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捻挫から植木枝盛

2007年06月30日
 昨日から今日にかけて所用で出掛けていました。帰ってみると高1の長男が転んで足を捻挫していました。転んだのは昨日で、しかも、手当てもせずにクラブ活動して帰っており、今朝になって腫れた足を診てもらいに病院に行ったとのこと。我慢強いのか鈍感なのか、父としてはどうリアンションすべきか困りました。
 しかし、捻挫と言うと高知に居た少年時代を思い出します。小学生の頃、よく水道山という山を走り回って遊んでいましたから、すり傷や捻挫は日常茶飯でした。そこでよくお世話になったのは近所の“骨接ぎ”でした。先生のお名前も顔も忘れてしまいましたが、講道館柔道の人だったと記憶しています。豪快で心底暖かい方でした。乾くとボロボロになるセメントみたいなシップ薬を貼ってもらっていたのを思い出します。
 骨接ぎのすぐ隣には植木枝盛の生誕地の碑がありました。話がそれてしまいますが、この骨接ぎの先生にお世話になったお陰で、自由民権運動の理論的指導者といわれる植木枝盛を知るきっかけになったのです。彼の憲法草案(「東洋大日本国々憲案」)は、人民の抵抗権のほかに革命権までが明記されているもので、当時作られた数多い憲法草案のなかで、もっとも民主主義的とされるものでした。立志社では、愛国社、国会期成同盟、自由党など自由民権運動の中核組織のなかで、もっとも先鋭な闘士として活動したといわれています。「民権自由論」「天賦人権弁」「無天雑録」「植木枝盛日記」を残し、その女権論や家族制度論などには、今日なお学ぶべきものが多いと評されています。残念なのは36歳という若さで亡くなったことと、かなりの人物なのに殆ど知られていないということです。
 植木枝盛について調べていくうちに、人の評価ではなく、自分の信じる道をひた走る大切さを教えられたような気がしたものです。
 息子は捻挫から何かを学んでくれるでしょうか。
 
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大切にしたいこと

2007年06月29日
 新約聖書に“最も重要な掟”とは、心を尽くし精神を尽くして神様を愛し、隣人を自分のように愛することだとあります(マタイ福音書22章34-40節、マルコ福音書12章28-34節、ルカ福音書10章25―28節)。
 神様を愛することと、人を愛することがひとくくりにされているのです。このところが抜け落ちてしまうと信仰は形骸化してしまうのかもしれません。
 私は生きる上で、ここをとても大切にしたいと考えています。

 ある人がマザー・テレサに「百万ドルもらっても、私はハンセン病者にはさわりたくない」と言った話を聞いたことがあります。そのときマザー・テレサは彼にこのように答えたようです。「私も同じです。お金のためにだったら、二百万ドルやると言われても、今の仕事はしません。しかし、神への愛のためなら喜んでします。」

 キリスト教に限らず、“神様を愛する”、“神様を信じる”、それは信仰者にとって当然ともいえる行為のはずです。そして、それを突き詰めれば、“神様の気持ちや願いを受け止める”ということだと思います。そして、神様の気持ちや願いというのは、“すべての人を大切にする”ということです。つまり、神様を信じ大切にするということは、出合った一人ひとりを大切にするということにつながって行き、神様を愛し、隣人を愛するという二つのことは一つになります。
 神様とだけの関係で終始してしまうなら、それは独りよがりであり独善的な信仰のような気がしてなりません。

 イエス・キリストは「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実いによって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」(ルカ福音書6章44―45節)と言われました。私たちの行動に真の姿が現れるということです。
 
 そう考えてみますと、どれだけ聖書に詳しいとか、キリスト教の教理を知っているかではなく、また、教会でどれだけ信頼が厚いかでもなく、ごく普通に生きている中で、出会う人々とどのように接しているかというところに、その人の信仰は現れるのではないかと思うのです。ごく普通にというのがみそで、あざとさや偽善の匂いがあるのは論外だということです。
 いわば、さりげなさの中に真実があると、聖書は語っているように思うのです。
 
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バイク好き・車好き

2007年06月28日
 子供の頃、トミカより一回り大きいミニカーを買って貰って感激したのを今でも忘れられません。ずっしりと重いミニカーを手に取って眺めたり、飾って楽しんだりと、しばらく大事にしていたものです。その車は1964年型トヨタコロナPT40/RT40系でした(3代目コロナ)。今見るとそれほど格好良く感じませんが、当時はうっとり眺めていました。そのほかにはミニカーを1台も持っていませんでしたから、唯一のミニカー、しかも少し大きいというので特別嬉しかったのだと思います。確か小学校1年生の頃のことでした。
 また、2年生になったとき、ベルマーク集めの紙袋が学校で配られた時、どういうわけかその袋にはトヨタ2000GTの写真が載っていました。その流れるようなスタイリングに衝撃を受けたのが今でも忘れられません。
 多分この2つが車好きになった原体験だと思います。
 父は船員でしたから、殆どいつも家を留守にしていました。そうすると私以外の家族は全員女性でしたから、私を“男らしく育てる”ことに母は腐心していたようです。誕生日のプレゼントがエキスパンダーだったり、無理やり柔道の道場に通わせられたりしていました。子供の気持ちをもう少し酌んでくれたらなと幼心に思ったものです。
 その一連のプロジェクトに従兄弟の家に泊まりに行かされるというのがありました。従兄弟と言っても、相手は大人で社会人でした。母は8人兄弟の末っ子で、私はその母の子の中で末っ子ですから、従兄弟は殆ど大人ばかりなのです。よく遊びに行かされた従兄弟というのは、男ばかりの3人兄弟の次男で、当時一人暮らしをしていました。
 そういう家でしたから、確かにワイルドな雰囲気がある上に、行き帰りはバイクで送り迎えしてくれ、それはとてもスリリングでした。また、時には登山や飯ごう炊飯に連れて行ってくれたり、「スイカを畑で直接買おうぜ」と田舎へ行ったりもしました。すべて交通手段はバイクだったので、バイクが好きになった原体験は従兄弟とのタンデムだったようです。この従兄弟にはいろんなことを教えてもらいました。きちんと恩返しをしないといけないですね。もちろん、小学生の私を連れてパチンコしたり、喫茶店でコーヒーを飲ませてくれたりと、ちょっと悪いことも教えてくれましたが。
 そんなわけで車とバイクが好きになった少年でしたが、大人になっても牧師になってしまったので、経済的事情から車やバイクにお金が掛けられるはずも無く過ごしています。車は殆ど人から譲ってもらったものに乗り続けていましたから、自分の好きな車に乗ったことはありませんし、バイクも車検のあるものを敬遠して250ccどまりです。
 お金を掛けないバイク好き・車好きも居るということです。
 だからでしょうか。車やバイクで飛ばすことにあまり興味は無く、大勢で一緒に出かけたり、キャンプやツーリングが大好きです。
 今は、(幼稚園バスの運転のために取った)大型免許がありますから、キャンピングカーにのって家族で出かけたり、マイクロバスに親戚(姉たちの家族や両親など大勢)を乗せて旅行してみたいという希望があります。
 ちなみに、私が教会に行くようになったきっかけは、前述の“ワイルドな従兄弟”のお母さん、つまり私の伯母さんに誘われたからでした。伯母さん一家はクリスチャンホームだったのでした(後でわかったことですが、この叔母さんは3人の息子のうち一人でもいいから牧師になってくれたらなあと考えていたのにだれもならず、私が突然牧師になったのでびっくりしたということでした。おまけにこの伯母さんは若い頃からバイクやスクーターに乗っていて、80歳近い今でもスクーターに乗っている方です)。
 今、小豆島の教会に居る関係で、バイクの恩恵を充分受けているのは今まで何度も書いたとおりです。何か因縁めいたものを感じます。
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のんびり構える

2007年06月27日
 時々、「教会に行ってみようと思う」という電話を受けます。田舎の教会故に、都会と違ってめったに新来会者は来られないので、日曜日の朝は何となくそわそわしてしまいます。
 道に迷っていないかとか、教会が初めてだと緊張されているだろうなとか、こちらとしても色々と考えすぎてしまうわけです。
 しかし、当日になると気が変わってしまうのか、どういうわけか来られた方はまだいらっしゃいません。それはとても残念なことですが、教会は敷居が高いと感じてしまうのかもしれないと思うと、こちらとしても色々と反省が必要だなと感じます。
 東京の銀座にある教会など、特別な伝道をしなくても毎週日曜日には数十名の新来会者が来られると聞いたことがあります。反対に戸数500程の小さい村の教会では、伝道のため出来ることは何でもしているけれど、もう何十年も新来会者は来られていないという話も聞いたことがあります。
 それぞれ極端な例ですが、どの教会も、その教会の置かれている地域によって全く違う在り様があるということです。
 内海教会は、人口もそれほど多くなく、しかも島という環境にある教会です。また、島独自の文化や習慣、考え方などがありますから、ここなりの教会の在り様はどういうものなのかが問われると思います。先入観やこうあるべきという決め付けは一切脱ぎ捨てて取り組まないといけません。
 そのためにも、あせらずのんびり取り組もうと思っています。教会に興味や関心のある方も、あせらずのんびり構えて、気が向いたら足を運んでみてください。教会はいつまでもここにありますから。
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1分間に約17人(うち子ども12人)、1日に2万5000人、1年間に1000万人が飢えで死んでいます

2007年06月26日
 リンクに加えさせていただいている“日本国際飢餓対策機構”のHPによりますと、1分間に約17人(うち子ども12人)、1日に2万5000人、1年間に1000万人が飢えで死んでいるとあります。
 飽食といわれて久しい日本に居る身にとっては、世界に溢れている想像も出来ない事態に愕然とします。しかも、その犠牲者の殆どが子供であることに心が痛んでしかたありません。
 HPだけではなく、ここから送られてくるニュースレターには子供たちと一緒に飢餓や諸々のことを話し合う良い資料がありますので、興味のある方は申し込んでみてはいかがでしょうか。もちろん、小額でも結構ですからご支援をお勧めします。特に子供たちのお小遣いからも出してもらうと生きた学びになります。
 



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殺虫同盟

2007年06月25日
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 虫が多いのは前にも書いたとおりです。機密性の無い建物の上に、玄関は教会と共用なので、どうしても虫が入ってくるようです。
 しかし、小さな子供がいるので、おいそれと殺虫剤は使えません。スプレー式のものはどうしても床に殺虫成分が落ちてくるでしょうし、家の周りにぐるりと撒いておく虫除けパウダーも指でつついたりしそうで怖くて使えません。バポナのような強力なものも怖いですし・・・。
 それで仕方なく、追いかけて手で捕まえるとか蝿叩きや丸めた新聞紙などを使って日々奮闘するしかありませんでした。
 ところが、今年(3月)になって画期的な殺虫スプレーがライ○ンから発売されました。その名も“氷殺ジェット”。これの凄い所は、殺虫成分を一切使わずに“マイナス40度の強力冷却”で瞬時に害虫を寒さで殺してしまうという、全く新しい殺虫原理の殺虫スプレーなのです。殺虫成分が含まれてないので安心して使える優れもの。ちなみに“飛ぶ虫用”と“這う虫用”があります。
 その謳い文句に感動して(言いくるめられて)とりあえず飛ぶ虫用を悦に入って買ってみました。しかも、それだけではありません。今年の三野家は一味違います。氷殺ジェットの他に、電撃ラケットも用意しているのです。それはテニスラケットの形をしている電池式の殺虫機で、ガットの部分が電熱線となっており、素振りの要領で蚊などを電撃殺虫してしまうのです。すごい、すごすぎる。この二つを殺虫同盟と名づけましょう。
 今年はこの殺虫同盟に虫退治維新を委ねてみることにします。
 唯一つ残念なのは、どういうわけか、殺虫同盟をそろえたところで、以外と虫が見つからないのです。
 ・・・う~む。
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何年分?

2007年06月24日
 教会員さんから突然「先生、そうめん要りますか?」
 もちろん「ええ、いただきます。」と返事。
 今日は朝から雨だったので、礼拝に来られる教会員さんの送迎をしたので、「おすそ分けですが、良ければ帰りにお渡ししますから、持ち帰りください」とのこと。
 車中で少し待っていると
 「これです。どうぞ。」
 ほんの少し力の入った声に振り向くと、想像していた7~8倍の大きさの箱が・・・。
 「先生、これですけど、いいですか。」
 「ええ、いただきます。」
 平静を装っていましたが、少しばかり驚きました。箱には“9kg”と書いてあるではありませんか。見たことも無い尋常ではない大きさ。
 「我が家は口が多いですからね(6人家族)。」「それに一番下の子もそうめん大好きですし。」「小豆島のそうめんはやっぱり美味しいですよね。」
 自分でも何を言っているのか分からぬまま、受け取ってきました。
 何年で食べきれるかな・・・。
 
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名前

2007年06月23日
 自分の名前にコンプレックスを持っているとか、不満感を持っているという話はよく聞きます。かく言う私も自分の(苗字も含めて)名前が好きではありません。
 第一、読めません。“さんのよしひと”と読んでもらった事は生まれてこの方二度だけです(二人も居たのには正直びっくりしています)。苗字はどう見ても“みの”なのに“さんの”と読ませるなんてふざけています。どこに行っても「“みの”さん」と呼ばれるので、さすがにもう慣れてきて、平気で「はいっ」と返事しています。ただ、時々本当に“みの”さんが呼ばれている場合があって(銀行とか)、その時は少々恥ずかしい思いをします。大体そんなときに限って呼んだ人は私のことを“さんの”だと知っていたりするので「あなたは“さんの”さんでしょう?」と言われてしまったりするのです。そうなるとあとは笑ってごまかすしかありません。更に“慶仁”が“よしひと”なんて読めるはずもありません。親は一体何を考えていたのでしょうか。結局、“みのけいじん”などと呼ばれる羽目になります。
 第二に、誰が見ても先祖が農民だとすぐ分かる苗字なのに、名前はまるで皇族気取りとアンバランスもいいところです。ですから、自分の名前を眺めるとため息が出てきます。親は一体何を考えていたのでしょうか。
 ちなみに江戸時代ですが、第114代中御門(なかみかど)天皇は幼名を長宮(ますのみや)、諱を慶仁(やすひと)と言うそうです。
 ほらやっぱり・・・、皇族どころか天皇じゃないですか。とんでもない名前ですよ・・・。
 「その事実に恐縮するかな」と思って親に言ってみたところ、
 「えっ、すごーい」とてんで理解不可能な反応が返ってきてがっかりしました。
 この名前をしょってるのは私なんですからね・・・。
 親は一体何を考えていたのでしょうか。
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小豆島でのうどんの楽しみ方

2007年06月22日
 “うどん”は大好物の一つですから、讃岐うどんの本場香川に来たのはとても嬉しく思っています。しかし、香川と言っても小豆島なので、美味しいうどん屋さんへは簡単に行けないのが残念です。小豆島にも美味しいうどん屋さんはありますが、こだわりがあって安くてうまい店と言うとなかなかありません。ですから、讃岐うどんならではのお店巡りなど島内では不可能です。
 私はもともと麺類が好きで“うどん”は勿論、“ラーメン”“蕎麦”“素麺”、“冷麦”に“パスタ類”、“ビーフン”に“冷麺”さらに“フォー”など、考えてみると、とにかく麺類は好きです。しかし、だからと言って、何でも良い訳ではなく、それぞれにこだわりを持っています。ですから、うどん屋なのに蕎麦がメニューに載っていたり、蕎麦屋なのにうどんも食べられる店などは最初から敬遠してしまう方です。看板にうどんと蕎麦の両方書いてある店にいたっては、申し訳ありませんが問題外です。
 ・・・と、格好をつけてしまいましたが、最近では高松市内のお気に入りのうどん屋さんに“蕎麦”があるのを知ってしまったり、あんまりお腹がすき過ぎていたために、「これは緊急避難的な妥協だ」と自分に言い聞かせつつ、うどんと蕎麦だけでなく“ラーメン”の名までのれんに書かれている店に入ったときに、「おっ、此処のうどん美味しいじゃないか」と喜んでしまった経験がありますから、あまり大きなことは言えません・・・。
 ま、それはさておき、上述のように美味しいものは島内でなかなかお目にかかれませんから、必然的に自分で作ることになります。ラーメンだけはスープ作り一つとってもものすごく時間と光熱費がかかってしまうので断念していますが、うどんはほんの少しの手間で本格的なものが作れるので時々自分で作って(打って)います。それも讃岐うどんにしたり、山梨のほうとうにしたりとバリエーションを楽しんでいます。もちろん、讃岐うどんと言っても、“釜揚げ”にしたり、“かけ”にしたり、“ぶっかけ”にしたり“釜玉”にしたり“おろし”にしたりと賑やかです。
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 ただ、いつでも手打ちうどんを作れるほど暇ではないので、時には市販の麺を使うことになります。市販の麺と言っても袋入りの茹で麺は、艶・腰・喉越しすべてアウトなので冷凍麺ということになります。ただし、最もポピュラーな“○ト吉”の冷凍麺は、麺の腰を出すために“澱粉”を混ぜているのであまり好きではありません。実は小豆島には良心的な「○おみね」という会社があって、ここの冷凍麺は小麦粉と塩しか使っていない本物の讃岐うどんなのです。しかも、値段は○ト吉とほぼ同じでありながら、1玉の重さは50グラム多く良心的です(○ト吉は200gで○おみねのは250g)し、スーパーで冷凍食品半額の日に買うと1玉数十円です。これはお勧めです。見つけたら買ってみてください。
 そんなこんなで、小豆島ならではのうどんを楽しんでいます。
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 もちろん半生うどんは小豆島の徳山製麺所のが最高です。
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自分のすべきことを

2007年06月21日
 今年から2年間、四国教区の“教区だより”の編集長なのは前にも書きました。一番最初の号となる105号は、先週印刷屋さんに入稿し仕上がってきた模様です。「仕上がってきた模様」と言うのも他人行儀ですが、印刷関係は坂出教会の先生が担当くださっているからなのです。
 また、各教会に配布するように仕分け作業をしなければならないのですが、これも数名の先生方が担当してくださることになっています。
 編集長なので心苦しいばかりなのですが、島から出て行く交通費を考えるとお任せしたほうがいいような気がします。その代わりと言っては何ですが、出来る限りのことはしているつもりです。
 こうして委員の一人ひとりが自分に出来ることを出来る範囲でこなして行って、一冊の機関紙が出来上がっていくと思うと、感慨深いものがあります。誰一人嫌な顔をせずにきちんと自分のすべきことをこなして下さるので、私なんかが編集長でもやっていけるのでしょう。ほんとうに良いスタッフに恵まれたと思っています。
感謝 | コメント(0) | トラックバック(0)

創立60年

2007年06月20日
 今年の7月20日で内海教会は創立60年となります。
 本来なら“記念誌”を発行したり、“記念礼拝”などの“記念行事”を催すべきところですが、教会員数名の現状では記念誌の発行はおろか食事の準備も困難なので、“記念礼拝”のみ執り行うことになりました。
 嬉しいことに香川分区の諸教会の方々が、都合がつくのならぜひ参加したいと仰ってくださっているようなので、思い切って祝日に、しかも、どうせ来ていただくなら(各自オプションで)紅葉狩りのできる季節にと話は進み、結局11月23日(金・祝)に行なうことになりました。
小豆島にはご存知“寒霞渓”がありますから、その日が最適だということになったのです。おまけに、その日はまだ、香川分区や四国教区で予定されている行事が無いようなのです。
 礼拝説教は以前、内海教会で牧師をされていた方をと考えています。オルガニストのいないのがちょっぴり寂しいところです。
 
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虫の季節到来

2007年06月19日
 いよいよ虫の季節到来です。
 大きなクモは家の中を徘徊し始めていますし、ムカデも入ってきています。先ほどは玄関のあたりで埃まみれになった黒い物体がもぞもぞと隙間に逃げ込むのを妻が目撃したところです。そう、古い家なので気密性が低く、虫にしてみれば外から入り易い上に、逃げ込む隙間だってどこにでもあるのです。昨夜、息子は部屋にムカデが出て、畳と畳の間に逃げ込まれたので、寝てる間に咬まれるかもと不安げに言っていました。かく言う私も礼拝堂でムカデを一匹捕まえたばかりです。
 とにかくしばらくの間は虫たちとの格闘の日々が続きます。

 先ほど(夕方)玄関横からトイレのほうに向かって廊下の所々に埃の塊が落ちていました。掃除したばかりですし、昼ごろには無かったものですからピンときました。妻が玄関のあたりで見かけた埃まみれの生き物が廊下を徘徊して所々に埃を落っことして行ったものに違いありません。
 そこで、父として夫として、掃除機片手に埃を片付けながら謎の生物(未確認生物)の探索に向かいました。男子トイレなどは床中徘徊したのが一目で分かるくらい埃が残っており、スリッパにいたっては両方とも中まで入って引き返した様子も見て取れました。「なんだか気持ち悪いな」という思いを強めつつも探索は続くのでした。
 掃除しながらその埃の量に驚きを隠せませんでした。全部あわせると相当な量です。これを体にくっつけて歩き回れる生き物は一体何だろうかと想像すると、ますます気色悪くなってきます。
 その時です。
 「あっ!居た!!!!」
 まだまだ埃をいっぱいつけた生き物が、本棚をどかした途端に、ユッサッサと壁伝いに逃げていくではありませんか。
 「うっ、なんじゃこりゃあーーー」
 こちらを睨みながら、横向きに逃げるその姿は“カニ”ではないですか。そういえば少し前に、玄関前の植え込みあたりでカニを見たことがありましたが、あれが玄関から入ってしまい、道に迷ったのかもしれません。さん板の下とか戸棚の後ろを通っているうちに数十年の埃をその体に蓄え続けながら・・・。とにかく、トイレ横の裏口から逃がしてやって一件落着。
 ・・・かと思いきや、どっちに逃げたのか見てやろうと表に回ると、エッサッサとトイレ前の壁伝いに南下していました。そうです。またまた、玄関わきの植え込みまで移動してきたのです。
 「もう、入ってこないでくれよ。お前も嫌だろう」と話しかけましたが、分かってくれたかな・・・。
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悶々とする

2007年06月18日
 「完璧な人間なんていないんだから、人の評価を気にしすぎて人に左右されたり、失敗を誤魔化そうとかしないことが大切だと思うよ。素直に自分の非を認めたり、謝ったり、反省したりすることを恐れなくていいんだ。むしろ、素直に生きることが一番楽だし、一番自己成長を図れると、そんな風に思えないかな。」
 そんなことを今晩娘に話していたのですが、その時ふと思ったのは“完璧な人間はいない”とはどういうことなのか、いやもっと正確に言うと“完璧な人間”ってそもそも居る居ない以前にどういう人のことなのかなと思ったのでした。自分で喋っておいて、疑問に思うのも無責任な気がしますが、考えれば考えるほど不可解なのです。
 「完璧とか絶対なんて存在し得ない」というような、どこでだれが語ったのか分からないけれども手垢のついた考え方の延長線上で「完璧な人間は居ない」という言葉が口をついて出てきただけのことなのでしょうが、ややこしいのは、そこで“人間”というこれまた分かりにくい言葉と結びついてしまったということかもしれません。気持ち的には“非の打ち所の無い人間”と言うような意味合いでしたが、人によっては受け取り方も違ってくる可能性があります。
 考えてみれば“人間”と言う言葉も厄介なのです。人によってイメージが全然違ってきますし、確かに論じるとき他のものとは微妙に違っていることに気付かされることがあります。
 例えば“けん玉”という木のオモチャがありますね。「けん玉はけん玉らしく」と言った場合、けん玉がけん玉であるために最低限必要な要件を満たしているかどうかが問われているわけです。しかも、それらの要件は“けん玉”を知っている人同士では共通して認識されているはずです。ところが、“人間”の場合「人間は人間らしく」と言われる場合、その形態が問われていることはまず無く、精神論的な部分が問われているのであって、しかも、問う人の思想や信教によって大きく異なるものだということです。そうしてみると“人間”という概念は相対的なものと言うことになり、だれとでも共通理解をもって語り合えない言葉のようです。人間なのに・・・。
 そう考えてみると、人間自体が厄介な存在なのかもしれないなと実感してきました・・・。なんだか悶々とします。
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母の日、父の日、両親の日

2007年06月17日
 今日は6月第3日曜日、“父の日”です。5月第2日曜日の“母の日”に比べて地味な印象があります。父の一人としてはいかんともしがたく残念です。
 “母の日”の成立には諸説ありますが、アンナ・ジャービスの話が最も一般的です。教師のアンナ・ジャービスが、自分の教会学校の熱心な教師であった亡き母親を覚えて、1907年、ウェストバージニア州の教会で行なわれた記念会のおり、白いカーネーションを贈ったことに拠っているようです。その記念会でジャービスの母への想いに感動した人々は母を覚える日の大切さを認識したといわれています。ちなみに聖書に出てくる“十戒”の「汝の父と母を敬え」が基本的な考えの土台になっているようです。“母の日”は1914年にアメリカの祝日となり、5月の第2日曜日と定められました。
 聖書の「汝の父と母を敬え」という箇所が根本にあるのなら、どうして“父母の日”とか“両親の日”としなかったのか謎です。
 さて、“父の日”は1910年にアメリカ・ワシントン州のJ.B.ドット夫人が、男手1つで自分をそだててくれた父を覚えて、父の誕生月6月に“父の日”礼拝をしてほしいと、牧師にお願いしたのがきっかけと言われています。当時すでに教会では“母の日”が始まっていたので“父の日”もあるべきだと考えたようです。アメリカで“父の日”が国民の祝日に制定されたのは1972年でした。
 どちらも起源はアメリカ(の教会)ですが、“母の日”に比べて“父の日”が国民の祝日に制定されるまで随分年数がかかっているのに何か引っかかるものを感じます。父と母に対する思い入れの比重の差の顕れなのでしょうか。しかも、“母の日”に対抗してわざわざ作った日のようでもありますから、なんとも言えません。やっぱり、一番最初に“両親の日”ではなく“母の日”を作った人たちに責任があるような気がしてなりません・・・。
 思い切って6月の“父の日”は無くして、5月の“母の日”を“両親の日”に改めるって訳にはいかないものでしょうかね・・・。

 もし提案しても、その意見は、おそらくアメリカや教会ではなく、デパートや小売店の猛反発を受けてしまうでしょう。いまや起源や思い入れ抜きのビッグビジネスの日になっていますから・・・。
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オリーブ公園ラベンダーフェア

2007年06月16日
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 “オリーブ公園でラベンダーフェアが今日から始まる”と今朝の新聞記事。そういえば昨年の今頃も確かラベンダーフェアをしていたような記憶がかすかにあります。記事によると“ラベンダーが3000本”とのこと。北海道富良野で見たラベンダー畑とは比べ物にならないものだとは思いますが、最近ちっとも家族サービスをした覚えもありませんでしたから、これ幸いと出かけてみました。出かけたといっても、教会から車で5分ほどの距離に過ぎません。ちょっと行ってちょちょちょいのちょいと帰って来るだけです。

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 軽い気持ちで行っただけでしたが、雨後の好天気が幸いしたのでしょう。青空爽やかに晴れ渡り、また木陰に入れば涼しくてマイナスイオンいっぱいという感じで空気が澄んでいました。ラベンダーと海の対比の美しさは小豆島ならではでしょう。
 子供たちも大喜びで走り回っていました。

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 ラベンダーは広い公園内のあちこちにあって、目を楽しませてくれます。また、期間中ラベンダーのポプリを無料でいただけるというので、備え付けのちいさな袋に詰めて持って帰りました。



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機関車トーマス木製レール自主回収

2007年06月15日
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 「トーマスが回収されているらしいわよ」
 電話から義母の声。
 最初は何のことか良く分かりませんでしたが、どうやら機関車トーマスの木製レールシリーズに問題があって、メーカーが自主回収しているというニュースを小耳に挟んだらしいのです。
 次男はトーマスが大好きで、木製レールシリーズも幾つか持っている(確か買っていただいたものもありました)のを覚えていてくださったのです。お陰ですぐに対応出来ました。
 インターネットで調べてみると、塗料に鉛が含まれていたらしく、対象商品の自主回収の指示が製造元の米メーカーから今月12日出されたとのこと。何でも口に入れる年頃の三男がいるので、気付かずにいたら危ないところでした。
 一応、自主回収対象商品は木製レールシリーズの全部ではなく、車両や付属品など計11商品ということでした。もしかすると該当しないかもと若干期待しつつ確認したところ、残念ながら一つだけ該当品がありました。ただし、一番最近に買ったジェームス(上の写真)だけでしたし、噛んだ痕もなかったので一安心です。
 詳しくは以下をご覧下さい。
http://www.sonymusic.co.jp/MoreInfo/Chekila/Thomas/thomas_info/index.html
 しかし、取らぬ狸の皮算用と言うのでしょうか。最近、息子たちもトーマスへの関心が低くなってきたようなので「返品して代金が帰って来たらラッキーだな」とほくそ笑んだのですが、
 “代替品の発送について 代替品は現在制作中です。9月下旬より順次発送予定です。”とありました。
 えーーっ、品物でーっ、しかも9月?それじゃあ、あと3ヶ月も先ですか・・・。今でも随分興味が薄れた様子なのに、多分9月だったら、もうジェームスに興味は無くなっているかもしれません・・・。
 けれども、子供健康が第一ですから良しとしましょう。
 ・・・ちょっぴり複雑ですが・・・。
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遅ればせながらリンク

2007年06月14日
 内海教会のホームページにリンクのページを設けてみました。
 本当はもっと早くリンクページを作らなければならなかったにもかかわらず、後回しにしているうちにこんなに遅くなってしまったのでした。ややこしそうだと思っていたのでついつい後回しにしていたようです。ところが、息子にやり方を教わるとものすごく簡単だったのでいささか拍子抜けしてしまいました。
 そこでやっと、内海教会も載せていただいている全国の教会紹介のHPや、愛媛県中予分区HPとの相互リンクを張り、更に調子に乗って(相互ではありませんが)、いくつかのHPにもリンクしてみました。日本いのちの電話連盟やFEBC(キリスト教ラジオ放送局)などです。
 いのちの電話は主に自殺予防を目的とする電話相談ボランティア団体です。連盟のHPには全国の各センターの相談電話番号や相談時間の一覧表などありますので、必要ならご利用ください。電話代はどうしてもかかってしまいますが、相談料は勿論無料ですし、名乗る必要もありません。プライバシーも完全に守られます。
 FEBCは珍しいキリスト教放送局です。新聞等のラジオ番組欄には記載されていませんが、日本全国で聴くことが出来ます。AMラジオ1566kHzです。日本では宗教関係の放送局の認可が下りないため、韓国で認可を受け韓国から日本に向けて放送しているからのようです。もちろん、本社(?)・スタジオは日本(東京都武蔵野市)にあります。ただし、放送時間は午後9時30分~10時45分と非常に短いです。HPからいろんなお話を聞くことが出来るようにもなっています。これは24時間いつでも聴けます。
 あと、昨日のブログで少し触れましたが、友人の教会(蒲田教会)にもリンクさせていただきました。
 いくつかはこのブログからもリンクしてみましたので、興味がおありでしたらそれぞれのHPを覗いてみてください。
 そうそう、もし、内海教会やこのブログとリンクしたいとお考えの方がいらっしゃいましたらご自由にどうぞ。ただ、メールででも一言お伝えくださると嬉しいです。相互リンクのご相談もよろしく。
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今日も高松に行きました

2007年06月13日
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 今日は病院で診察の日だったので高松まで行って来ました。
 レントゲンと心電図の検査もあったので「時間がかかるだろうな」とある程度覚悟していましたが、以外とあっさり終わったので助かりました。というのも、通院の日は高松市内の施設に入居している内海教会の方を訪問するようにしているので、病院が遅くなると訪問時間がいつもより遅くなってしまうからです。大体いつもは10時過ぎにお伺いさせていただいているのですが、ずれ込んで昼食時になってしまうとやはり迷惑だろうと思うのです。でも、殆どいつもの時間帯に伺うことが出来ましたし、なによりお元気そうな様子で嬉しく思いました。
 最近仕事が多くて疲れ気味なのもあり、帰りに寄ったのは“グレース”というキリスト教書店だけでした。瓦町の天満屋の南にあります。
欲しい本もありましたが、予算を組んでいなかったので、日本基督教団出版局の発行している月刊誌「信徒の友」6月号だけを買って帰りました。
 帰りの船中その「信徒の友」をパラパラ見ていると、見たことのある顔が載っていました。友人のH氏でした。そういえば最近会っていなかったので、その笑顔をとても懐かしく感じました。しかも、最近、教会のホームページに“リンクページ”を追加し始めたこともあって、H氏の教会にもリンクさせていただこうと考えていた矢先でした。早速連絡してみることにします。

 上の写真はフェリーの窓から見える高松港“サンポート”です。
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桑田投手!

2007年06月12日
 “桑田投手がメジャー昇格”とのニュースを昨晩見て驚きました。全盛期もとっくに過ぎているし、140キロ台の球はもう投げられないし、テスト段階で故障とあれば「折角渡米したのにもう無理かな」と、私としては残念に思っていた訳です。それが、突然のメジャー昇格。今朝の新聞でもでかでかと取り上げられていました。
 テレビや新聞で見る限り、初登板と言うこともあって、投球内容的にはそれほどのものではなかったようです。今朝の四国新聞には「ほろにがデビュー」とありました。
 ところが、桑田投手のインタビューをテレビで聞いた時、あの投球内容にもかかわらず、爽やかな笑顔で「嬉しい嬉しい」の連発なのです。それを聞いていて、桑田投手が大好きになりました。すごい男だと思ったのです。
 ご存知のように、彼は甲子園で2度優勝、ジャイアンツでも大活躍でした。途中、疑惑問題とかありましたけれども、それでも成績をきちんと残し続けてきた人です。それが昨年、ジャイアンツでは1勝のみと戦力外扱いだったにも関わらず、戦力外通告はなく、本人自ら退団発表。それは辛過ぎる出来事だったに違いないと思いました。そして同時に、もう桑田投手は引退なんだろうなと思ったものです。ところが難問をクリアし、メジャー目指しての渡米。悪あがきのように感じた人も多かったと思います。そして、故障。
 そんな状況下で訪れた突然のメジャーのマウンド。2失点。カッコイイ内容ではありませんし、往年の桑田投手から考えるとむしろ不恰好でしょう。
 ところが彼は「野球が出来ること、それだけで嬉しい」とでも言うように満面の笑みで「嬉しい嬉しい」の連発なのです。過去の栄光、プライド、周りの評価、それらを全く気にしていない様子に私は心底心を打たれました。
(ロックシンガーの浜田省吾さんが売れる前はこんなだったという文章を思いだしました。
「毎日の日課といえば銭湯の一番風呂に入ることくらい。それ以外することがなかった。食っていくため曲を人に書いたこともあった。山口百恵さんのアルバム用とか。・・・。でも、好きな音楽が出来ること自体が嬉しかった。」
 確かそんな内容でした。最後は「・・・だから辛かった」かと思いきや「嬉しかった」で締めくくられていることに感動したものです。つまり、自分の社会的位置や人の評価より、大切なものがあるという視点に驚いたのです。
 桑田投手にもそんな熱いものを感じました。)
 「まだまだ、道のりは険しいけれど、しっかりな!」
 私は特別野球をそれほど好きではないのですが、そんな気持ちで応援してみようと思いました。そして、私も、周りのものに惑わされることなく、真実に大切にすべきものを大切にする生き方をしたいと思いました。
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ミルトス

2007年06月11日
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 今年もまた庭に“ミルトス”の花が咲きました。
 聖書によく登場する植物の一つのミルトスは、内海教会の庭に何本か生えていて、毎年今頃になると花を咲かせるのです。どうやら、前々任者の牧師夫人が植えられたようで、雑草と砂利だらけの庭にある唯一の憩いの源と言っていいかもしれません。
 旧約聖書のゼカリヤ書、ネヘミヤ書に出てくるミルトスは“神殿の再建”というテーマでつながっています。
 新バビロニア帝国を滅ぼしたペルシャ王キュロスは、紀元前538年にユダヤの捕囚民を解放し、なおかつエルサレムに神殿を再建するようにと命令しました(新バビロニア帝国に没収されていた神殿の調度品や什器などの返還もしてくれました)。ところが帰国したユダヤ人たちを快く思わない近隣の国々の妨害によって神殿の再建はストップしてしまいます。
 そこに登場する預言者ゼカリヤは、補囚中にバビロニアで(祭司の家に)生まれた人で、第一陣のグループと共に帰国した一人でした。紀元前520年のある日、彼は幻を見て神殿再建の時が到来したと悟ります。その幻というのは、赤毛の馬に乗り谷底のミルトスの林の中に立っている主の御使いが、神様がエルサレムに帰られると告げるものでした。
 やがて神殿は完成を迎えます。
 ゼカリヤよりずっと遅れて紀元前445年頃帰国したネヘミヤはユダヤ人総督という立場でした。彼はエルサレムの城壁を修復した後、モーセの律法にしたがって仮庵祭を行ないました。そのときなされたのが、山からオリーブの枝、ミルトスの枝等々を取って来させて屋根を葺き、仮庵を作って7日間の祭りの期間をそこで過ごしたということです。
 そうしてみると、ミルトスはなんとなく高貴な木のような気がしてきます。
 そういえば旧約聖書のエステル記に出てくる王妃エステル(ペルシャ語で“星”または“おとめ”の意)のユダヤ名はハダッサと言いますが、その名はミルトスの木に由来しているといわれています。
 聖書から外れてしまうので全く余談ですが、ミルトスは、愛の女神アシタロテ、アフロデトの聖木と言われ、花嫁の花輪にこの小枝が用いられていたとも言われています。
 実際、そばで見ていると何とも言えない気品と可憐さのある花です。花は2~3週間咲き続けるはずですから、今月一杯は楽しめそうです。よろしければ見物にどうぞ。多分、めったに無い花ですよ~。

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愛せないけど愛されて

2007年06月10日
 キリスト教式の結婚式で読まれる定番とも言うべき聖書の箇所は新約聖書のコリントの信徒への手紙第一13章だと思います。ここは“愛”について書かれていて、特に4~7節は具体的な愛とはどういうものかが述べられています。
 「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。全てを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
 立派なことが書かれているのは良く分かりますが、同時に自分は愛に乏しい者なのだということをも考えさせられます。
 だって、私は忍耐強くないし、情け深いと言い切る自信はありません。また、ねたみもします。自慢したり、高ぶったり、礼を失してしまうこともあります。自分の利益を求めるし、いらだつこともありますし、恨みを抱くこともあります。不義を喜び、真実を喜ばない部分だってあります。さらに、すべてを忍べず、すべてを信じられず、すべてを望まず、すべてに耐えない、そんな存在でしかないと思うのです。
 それが、人間の偽らざる姿ではないかと思うのです。
 しかし、そのような自分であるにもかかわらず、私たちは愛を語り、愛を求めて生きています。・・・考えてみると殆ど絶望的な愛の現実の中を生きているとも言えます。
 もしこの聖書の言葉を自分に当てはめて考えようとすると、絶望するしかないような気がしますが、“愛”を“神様”もしくは“イエス・キリスト”に置き換えて読んでみると、実に自然なのです。
 あなたは「聖書に語られる愛を持っていない」とか、「そのような愛に生きていないと駄目だ」と断罪されているのではなく、「このような愛の現実の中を確かに生きておられる神様にあなたは愛されているのだ」ということを聖書は語っていると信じたいのです。
 だからこそ、私たちは真実愛することが出来るようになる可能性があると思えるのです。
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一瞬の停電や落雷

2007年06月09日
 昨夜はすごい雷雨でした。雷で怖いのは一瞬の停電と落雷です。
 雷といえば15年ほど前の土曜日の夜を思い出します。説教の準備をしていて「さあ、もうすぐ終わり」というその瞬間に“一瞬の停電”そして、雷の音。部屋は一瞬暗くなっただけなのにワープロ画面だけが真っ黒でした。そう、折角書いた原稿が一瞬でパーになったのです。悲しいことに、その出来事の30秒後に60km程離れた西の町の牧師から電話がありました。
 「三野先生。今、ワープロを打たれているのならすぐやめられた方が良いかもしれませんよ。数分前ですが、突然雷が鳴り出したかと思うと、一瞬停電になりましてね。もう少ししたらそちらにも雷が行って、停電になるかもしれないと思いましてね。」
 「それはありがとうございます。」
 ・・・後30秒電話が早ければ・・・。無念。
 結局、最初から原稿の打ち直しでした。しかも、雷を恨めしく聞きつつ、尚且つ小まめにバックアップをとりながら・・・。
 さすがに「高額宝くじに当たるのとほぼ同じ確立」という“落雷”は経験したことはありませんが、屋根のアンテナに落ちると悲惨だそうです。実は大阪にいる姉宅のアンテナに以前落ちたことがあり、その様子を聞いてびっくりしたことがあります。居間でテレビを観ていると、突然テレビがドカンと突然大破!アンテナと直結ですからそうでしょう。おまけに、言うまでもなくテレビは電気製品ですからプラグがコンセントに刺さっています。コンセント経由で電子レンジだの冷蔵庫だといったコンセントにプラグが刺さっている他の電気製品にも高圧電流が流れてことごとくアウトだったとのこと。
 息子にによると、昨夜の雷でパソコンが一台壊れたというクラスメートがいたそうです。落雷も身近なものなのかなとちょっと不安になりました。そういえば宗教改革者ルターも落雷事件(すぐ隣を歩いていた友人が落雷で死亡)をきっかけに修道院入りしたというのも有名です。
 ところで、私。昨夜は15年振りに一瞬の停電で泣きました・・・。
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降水確率

2007年06月08日
 予想外の雨に愚痴をこぼす妻。降水確率が10%だったので、多分大丈夫だろうと思って洗濯物を沢山干していたようです。
 しかし、天気予報で降水確率10%と言っていたのなら、雨が降ってもおかしくないのですが、そんなことが言える空気ではなかったので、「やられたねー」と言って済ませました。
 実は、以前降水確率のことが良く分からなかったので調べたことがあるのです。
 “そもそも降水確率とはどういう意味なのか”と、改めて考えてみると多分こういう意味ではないのかと思いつくことは幾つもあるものの、結局良く分かっていないことに気付かされたからです。ざっと考えてもこんな考え方が浮かんできます。
①その地域全体に対して“降雨面積”のパーセンテージのことなのか
②これ以上の激しい雨はないと思える“雨量”を100としたパーセンテージなのか
③同じ地形、同じ気象条件が100回あるとしてそのうち雨の降る“回数・割合”のことなのか
 大抵、①か②のように考えている人が多いようですが、実は③が正しいのだそうです。言われてみれば、確かに確率予報と言っています。つまり、雨量やどれだけの面積に降るのかなど全く関係なく、降るかどうかの割合なのだそうです。つまり、予報が10%なら“降水確率10%の予報が10回出たとしてそのうち1回は雨が降る”ということなのです。しかも、降水確率の表示は10%刻みということになっているようですから、一桁の数字は四捨五入していることになります。目安になるのかならないのかよく分かりませんが、きちんと自覚を持って対応しなければならないことだけは良く分かりました。
 最終的に自己責任に帰ってくるということのようですが、それならもっと情報の質を周知させるべきではないかと思います。・・・人生の厳しさに比べるとどうということは無いのですが・・・。
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命の木を選ぶ

2007年06月07日
 旧約聖書の創世記でアダムとエバが食べたのは“リンゴ”だと信じている人が以外と多いようです。けれども、聖書の何処にもリンゴとは書かれておらず“善悪の知識の木”の実とあって、一体どんな木の実だったのかさえ分かりません。のちの宗教画の多くがアダムとエバの絵にリンゴを描いていたので、2人が食べたのがあたかもリンゴだったかのように広がってしまったというのが本当のようです。ちなみに、この時アダムがリンゴの芯を喉に詰まらせたという根拠の無い俗説があって、喉仏のことをアダムス・アップルと言われるようになったというのも有名な話です(聖書からずれていますが)。
 ところで、二人の居たエデンの園には、この“善悪の知識の木”の他に“命の木”という木がもう一本ありました。この命の木からも取って食べられないように二人は追放されるという結末です。
 “二人が善悪の知識の木ではなく、命の木から取って食べていたらどうなっていたのでしょうか”
 そういうところから考えてみると、面白いことが分かってきます。二人はその気にさえなれば、どちらの木からでも実を取って食べることが出来たはずです。なのに彼らは“善悪の知識の木”から取って食べたということではないかと思うのです。
 聖書によりますと、「その木はいかにもおいしそうで、目をひきつけ、賢くなるようにそそのかしていた」とあります。魅力的なようです。一方、“命の木”の実については、どのようだったのか一切触れられていません。おそらく、地味で、魅力に乏しく、気にもならない木の実だったのかもしれません。
 そこで、思うのですが、“知識の木”の実は、自分を他人より上に押し上げようという考え方(人を見下そうとする考え方)をさしているような気がします。自分にとってとか、自分さえ良ければという考え方です。自己中心的な考え方です。あくまで自分が中心にいるのです。しかし、それだけに満たされ易く、充実感ややりがいがあったり、栄光が待ち構えているように感じるのかもしれません。しかし、そのような生き方は、独りよがり的で、本当に生き生きと生きられるのか疑問です。
 反対に“命の木”の実というのは、人の存在そのものを受け止めていく事、愛する事ではないかと思うのです。自分自身はもちろんですが、自分に何をしてくれるでもない他人と出会っても、その存在そのものをも受け入れ愛するという事ではないかと思うのです。そういう生き方・考え方の中心に命があります。ただそれは、地味で、苦難の道のりが待っているように感じられるかもしれません。
 多くの場合、人は命の木の実ではなく知識の木の実を選んでしまうものなのかもしれません。命そのものを大切にするところに、生き生きとした本当の幸せがあるような気がするのですが・・。
 昨日、“さぬき四島伝道担当者会”で話合った、島の牧師さんや島の施設で働かれている方々と話をしていて、知識や名誉よりも命そのものを大切にされている姿勢を感じたからでしょうか、こんなことを帰りのフェリーで考えていました。
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死線を越えて

2007年06月06日
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 最近出かけることが多くなってきました。月曜日に続き、今日も会議で島外へお出かけです。島外と言っても、今日行ってきたのは小豆島のお隣の豊島(てしま)でした。“さぬき四島伝道担当者会”があったのです。それは香川分区の島嶼部の教会(小豆島の内海教会、豊島の香川豊島教会、直島の香川直島伝道所、以前は大島の大島霊交会も含まれていました)とキリスト教関係の施設(直島の特養老人ホームナオミ荘、神愛館、みくに成人寮、瞳保育所)の担当者で構成されています。それで小豆島の私も一員なのです。今回の会場は香川豊島教会でした。
 土庄港までバイクで行き、途中、豊島の唐櫃(からと)港、家浦港に泊まる宇野港(岡山)行きフェリーで出発です。香川豊島教会の最寄の港の家浦港まで50分程ですが、高松へ行くより高く(片道570円)、片道750円もします。教会は港から徒歩数分の所です。
 島の伝道の困難さを共有する仲間と言ってもいい関係ですから、しばしの話し合いで勇気付けられます。
 香川豊島教会の集会室テレビの横に“死線を越えて”というビデオを発見!!これは忘れもしない学生時代に東京で観て感動したビデオでした。賀川豊彦先生の著書「死線を越えて」という小説と、武藤富男氏の「評伝賀川豊彦」を元に作られた賀川豊彦先生の半生記の映画です。もう一度観たいと願っていましたが、レンタルショップに並ぶようなビデオではありませんし、買うとなると一本22,000円程するものでしたから、適わぬ願いのまま20年近く経っていたのです。ですから、感激ひとしおでした。
 よく考えてみると、香川豊島教会は(その他の3つの施設もですが)賀川豊彦先生の影響下で出来た教会であり施設でしたから、あって当然なのでした。
 念願のビデオをお借りできただけでなく、帰りにはタマネギを沢山頂いたり、手作りジャムを頂いたりと恐縮しきりでした。
 賀川先生のビデオを20年ぶりに観ながら、田舎の、島の伝道をじっくり考えてみようと思っています。

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年齢詐称みたいなものだったの?

2007年06月05日
 ケータイに迷惑電話がよくかかってくるので、先日思い切って番号を変更してみました。店に行ってみると番号変更手数料が2,100円も要るというのでやっぱりやめようかと思いましたが、「変更します」と言った後だったので取り消しづらく、結局そのまま変更しました。
 変更したまではよいのですが、必要な人たちに新しい番号を知らせないといけないのが手間でした。ケータイのメールアドレスまで変更になりますから、そちらもお知らせしなければなりません。
 ケータイに限らず、便利さと厄介さは隣り合わせなんだとつくづく思いました。
 それから、名刺も作り直さなければなりません。名刺は印刷屋さんで作ったことは殆どなく、最近ではもっぱらパソコンで自作していましたから、余分なストックはありませんし(必要なとき10枚ずつ作成していた)、変更と作成も大した手間ではないのでそれほど負担ではありませんでした。
 ただ、最新だったものは、手間を省くためとは言え、松山に居た時と同じ書式(イラストやレタリング、色使いなど)でしたから、この際全く変更することにしました。「そうだブログのQRコードを載せよう」に始まり、「イラストを変更しよう。どうせなら教会の写真にしよう」「教会の写真はHPの写真を使おう」「それならもう一つ、ブログの写真を載せよう。あ、自分の顔写真か・・。ま、それもいいかな。」ということで、ホームページの教会の写真とブログの自分の写真(本当はゲームセンターで撮ったイラスト風加工のもの)、それにブログのQRコードも載せて、まったく新しいものを作成しました。
 昨日の会議で丸亀教会の伝道師にもお渡ししたところ、即座に
「これはいつの写真ですか」と言われてしまいました。
ドキッ!!!
「ええっと、確か2001年でしたから・・・今年は何年でしたっけ?2007年。ということは6年前ですね。えっ、もうそんなに前なの!」
 自覚のなさに恥ずかしい思いをしました。自分では気持ちは昔のままなのですが、やはり年とともに外見は衰えているはずですよね。それに最近少し太り気味ですし・・・。
 長男に聞くと「ちょっと気にはなっていたけど、あの写真は詐欺みたいなものだね」。
 えーーーっ、それはないんじゃないかな・・・。
 そんなこんなで、名刺の写真もブログの写真もそのうち変更することにします。いや、写真そのものをやめるかもしれません。あれはイラスト風だったから面白いなと思って載せていただけですから。そういえばホームページの「牧師紹介」で私のイラストがあまりにも似ていないと何人もの人に言われたこともありました。
 もう、イラストも写真も嫌だぁーーー。
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タピオカ

2007年06月04日
 今日は「四国だより」の編集会議と香川分区教師学習会のため、坂出まで行って来ました(午前に編集会議、午後学習会)。「教区だより」というのは私の所属する日本基督教団の四国教区が発行する機関紙で、今年から香川分区がその編集担当となりました。それに、何の間違いか私が編集長になってしまっているというおまけつきです。
 今日は6月発行予定号の校正と10月発行予定の次号案についての話し合いをしましたが、上述のように無茶なスケジュールによる密度の濃さで少々頭が疲れました。活動予算節約のために、分区の集まりに併せて編集会議を行なうようにしているので仕方の無いことではありませすが・・・。
 とにかく無事会議を終え、学習会も有意義に過ごし帰途に着くことが出来ました。

 そこで、以前にも書いたように、島を出る機会は大切なので買い物をして帰りました。しかし、今日はさすがに疲れたので(昨日の午後教会の草抜きをしましたし)、寄るのは業務スーパー1軒にし、缶詰や乾麺(そば、中華麺、スパゲティーなど)や乾物などを仕入れるにとどめました(時間がかかりすぎるため、要冷蔵・冷凍のものは買えないのが残念です)。
 今日は“ココナッツミルク”の缶を見つけたので、それも買ってみました。子供たちにデザートを作ってやろうと言う魂胆です。しかし、店内の何処を探しても“タピオカ”が見当たりません。店の人に聞くと「え、かぴおか?何ですか、それ?」と、怪訝そうな顔。
「かぴおかではなくタピオカです。芋の澱粉で出来ていて、丸い粒になっているやつです。デザートなんか作ったりします。」一生懸命説明すると、
「知りませんねぇ。多分そんなもの無いですよ。」と冷たい返事。
仕方ありません。タピオカはどこかで探すことにしましょう・・・。ということで、ココナッツミルクだけ買ってきました。・・・小豆島でタピオカが見つかるかなぁ・・・。
 それにしても、タピオカを知らない食料品店の店員がいらっしゃるということの方がショックでした。
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三位一体

2007年06月03日
 今日は教会暦によると“三位一体主日”です。
 しかし、この祝日は、他の祝日と全く違っています。他の祝日は歴史的な出来事を覚えてまもられるものなのですが、“三位一体主日”は、キリスト教教理の“三位一体”を覚えるなの日です。
 “三位一体”と言うのは“父”“子”“聖霊”という三つの位格をもった神様はひとつであるという、神様の本質に言及する考えです。
 “父”というのはいわゆる神様で、“子”というのはイエス・キリストのことです。それに“聖霊”が加わっているのです。ややこしいのは、キリスト教は唯一神教だということで、三つの神様が存在しているようですが、三つの位格をもった一人の神様であるという考え方なのです。“位格”というのはパーソナリティーの語源にもなっているペルソナ(本来“仮面”と言う意)のことで“人格”と言って良いと思いますが、神様は人ではないので“位格”という表現になっています。
 簡単に言いますと、1+1+1=1ということになりますから、頭で理解することは不可能だと私は割り切っています。この自然界には同様のものが存在しませんから説明できないのです。人の理解を超えていると言えますが、人間に理解できるようでは神様らしくありませんから、それはそれで良いような気がします。
 ちなみに、この三位一体主日を堺にクリスマス前のアドベント(待降節)までの約半年、教会暦は“無斎期(祝祭日の無い期節)”に入ります。“アドベント”以降はご存知のように祝祭日がたくさんありますから“有斎期”と言われます。ただし“無斎期”に全く祝祭日が無いわけではありません(もっとも、かなりマイナーなものばかりですが)。
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週報

2007年06月02日
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 教会では毎週日曜日に“週報”というものを発行しています。
 礼拝の式次第(その日の“教会暦”“讃美歌№”“聖書箇所”等)、諸報告、行事予定、次週礼拝予告(“聖書箇所”“説教題”“讃美歌№”等)を記載しているものです。
 これはただの式次第ではなく、宗教法人として“総会”などの事前予告にも用いられるものですからとても大切なものと言えます。
 教会によって大きさや内容、紙質等に違いがありますが、大体同じようなものです(「大体同じようなもの」と言うと、こだわりのある教会の方に叱られそうです)。
 普通は教会内で印刷されます(昔はガリ刷りで印刷していたようですが、最近ではリソグラフなどの印刷機を使っています)が、印刷屋さんへ外注する教会もあります。内海教会はというと、印刷機も(コピー機も)ありませんからパソコンのプリンターで打ち出しています。
 人数が少なく発行部数も少ないので“表紙”には“自分で撮った写真”を載せるようにしています。それで普通は1色刷りのところをカラー写真が載っているという結構贅沢な作りになっています。ところが、最近ではこれもだんだんネタが尽きてきて、説教準備より頭を悩ませています(半分冗談です)。
 ちなみにケータイのカメラで撮っているので、いつでも良い被写体を見つけると、とりあえず撮るようにしています。
 上の写真は先週の週報表紙に使った写真です。明日の写真はまだ決まっていません・・・。
 最後になってしまいましたが、週報の裏表紙には“先週の説教の要約”を載せています。20~30分話したものを600字程度にまとめる作業は、振り返るという点で勉強になります。
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根拠の無い自信

2007年06月01日
 以前、「俺はジャンケンがめっぽう強いよ!」と言う人と話をしたことがあります。
 確率で考えると勝ち負けの割合はそれぞれ50%の筈ですから“めっぽう強い”なんて眉唾ものだと決めてかかって話をしたものです。しかし、その人の話は以外と面白いものでした。いいえ、すごく面白いものでした。
 「強いと言っても結局勝率は50%の確立ですよね」と私。
 「そう、50%です。その50%に意味があるんです。つまり、勝っても負けてもおかしくないのがジャンケンだということです。」
 「そうですよね・・・。ではどうしてめっぽう強いと言われるのですか。」
 「反対に“ジャンケンに弱い”って言われる方もいますよね。50%なのに。そう、弱いと思い込んでいる人は、勝つと“おかしいなぁ”負けると“やっぱりね”と考えるのに対して、強いと信じてて勝つと“やっぱりな”負けだ場合“あれ、こんなはずじゃあ”とか“チクショウこれは何かの間違いだ次はちゃんと勝ってやる”という具合に全然違うんですよ。50%なのに。つまり、厳密に言うとジャンケンに強いも弱いもないはずなのに、強いと信じている人や弱いと信じている人がいる訳ですよ。だから、そこから一歩進めて考えてみると、強いとか勝てるとか考えた方が楽だし、その方が人生が楽しくなると思ったんです。それで、50%の確立は分かった上で“強い”って自信を持って生きるようにしているだけなんですよ。」
 非常に面白い“考え方”です。つまり“めっぽう強い”と言い切る彼の自信に“根拠は無い”という訳です。その論で言えば、“弱い”と信じきっている人の確信も根拠が無いということが分かります。どちらも根拠が無いのは同じなのに、物事への取り組み方のなんと大きな違いになることか。
 “自信を持って生きるからには根拠がいると考える必要はない”
 この考え方は、素晴らしいと思いました。根拠があるのではなく、自信を持っていたほうが楽だからとは・・・。
 しかし、彼は更に興味深いことを教えてくれました。
 根拠の無い自信を持ってジャンケンしているうちに幾つか学んだというのです。そのうちの二つを教えてくれました。
①「俺は絶対勝つから、君は負けることになるよ」というように、相手を挑発すると、結構な割合で“パー”が出てくると言うのです。どうしてだかわかりませんが、頭にくると人は“パー”を出し易いのかもしれないそうです。
②「“あいこ”に持ち込むとほぼ100%勝てる」のだそうです。“相手に負けたくない”という深層心理が働くからでしょうか、“あいこ”の次に出て来るのは大抵“あいこ”の手に“勝てるもの”が出てくるのだそうです。そこで、こちらは“あいこ”の手に“負けるもの”を出せば勝てるというのです。つまり、例えば“パー”の“あいこ”だとすると、次の手は“チョキ”が出てくる割合が高いので、“パー”に負ける“グー”を出せばよいのだそうです。
 根拠の無い自信で楽しく生きて、根拠まで掴んでしまったのかと驚きを隠せませんでした。
 彼は人生の達人の一人ですね。根拠の無い自信、だれの人生にも生かせそうです。
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