十字架は難行苦行?

2007/07/31 Tue 14:27

 日本には精神修養に類する宗教や精神修養を必要とする宗教がいくつもあります。ですから、聖書でイエス・キリストが「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい(マルコ福音書8章34節)」などと言われているのを読むと、キリストの苦難の道のりと重ねて、“キリストに従って難行苦行を積んでいかなければない”、“それによって自分も救われる”そんな錯覚を覚えてしまう人もいるのではないでしょうか。
 しかし、私たちがどれだけの難行苦行を積んだところで、私たちに自分を救う力はありません。罪を贖う力などないのです。
 しかも、そんなことをする前に、既にイエス・キリストが私たちの罪を負って下さっていると聖書は告げています。
 ですから、私たちに負いなさいといわれている十字架は自分のための十字架ではないということが分かります。それはあえて言えばキリストに従うための十字架です。
 私は意識しなくても、自然とそうなるのが信仰だと思っています。神様を信じて受け入れるなら、無意識のうちにへりくだった姿勢で隣人と接するようになるからです。
 もちろん、完全とは言いません。人間ですから抜けてしまうことも失敗することもあります。神様のように愛をもっていつも誰とでも接することが出来るわけではありません。だからこそ、こういう言葉をイエス・キリストは語られているのかもしれません。
 自分が救われるためにあくせくするのではなく、また、その必要も無い私たちだからこそ、キリストがそうであったように、隣人のために隣人と共に十字架を負ってみよう、そんな呼びかけのような気がします。
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 考えてみると最近あまり休養という休養を取った覚えがありません。一応どこの教会でも、月曜日は牧師のお休みの日ということになっていますし、内海教会でもそのような理解をしているのに休んでないというのは、結局、私が勝手にごそごそと月曜日も何か仕事をしてしまっているということで、自分のしてきた行動のつけが回ってきただけのようです。
 それでも、先週の疲れもありますので、必要最低限のことだけして、今日は体を休めようと決心してみました。しかし、休むといっても、動き回る習慣が身に付いてしまっているのか、じっとしているとかえってイライラして疲れてきます。新聞も今日は選挙の影響でページ数が少ない上に、折込チラシの一枚も入っていなかったので、すぐに時間を持て余してしまいました。
 そこで、仕方なく選挙がらみのテレビを色々と観てみることにしてみました。“自民大敗”“民主躍進”という選挙結果でしたから、結構熱い言葉が飛び交う興味深いものが多くあり、暇つぶしには丁度良いタイミングだったようです。しかし、テレビも普段観慣れないためか、少ししたら疲れてしまう有り様・・・。
 ところで、今回の“疲れ”と“選挙結果”について考えてみると、どちらも“自分の言葉と行動に責任を持つ大切さ”というものを感じてしまいました。
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悲喜交々

2007/07/29 Sun 17:38

 今日はとても悲しいことと嬉しいことがありました。

 悲しいことはある方が先週末お亡くなりになられたことを知ったことです。まだまだ働ける年代の方でしたから、遺族の方々の悲しみを思うととても切なくなりました。神様の慰めを心より祈ります。

 反対に嬉しかったことは、以前ブログのコメントに「そのうち教会に行ってみます」と書き込んでくださった“環”さんが礼拝に来られたことです。
 環さんのことを最初は島外の人だとばかり思い込んでいたので、「教会に行ってみたい」とのコメントに、「きっとどこの教会でも歓迎してくれるはずですよ」と答えていました。ところが小豆島の人で、しかも、教会からそんなに遠くないところの方でした。そんなわけで当初はまさか内海教会に来られるとは思っていませんでしたから、とても嬉しい出来事でした。
 しかし、若い人が来られたので年配の教会員さんたちはよっぽど嬉しすぎたのでしょう。「名前はなんていうの?」「どこに住んどるの?」「初めての礼拝どうやった?」etc.etc.ニコニコ笑顔で質問攻めしまくっていました。ごめんなさいね・・・。
 しかも、すぐに亡くなられた方の弔問にみんなで出かけてしまったので、あまりお構いできませんでした。
 「良かったら、また来てくださいね。いや、良かったら来週もぜひ来てくださいね。いや、良かったら続けて来てくださいね」
 
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炎天下のガス欠

2007/07/28 Sat 23:31

 昨日、ブログを書く間がなく、連続更新3ヶ月目前でストップしてしまいました。ちょっと残念です。
 仕事とプライベートが重なって、この三日間四国中を走り回っていたのでした。もちろんバイクです。三日間で800km程走った勘定になります。「まだまだ若いでしょう」と言いたいところですが、さすがに少々疲れました。やはり寄る年波には勝てません。
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 ところで、昨日、高速でガス欠に・・・。結構恥ずかしいものですねぇ・・。ガソリンが残り少ないのは分かっていましたが、先を急いでいたのもあり、「インターチェンジを降りてすぐ給油すればいいか」と考えていたのですが、“インター出口まであと500m”看板を過ぎたところでエンジンストップ・・。あと少しなので、せめて押して出ようとも考えましたが、路側帯があまりにも狭いところだったので躊躇し、とりあえずJAFのロードサービスに電話しました。最近はバイクの面倒も見てくれるようになっているのです。
 恥ずかしさを抑えつつ、「押して出ましょうか・・」と言うと、「とても危険なのでやめてください」との返事。しかし、悲しいかな、インター出口手前500mの所で止まっている訳ですから、救援車はそのインターから入っても私と合流できません。それで、一つ前のインターから高速に入ってこられるとのこと。せめてインターを通り過ぎたところだったら現場到着はあっという間なのに、手前だったための悲劇です。本当に申し訳なく思いました。
 「30分~40分で到着出来る予定です。」「・・・・。ですよね。(うっ)」
 「できるだけ路側帯の外側に避難しておいてください。」「路側帯は幅1mちょっとしかありません・・・。(ううっ)」
 「安全のために、ガードレールより外に出られるようなら出ておいてください。」「・・・。残念ながらそういうスペースが無いようです。(うううっ)」
 「・・・くれぐれも気をつけてください。」「・・・はい・・・。」
 安全もですが、とにかく熱さが尋常ではありませんでした。特に昨日は暑かったようです。私のバイクの温度表示によると、40度を超えていました。おまけに、陰はまったく無い炎天下・・・。あるのはバイク陰のみです。それでバイクのわきに座ってみましたが全然意味なし。陰で涼むには寝そべるしかないようでしたが、そんなことしたらまるで事故現場でしょうからできません・・・(もっとも、寝そべると路面の熱さが直撃でしょう)。
 JAFの隊員は35分で到着されましたが、その35分の長かったこと・・・。
 暑さと恥ずかしさと、約束の時間に間に合うかどうかの不安感で、どっと疲れが出てしまいました。
 「きっと痩せてるに違いない」あくまで思考はプラスに傾く私でした。
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内から外から

2007/07/26 Thu 05:22

 私の両親は私たち姉弟が教会に行くことを快く思っていませんでしたから、教会に行くのも“ちょっとしんどい思い”をして行っていました。ですから自然と教会を外から眺めながらの生活だったと思います。もっと厳密に言うと、シビアに教会を外側から見ていたように思います。
 そうかと思うと、大人なると牧師になってしまいましたから、必然的に教会の中から教会を見る生活に変わりました。教会に来られている方々の心情や信仰に対する熱い思いをはじめ、教会の組織運営という面も切実に感じながらの歩みでした。私はよく「牧師さんらしくない」と言われます。私自身も自分のことをそもそも牧師には向いていない人間なのだと思います。そんな私ですから、必死で走っているような毎日でありつつ、少しクールでした。
 そんな風に11年間牧師をした後、それまで関わってきていた精神障害者の小規模作業所を支えるために一時教会から離れ、普通の社会人をしました。もちろん、アルバイトも複数こなさなければならないとても不安定な社会人でした。この時の立場は“フリーター”と言った方が正確かもしれません。とにかく少年・青年期と違い、大人として、家族を支えるために働く者として、また違った視点から教会を外側から眺める機会となりました。そして、数年前から牧師に復帰。
 教会を外から、内から、また外から、内からと立場を変えて眺めることになった訳です。
 そういう経験から感じることは、ほとんどの教会は口では「すべての人に開かれています」と言うけれど、本当はどこまでそのための努力をしているのか、本当に開かれているのか疑問だということと、世間は教会やキリスト教のことを殆ど意識しないで生活しているということでした。溝があり、歩み寄る気配もあまり無いということです。
 だから、何をどうすればいいのかという結論まで考えは及びませんが、このブログを書き始めたのもそういう所から始めてしまったのかもしれません。かといってブログで伝道しようとか教会に人を増やそうという魂胆も下心もありません。読んで下さった人にとって、“教会の敷居が少しでも低くなるきっかけにでもなってくれればいいな”くらいしか考えていません。
 図書館などは、利用している人が少なくても、そこに住むすべての人の図書館であるように、教会も通っている人が少なくても、この町に住んでいるすべての人の教会だと思っています。必要なとき、思い出して、気軽に使っていただければと、そんなことを思います。
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 プログの“テンプレート”、特に“共有テンプレート”が豊富な“FC2”を利用させていただいて、私もブログを書かせていただいています。
 季節的なもの、或いは気分によってテンプレートを変えたくなるときがありますが、残念なことに気に入った共有テンプレートがあっても使えないことがよくあります。
 「アダルト・宗教・違法サイト×」という但し書きが結構あるのです。アダルト関係、宗教関係、違法関係のサイトでの利用はお断りとううもので、私も一応「三野牧師のブログ」と銘打っているので、どう考えても宗教関係なので、使いたくても使えないのです。

 ちなみにこの「三野牧師のブログ」って直接的過ぎている上に、自分で自分のことを「三野牧師」って公言しているみたいで変な気がするのですが、最初ブログを立ち上げるとき、全部息子に任せていたら勝手にタイトルが「三野牧師のブログ」になっていたのです。「変じゃないのか?」と言っても「大丈夫、大丈夫」と取り合ってくれないので、しぶしぶ何日か書いていましたが、やっぱり変だからやめようとあるとき思ったのですが、もう「お気に入り」に登録された方もおられるかもしれないし、検索エンジンで検索したとき困る方もおられるかと思うと、今更変更するほうが混乱を招くかなと不安になり、結局そのままになっているのでした。

 しかし、どうして宗教関係と言うだけで使わせてもらえないのかと悲しくなります。しかも、アダルトや違法サイトとひとくくりにされているのです。作成者の意思なので仕方ありませんが・・。
 宗教と言うと怪しげに感じてしまう世相の影響というところでしょうか。伝統的で敬虔な宗教もあるのですけどね・・・。
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夏休み

2007/07/24 Tue 17:32

 子供の頃、夏休みは大好きでしたが、大人になってみると、特に子供が4人もいる身となると、結構うんざりする期間になっています。
 日ごろ、学校や幼稚園に行っていて、家に居ない子供たちが学校や幼稚園に行かない訳ですから、言うまでもなく毎日朝から晩まで家族全員(6人)が揃っているのです。
 しかも、私は牧師ですから教会に住んで教会で仕事している訳ですから、父である私もそもそも家に居るのです。
 夏休みはお弁当を用意したりする手間はいらなくなるものの、日ごろ夫婦二人と1歳の三男だけの昼食など簡単に済ませられたのに、食事も三度三度6人分用意しなければならず妻も大変そうです。
 さらに、宿題をグスグズしている様を見るとイライラしてしまったりします。私が子供の頃は7月中に夏休みの宿題は殆ど済ませて(自由研究などの時間のかかるものは別ですが)余裕綽々で夏休みを過ごしていただけに、そのギャップでイライラしてしまうのでしょうか。
 長女が小学校3年生頃の夏休みの宿題に書いていた“俳句”は「夏休み 宿題しなくて へのかっぱ」だったことから、私のイライラ感はご理解いただけるのではないかと思います。(小豆島に来る前は俳句の町松山市でしたから、俳句の宿題がいつも出ていたのです。)
 子供たちを遊びに連れ出したり、なにがしかのお楽しみ行事を企画したりする必要もあります。「親はしんどいなあ」と思いつつ、「そういえば自分が子供の頃は殆どほったらかしで、あんまり構ってもらった記憶がない」ことに気付きました。
 私の父は船員のため家に殆ど居ませんでしたし、母も勤めに出ていましたから、夏休みはいつもきょうだいで過ごしていました。楽しみといえば友達と学校のプールに行ったり、川に行ったりするのが関の山でした。
 時代の違いか何か知りませんが、今の子供たちは恵まれ過ぎていると思います。しかし、「もっと自分たちで何もかも努力しろ」と言ったところで、のれんに腕押しです。ここはのんびり構えてやり過ごすしかないようですが、「早く新学期が始まらないかな」と気持ちは既に9月に飛んでいる有り様です。
 父にも母にも夏休みをくれーー。
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悪魔のゲーム

2007/07/23 Mon 09:48

 讃美歌練習というと5月の連休にあった四国教区青年大会を思い出します。
 就寝までの夜の自由時間、讃美歌・ゴスペルの練習を何時間も続ける(結構な数の)青年たちがいました。歌っている青年たちにすれば、それはそれで有意義な楽しみだったと思います。
 しかし、その反面、せっかく普段会えない他分区の青年たちと一同に会しているなのに、ひざを突き合わせて話し合ったり交流を深めたりすることが損なわれているなと思ってしまいました。
 私にとってという考え方なのでしょうが、私なら出来るだけ沢山の人たちと話をしたいと思うので、歌っている青年たちと話が出来ないのを残念に思いました。
 若い日の出会いと語らいは、世界観を広めたり、自己を深く知ることにつながったりします。
 そういえば昔、フィンランドから来られた宣教師が、「トランプは駄目です。トランプは悪魔のゲームですから。」と言っていたのを思い出しました。教会学校や青年会の夏のキャンプなどの準備会などで「トランプは持参して良いか」と誰かが言い出すと、烈火の如く形相で、静かに低い声で「トランプは駄目です。トランプは悪魔のゲームですから。」と決まって言われるのでした。
 「どうしてトランプが悪魔のゲームなのですか?」と聞くと、
 「トランプをしている時、人は話しません。会話があっても、それは人生を深めるものではないはずです。すべての時間は貴重なのです。せっかく大勢の兄弟姉妹と語り合い、信仰的にも刺激を受けられるはずの機会をあの小さなトランプ一つが奪うのです。だからトランプは悪魔のゲームなのです。」
 当時の私は「そこまで極端に目くじら立てることはあるまいに」と思っていましたが、今まで色んな集まりで沢山の人たちと語り合って、養われてきた実感を味わってきた身にとって、その言葉を改めて考えてみると言い得て妙である気がしてきました。悪魔(サタン)とは“阻む者”という意味ですしね。
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讃美歌練習

2007/07/22 Sun 21:28

 昔の神学校(私の行っていた神学校)は“音楽”も必修科目だったらしく、年配の牧師さんは皆オルガンが弾けるということでした。

 私は自慢ではありませんが、音楽だけは本格的に苦手で、オタマジャクシの法則も殆どチンプンカンプンですし、初見の讃美歌を歌うなんてとても無理な話です。ましてや楽器演奏など逆立ちしても出来ませんから、本当に昔でなくて良かったと思いました。
 言うまでもなく、絶対音感などありませんから、讃美歌はひたすら耳で覚えました。ですから、いまだに歌えない讃美歌が結構あります・・。

 ところが、歌を歌うのはとても好きで、特に音の響きの良い教会で歌う讃美歌はとても気持ち良いものです。
 そこで、最近妻と二人で礼拝堂で讃美歌練習を単純に楽しみとして始めました。伴奏はヒムプレーヤー(讃美歌自動演奏機)があるので負担感ゼロです。教会に住んでいるメリットといえばメリットなのかもしれません。

 ちなみに、私はカラオケも大好きなのですが、腹筋と歌唱力はすべて讃美歌(礼拝)で鍛えました。何十年も毎週毎週歌っていたら少しは上達するということでしょうか。
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出会い

2007/07/21 Sat 20:36

 今日、高松の街で、ひょんなことから一人の神学生(牧師の卵)と出会いました(今日は会議のために高松へ行っていて、その帰り)。バイトをしながら苦学されているとの話を聞くと、自分の神学生時代と重なって、すごく親しみを感じて話し込んでしまったのでした。
 「君も神様を信じて飄々と生きて欲しいな」と言って別れました。
 しばしの時間でしたが、思いがけず楽しいひと時を過ごすことができて“人との出会いはやっぱり心底楽しいな”と感じたものです。

 私は親から勘当同然で神学校に行きましたし、入学金その他で蓄えもなくなり、まさにゼロからのスタートでした。厳密に言うと、初年度納入金のうち、後期授業料分が足りず、その分の納入を学校側に待ってもらっていましたから、本当はマイナスからのスタートでした。
 すぐにバイトがあるわけありませんから、たちまち食うや食わずの生活に・・。ほどなくして、色んな人の支えや奨学金で何とかやっていけるようになったのは奇跡みたいなものでした。
 本当に色んな人との出会いがあって自分は支えられてきたなあとしみじみ思います。

 そうそう、出会いといえば、入学早々寮の私の部屋を覗きに来た男がいました。もちろん、一応ノックして入って来ましたが、彼は部屋に入るなりかがみこんだかと思うと、ジロジロと私の顔と服装や部屋の様子を眺め回し、おもむろに「お前か。今年入ってきた“凄げー貧しい学生”って言われてる奴は。言うとくけどな、俺の方が貧しいぞ。」
 「なんのこっちゃ」と思いましたが、彼も仕送りゼロでバイトしながら神学生している男で、その後、意気投合して大親友に。(以前、誕生日に聖書を贈ってくれた親友の話を書いたことがありますが、あのN牧師でした。)
 
 人生色んな人との出会いがどこにあるかわかりませんし、その出会こそが大きな財産になることもあります。今日出会った神学生も、これから沢山の出会いを経験するのだろうなと思いつつ帰途に着きました。
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がっかり・・・

2007/07/20 Fri 20:01

 がっかりしています。
 落ち込みそうです。
 悲しみと怒りが同居しているみたいで気分が悪いです。
 青年の夏のキャンプの計画が泡と消えたのです。

 今年から香川分区の青年委員会の担当になったものの、分区としての青年活動は全く無い状態でしたから、方向性を探り始めるところからのスタートでした。

 青年たちにアンケートをとってみると、見事にバラバラな意見。

 主体は青年ですから、それを尊重しつつ個々人の意見や各個教会の青年会単位の意見もくみ上げながら方向性や活動方針を模索していく必要があります。もちろん、青年会の無い教会もありますし、同じ教会の青年会に属していても青年それぞれに違う意見があります。

 アンケート結果も踏まえつつ、今後どのように動けばいいのか本当に思案に暮れました。

 そこでひらめいたのが、暫定的に担当教職(私とか)が行事を主催させていただいて、それと並行して、今後の青年主導による活動方針を模索しつていくと言うものでした。

 この考えは7月10日の香川分区宣教協議会で認められたので、まず手始めに夏のキャンプの計画を着々と準備を進めて来たのでした。8月末の予定にしても、告知するには遅すぎるくらいですから焦りながらの準備でした。

 手前味噌ですが、一応、なかなか良いプランが出来上がりつつありました。

 ところが、今日になってその計画が全く白紙に戻ってしまうという事態になったのです・・・。

 まったくもってがっかりです。こんなに感情が揺さぶられたのは久しぶりでした。

 血圧も高くなって気分がすぐれないので、今日はもう寝ます。
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 「ホームページとかブログをされるとお金がかかるでしょう?」と問われることがあります。
 確かに“内海教会のウェブサイト”と“三野牧師のブログ”を開設していますが、これはそれぞれ無料(広告も無いのに)のところでしているので、経済的に負担は殆どありません。プロバイダ料がかかるだけで、普通にインターネットをしているのと(ほぼ)同じです。
 ただ気になってきているのは、内海教会のウェブサイトの“掲示板”の事です。時々書き込んでいただけるものの、殆ど開店休業状態となっていますし、実を言うと、あの“掲示板”だけは有料なのです。月80円と低額ですが、一年間で千円ほどかかってしまいます。
 無くても問題なさそうだし、かといって無くしてしまうのも惜しいし、考えているとやっぱり必要みたいだしと悩んでいます。
 ブログの方に掲示板はありませんが“コメント”に書き込めるようになっているので問題ないようです。
 もし、よろしければ、内海教会の方の掲示板も気軽に使っていただけると嬉しいのですが・・・。
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雑草に負けてられない

2007/07/18 Wed 20:25

 「確か『大まかに草抜きしたので後は灯油バーナーで残りの草を焼き払うのみ』とかなんとか言っていたのにまだバーナーを使ったとは聞いてないな」とお思いの方、鋭いです。実はまだ、バーナーを使ってはいないのです・・・。
 あれだけしんどい思いをしてやっとこさ草抜きしたというのに、雨が続いたのと仕事が立て込んでいたのとで、バーナーの登場を待たずして雑草たちが成長してしまったのでした。雨の日はもちろん無理ですし、草がまだ濡れていてもバーナーは役に立ちませんから、天気が良く草も濡れてない日を狙う必要があるにも関わらず、どういうわけかそういう絶好の日に限って忙しかったりするのでした。
 気が気ではないこちらの心情を逆撫でるかのように、恵みの雨の中、雑草たちはすくすくと成長し続けていくのでした。
 「この雑草のように踏まれても蹴られても成長していく逞しさを持て」とか、雑草をモチーフにした根性論がありますが、あれはおかしいナンセンスだと思いました。雑草より、生えても生えても“黙々と雑草を抜き続けること”の方がはるかに根性が要ります。
 とにかくこのままではいけないので、昨日今日と草抜きを再開しました。「雑草ごときに負けてはいけないのだ」と自分を奮い立たせて始めましたが、今回から妻が一緒に手伝ってくれているので気持ち的に楽になりました。下の子たちに手がかからなくなりつつあるということのようですね。一緒と言っても、特別話をしながらではありませんが、一人じゃないというだけで楽なものなんだと実感しています。
 根性って一人でいるより二人の方がパワーアップするということでしょうか。
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10000アクセス突破!

2007/07/17 Tue 14:45

 いつの間にか(昨日の7月16日に)このブログのアクセス数が1万回を超えていてびっくりしました。
 まさか一年も経たないうちに大台のに乗るなどとは、ブログを書き始めた頃には全く思いもしないことでした。
 これも皆さまの応援の賜物と心から感謝申し上げます。
 流れ的には「これを機にますますがんばります」と言うべきなのかもしれませんが、多分今まで通りマイペースでしか出来ないと思います・・・。

 一昨日の段階でカウンターは9900代だったので「今週中くらいかな」程度に思っていました。そして、昨日は朝から夜まで所用で出掛けていたためカウンターが1万を超えたと知ったのは、BEARさんからのメールのお陰でした。ありがとうございました。ちょっと恥ずかしいですね。

 ところで、ブログを書き始めたのは昨年の9月17日でしたが、最初はカウンターを設置していませんでした。小心者の私としては「せっかく書いても殆ど読まれないだろう」とネガティブ思考だったため、数字を突きつけられるのを避けていたのでしょう。しかし、しばらくすると「いくらなんでもどれくらいの人が見てくださっているのかな・・」という誘惑に負けてカウンターを設置してしまったのでした。
 カウンターの設置は一ヶ月以上後の10月27日のことでした。
 
 皆さんこれからもよろしくお願いします。
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信仰

2007/07/16 Mon 09:00

 <7月8日「身近な神様」へのコメントへのコメント>

 新約聖書はギリシャ語で書かれていて、“信仰”と訳されているのは“ピスティス”という言葉ですが、これはそもそも“真実”という意味の言葉です。
 真実の在り方こそ信仰だということなのでしょう。
 では「真実とは何か」、「真実の在り方とはどういうことか」となるわけですが、「真実=神様の在り方」と言えます。「では私たち人間に神様の在り方を会得することが出来るのか」、「そんなことが出来るのか」という事になります。
 しかし、神様の本質的に最も重要であり、神様の在り方の真髄とも言える姿勢は“悔い改め”と日本語に訳されている“メタノイア”の姿勢です。これは「痛みや苦しみの在る所に視座を降ろし、低くへりくだる姿勢」のことです。
 確かにイエス・キリストの第一声は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。(マルコ福音書1章15節)」でした。
信じてから悔い改めるのではなく、悔い改めて(低くへりくだることで)福音を信じられるようになる、つまり信仰を持つようになるということが語られています。
 いわゆる“信仰・信心”と、キリスト教で言う“信仰(ピスティス)”とは、少しニュアンスが違うようです。
 聖書で言う“永遠の命”に置き換えてもいいのかもしれません。
「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。(ヨハネ福音書17章3節)」

 キリスト教の信仰というのはいつまでたっても悔い改め(メタノイア)しきれない自己であることを認識し悔い改めつつ、 低く身をかがめて行かれるイエス・キリストの後ろを付いていくことであろうと思います。加藤常昭師の説教集「主イエスの背を見つめて」にあるように、主イエスに従って行くとは主イエスの背を見つめながら歩むと言うことであり、その主イエスの背とは鞭打たれ傷ついた背であり、私たちの罪を贖うために重い十字架を背負われた背中であるのです。
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昨夜の台風対策

2007/07/15 Sun 20:24

 昨夜は夜通し、しかも一時間毎に川の水位を確認していました。そう言うと驚かれますが、本当に教会は窪地になっているので、川が氾濫するともう完全にアウトなのです。
 私が内海に赴任してきたのは昨年ですから、床上浸水はその前々年になります。丁度3年前、床上50cm浸水したらしく、畳も床も大変なことになったそうです。また、1976年には2メートル近くだったという記録があります。昨晩の台風の接近は大潮とブッキングするというとてつもなく危険な状態だったのに浸水しなかったのは、ひとえに台風通過のコースが最悪ではなかったからのようです。
 昨夜は相当覚悟していましたから、何事も無く日曜日の朝を迎えられて本当にほっとしました。やれやれです。
 下の写真は、教会から表に出て東へ少しいったところにある電柱です。1976年の水害の水位が記されています。
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 ここまで水没していたと思うと空恐ろしくなってきます。
 ちなみに教会と牧師館は平屋なので避難する二階も無いため、浸水に備えてはかない抵抗ですが、床付近のものを少しだけ上部に避難させました。本棚の本も下段だけ上に移しました。ほんのささやかな抵抗に過ぎないものの、家中そうするのって結構大変でした。
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 もちろん、車とバイクも少し高い場所に住んでおられる教会員さんのとろこに置かせていただきました。
 しかし、台風はこれからが本番です。気合を入れていきます。
 そうそう、緊急用のラジオと懐中電灯を買っておくのを忘れていました。以前持っていたものは壊れてしまったので、この前捨ててしまったのです。
 もっとも、教会ですから、ロウソクだけは沢山ストックがあるので安心です(クリスマス用ですが・・)。
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台風4号接近

2007/07/14 Sat 14:00

 台風4号接近。
 水不足解消どころか、水害があちこちで起き始めています。
 小豆島もかつて何度も水害を経験し、多くの死者を出しています。
 集落の殆どは立地的に海のそばですから、満潮時と重なると床上浸水の心配が浮上してきます。床上浸水は数年前にもあり、内海教会の礼拝堂の壁にも浸水の痕が残っています。水面の動向に神経を尖らせていつでも対処できるようにしていないと、家財道具や車などの大きな被害を未然に防ぐことは出来ません。だから今晩あたり気が気ではないでしょうね。
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 ところで、海のそばと言っても、教会のある旧内海(うちのみ)町あたりの海は内海湾(うちのみわん)ですから波は比較的穏やかなのです。小豆島を“左を向いた牛”に見立ててみると後ろ足に囲まれたお腹のあたりで、内海(うちうみ)になっているのです。
 それで、台風が接近してくると、瀬戸内のこの界隈を航行していた船が避難してきます。それほど波が穏やかということでしょう。もちろん、町は船から停泊料をちゃっかり取って儲けているみたいです。夜になると湾内に停泊している船の明かりがとても綺麗だそうですが、わざわざ観に行ったことはありません。
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13日の金曜日

2007/07/13 Fri 09:25

 ふとカレンダーを見てみると今日は“13日の金曜日”でした。
 “13日の金曜日”と言うと“イエス・キリストが十字架で殺されたのが13日の金曜日なので、キリスト教徒は忌むべき日だと考えている”と信じられているようですが、それは全くの俗説で間違っています。ですから信じなくていいものです。
 聖書によるとイエス・キリストが十字架刑に掛けられた“受難日”は金曜日だと分かりますが、その日付は記されていません。共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ福音書)によると15日のようですし、ヨハネによる福音書によると14日のようだと言われています。しかし、聖書学的にはその日は確定されていないのです。
 また、どういうわけか“13日の金曜日”を不吉とするのは、英語圏とドイツ、フランスなどに限られているようです。ただ不思議なことに、フランスでは“13日の金曜日”が不吉であるにもかかわらず、“幸運な日”という理解が併存しているらしく、宝くじの売り上げが急上昇するとのこと。
 “13日の金曜日”が不吉だとされる理由は諸説ありますが、13を不吉な数とするものと、金曜日を不吉とするものが独立して生じ、それが合わさったとする説が有力です。それで“13日の金曜日”が不吉だと考えるようになった訳ですが、それは19世紀になってからだと言われています。
 イエス・キリストが十字架に掛けられる前日の“最後の晩餐”に12弟子とキリストの合わせて13人がいたことから、13が不吉な数とされてしまい、キリストの処刑されたのが金曜日だというので“13日の金曜日”が不吉だとされるようになったということです。
 はっきり言って俗説・迷信ですね。
 しかし、迷信なのは重々承知しているのに「13日の金曜日は不吉なんだよね」と悲しげに言う牧師がいました。どういう訳かその牧師、必ずと言って良いほど“13日の金曜日”に決まって怪我をしたり不幸なことが降りかかってくるのだそうです。偶然でしょうが、そのY牧師が「13日の金曜日が不吉と言うのは迷信ですから」と説明したとしても、説得力ゼロでしょうね・・・。
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自分の居場所

2007/07/12 Thu 16:27

 居場所は誰にとっても大切なものであり必要なものです。
 けれども、自分が居るからということで、即そこが自分の居場所と言うことではないと思います。むしろ、そこにしか居れないにも関わらず、居心地が悪く、そこは自分の居場所ではないとしか思えない場合もあります。
 どうにかして自分の居る場所を自分の居場所にしなければと悪戦苦闘している人もいます。
 そうかと思うと、何の努力もなしに自分の居る場所に満足し、居場所だと思っている人もいます。その人に何がしかの力や求心力があったりと、その人が中心であるから居心地が良いと感じている場合も含まれていますが。
 力も求心力も無く、誇るものも頼りになるものも何も無い人が“ここは自分の居場所だ”と思える所はどういう所だろうかと思います。本当の居場所とはどういう所だろうかと思うのです。
 単純に考えて、人として自分の居場所だと安心感を持って受け入れられるのはどういう所なのだろうかと考えてみると、それはやはり“自他共に自分が居て良い場所と認知されている場所”であり、“自分が居ないと心配してもらえる場所”なのではないかと思います。
 「教会はすべての人に開かれています」とはよく聞く言葉です。はたして、教会がすべての人にとって(初めて来られた方や冷やかしで来られた方に対しても)“自分の居場所だ”と安心感をもって受け止められる場所になっているかどうか吟味しなければならないような気がします。
 
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少子化

2007/07/11 Wed 16:48

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 出産率の率の低下から日本の人口が減り続けているのことは知っていましたが、今日の新聞によると1200年後に日本人は絶滅してしまう試算となっているらしいのです。国立社会保障・人口問題研究所の最新の推計によると、現在の少子化の傾向が続くならば、西暦2190年の日本の人口は1000万人を割り、西暦2800年では約300人、西暦3200年には1人になるのだそうです。計算上のこととは言え、このまま少子化が続けばそうなるしかないはずですから、そうならないようにするには、少子化を食い止める手立てを構築するか、移民を大量に受け入れるしかないのかもしれません。
 実は小豆島に居る身にとって、1000年以上先のこととは言え、この現実はかなりリアリティーをもって迫ってきます。小豆島はまさにその縮小先行版とでも言うべき現象が深刻な現実としてあるからです。
 今年小豆島(小豆郡内)の中学校を卒業した生徒は341人でしたが、現在中学3年生は292人、小学校3年生は255人、そして3歳児が173人と、子供数が切実に減少しているのが痛いほど良く分かります。
 島国日本の未来像を先取りしているような気がしてなりません
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妻孝行

2007/07/10 Tue 20:24

 今日、香川分区の教師会と宣教協議会があり、坂出まで行ってきました。“香川”分区ですから、昼食を挟んでの会合となるといつも決まって“讃岐うどん”を食べに行っています。小豆島に残した家族には申し訳ないと思いつつ、各地の美味しい店で食べさせていただいています。家族には申し訳ないと言いましても“うどん”ですから恨まれることはないでしょうし、そもそも妻は「美味しいの食べられて良かったね☆」と言ってくれるのは重々承知していますから、自分だけ食べる後ろめたさのようなものを感じているだけの話でしょうね。
 そんなことを考えていると、以前、自称“夫婦仲の達人”の外食関係の話を聞いたことを思い出しました。
 その方曰く「妻は夫が“付き合い”や何やかやと外で旨い物を食っているのをやっかんでいるものなんだ。だから、絶対に『今日、○○で旨い物を食ったんだよ~』なんて口が裂けても言わないこと。食い物の恨みは恐ろしいかからね。それで、妻の積もり積もった不満を解消してあげるため時々外食に出かけなきゃならん。けれども、そこが大事なところで、妻に高いものを食べさせて自分は安いものを食べるようにすべきなんだな。そうでなければ、自分はいつでも旨い物を食っていることになってしまうからね。」
 「そこまで考えるか~」と突っ込みたくなりますが、よくそういう発想が出来るものだなと感心します。ちょっと貸し借りみたいで変な気がしないでもないですが、何もしないよりは良いのかもしれません。少なくとも妻孝行を全く考えない人よりはいいような気がします。
 えっ、私の妻孝行ですか。美味しいものを作ってあげたりもしますが、基本的に私の妻孝行は一緒にメニューを考えたり、一緒に買い物に行ったり、一緒に料理したり、一緒に片付けたりすしていることかもしれません。一緒が一番です(また、主婦の一番の頭痛の種の一つは“メニューを考えること”だと思いますから、それは一緒に考えるようにしています)。
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東レの方

2007/07/09 Mon 15:50

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 数年前から水道の蛇口には浄水器をつけるのが当たり前になっていて、手軽さと性能を考えて“東レ”の“トレビーノ”に行き着いています。通販○活で紹介されているものとか、紫外線殺菌ランプ内臓のような10~20万円程度のものはもっと凄いのかもしれませんが、3,000円程度の東レの浄水器で充分満足しています。実際、ただの水道水がとても美味しくなります。小豆島に来てからも勿論愛用していますが、(衛生面からも)時々本体も買い換えたくなるので、引越しを機会に新しいものになっています。
 本体取り付け部にパッキングとメッシュがあって、まずここで流れてくる大きなゴミを濾してくれるようになっています。今までこんなことは無かったので、信じがたいことですが、時々ここにウロコ状の半濁した塊が溜まります。曲面からして水道管内部にこびりついた何かが剥がれ落ちたようなのですが、はっきりそれが何なのか分かりません。明白なのは、浄水器を付けていなければこれらがそのまま口に入る可能性があったということです。最初から付けておいて正解でした。
 ところで、最近、カートリッジを交換して間もないのに水の出が悪くなってくるという現象が続いてきました。トリハロメタンも除去するちょっと良いを使っているだけに経済的負担は馬鹿になりません。1週間から10日で目詰まりして水がほとんど出なくなってくるのです。
 そこで、東レに問い合わせのメールを出してみることにしました。するとどうでしょう。返事のメールではなく、直接担当者から対応の電話がかかってきたではありませんか。しかも、その対応の丁寧なこと。
 どうやら、四国地方における最近の水不足の影響で水に濁りが発生している可能性があり、そういう状況下ではカートリッジの寿命が短くなる傾向にあるということでした。しかも、濁りを取り除くための薬品(糊のようなもの)を使用している場合、それは無色透明なため、カートリッジの汚れが目立たないのに目詰まりすることがあるとのこと。
「いずれにせよ、トリハロメタン除去用のカートリッジを1本送らせて頂くので試していただいて、それでも目詰まりがすぐ起きるようでしたら、そういう原因の可能性が高いですね。」
 きちんと濾過すべきものは濾過する製品の性能の良さもさることながら、会社そのものも親切な会社だと思いました。もちろん、苦情処理係の方はそういう訓練をしているのは知っていますが決してテクニックではなく、気持ちで対応してくださっているようすがありありだったのです。製品に対する自信や誇りも感じ取れました。ですから、対人関係の極意を自然と掴んでいる様子に感じ入りました。
 これはこのままずっとトレビーノを使い続けるしかないかな。
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身近な神様

2007/07/08 Sun 22:38

 “聖書を読む会”のある日曜日に礼拝に来られる方が何人かいらっしゃいます。“聖書を読む会”が目当てなのでしょうが、そういう方はどなたも、きちんと朝の礼拝から出席してくださるので感心させられます。どこの教会でも、聖書の学びが目当てならその会にしか出席されない方が多いものですから本当に感心いたします。「“聖書を読む会”の開始時間が“礼拝後”としか公示していないからではないのか」と勘ぐる人がおられるかもしれませんが、全くそういう気配は感じられず、当然のように喜んで(?)礼拝から来られるのです。
 今日は旧約聖書の創世記、アブラハムという人と神様との契約の箇所を読みましたが、その方が会の終盤に「神様って身近なお方なんだなと感じました」と言われたのがとても印象的でした。
 殆どの宗教は努力精進して神様の居られる高みへと登っていかなければならないのに対し、キリスト教(ユダヤ教もでしょうが)は痛みや苦しみを抱えている私たちのもとへ降って見られる神様を受け入れるものです(内海教会のウェブサイトの“Q&A”にもそのことに触れた文章を載せています)。
 “身近に居てくださる神様をいつも感じながら”生きるものでありたいと思いました。
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カウンセリング聖研

2007/07/07 Sat 11:08

 明日は月に一度の“聖書を読む会”のある日です。いわゆる“聖書研究会”と同じですが、“研究会”ではとっつきにくそうな印象がありますから“読む会”と呼称しています。いずれにせよ聖書を学ぶ会に違いありません。
 私は物凄ーーーく、聖書の学びが好きなのですが、内海教会では月に1回、第2日曜日の礼拝後(11時30分頃から1時間弱)にしかありません。とても寂しく思っていますが、参加者の希望がそうなので仕方ありません。

 聖書って実は何人かで一緒に読むととても面白い本なのです。手前味噌と思われるでしょうが、時代を超えて凄い本だと思います。しかも、特別“聖書”や“キリスト教”の知識が無くてもそれは同じです。むしろ、まったく触れたことが無い方々の方が楽しめるかもしれません。
 かつて、全く聖書にもキリスト教にも触れたことが無いし、興味も無いという青年たちと読んでいたことがあります。お互いかなりしんどいこともありましたが、生きている躍動感を感じたものです。新しい発見や、新鮮な刺激の連続でした。精神障害者の方々との聖書の学びも刺激的でした。また、前に居た団体のとき、ディアコニア・ネットワークという会に属していましたが、そこで行なう派遣プログラムに私の提唱した聖書研究を自ら担当していたのも楽しい経験でした。
 実は、今までの経験を踏まえて“カウンセリング聖研”というものを研究中です。詳細はまだお教えできませんが、人生が変わるかもしれない聖書の学びです。と言っても、怪しいものではなく、全く正統的な聖書理解に基づいて行ないます。いつかどこかでデビューするときが来ればいいと思っています。

 ただ、内海教会の“聖書を読む会”はいわゆるレクチャー方式なので、ここでは“カウンセリング聖研”の実施は不可能なのが頭痛の種です・・・。ここはそういう伝統なのでしょうね。
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私の聖書

2007/07/06 Fri 20:40

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 私が愛用している聖書(新共同訳聖書)は革表紙のものなので、「さすがに良い聖書をお使いですね」と言われることがあります。確かに買うとそれなりの値がするものですが、中身は同じですから、貧しい牧師にしてみれば高いものをわざわざ買う人ばかりではありません。牧師の商売道具と言えば言えなくもありませんが、肝心なのはやはり中身ですから。
 で、私の聖書ですが、これは昔友人から貰ったのです。それまでは改訂前ものを使っていましたから、ページが違っていてとても不便でした。新共同訳聖書は1987年に発行され、当時神学生だった私は無理してすぐに買い求めたのです。しかし、発行元の日本聖書協会が何を考えたのか知りませんが、その後出した改訂版からページ数が違うのです。あるものをわざわざ買いなおすものどうかと思いながら、結局買い換えられないままいたのです。
 ところが、ある年の私の誕生日に友人のN牧師から突然この革表紙の聖書が送られてきたのです。牧師に聖書の贈り物と言うのも意外な気がするかもしれませんが、灯台下暗しというもので、これは本当に嬉しく思いました。それ以来ずっと愛用しています。

 ・・・ただ、そのとき喜び勇んで御礼の電話をかけたところ、
「えっ、誕生日?お前誕生日やったんか・・。それはおめでと・・。」と、つれない返事。
「えっ、誕生祝で送ってくれたんじゃないの?・・・」
「おう、お袋を驚かそ思うてプレゼントに買うとったんやが、もう、買うて持ってる言うからな・・。じゃあ、しゃぁないから、三野にでも送っとけって送っただけなんや。」
「・・・んーーーっ?喜んで良かったのか、喜ばなくて良かったのか分からないなぁーー・・・・。」
「でも、嬉しかったんやろ?」
「うん・・・。」
「じゃあ、素直に喜んでくれたらええやないか。」
「そうかぁ・・。じゅぁ、複雑やけど喜んどくわ。」
という経緯があったのでした。
 でも、親友のN牧師との友情の証しとして大切にしているんですけどね。
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怒りを覚えたら

2007/07/05 Thu 17:46

 昨日、問題発言とか指摘する姿勢とかについて書きましたが、それと関連して、怒りを覚えたときどうすべきか誰かに聞いたのを思い出しました。
 誰かの言動に傷つくなり頭にきた時、つまり怒りの気持ちがこみ上げてきた時、人にはいくつかのパターンがあるのだそうです。
①相手と話し合う。・・・自分の受けたダメージのもとになった相手の言動について相手と話し合う。
②我慢。・・・小心ゆえに怒れない。自分さえ我慢すれば丸く収まるのだからと自分をごまかしてしまうことも。
③激怒。・・・怒りを感情に任せて爆発させるタイプ。
④第3者に愚痴をこぼす。・・・直接相手に言いにくいし、かといって我慢は出来ないから。
 大抵の場合、①ではなく②~④の人が多いと言います。そして、解決にならないのも②~④なのです。むしろ、逆効果になってしまうものもあります。
 やはり①しか根本的な解決に向かうものは無いようです。相手と話しにくいと尻込みせず、腹を割って話し合いたいものです。もちろん、感情的になっては逆効果です。傷つけられたのだからと攻撃的になったり感情的になると本末転倒になります。冷静に成熟した大人として話し合いたいものです。
 成長するのって大変だなとも思いますが。
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掘り下げて

2007/07/04 Wed 16:53

 問題発言のニュースを時折耳にします。
 もっともニュースだけでなく、問題発言はどこにでも転がっています。
 そして、問題発言を指摘されて
 「そういう意味ではなかった」と開き直る人
 「言葉が足りなかった」とごまかす人
 「誤解を与えてしまった」と真意がよく分からない人
 「取り消させてください」と無理をいう人
 「訂正させてください」と待ったをかける人
 色んな人がいます。
 色んな人がいますが、そういう時いつも思わされるのは、どうしてその発言が口から出たのかという背景や考えを掘り下げて議論するケースが殆ど無いということです。
 ひどい場合は、指摘する側からして「訂正しろ」「取り消せ」などと言っている場合があります。また、指摘している側の主張が少しずれていたり、指摘自体は正統でも間違った主張が内在している場合もあります。指摘する側も自己内省が伴わなければならないと思います。
 また、言い間違えたから訂正するとでもいうような風潮は殆ど納得できません。言い間違いにしても、その殆どは心にある本音が不用意に飛び出したものの場合が多いからです。
 ですから、言い繕うだけで終始してしまうのであれば、あくまで表面的な平和を守ることでしかないのです。どうしてその言葉が出てきたのか、どうしてその言葉を追求するのか、そういうことを両者共に、心情的にも心理的にも思想的にも掘り下げて議論しなければ、本当の解決(お互いの成長)にはつながらないと思うのです。
 もっとも、成長云々より今の自分の立場を守ろうとする意識の方が強ければごまかしに走る以外ないのかもしれませんが・・・。
 どんな人も若いうちからお互いの成長のために共に考え方を省みて指摘したり謝罪し合える経験が積めると良いですね。

 
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小豆島探偵団

2007/07/03 Tue 09:08

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 今年6月1日から9月30日まで、小豆島で宝探しゲームが展開されています。その名も“小豆島探偵団”。
 このイベントに参加するには“冒険の書”(500円)を①二十四の瞳映画村②オリーブ園③オリーブ公園④小豆島内のサンクス(4店)⑤土庄港高速艇ターミナル内旅館組合案内所のいずれかで購入し、冊子の謎の地図が指している場所を見つけ出すと、銀のオリーブが見つかるという寸法。
 見つけなければならない銀のオリーブは全部で4つ。小さな黒い箱に入っているので、よくよく探さなければならないそうです。
 銀のオリーブが入っている黒い箱には、黄色い文字でキーワードが書いてあるので、見つけたら冊子の記入欄にメモしておきます。
 発見報告所で係りの人に冊子の解答書を渡し、キーワードが3つ正解だと、プレゼントがもらえます(キーワードを3つ以上発見できた方全員にオリーブハンドクリームと四国コカコーラボトリングからの記念品が)。
 さらに!キーワードが4つ正解だと、抽選で豪華賞品が当たります(プレイステーション3(2名)、5万円分の旅行券(5名)、任天堂Wii(5名)、ニンテンドーDSライト(10名))。
 トライしてみませんか。

 詳しくはこちら
http://www.akai-tori.com/24hitomi/
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自転車で疲れる

2007/07/02 Mon 20:46

 最近、3歳の次男は幼稚園から帰ると“戦隊ものビデオ”を観過ぎていてあまり好ましくないと考えた私は「自転車で出かけよう」と戸外へ誘い出してみました。
 自転車は中3の娘のをいつも借りて、子供用の補助椅子をつけて使っています。
 特別行くあてを考えていたわけではないので、「海を見に行こうか」と出発です。しかし、海と言っても教会から徒歩2分で海です。それで、海沿いに船を見ながら運動公園まで足をのばしてみました。もっとも、それでも自転車で5分程度です。
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 ここには野球場やサッカー場、ゲートボール場にテニスコート、プールに体育館などが揃っています。大きくなったら野球とかサッカーをしてくれるかなと、ふとそんなことを考えながら散歩してみました。
 実は長男は小さいときから喘息だった関係でキャッチボールも一度しかしていないのです・・・。
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 しかし、私が歳を取りすぎているため子供と遊べるかと言う不安が頭を過ぎります。今日も少々疲れてしまいました。例えば、休憩所のある丘を見つけると、たったかたったったーと登って行き、「降りられないから迎えに来て」とか言うのです。若い頃は何でもありませんでしたが、今では既に気持ちからばてています。
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 帰りは「おうちに帰りたくない。まだ遊びたい」と言うので、少しばかり遠回りして“ひしおの郷”というお醤油屋さんが何軒もある古い裏道を通ってみました。
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 初めて足を踏み入れてみましたが、以外と坂道になっていて、運動不足の体と慣れない自転車にへとへとになってしまいました。
 息子いわく「僕はちっとも疲れてないよ」。
 「当たり前じゃーーーー」こいでるのは父ではないか・・・。
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 近所を回っただけなのに相当疲れてしまいました。体を鍛えなおさないといけないなと実感するこ一時間でした。
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桃っ!水蜜桃・・・!!!!!!

2007/07/01 Sun 21:10

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 昨日、ある方から桃をいただきました。
 私は果物の中で桃が一番の大好物ですし、子供たちも大好きなので本当に嬉しい贈り物でした。大好きなのに、値段が張るのでなかなか買えない果物でもあるからです。
 ですから、届いたとき桃が15個入も入っているので、びっくり仰天、キョーキ乱舞してしまいました。
 早速、送ってくださった方にお礼の電話をして、昨日はとりあえず冷蔵庫で冷やすだけにしました。もったいなくてすぐに食べられないのは貧乏性というのでしょうか。
「まずは目と鼻で楽しむのぢゃ」
 それで、今日になってやっと口に出来た家族は大喜びでしたが、
「とりあえず今日は3つを(家族6人で)分けて食べよう」と
ケチな私は指示してしまうのでした。
 しかし、箱を冷蔵庫から出して驚きました。箱にはしっかり“水蜜桃”と書いてあるではありませんか。最高の桃の銘柄ではないですか・・・。
「あ、すいみつとう」
「ああ・・・、お礼は電話だけでは駄目だぁ!」
「あああ、気付かなかったのは何たる失態。水蜜桃に見合うお礼の言葉ではなかったなあ・・・」
「ああああ、どうしよう」
「あああああ、凄い」
 いろんな思いが一瞬のうちに頭をよぎりました。強烈なフラッシュバックかと思うくらいでした。
 私の「あああ・・・。」と言う言葉に、冷静な家族は「どうしたの?」と不思議そうな顔。
「水蜜桃なんだよ!この桃!」
「えっ、すいみつとう?」
「そう、水蜜桃なの!すごく高い桃なの!お父さんも今まで食べたことは一度も無い桃なの!いつか食べてみたいと思ってるくらいの桃なの!基本的に贈答用なの!岡山にいたときでも食べられなかったの!それが15個も入っているの!」
「え゛ーーーーーっ!!!!!」×3
「普通5~6個で数千円するから、これは多分1箱1万5千円~2万円、もしかしたらそれ以上するかもよ・・・」
 天にも昇る美味しさに全員うっとりしてしまいました。
 瑞々しくて上品な甘さは心に沁みるほどの美味しさでした。
 やっぱり美味しいものを食べるって幸せですね。感謝です。 

 後日談ですが、水蜜桃というのは特定の桃の品種ではないようです。すっかり大はしゃぎしてしまいましたが、白桃が一番良い桃のようです。
 何となく気になり調べてみると、詳しいことは良く分かりませんが、日本の桃の元祖は岡山の「清水白桃」で、この白桃を改良して「白鳳」や「浅間白桃」、「あかつき」などの多彩な品種が誕生したとのこと。
 日本で白桃が誕生した由来は中国から輸入された「上海水蜜桃」から生まれたと考えられているそうです。日本に入ってきたもともとの桃の名が水蜜桃なので、桃と水蜜桃は同義語のように使われているのかもしれませんし、上海水蜜桃を先祖に持つ瑞々しい桃を水蜜桃と言うのかもしれません。難しいですね・・・。
 私は以前岡山に居た時、“水蜜桃”という札の付いた桃がやけに高かったので、水蜜桃は桃の最高級ブランドだと勘違いしていたようです。お恥ずかしい限りです。お許しください。・・・でも、勘違いに気付いて良かったということにさせてください。

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