2007年08月02日 22:31
またまた、台風が接近してきたので、あれやこれやと心配し始め、気分が憂鬱になってきつつあります。
しかし、そういう状況で色々と考えていると、人にとって最も必要なことはそう多くないはずだという思いが首をもたげてきました。
私たちはともすると“家内安全”“無病息災”“商売繁盛”etc.・・・、悩みに応じてあれもこれもと求めてしまい易く、かえって最も大切な点を見失ってしまうことが多々あるような気がするのです。
もちろん、キリスト教はご利益宗教ではないので、“家内安全”“無病息災”“商売繁盛”などと祈ったり願ったりしません。しませんが、やはり人ですから、言葉や雰囲気が違って全く信仰篤いように祈っていても、内容的には似たようなことを願ってしまったりする人は多いと思います。
それを批判したり否定する気はありません。人は弱い者ですし、苦しみや痛みの中でそういうことを願うのは人として自然な気がするからです。また、イエス・キリストは何でも祈りなさいと言われていますから、大丈夫なのです(祈り続けていく中で祈りは淘汰されて本物になっていくからでしょう)。
マルコ福音書10章46〜52節にある盲人バルティマイの癒しの話を思い出しました。彼は道端で物乞いをしていたところイエス・キリストが道を通られていると聞き、声を張り上げ、人々がしかって黙らせようとしても「ダビデの子イエスよ、憐れんでください」と叫び続けたとあります。結果、彼はイエス・キリストに呼ばれます。そして、「何をして欲しいのか」と聞かれたとき、彼は「目が見えるようになりたいのです」と即座に答えました。
全くぶれずに、自分にとって一番大切な願いはこれだというものを彼はしっかり持っていたことに衝撃を覚えます。
多くの不平不満と多くの願望を抱えて人は生きています。彼とて例外ではなかったと思います。しかし、彼は思いがけない突然のチャンスにもかかわらず、迷うことなく大切な願いに焦点を合わせたのです。
彼はイエス様に呼ばれたとき「上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのもとへ来た」とあります。自分の目が見えるようになる前に、既に自分は救われたと確信したのかもしれません。
私たちは本当に大切な願いに焦点を合わせて生きているだろうか。
その大切な願いと思っているものは本当に大切な願いなのか。
ただそう思い込んでいるだけではないのか。
惑わされてはいないか。
その願いが本物なら神様に既に受け入れられていると信じているのか。
迫り来る台風に備えながら、そんなことを考えさせられました。
しかし、そういう状況で色々と考えていると、人にとって最も必要なことはそう多くないはずだという思いが首をもたげてきました。
私たちはともすると“家内安全”“無病息災”“商売繁盛”etc.・・・、悩みに応じてあれもこれもと求めてしまい易く、かえって最も大切な点を見失ってしまうことが多々あるような気がするのです。
もちろん、キリスト教はご利益宗教ではないので、“家内安全”“無病息災”“商売繁盛”などと祈ったり願ったりしません。しませんが、やはり人ですから、言葉や雰囲気が違って全く信仰篤いように祈っていても、内容的には似たようなことを願ってしまったりする人は多いと思います。
それを批判したり否定する気はありません。人は弱い者ですし、苦しみや痛みの中でそういうことを願うのは人として自然な気がするからです。また、イエス・キリストは何でも祈りなさいと言われていますから、大丈夫なのです(祈り続けていく中で祈りは淘汰されて本物になっていくからでしょう)。
マルコ福音書10章46〜52節にある盲人バルティマイの癒しの話を思い出しました。彼は道端で物乞いをしていたところイエス・キリストが道を通られていると聞き、声を張り上げ、人々がしかって黙らせようとしても「ダビデの子イエスよ、憐れんでください」と叫び続けたとあります。結果、彼はイエス・キリストに呼ばれます。そして、「何をして欲しいのか」と聞かれたとき、彼は「目が見えるようになりたいのです」と即座に答えました。
全くぶれずに、自分にとって一番大切な願いはこれだというものを彼はしっかり持っていたことに衝撃を覚えます。
多くの不平不満と多くの願望を抱えて人は生きています。彼とて例外ではなかったと思います。しかし、彼は思いがけない突然のチャンスにもかかわらず、迷うことなく大切な願いに焦点を合わせたのです。
彼はイエス様に呼ばれたとき「上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのもとへ来た」とあります。自分の目が見えるようになる前に、既に自分は救われたと確信したのかもしれません。
私たちは本当に大切な願いに焦点を合わせて生きているだろうか。
その大切な願いと思っているものは本当に大切な願いなのか。
ただそう思い込んでいるだけではないのか。
惑わされてはいないか。
その願いが本物なら神様に既に受け入れられていると信じているのか。
迫り来る台風に備えながら、そんなことを考えさせられました。





最近のコメント