうやなぁ。僕なら何になりたいかな・・・。やっぱりハンセン病の患者がええな。」と言われるので私はびっくりして「先生、それは本当ですか。どうしてですか。」と問い直したところ、「ハンセン病患者は何も無いよ。健康も地位も名誉もない。差別も受ける。でも、僕はこの病気やったから神様に出会えた。健康やったら出会えてなかったかもしれん。キリスト教に生まれ変わりは無いけど、もし生まれ変らないかんならやっぱり信仰が一番大切やから、健康で信仰無しより、やっぱりハンセン病で信仰のあるほうがええからな。」笑いながらそう言われるのです。
 当時学生たちと一緒に家族教会に時々うかがいましたが、学生たちが見る見る成長させられるのに驚いたものです。おそらく、日本にこんなに人を成長させることのできる教会は他にはあまり無いと思ったものでした。
 「そのうち小豆島に遊びに行くよ。妻と行くよ。実は僕ね、あれから結婚したのよ。」もちろん知っていますよ。ぜひ奥様とお越しください。今日は心がぽかぽか温かくなりました。
プライベート | コメント(0) | トラックバック(0)
 先日の徳島であった青年大会もそうですが、殆どと言っていいほど交通手段はスクーターです。「元気ですねー」「凄いですねー」とよく言われますが、実際のところ一番楽なのです。本当は皆さんのように乗用車が楽チンに違いありませんが、島暮らしなのでフェリーの車代を考えると車は余程のことがない限り島外では使えません。そのところを皆さんは多分分かっておられないのでしょう。また、公共交通機関を使うとなると、港まで徒歩か、一時間に数本しかないバスを待ったり、港で時間を潰さなければなりません。出先でも同様です。ところがスクーターだと荷物を持って移動する必要が全くありませんし、帰りのフェリーも教会に一番近い草壁港の一日5便(人だけだと乗せてもらえない便もあるので4便)に合わせなくてもOKです。池田港や土庄港に着いてもスクーターなら20分もかかりません。私の島暮らしにスクーターは必需品なのです。おまけにもう30年近く二輪に乗っているので、少々の距離は屁でもありません。一日の移動距離400km位は大丈夫です。まだまだ若い者に負けません。
 青年大会は吉野川市の鴨島の教会が会場で、高松から11号線を通り、途中右折して318号線に入るコースが最短ですが、折角なので11号線をそのまま走り、徳島市まで足を伸ばして徳島ラーメンを食してきました。愛媛のM教会のO牧師と私は「ラーメン研究会を結成しようか」と真剣に話し合う程ラーメンを愛しているので、ここはは食べない訳にはいかないのでした。
20070505143419.jpg

 肉玉子入り(大)710円也。最初に食券をレジで買います。コップを逆さに6本立てられる昔懐かしい針金製のコップたてからコップを取り、自分でテーブルの上に置いてあるピッチャーから水を汲んで飲むスタイル。ラーメンは黒いスープに生卵。大体予想通りの味。とにかく食べたことがなかったので嬉しかったです。
20070505143605.jpg

 お店は支那そば広東という老舗。後から聞くとかなりの有名店らしいのですが、お客は近所のお年寄りがちらほら食べに来ているといった感じでした。お昼前だったからかも知れませんが、町のラーメン屋といった素朴な感じを味わえたのはラッキーでした。ちなみに徳島では“ラーメン”とは言わず“支那そば”とか“中華そば”と言うようです。
 ゴールデンウィーク中もこうして遠回りが出来るのもスクーターならではです。どんな渋滞もひたすらすり抜けて行けるのが最大のメリットです。
20070505145712.jpg

 帰りは318号線と11号線でまっすぐ帰りました(途中、こいのぼりを川に渡してあるのを見て感激)。山道は車も信号も少なくあっという間に通過し、11号線の渋滞を横目に快走し、あっけなく高松港に到着です。池田港行きのフェリーが丁度出るところだったので乗船。JRだったら帰宅は間違いなく夜になっていたと思います。やはりスクーターは楽で便利なのです。

楽しみ | コメント(0) | トラックバック(0)
 昨日今日と徳島で四国教区の青年大会があり行ってきました。今回は単なる参加者ではなくなんと基調講演の“講師”として招かれました。昨年、依頼された時は、青年たちと接するのは大好きなのもあり軽く引き受けたものの、日程が近づくとその準備に時間を取られるのに焦りました。引き受けた頃は「どうせ暇だろう」とたかをくくっていたのですが、今年に入ってからすることが多くなり、特にこの数週間は心が亡んでいました。それでも何とか原稿も準備し、意気揚々と出掛けていきました。
 ところが、張り切って準備したためか原稿の量が多すぎたのと、時間配分を間違えたのもあり、後半は“時間があれば話す”と脚注を付けて準備していた話は全部カットせざるを得ませんでした。皆さんごめんなさい。忙しかったので数週間前から原稿を書き始めましたが、大体、最終的に書き上げたのが教区総会が終わった翌日で、しかも青年大会の前日でしたから、疲れもあり時間配分などの下準備まで出来なかったのが敗因です。私もまだまだ未熟だですね・・・。
 どれだけ私の話が受け入れられたのか未知数ですが、時間をかけて受け止めていただければと思っています。次にまた、彼らと再会するのが楽しみです。おおっと、肝心のテーマを書き忘れていました。『弱さに寄り添う教会青年』というものでした。私が決めたのではなく、そのテーマで話して欲しいと依頼されたのでした。ちょっと熱く語りすぎたかなという気がしています・・・。
行事 | コメント(0) | トラックバック(0)

雑用の戒め

2007/05/03 Thu 06:09

 最近、香川分区や四国教区の役割が増えました。必然的に仕事も増えてきましたが、どうこなしていこうかと悩むほどではありません。とは言え、内海教会も2年目に入りましたから、そろそろいろんなことに挑戦してみようと考えていた矢先でした。中には細々としたものもあります。そういう時、人間って小さな仕事や、いつやってもいい仕事、もしくはやらなくても困らない仕事など後回しにしたり、雑にこなしたり、放棄したりしがちです。しかし、私は岡山にいたときに出会ったシスター渡辺和子さんの言葉が忘れられず、その言葉はいつも戒めとなっています。その言葉とは、雑用なんて本来存在しなくて、どんなに小さなものも大切なのであり、その仕事をする人が雑にしてしまう時にそれは雑用になってしまう、というものでした。確かに聖書には一貫してむしろ小さなものが大切であることが書かれています。しかし、自分の生活の中で雑用と信じ込んでいるものと結びついていませんでした。ですから「雑用」とぼやく自分の心が大切な仕事を“雑用”にしてしまうと知らされたとき、ほんとうに感謝しました。今でもこの言葉は私の戒めとなっています。仕事が増えてきましたが、「どれも雑用にしないぞ」と改めて心に思うのでした。
 そういう事ですから、無理な仕事は引き受けません。あしからず。
感謝 | コメント(0) | トラックバック(0)

相対的時間感覚

2007/05/02 Wed 20:52

 昨日のブログの書き出しに「久しぶりに書いています」と書いてしまいましたが、よくよ考えてみると一日ぶりに過ぎないのでした。気持ち的には数日間書いてないように感じたのが不思議です。会議や懐かしい友人たちとの語らいなど色々ありましたから、実際の時間より長く感じていたのかもしれません。今までだってそうでした。アインシュタインの相対性理論では時間も相対的のようですが、それは光の速度を超えて云々の世界の話。でも、人の心の体感時間も相対的です。上智大学のデーケン教授もずぶ濡れになった時の事を引用して時間の相対性を仰っていました。「私にとって傘を忘れて土砂降りの雨の中バスを待ったあの30分が今までの人生で一番長く感じた時間でした。」嫌なことは特に長く感じるのだなと妙に納得したのを思い出します。・・・あっ、でも、会議は勿論しんどかったですが、友人たちとの時間は嫌なことでも苦痛でもありませんから、もし、読んでいたら誤解しないで下さいね。ただ、二晩とも夜遅くまで話し込んでいたので、実際に起きていた時間が長かったのが一因かもしれません。そういえば二泊目の夜は明け方4時過ぎまで起きていました。と言うことは、実際に長時間起きていて、その上更に時間が遅く感じる会議をこなしているわけですから、実際よりはるかに長時間に感じてしまうような状況が重なっていたのですね・・・。出掛けたときはいつもより早く寝た方がよろしいようで・・・。
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0)
 | HOME | Next »