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川の工事

2007年08月31日
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 内海教会は、台風のとき高潮が怖い立地条件だと言いました。
 特に今年は2回も台風と大潮の時間帯が重なってましたから気が気ではありませんでした。
 教会のすぐそばの川などはあと30センチ程で氾濫するところでした。実際に何度も内海教会は床下・床上浸水しています(私が赴任する前の事ですが)。
 そんな有り様だったのですが、お盆あたりから川の両脇をコンクリートで60センチほど高くする工事が始まりましたので、かなりほっとしています。
 ご近所の皆さんもさぞかし喜んでおられることと思います。
 これで、台風前に川を眺め不安感に駆られながら、近所のおじさんたちと対策めいたことを話し合ったのが、懐かしい思い出になってくれると良いのですが。
 ただ、教会の溝が川に流れ込んでいるところは低いところにあるわけですから、そこから川の水が逆流すればアウトではないかと気になって仕方ありません・・・。
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自分にとっての最善を尽くす

2007年08月30日
 自分が認められていくと気持ちのいいものです。
 しかし、それが高じて“期待”に変わり、いつの間にか“自分の能力以上の期待”を寄せられるようになってしまうと苦痛以外の何ものでもありません。
 人は自然に自分の置かれている立場に見合った存在になろうとします。ですから、その立場上生じたものなら、それが実力以上の期待であったとしてもモロにそれを背負い込んでしまうことだってあります。
 かく言う私も昔はそんなことがあったような気がします。周りから寄せられる期待に“応えなければならない”と思い込んでしまって苦しくなった記憶があります。
 しかし、色んな挫折を経た今となっては、そんな気負いはいつの間にかなくなってしまったようです。
 もし、誰かが私のような者に期待してくれたとしても、それは相手が勝手にそう思っているだけで、もし期待に応えられたとしたら“(言葉は悪いですが)めっけもの”で、反対に期待に応えられなかったとしても“それは仕方の無いことかな”という風に考えているようです。
 もちろん、適当に生きるということではなく最善を尽くすことに変わりはありません。
 しかし、その“最善”は“絶対的な最善”ではなく“私にとっての最善”だというところがミソです。
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力を合わせて剣山に登る

2007年08月29日
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 今日は家族全員で徳島県の剣山に行って来ました。
 小豆島から高松港行きで朝一番早い池田港5時30分発フェリーで出発です。船内で用意していた朝食を食べ、高松に着いた6時30分からひたすら国道と県道を通って剣山を目指します。高速道路だと最寄のインターチェンジの“美馬”までは遠回りになってしまう関係で、殆ど時間の節約にならないようなのです。ナビで時間を調べた限りでは、高い高速料金を払っても5分~10分早いだけのようでした。
 トラブルもイレギュラーも無く、予定通り9時過ぎに“見の越し”に到着。ここからは登山リフト15分、徒歩約1時間で剣山山頂です。天気予報では降水確率が高かったので少し心配していましたが、比較的良い天候に恵まれました。
 そうそう、行きの車中で「そういえば、家族全員6人揃って出掛けるのって初めてじゃない?」と娘。「言われてみるとそうだー!」
 確かに何かしようとするとそのたびに、誰かが何かの行事で居なかったりしていたので、本当に6人全員揃ったのは初めてでした(5人の頃までならありましたけど、末っ子が生まれてからは本当に初めて)。
 リフトを降りてから徒歩で山頂を目指す区間が今回最大の課題でした。3歳の次男と、1歳の三男が約1㎞の山道を走破出来るはずが無いのです。そこで事前に皆で相談した結果、私と妻と長男が代わりばんこに背負い、手荷物は長女が受け持つという連係プレーでチャレンジすることになりました。それはかなり過酷だろうと考えていましたが、実際にやってみると想像以上にとてつもなく大変でした。
 しかし、家族全員で力を合わせて山登りする経験は気分爽快でした。
 美味しい空気に絶景のビューポイント、そして家族の笑顔。
 「楽な暮らしの出来ない我が家だけど、どんな時もこんなふうに皆で力を合わせて喜びを噛み締めつつ生きていけると良いな」と、心からそう思いながら帰途に着きました。膝も笑っています。
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これは何という料理?

2007年08月28日
 料理は好きです。台所に立たない日はありません。妻のお手伝いをしたり、妻に手伝ってもらったりと、大体いつも一緒に料理している感じです。三度三度の食事の支度は大変なものですが、それを楽しみにしていると言ったら大袈裟でしょうか。
 妻が忙しそうにしていたので、今日の夕食は私が作ることにしました。私は本当に料理を楽しんでしまう方で、一人のときは特にそれが顕著になります。
 どんな楽しみ方かと言うと、冷蔵庫に入っているものとか、今ある食材で適当に何かを作ってしまうという創作料理です。創作料理と言うと聞こえは良いですが、どこかで見たことがあったり、食べたことがありそうな感じの料理を雰囲気で作るだけの話で、この冒険感が楽しいのです。
 その都度、子供たちに「この料理は何という料理なの?」と聞かれますが、名前なんかあるはずありませんから「名前は無い。それどころかもう二度と同じものは作れないかもしれない」と答えるようにしています。妻にいたっては慣れたもので、料理の名前を聞くことさえしようとしません。
 たまには聞いて欲しいなあ・・・。
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昼食

2007年08月27日
 今日の会議の後、昼食をどこで食べるか悩んでいました。内海教会の近辺で“ここぞ”という店を知らないからです。もちろん、何軒か良さそうな店はありますが、そういう店はだいたい教師会の予算をオーバーしそうなのです。
 皆さんの帰りの船の時間を考えると、遠くまで行けませんし、高松や琴平から来られている牧師さんが多いのでうどん屋さんも変です。
 そこで行ったことは無い所でしたが、小豆島町内海庁舎(旧内海町役場)前の“つくだにの駅 瀬戸よ志”に行ってみることにしました。つくだ煮関係の土産物屋さんなのですが、横に簡単な食堂があってそうめんの定食などに人気があるというのを覚えていたのです。
 座席は21席あり、10数名で行っても余裕で座ることができました。少し経つとお客さんが結構入って来られましたから、早めの時間に行ったのも良かったようです。
 そうめんとおにぎりのセット500円が気になり、私のテーブルの人は皆それを注文しました。そうめんは国産小麦と沖縄の塩、小豆島の竹炭で濾過した水で作られたものですし、だしもつくだ煮を入れていたりと、結構こだわっていて、その美味しさに驚きました。また、おにぎりも10数種類の中から自由に2種類選ぶことが出来、その場で握った暖かいおにぎりが出てくるのも楽しくて良かったです。
 また、土産物コーナーで販売している“島乳牛ソフトクリーム”は小豆島の肥田牛乳を使用していてコクのある絶品でした(250円)。
 お勧めなお店です。
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草抜き5時間

2007年08月26日
 今日の夕方、内海教会を会場に香川分区の“さぬき四島伝道協議会”があるので、昨日長男と長女を動員して庭の草抜きと草焼きをしました。抜いても抜いてもどんどん伸びる雑草の生命力の凄さにはほとほと参ります。頑張って草を抜いて「さあバーナーで残りを焼こう」と思った矢先に行事が入って出来なくなったり、雨だったり、暑過ぎたりで、その都度どういう訳か先送りになってしまっていたのでした。
 しかし、ここはひとつ人海戦術でかたをつけてやろうと子供たちの協力を要請したのでした。朝7時30分から12時30分まで3人で5時間かけて奮闘しました。バーナーの威力はなかなかのもので、手で抜ききれないような小さな草も焼いてしまうし、しばらくはもってくれそうです。、ただ、簡単には焼けないので、庭の5分の2程度までしか焼く事は出来ませんでした。バーナーはまた後日再登場の予定です。とりあえず子供たちも頑張ってくれたので、庭全体が草ぼうぼうではなくなって見た目が良くなりました。
 ただ、さすがに5時間の作業でへとへとになってしまい、特に子供たちは昨日の午後ぐったりしていました。私もちょっと(?)グロッキーでした。
 そうそう、体重を量ると5時間で2キロも減っていたのには驚きました。途中で水を1.5リットル程飲んでてそれですから、一体どれだけ汗をかいたのかとただただ驚くばかりでした。
 庭改造計画もなかなか軌道に乗るところまで行かないものです・・・。
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排除

2007年08月25日
 大阪で“世界陸上2007”が始まりました。
 陸上競技は好きですし、世界のトップアスリートが集結する大会ですから楽しみといえば楽しみなのですが、今回はすっきりしません。モヤモヤするような、悶々とするような、下腹が痛いような変な気分になってしまっているのです。
 というのも、年末年始に長男(当時高1)と長女(当時中2)と一緒に行った“釜ケ崎越冬セミナー”で出合った野宿を余儀なくされている労働者(おっちゃん)たちのことを思い出してしまうからです。この世界陸上が大阪で開催される関係で、景観上よろしくないと判断する行政がかなりの人数の労働者たちを強制排除しているはずなのです。実際に強制排除された公園のニュースなどいくつか見ています。
 陸上競技に問題はありません。大阪での開催にも問題はありません。ただ、そのために寝床や家財道具一式を処分され住所から追い出される人たちがたくさんいることに心が痛みます。
 「公共の場にダンボールやブルーシートを張って勝手に生活する方が悪い」と言われる方もいらっしゃいますが、おっちゃんたちは遊びや道楽でしているのではなく、生きていくためにそうせざるを得ないし、それこそ必死で生きようとしているのです。
 釜のおっちゃんたちの殆どは「仕事が欲しい」と言います。働きたいのです。労働者としての誇りを持って生きているのです。ただ、仕事がなかなか無いために(仕事にあぶれる事が多い)、ドヤに泊ることも出来ず仕方なく野宿を余儀なくされています。一冬で百~二百人凍死していることから分かるように、本当に命がけで、したくもない野宿をせざるを得ないのです。しかも最近の不況は想像以上に深刻で野宿そのものが長期戦にならざるを得なくなっています。そこでダンボールやブルーシートで雨露をしのげる小屋を作っているのです。
 そういう彼らを有無を言わさずに排除してしまう考え方とはどういうものなのかと思いますし、憲法で保障されている基本的人権とは何なのかと疑問を感じてしまいます。
 そして何よりも、そういう現実の前で何も出来ない(していない)自分自身にイライラするのです。
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イオン高松店に行ってみました

2007年08月24日
 ちょっと前、高松市に“イオン高松店”が出来ました。
 別に気にもとめていませんでしたが、長女や長男が言うにはクラスメートのかなりの人が“イオン”に行ったことがあるとのこと。そして、次男の幼稚園でも同様だとか・・・。
 小豆島には幾つか店があるものの、ウインドウショッピングを楽しむ店などは皆無です。そこで海を渡ってショッピングをという段取りになるのはよく分かります。新しく出来た店となると尚更です。
 しかも、イオン高松店は高松港(高松駅)からバスで直通便があるためとても便利なのだそうです。確かに琴電で瓦町の天満屋に行くのと大差ない利便性は魅力です。“ゆめタウン”などはバスでも遠い(くねくねあちこち回るから)上に、バス停からの距離も微妙に遠い気がしますし、琴電で行くと駅から延々と歩かなければなりません。

 夏のイベントと言うのも恥ずかしい話ですが、先日、我が家でも、イオンに出かけてみるかということになりました。
 最寄の草壁港は丁度良い時間の便がないので、池田港に車を停めて9時50分高松港行きで出発。5分ほど遅れて10時55分に高松港着。イオン行きバスの始発は高松駅前11時3分と時間に余裕が無いため、11時10分発の高松築港バス停で乗ることに。しかし、始発でないため座る席も無く、1歳の三男を抱いたままイオンへ。これは結構苦痛でした(幸い3歳の次男は子連れの親子が椅子を詰めて座らせて下さったので助かりました)。
 帰りは帰りで、船の時間とバスの時間を気にしなければならないので、少々疲れました。車やバイクの生活しかしてきていないからでしょう。公共交通機関を使ってのお出かけ、しかも家族連れとなると、疲労感も倍増です。慣れていないだけに、余計にかかる労力と時間のプレッシャーで辟易としてしまいます。
 せめて車を船に乗せて行けば楽なのですが、車代だけで往復1万円以上かかってしまうので無理な話です。島は不便だなと思いますが、こういうことが当たり前で極々普通のことと思えるようになりたいものです。
 車をお持ちでない郊外暮らしの方なども殆ど同じような状況だと思います。むしろ、のんびり楽しめるようになりたいものです。
 
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無いものは無い

2007年08月23日
 柏崎電子力発電所が事故後ストップしているため、電力供給に不安があるというニュースを耳にしていましたが、その対策として休止させていた火力発電所を稼動させるとも聞きました。
 原子力発電所が無ければ日本の電力供給は出来ないとでもいう理解が広がっているように思いますが、本当は違うのかなという気がしてきます。
 出来るなら、現代科学では処理できない“核廃棄物”を産み出す“原子力発電所”は無い方が良いと思っています。
 かといって、石油をどんどん燃やした方が良いとか、多くの村や町を水没させてもダムを作った方が良いとも言えません。
 何となく究極の選択みたいです。しかし、これは「あれかこれか」の問題のようでそうではないんじゃないかなと思います。
 日本の電力は“必要だからそれに見合う電力を増産して供給する”図式でここまで来ています。簡単に言えば“欲しいものを欲しいだけ手に入れる”という考え方です。核廃棄物を産み出し続けながらです。
 そういえば、国家予算も同類のように映ります。“使いたいだけ使う”という考えのもとに国債という借金を作り続けてお金を使っています。しかも、この借金返済の目処があるなんて聞いたことがありません。
 一般家庭で“欲しいだけ欲しいものを手に入れる”とか“使いたいだけ使う”などという考え方はとても出来ません。自分の限度(上限)以上のものは諦めるしかないのが普通です。ローンを組むにしても、自分の収入では何年かかっても返済できない額であれば、組もうとしても組めません。
 電力も「ここまで我慢しよう」とか「上手に節電しよう」と努力すべきではないかと思うのです。「現実はそんなに単純ではない」とか、「甘っちょろい」とか言われてしまいそうですが、「無いものは無い!と考えても良いじゃないか」と思ってしまいます。
 そういえば、神学校の(自治)寮は電気代を上げないために、あるワット数を超えるとブレーカーが落ちるようになっていて、寮生全員で節電に励んでいました。それでも時々ブレーカーは落ちていましたが・・・。
 ブレーカーが落ちると「ごめーん。俺のドライヤーかなぁ。」というような大きな声が廊下に響いたものです。
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首の血管

2007年08月22日
 昨日言った暑くて寝苦しい夜の“秘策”ですが、別にどうと言うものではありません。けれども、案外気づかない方もいる方法かもしれません。
 以前、苦学している神学生と出会った話を書きましたが、そのときも彼が暑さで眠れず困っていると言うので教えてあげた方法です。今まで寝苦しくて困っている方に教えて感謝されていますが、別に大したことはありません。
 “アイスノン”を頭に敷いて寝るだけです。それだけで涼しさ抜群になり、寝つきは月とスッポンです。
 首には浅いところに太い動脈が流れているので、これを冷やすと全身に冷えた血液が流れる事になりますから体感温度が随分違って寝付き易くなるのです。
 これは“冬場に首をマフラーなどで暖めると全身に暖かい血が流れるので、随分暖かくなる”という話を聞いたことがありまして、その応用ということです。
 暑さで寝苦しい方はぜひお試しあれ(冬のマフラーも覚えて置くといいですよ)。
ただし、血行的にはよろしくないのでご注意ください。また、枕にそのままアイスノンを載せると(当たり前のことですが)高さが変わるので、枕に神経質な方は対処する必要があります。
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寝苦しい

2007年08月21日
 暑い日が続き過ぎです。
 書斎はエアコンは故障していて、早朝と夜以外はサウナみたいですし、寝苦しくてやや睡眠不足です。
 本当なら夏バテ一歩手前といったところですが食欲が衰えないためまだまだ元気でいます。実を言うと夏に食欲が落ちたこともなければ、夏痩せも経験したことがありません。食欲が落ちないどころかかえってもりもり食べているような気がします。恐らく生存本能がものすごく強いのかもしれません。
 しかし、年齢的なものでしょうか、昔はどんなに寝苦しい夜でも熟睡していましたが、最近ではなかなか寝付けず、寝ても夜中に何度か目が覚めてしまいます。暑さによる睡眠不足が一番の悩みの種です。
 秘策はもちろんありますが、それでも最近は寝苦しさに参ってきているのです。
 最後の手段は“羊が一匹、羊が二匹・・・”というあれしかないかもしれません。試してみることにします(タコの素潜漁のイメージでは無理でしたが)。
 もちろん、これは日本語では意味をなさないことも先刻承知です。英語でがんばってみます(シープ・ワン、シープ・ツー、シープ・スリーというように、シープが寝息のようで眠りを誘い易いことから言われているもので、日本語に訳しても意味は無いのです)。
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暖かさと配慮

2007年08月20日
 誤解があってはいけませんので補足しておきます。

 昨日のブログに書いた高知の教会は良い教会でした。ですから、母が続けて通おうと思わなかったことは、後から思うととても残念なことでした。恐らく、母にはキリスト教の予備知識が全く無かったため、違和感の方が強かったのかもしれません。音楽もそれほど得意ではなかったようですから、讃美歌を歌うことにも抵抗があったのかもしれません。

 神学校の最終学年に色んな教会を日曜日(礼拝)ごとに巡る機会がありました。それはそれは面白い経験でした。どこの教会にも特色があるのをつぶさに経験することが出来たからです。
 わっしょいする気は毛頭ありませんが、そのとき非常に感銘を受けた教会は現日本基督教団議長山北先生の牧する聖ケ丘教会でした。もう20年ほど昔の話です。さりげない配慮と暖かさに満ちた教会で、教会の皆さんの笑顔も忘れられません。しかも、それが大きな教会でしたから、“家庭的な教会”とは少人数の教会の専売特許だと思い込んでいた私には衝撃の事実でした。私はその1回しか聖ケ丘教会に行っタコとはありませんが、今でもその時の記憶は鮮明なくらいです。
 そうかと思うと、新来会者に非常に淡々とクールな扱いをされる教会もありました。また、とても、付いていけないというほどハイテンションの教会がっあったり、ただひたすら暗い教会もありました。

 色んなタイプの教会があるのは、色んなタイプの人に対応しているとも言えます。一面的に捉える必要は無いのです。もちろん、異端と言われるグループには注意しないといけませんが。とにかく人には相性の合う教会と合わない教会があるので、一箇所だけでキリスト教はこんなものだと決め付ける必要はないという面があります(愛を感じない教会は問題外です)。

 私が昨日言おうとしていたのは、相性の問題以外で、“配慮と暖かさが自然とにじみ出ている教会形成の大切さを真に思いながら努めていきたい”というようなことです。

 特別昨日のブログにクレームが付いたとか、批判的なコメントがあったのではなくて、一晩経ってみると補足が必要な気がしてきただけの話です。
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全力投球

2007年08月19日
 一期一会と言う言葉があります。普段はあまり気にしていない言葉ですが、こと礼拝のたびに思い出し、自然と気合が入ります。今日が最後の礼拝かもしれないという思いで出席されている方もいらっしゃるはずですし、光明を求めて礼拝に臨まれている方もいらっしろゃると思うからです。
 私が6歳の頃、父が交通事故で死にかけました。家族全員でタクシーに乗っていた時のことでした。赤信号で停車中、後ろから追突されたのでした。当時は“エアバッグ”どころか“安全枕”が標準装備ではなかった時代で、むち打ち症がやっと問題視され始めていた頃です。
 後部座席の家族は運転席・助手席で頭を打つ程度で大したことはなかったのですが、助手席の父は首が後ろまで反り返り、むち打ち症を超えて首の骨が完全にズレるという重症でした。
 相手の過失大ですから、医療費その他の保障を請求してしかるべきところなのに、今では考えられませんが無保険だったため殆ど保障がなかったようです。
 幸い父は(長期入院後)一命を取りとめましたが、長引く治療のため転職を余儀なくされました。父は外国航路の船員だったため、航海の期間が長すぎたのです。中年期の転職それに体も本調子ではなかったので、本当に大変だっただろうと思います。
 しかし、母の苦労も並大抵ではなかったようでした(幼い私には何も出来ず見ているしかありませんでした)。
 そんな母は以前にも少し触れましたが、魂の安らぎと言うか、光明を見つけたかったのでしょう、時々時間を工面しては、お寺や神社、新興宗教、加持祈祷等々を巡っていました。もちろん、幼い私はいつもお供させられました。
 母の苦労を目の当たりにしていたので、嫌な顔一つせず付き合いました。山奥でバスを降りて炎天下の山道を延々40分ほど歩かされたときも、和尚さんの講和を一時間以上正座して聞供くようなときも愚痴一つこぼしませんでした。
 母とはキリスト教の教会にも行きました。しかし、残念ながら教会にも救いを感じられなかったようです(相性の問題だったようですが)。
 そのきっかけで私は教会につながっていってしまい、挙句の果てに牧師になっているのですから縁とは不思議なものです。
 母のような人が教会を訪れてこられたとき、失望するような教会でないようにと思っています。それから、教会にはご高齢の方が必ずいらっしゃいます。本当に今日が最後かもしれないという気持ちで毎週来られている方も多いのです。また、若い人であっても突然事故や病気で亡くなられる方もいらっしゃいます。だから、毎週全力投球しなければならない、そんなことを毎週考えています。
 もっとも、飄々としている風貌から、そんなふうには見えないでしょうけどね。
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無免許でもいいよ

2007年08月18日
 無免許運転は厳禁ですが、聖書に無免許運転のようなものが記されています。とは言っても、車やバイクではありません。
 イエス・キリストの弟子でもない者が“イエス”の名を使って悪例を追い出していたのです。面白いのは、そのことに激怒した弟子たちの気持ちを逆撫でるかのように、「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」とイエス・キリストはそのことを事もなげに許されるのです(マルコ福音書9章38節以下)。
 ともすると、私たちは自分の宗教、自分の教団、自分の教派、自分の教会にこだわって心が狭く排他的になりやすい気がします。イエス・キリストの度量の深さに比べてなんとちっぽけな心なのかと思わされます。
 しかし、同時に「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」という言葉は愉快です。
 「日本ではキリスト教信者は人口の1%にも満たない」と嘆くキリスト教関係者の声を何十年も聞いてきていますが、積極的に教会に通ったり洗礼を受けたりする人たちは少なくても、キリストを認めたり、聖書に親しんでいる人たちはたくさん居るはずですし、自分は教会と距離を置いているけれども、キリスト信者が教会に行く事を反対せず送り出しているという家族や友人も居るはずです。そういう人たちのことも“味方”として神様は受け止められているということです。
 無免許運転だった人がいざ免許を取ってみると、抜群に上手い事もあります。わたしたちの度量の狭い考え方は所詮浅はかなものかもしれません。
 そもそもは、一人残らずすべての人を愛されている神様の存在と力が大きいことを忘れてはならないのでしょう。
 でも、車やバイクの無免許はやっぱりいけませんよ~。
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タコ漁

2007年08月17日
 「釣りには行かれないんですか?」と時々聞かれることがあります。
 仕事時間はいくらでも調整可能な牧師という仕事ですし、海に囲まれた小豆島にいるのだからという訳でしょう。
 しかし、それほど釣りは好きではありませんし、なんとなくグータラしているような印象があるので、釣りをしようと考えたことはありません。
 第一、子供が小さいので一緒に行くのはまだ危ないですし、置いていくのも“自分勝手な父ちゃんの図”になってしまいそうで嫌です。
 そういえば、こちら(小豆島)に来ることが決まったとき小豆島に詳しい方から「小豆島はタコが良いよ。タコ。絶対タコ。」とタコ漁を熱心に勧められたのを思い出しました。
 「タコですか・・。蛸壺なんか使うんでよね。」と一応受け応えしてみたところ、かえって乗り気だと思われてしまったようで、いっそう熱心に勧められてしまいました。
 「違う違う。素潜りで捕まえるんだよ。ウェットスーツを買いなさい。冬でも使えるから、ちょっとゴツイのを買いなさい。何万円かするけど、何回も潜っていたら、ちゃんと元取れるから。タコは良いよ~。」
 しかし、こちらに来てみるとタコの素潜り漁なんてありま聞きません。私が釣や漁関係に興味が無いため、情報が入ってこないだけかもしれませんが・・・。
 ただ、連日こうも暑いとタコ漁に行ってみたい気がしてきました。お昼にタコを食べたのも影響しているみたいです。
 今夜はタコ漁の夢を見ながら眠りたいと思います。
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輝く歯

2007年08月16日
お盆休みがあったので歯医者は今日までお預けでした。
 奥歯の詰め物が取れて型を取りに行ったのが6日で、それから虫歯になりかかっている歯の治療が9日にあって、今日詰め物をして終わりですから、トータル3日間ですべて終了したということになります。こんなに効率とテンポの良い歯の治療は初めてでした。とにかく治療が終わってほっとすることができました。
 初めてといえば、歯医者さんでは治療の時に歯石を取るのはよくあることですが、今回ほんとうに初めてと言えるくらい念入りに歯石を取っていただいたので恐縮しています。
 今までは下の前歯の裏側を中心に、ちょこちょこっと取っていただいたような経験しかありませんでした。ところが今回は初日に歯科衛生士さんが軽く歯石を取ってくださり(それで終わりかと思っていたのに)、今日先生自らが、上も下も裏も表も根元も先っちょも隙間にいたるまで時間をかけて取ってくださったのです。さらに、その後シリコンゴムの付いたような機械で薬を塗り塗り歯の表面を磨いてくださったのです。
 恥ずかしながら、歯磨きをどれだけしても黄色っぽい歯の家系なのですが、今日は今まで見たこともないくらい白くなったのでびっくり仰天してしまいました。
歯医者さんって凄いなと45歳にして改めて実感してしまいました。
とにかく機械で歯を磨くあの作業はお勧めできます。
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終戦

2007年08月15日
 今日は“終戦記念日”です。
 神学生の頃ある人に「終戦記念日なんて言い方は詭弁だ。戦争が終わって良かったという事なかれ主義的な誤魔化しじゃないか。日本が始めた戦争で、どれだけの人々が死に、苦しんだか。日本が何をしたのかと言う反省も無い言葉じゃないか。かの戦争は静かに幕を下ろして終わったんじゃなくて、敗戦という悲惨な形で終わったもの。敗戦記念日を終戦記念日とという言い方に挿げ替えているところに問題性がある」と言うようなことを言われました。
 戦後生まれの私にとって終戦記念日は、歴史上の特別な日の一つに過ぎませんでした。しかも、学校で近代史をきちんと習った記憶がありませんし、道徳やその他の授業で戦争についてしっかり掘り下げて学習した覚えもありません。そんな私ですから、予想だにしていない言葉にたじたじでした。そういう考え方をする人たちも居るのかと感心したのを覚えていますが、ただ心のどこかでは「敗戦記念日なんて普通命名しないだろうに」というようなことを考えていました。
 そういう意見をいまだに時々耳にすることがあります。恐らく誰かから聞いた又聞きの言葉をさも自分の言葉のように語っているのだろうなと可愛く思えます。
 そう、実は、社会問題に関心のある方々の間では随分前から「8月15日は終戦記念日ではなく敗戦記念日だ」とは言わなくなっているようなのです。憲法第9条に則って「日本はもう戦争をしない国になったのだから、第二次世界大戦後から日本が参戦する戦争は無くなった、つまり戦争そのものが終わったと言う意味で、8月15日は終戦記念日なんだ」という理解のようです。
 その考え方はすっきりしています。私も賛同できます。
 「第二次世界大戦で日本は多くのものを失った。唯一得たものは憲法第9条だ」と言う言葉を聞いたことがあります。戦争を放棄している第9条を変にいじって戦争する国に逆戻りするのは御免だと思います。
 改憲手続きがしやすくなってきているようですが、それなら反対に“戦争放棄をもっと明確にするよう変更すべき”だと思うのですが、少々乱暴な意見でしょうか。
 少なくとも、国の問題なので、政府はもちろん、庶民レベルでもじっくりしっかり議論しつくす以上に議論して決めていただきたいと思います。
 環境問題関係の言葉だと思いますが、「地球は子孫からの預かり物」という言葉があります(いつ誰の言葉か知りませんが)。大変深い言葉だと思います。そして、環境問題だけではなく多くの事柄にも当てはまります。
 この社会も子供たちが受け継いでいかなければならない社会です。何を残したいのか、何を伝えたいのか、何が大切なのか、私たちに全員に重い責任があります。
 
 
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愛の負債は

2007年08月14日
 今までローンを組んで物を買ったことがありますが、払い終わるまで落ち着かないものです。(小心者の私には)特に高価なものになるほど返済期間が長いので途方も無くしんどくなってきます。
 「借金も財産のうち」などという言葉もありますが、私にはまったく持って意味不明です。
 「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。(ローマの信徒への手紙13章8節)」こんな言葉が聖書にあります。
 借りのある生活は感心出来ない。多くの負債を抱えて生きているのは不健全。借金は早く返すべき。早く身軽になりなさい。私にはそんな気持ちが込められているように感じます。
 けれども、聖書は“愛”については別だと語っています。愛だけは相互に負ったままでいいと言われています。「相互」というところがみそですが。

 私たちは払っても払っても払いきれないほどの愛の負債を神様に負っているところが大きいからなのでしょうか。
 
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人が多くなって来ました

2007年08月13日
 いつもは何処に行っても人が少ない小豆島ですが、さすがにお盆となるとどこもかしこも人であふれています。
 行楽の人もいるのでしょうが(先日土庄の海水浴場の横を通ってみると、海水浴客の多さにびっくりしました)、帰省された方々がやはり多いのだと思います。そういえば子供の数が異様に増えている気がします。普段は男性が少ないので、週日は何となく行きにくいスーパーでさえ、男性客がたくさん入っているので気軽に行けます。
 港も観光地(オリーブ園とか)も人と車で混雑しており、まるでいつもと違う様相です。
 実を言うと、いつもはどこに行っても人が少なく寂しい雰囲気なので、人が多いとほっとします。
 逆に、この時期にしか小豆島に来られない方は、本来の寂しげな小豆島の姿を知らないままということになります。ガラガラのオリーブ園とか二十四の瞳映画村とかの寂しさを知っても、何のメリットもありませんが。
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ウルトラマン

2007年08月12日
 3歳の次男は今ウルトラマンが大のお気に入りのようです。
 「機関車トーマス」とか「アンパンマン」とか「くまのプーさん」それに“戦隊もの”が好きなのは知っていましたが、ウルトラマンには全く興味がなさそうだったので意外でした。もちろんウルトラマンが好きで構いません。ただ、意表を突かれた感じだっただけの話です。
 どうして分かったかと言うと先月の七夕の日、幼稚園で短冊に願い事を書いた折「ウルトラマンになりたい」と書いたらしいのです。最初はただの気まぐれだろうと思っていましたが、先日おじいちゃんにウルトラマンの人形を買ってもらって悦に入っていました。しかも、おじいちゃんはもっと高いオモチャを買ってあげると言っていたのにそれを固辞してウルトラマン人形を買ってもらったらしいのです。しかも“ウルトラマン・ノア”というマニアックなのをせがんだのです。ヒーローものに関しては少々うるさい私でも知らないウルトラマンだったので、余計にショックでした。
 先週末は「バルタン星人が欲しい」と言い出したので、「自分のお金で買いなさい」と冗談交じりに断ったところ、妻が「そういえば、色んな人から時々もらったお小遣いをこの子は貯金箱に入れていた」と言い出し、確認してみたところ、バルタン星人どころかもう一人ウルトラマンを買ってお釣りがあるほど貯まっていました。一年がかりで貯めたらしいのです。脱帽。
 言った手前仕方なく、土庄まで買い物に連れて行く羽目になりってしまいました。プリペイドカードで買った方が得なので、次男からお金を預かってカードで払おうとしたところ、「自分で払う」と言って聞かないのでそうさせましたが、本人は相当ご満悦だった様子。1年掛けて自分で貯めた自分のお金で自分の好きなウルトラマンと怪獣(今回は星人でしたが)を買った事実は3歳児には衝撃的な出来事だったようです。少しずつ気付かないうちにお兄ちゃんになりつつあるような気がしてきました。その夜はバルタン星人とウルトラマンティガを抱いて寝ていましたが。
 ところで、その数日後となる今朝、私がネクタイ姿に着替えていたら目を輝かせて「今日は教会?」と聞いてきました。いつもはTシャツやポロシャツの私がネクタイを締めるので分かるのでしょう。「そうだよ。今日は日曜日だからね。」と答えると「うふふ」と意味ありげな含み笑い。ウルトラマンのことは忘れていたのですが、よほど嬉しかったのでしょう。今日、教会に来られた方全員にウルトラマンを見せびらかしていました。「そういうことだったのか・・・」
 しかし、どうして突然ウルトラマンなのか未だに分かりません・・・。

 そして全く余談ですが、ウルトラとは極端とか過度のとかの意味なので、ウルトラマンを直訳するとすごい名前です。
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夏季休暇・・

2007年08月11日
 先週、役員会がありました。教会の重要なことを決めるのは年1回の定期総会ですが、総会の決定に基づいて毎月行なわれる会議が役員会です。役員も総会で選出されます。細かなことは大体役員会で審議しいると言って良いでしょう。
 その(8月の)役員会が先週ありました。終わってみて気付いたのですが、今年も夏季休暇を取り忘れてしまいました。大抵、どこの教会でも牧師は夏に、日曜日を挟んで数日間~1週間程夏季休暇を取っています。
もう、今更休みは取れないと思うと寂しい気がしますが、そういえば昨年も夏季休暇を取っていませんでした。
 実を言うと、「今年こそ休暇を取ろうかな」とは薄々考えてはいたのですが、教会の実情を考えると休みが取りづらいというのが心の底にありました。第一、休暇を取ってもどこかへ出かける費用がありません・・・。
 ということで、一件落着かな。
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歯の治療

2007年08月10日
 今日はついでに治療することになった虫歯のために歯医者に行きました。大したこと無かったので、ちょっと削ってちょこっと詰めるだけの簡単な治療で、実際、今日一日で終わりました。
 しかし、歯医者さんというのは(当たり前ですが)歯科以外は専門外のようで、今日のように麻酔を使う場合など、とても慎重になられるので、こちらとしてもかえって恐縮してしまいます。そう、私が心臓の病を抱えているからです。歯医者さんは7年振りと前に書きましたが、その時は親知らずを抜いた時も「主治医に抜いて良いかどうか確認して欲しい」と言われました。今回も麻酔の量など慎重にされていたようです。
 ところが、慎重すぎて痛い!痛い!
 「痛かったら手を挙げてください」と言われていましたが、
 「痛すぎます!勘弁してください!」と言わんばかりに手を振ってしまいました。結局、麻酔の追加です。
 しかし、この麻酔の追加が曲者だったみたいで、しばらくすると違和感が口から側頭部を経由して頭に到達し、やがて痛くなり、その後ちょこっとぼーっとしてしまいました。
 抗血栓剤も飲んでいるため、血が止まりにくいのも厄介です。夜になってもまだ血が出ています。
 今日はゆっくり休むしかないようです。
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子供たちは全員虫歯ゼロ(親は・・・)

2007年08月09日
 我が家には16歳、14歳、3歳、1歳の子供がいますが、全員虫歯ゼロです。先日次男の3歳児検診の際も「虫歯はありませんね」と言われました。
 実は子供たちが虫歯にならないように、長男が生まれたときから注意していることが我が家にはあるのです。
 それはミュータンス菌に感染させないということで、歯磨きの習慣以上に気をつけました。
 もともと、生まれたばかりの赤ちゃんの口腔内には虫歯菌は無いそうです。ところが3歳児の約50%が虫歯になっているというデータがあります。殆どが周りの大人(特に母親)からミュータンス菌が感染しているからなのだそうです。
 スプーンや箸を共有するとか、口移しで食べさせるとか、親が咬んでやわらかくして食べさせることでミュータンス菌が感染してしまうらしいのです。熱い食べ物を冷ますために、親が“ふーふー”口で吹いたりするのも唾液が飛ぶので危険なのだそうです。
 我が家ではそういうことを一切しないように注意しています。
 口腔内には何種類もの細菌があるのですが、それらの菌の割合は人それぞれで違っているとのこと。大体3歳位で決まってくるようです。興味深いことに、割合が決まってしまえば、途中から別の細菌が入ってきても、菌の割合が変動することは無いらしいのです。つまり、口腔内細菌の割合が確定する3歳頃までに、そもそも存在しないミュータンス菌を子供の口の中に入らないように注意していれば、子供は生涯虫歯になりにくくなるのだそうです。
 数年間注意すれば良いだけですし、その注意もすぐ慣れっこになって当たり前になるので、特別大変と言うこともありません。
 大体虫歯の無い子供と言うのは、そういう点に気をつけているか、親自身もミュータンス菌に感染していないことが多いと聞きます。それででしょうか、次男の検診のとき「よろしければお母さんのお口も見せてください。」と言われたようです。
 末っ子はまだまだ気をつけないといけないので、もうしばらくは気を抜けませんが、この分では多分大丈夫でしょう(気を抜いて一人だけ虫歯になったらかわいそうです)。
 そういえば、子供が生まれる3ヶ月前からキシリトールガムを咬み続けるという人も増えているようです。同様の理由からでしょう。
 ちなみに、長男などは歯磨き嫌いで、いつも適当にしか磨かないにも関わらず、虫歯ゼロですから、効果の程は保障つきです。
 しかし、ミュータンス菌の感染経路を絶つ虫歯予防については、以外と知らない人が多いように思います。歯科関係者の啓蒙活動不足だと思いますが、啓蒙しすぎると仕事が減りますか・・・。
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両親のこと

2007年08月08日
 山口県にいる父が先日体調を崩し入院しました。
 田舎に住んでいるのに、高齢であることを危惧して昨年から車を手放してしまっています。
 病院へ行くのも一苦労だと思います。
 特に入院なんて大変だったと思います。母は気を使ってか、入院前に連絡してこなかったので、手伝いに行くこともできませんでした。
 とりあえず大したことはなく、養生するのが一番という様子なので、落ち着いたら行ってみようと思っています。
 しかし、私も長男ですから、両親の今後のこと(老後プラン)にも責任があります。いつまでも元気と言うわけではありませんから、真剣に考えなければなりません。
 聖書にも「あなたの父母を敬え(出エジプト20章12節)」とあります。両親を大切にしなければなりません。
 大したことはなかったとはいえ、真剣に色々と考えさせられる父の入院でした。
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殺してはならない

2007年08月07日
 8月はヒロシマ、ナガサキの原爆記念日があるため、どうしても“平和”について考えさせられますし、平和を求めることの大切さを思います。
 しかし、その平和を求めるために戦争が必要だとでも言うような論を耳にすると悲しくなってきます。人が人を殺すことで生み出される平和は平和ではないと思うからです。
 8月になると「戦争はよくない」と語る声をよく耳にします。けれども、それを注意深く聞いていくと、戦争によってどれだけ苦しんだか悲惨だったかというようなことがベースになっているケースも多くあります。被害者意識というと語弊があるかもしれませんが、それは人としての率直な実感だと思います。
 そういえば“戦争の加害責任”と言う言葉が出ると、実に様々な反応をする人たちがいます。「日本の加害責任を自覚しなくてはいけない」と言われる方がいるかと思えば、反対に「そんな自虐的な歴史観を持つ必要なし」と言われる方もいます。きわめて政治的な発言の応酬です。
 難しいことはよく分かりませんが、“人が人を殺すべきではない”という視点から考えていければと思います。
 ですから「この人、死刑になればいいのに!」という人の発言などを聞くとドキリとします。戦争は正義の名の下の殺人、死刑は法の名の下の殺人で類似性を感じるからです。私は死刑廃止論者とは言えませんが、死刑を正当化している人の多い日本の平和意識、反戦意識はどの程度のものなのかはなはだ疑問なのです。
 「殺してはならない(出エジプト20章13節)」の言葉の重さを感じます。
 
  
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歯の詰め物が取れてしまいました

2007年08月06日
 奥歯の詰め物が取れてしまいました。恥ずかしながらキャラメルを食べていたら取れてしまったのです。小学生の頃、ミルキーを食べていて詰め物が取れて以来の失態です・・・。
 普段キャラメルなんか食べないだけに妙な恥ずかしさがあります。たまたま何年か振りに一粒食べただけなのに・・・。
 でも、仕方ありません。現実をありのまま受け入れるしかありません。近所の歯医者さんに電話すると今日の夕方診て下さるというので助かりました。治療は早いに越したことはありません。
 しかし、久しぶりの歯医者さんです。前に行ったのは確か2000年頃でしたから、7年ぶり・・・21世紀になって初めてということになります。
 近所の歯医者さんは昨年建て替えられたのでとても綺麗になっています。明るくて近代的で、言っては悪いのですが、とても小豆島に有る歯医者さんとは思えないほど立派な歯医者さんでした。今まで、高知、山口、東京、札幌、岡山、松山と過ごしてきましたが、今まで通ったことのある歯医者さんの中で一番素敵な雰囲気でした。
 詰め物が取れただけですし、対処も早いので治療が長引くはずもありませんから気楽なものでした。
 ゆったりと綺麗な純白の椅子に腰掛けて診ていただくと
「ここに虫歯がありますね。これも治療しましょう。」
 がーーん。
 早く直るといいです・・・な。
 
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ハーブ

2007年08月05日
 ハーブで思い出しました。
 最初に図書館で絵本の読み聞かせをさせていただいたとき、会が終わってから図書館の事務所に招かれてハーブティーをいただいたのでした。
 そのとき、ハーブに関して他愛の無い話を幾つかしたのを思い出しました。
 昔、ハーブを栽培していて裏庭の隅をミントやレモングラスでいっぱいにしていたのですが、あるとき頼んだ下水工事の業者さんに根こそぎ抜かれたという話とかです。どうして彼らが気を回したのか不明ですが、「サービスで裏庭の雑草を抜いておきましたよ。えらく茂ってましたからね。しかしあの草は、匂いの強い草で参りましたよ。でも、サービスですから。」と汗をかきかきまぶしい笑顔で言われては何も言えませんでした。そんな話とかです。
 その時の印象が強かったのかもしれませんね・・・。
 図書館で“おはなしかい”があるときは入り口の脇に案内が出ています。しかし、その、主催“ハーブの会”と言う表示を見て来られた方は、私を見ると「えっ!」という顔をされているような気がするのは気のせいでしょうか・・・。
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図書館 おはなし会

2007年08月04日
 小豆島町立図書館(正式名称“むとす館”)で絵本の読み聞かせをしていることは前にも書きました。あまり詳しくは考えたこともありませんでしたし、詳しく話し合ったこともありませんので、“絵本の読み聞かせ”と言ってきましたが、正式には“おはなしかい”なのだそうです。
 “おはなしかい”には4つのグループがかかわっていて、それぞれ次のように担当しているようです。
①毎月第2日曜日 13時30分~14時 おはなしひとみ会 主催:ひとみ会
②毎月第2火曜日 10時~10時30分 わくわくおはなし会 主催:オリーブ会
③毎月第4土曜日 14時~14時30分 てるきさんのおはなし会 主催:てるきさん
④毎月第4火曜日 10時~10時30分 おはなし会 主催:ハーブの会
 4つのグループと言っても、私のように個人でされている方もいます。
 ちなみに私の担当しているのは④の“おはなし会”です。他の会みたいに「わくわく」とか何とかつけたして欲しかった気もしますが、思いつかないので良しとしましょう。しかし、いつの間にか主催者名が“ハーブの会”になっていたのは不思議な気がします。私とハーブがどうしても結びつかないのです・・・。  
   
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地デジはまだいらない

2007年08月03日
 今日の新聞に、テレビの完全デジタル化の2011年まであと4年しかないのにデジタル受像機(テレビ)の普及率が思わしくないという記事がありました。
 今後4年間、毎年2千万台以上の買い替えが必要だとか、庶民のために5千円程度でデジタルチューナーを販売すべきだとか、国は考えているようです。
 しかし、一庶民の側から言うと、完全デジタル化まであと4年もあるのですから、まだテレビは買い換えどきではないと思うのです。製造メーカーが想定している電化製品の寿命は大体6~8年で、長くもって10年程度といわれていますから、それを思うと、デジタル放送は始まっているとは言え、アナログのままで全然困っていませんから、4年も先取りして地デジのテレビを買おうなどとは考えられません。破棄するのにもリサイクル法により費用がかかるのですから、できるだけ買い替えを遅くしたほうが得策なのです。
 お偉いさんもそれくらい分かって欲しいなぁ。
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大切な願い

2007年08月02日
 またまた、台風が接近してきたので、あれやこれやと心配し始め、気分が憂鬱になってきつつあります。

 しかし、そういう状況で色々と考えていると、人にとって最も必要なことはそう多くないはずだという思いが首をもたげてきました。
 私たちはともすると“家内安全”“無病息災”“商売繁盛”etc.・・・、悩みに応じてあれもこれもと求めてしまい易く、かえって最も大切な点を見失ってしまうことが多々あるような気がするのです。
 もちろん、キリスト教はご利益宗教ではないので、“家内安全”“無病息災”“商売繁盛”などと祈ったり願ったりしません。しませんが、やはり人ですから、言葉や雰囲気が違って全く信仰篤いように祈っていても、内容的には似たようなことを願ってしまったりする人は多いと思います。
 それを批判したり否定する気はありません。人は弱い者ですし、苦しみや痛みの中でそういうことを願うのは人として自然な気がするからです。また、イエス・キリストは何でも祈りなさいと言われていますから、大丈夫なのです(祈り続けていく中で祈りは淘汰されて本物になっていくからでしょう)。

 マルコ福音書10章46~52節にある盲人バルティマイの癒しの話を思い出しました。彼は道端で物乞いをしていたところイエス・キリストが道を通られていると聞き、声を張り上げ、人々がしかって黙らせようとしても「ダビデの子イエスよ、憐れんでください」と叫び続けたとあります。結果、彼はイエス・キリストに呼ばれます。そして、「何をして欲しいのか」と聞かれたとき、彼は「目が見えるようになりたいのです」と即座に答えました。
 全くぶれずに、自分にとって一番大切な願いはこれだというものを彼はしっかり持っていたことに衝撃を覚えます。
 多くの不平不満と多くの願望を抱えて人は生きています。彼とて例外ではなかったと思います。しかし、彼は思いがけない突然のチャンスにもかかわらず、迷うことなく大切な願いに焦点を合わせたのです。
 彼はイエス様に呼ばれたとき「上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのもとへ来た」とあります。自分の目が見えるようになる前に、既に自分は救われたと確信したのかもしれません。

 私たちは本当に大切な願いに焦点を合わせて生きているだろうか。
 その大切な願いと思っているものは本当に大切な願いなのか。
 ただそう思い込んでいるだけではないのか。
 惑わされてはいないか。
 その願いが本物なら神様に既に受け入れられていると信じているのか。
 迫り来る台風に備えながら、そんなことを考えさせられました。
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