09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

見てますよ

2007年10月31日
 昨夜、四国教区議長からメールを頂きました。“3分のために有難うございます”というもの。
 昨日のブログをご覧になられていたんですね。恥ずかしいやら申し訳ないやら嬉しいやら。
 ブログに書いたことに関しては、別に不満も何も無いのですが、それにしても、当日にメールが届いたのには正直驚きました。
 「先生のブログいつも拝見していますよ。」
 とは言われていましたが、社交辞令ではなかったのですね・・。
 そういえば今までも時々いろんな方から
「三野さん(先生)のブログ楽しみに見ていますよ。」
 などと言われたことが何度かありましたが、あまり意識していませんでした。少しは気にした方が良いのかもしれません。
 内海教会の方が一人も見ておられないので、結構安心というか油断しているみたいです。
 もちろん、それだけに
 「ブログ見ていますよ。」
 と、唐突に予想外の方から言われると“どきっ”とします。
 考えてみれば、ブログにカウンターを設置してちょうど一年で13,600アクセスを超えている訳ですから、結構な数の方が見ていてくださっているということです。
 「改めて気合を入れなおして書くことにします。」
 と、言いたいところですが、多分今まで通り何も変わらないでしょう。申し訳ありませぬ。
スポンサーサイト
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0)

15時間かけて2~3分

2007年10月30日
 昨日はある会議に“陪席”するために松山へ行ってきました。
 午後1時からの会議ですが、朝7時過ぎに家を出なければなりません。草壁港の第1便7時50分発高松行きフェリーに乗船です。
20071031061853.jpg

 “草壁港”“池田港”“土庄港”から高松へ船が出ていますが、小豆島から高松までいずれも1時間かかります(距離が違うのに時間も料金も一緒とはぞそれ゛のフェリー会社で何らかの協定が結ばれているのかもしれません)。
 松山へ行くにはJRか高速バスということになりますが、時間的にも料金的にも高速バスの勝ちです。しかし、松山行きの高速バスは毎時50分発となっています。そうです、船が港に到着した時間が出発時間なので、まるまる1時間バス停で待たなければなりません。
20071031061955.jpg

 数日前の琴電を思い出します・・・。
 会議は午後1時から午後6時まで。私はこの会の“委員ではなく”、単に“報告義務のある陪席者”なのでした。5時間の会議に出て、私が報告のため発言したのはほんの2~3分に過ぎませんでした・・・。
 帰りは会議をほんの少しだけ早く抜けさせていただいて、予定通り18時8分発高松行きの高速バスに乗車しました。このバスは20時10分高松駅に到着予定となっているので、小豆島への最終便20時30分草壁港行きで帰れる算段でした。
 ところが、このバスが私の待つバス停に来たときは既に7分遅れ・・。時刻表によると、このバスの高松駅到着時間は20時10分でしたが(それでこのバスにしたのですが・・)、高速道路走行中、バスの車内電光掲示板に表示される到着予想時間は20時17分(!)でした。バス停から港まで走って10分ほどと考えると間に合うかどうかひやひやものです。このフェリーに乗り遅れたら、次は翌日まで無いのです・・・。
 しかも、もし、港まで一目散に走って船に間に合ったとしても、まだ夕食を食べていないのです・・・。会議の会場からバス停までにもバス停付近にもコンビニなど無かったので夕食を買えなかったのです・・。ただ、時間は遅くなってしまいますが、高松駅のバス停の真ん前にスーパーがあるのでそこでお弁当を買って船内で食すという青写真を即座に描いたのですが、それも脆くも崩れそうでした。空腹と船の時間が気になって不安感は最高潮に達していました。
 「バスは良いねえ。寝ながら帰れるから(笑)。」
 車を運転して会議に来られていた方からそう言われましたが、気になって気になってハラハラドキドキして、全く休むどころではありませんでした・・・。本も読めません。
 間に合っても、自宅に帰り着くのはどうあがいても22時頃・・・。昼食は早めに11時前に取っていたため、それまで夕食がお預けなのは耐えられそうもありません・・・。
 しかし、下車する人が居なかったバス停がいくつかあったため、高松駅にバスが到着したのは最終的に3分遅れの20時13分でした。
 ダッシュしてスーパーで弁当を買い、港までまたまたダッシュ。
 空腹のダッシュが中年にとってこんなに辛い事とは・・・。
 とにかく予定通り無事帰ることが出来ました。めでたしめでたし。
 って、でも、朝の7時から夜10時までかかって、話をしたのはたったの2~3分・・・。・・・脱力ぅ~・・・。
 四国中から委員さんたちが集まっていた会議でしたが「私が一番遠遠かったんじゃないかな・・・」と、弁当を食べ終えてそんな事をつい考えてしまいました。
 ・・・やはりバイクで行くべきだったかな~。
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0)

そのままの自分

2007年10月28日
 以前、“教会も聖書も神様も大好きだし素晴らしいと思っているんだけれども、性格が暗くなったような気がする”と漏らす人に出会ったことがあります。
 また、年頃の男性で“聖書に「みだらな思いで…見るものは…その女を犯したのである」とあることもあり、性的なものに対して非常な嫌悪感を持っている”と言われる人もいました。
 そういえば“牧師の格好(ラウンドカラーのシャツに黒服)の時は、電車などでミニスカートの女性の足元は見ないようにとそんなことが気になる”という牧師さんもいました(普段は見ているのでしょうか…)。
 なんだか“キリスト者はこういう存在”“牧師はこういう存在”という先入観が各人にあって、その概念に縛られているような気がします。 “○○はこうあるべき”という考え方が悪いというのではありませんが、キリストを信じている者が“したこと”は、どんなに不道徳なことであってもキリストを信じている者の行為であることに変わりありません。牧師もまた然りです。
 “こうあるべき”という範囲からはみ出てたとしても、それをしたからキリストを信じている者ではなくなってしまうものではないと思うのです。
 開き直れといっているのでもありません。しかし、時に過ちを犯し、失敗をし、心の弱さゆえに正しいと分かっていることが出来ないという自分であるということ、自分の現実や原点に蓋をしたりごまかしたりするのではなく“そういう自分なんだけれども神様を信じている”、“そういう自分だからこそ神様を信じている”、“そんな自分が神様に愛されている”、そんな風に自然に考えたり受け止めたりすることの方が大切な気がします。
 “あの人はいつも正しくて立派で、やっぱりクリスチャンって素敵よねー”と言われなくて良いじゃないか、そんなことのために生きる必要ないじゃないかと思ってしまうのです。
 自分で自分を縛ったり、他人の視点に縛られたりしなくて良いように神様は私たちを愛しておられると思うからです。
思ったこと | コメント(0) | トラックバック(0)

乗り遅れ・・・

2007年10月27日
 昨日、琴平教会で“四国教区だより編集委員会”がありました。
 16時開催予定なので13時30分草壁港発高松行きフェリーで出発しなければなりません。ところが、これに乗り遅れてしまったのです・・。
20071027164619.jpg

 いつもは使わない時間帯の便(第3便)だったため、7時台の第1便と10時台の第2便がそれぞれ“50”分発であることに惑わされ、13時50分発と勘違いしたのでした。
 それでも、いつもなら時間より早めに港へ行っているのですが、昨日は郵便局をまわったり色々と用事をしていたため、港に着いたときはちょうど出航した直後でした・・。
 手を伸ばせば届くような目の前に船はあるのに置いてきぼりです・・。あのこみ上げてくる寂莫感といったら切なすぎです・・。
 それでも、気を取り直して別の港からでも、高松に出来るだけ早く迎えるフェリーか高速艇を調べたのですが、結局14時45分草壁港発の高速艇しかないようでした。
20071027164706.jpg

 1時間以上待って、フェリーの倍の料金を支払って、あせる気持ちを抑えて高速艇に乗り込みました。
 15時30分高松港着。走って琴電の高松築港駅に向かいましたが、無情にも電車は出たばかりでした。それも、高速艇が着岸したのと同時刻の15時30分です。しかも、琴平まで行くのは1時間に2便で、16時まで待たなければなりませんでした。つまりまるまる30分ホームで待たねばならないのでした・・。
20071027164745.jpg

 琴平教会に着いたのは17時ちょうど。
 なんともはや、着いてみると作業は終了していました・・・。
 委員長なのに・・。
 皆さん本当に申し訳ありませんでした・・・。
 委員は琴平教会のK先生ご夫妻の暖かい鍋をご馳走になりましたが、働いていないわけですから、なんとも居心地の悪い状況でした。しかし、鍋があまり美味しかったので、人一倍食べてしまったようです・・。
 「働かざるもの食うべからず」そんな言葉を思い出しつつ、「もともとのこの言葉は新約聖書“テサロニケの信徒への手紙第2の3章10節”にあったなぁ。しかも、行ってる意味は全然違うし・・。」などと考えつつ帰途に着いたのでした。
20071027164833.jpg

 家を出たのが13時過ぎで帰り着いたのが22時。仕事さえしてたら、もう少し疲れが少なかったかもしれません・・・。
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0)

決意するかどうか

2007年10月25日
 断酒会などに関わっている友人に聞いたところによると「断酒と言うのは“根性”や“強い意志”が必要だと考えている人が多いけれど本当は“決意するかしないか”だけなんだ。」とのこと。
 しかも「断酒に限らず人生のあらゆる場面において、この“決意するかしないか”が問われている」というのです。
 決意無しにどれだけ強く願っていても前進は無いのだそうです。言われてみれば確かにそうかもしれません。私たちの願望はどんなに強く願っていても「そうだと良いな」とか「○○出来ればな」止まりで、決意になっていないことが多くあります。
 例えば“これから早起きするぞ”と考えても、朝になると「あともう少し寝ていよう」とか「明日からにしよう」などと頭をもたげてくる誘惑に完敗してしまう事しばしばです。
 決意したつもりでもやはり「朝早く起きられると良いな」という願望に過ぎなかったことが露呈してしまいます。
 「何としても○時に私は起きる。何故なら早起きしてどうしても○○したいからだ。」という理由付けも大切な要素かもしれません。断酒や禁煙も然り。「体に悪いからやめられるといいんだけどね」では理由付けにもなっていないし、決意にもなっていないのです。
 “どういう理由で私は○○をするか”があってはじめて決意できるようです。
 ちなみに禁煙とか断酒は意志の弱い人の方が上手くいくと聞いたことがあります。意志の強い人は「やめると言ったら絶対にやめなきゃ」と自分にプレッシャーをかけてしまい、そのプレッシャーでかえって失敗してしまうことが多いそうです。意志の弱い人は「どうせ駄目だろう。中断しても仕方ないか。」と気楽に取り組めるのが功を奏するとのこと。もちろん、これらは“決意”ではなく“願望”の段階での話です。
 しかし、根性や精神力、意志の強さではなく“決意するかどうか”が肝心だとは面白いものです。
 そういえば、信仰もそんなところがあるのかな。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

月の大きさ

2007年10月24日
 昨夜は“十三夜”でした。
 9月26日に「月見 十五夜と十三夜」と題して書いているので詳しくは触れませんが、今までで初めて十五夜と十三夜の月を同じ場所で見ることが出来ました(教会の庭ですが・・)。
 十五夜はすっきりしない夜空の時が多いのに、十三夜の夜は晴れることが多いようで、“十三夜に曇り無し”という言葉もあるそうです。
 そういえば、十五夜の月は見なかったのか見えなかったのが記憶があいまいなのに対し、十三夜の月だけは記憶に残っている印象があります。
 満月で無いにもかかわらず、えもいわれぬ趣の十三夜ですから、写真に撮ってブログに載せようと思いましたが、あいにく望遠レンズも使えないケータイのカメラですから適いませんでした。
 月って実は意外と小さいのです。学生時代200mmの望遠レンズにコンバーションレンズを付けて400mmの望遠で月を撮った事がありますが、それでやっと「月かな」という程度に写るくらいです。(ちなみに50mmが標準ですから、400mmは8倍と考えてください)
 「えーっ、うっそー!」と言われる方が圧倒的に多いのは、「肉眼で見えている月の大きさは、手をいっぱいに伸ばした時の指先に載せた物の大きさに例えるとどれくらいか」という質問の答えを聞いたときです。伸ばした手に持った物を月にかざして同じ大きさになるのは何かということですが、たいていの方は“りんご”とか“ソフトボール”くらいの大きさだと考えるようです。人によっては“サッカーボール”ほどの大きさだと言われます。
 正解は“5円玉の穴の大きさ”なのです。信じられないなら5円玉を持って手を伸ばしてつきにかざしてみてください。こんなに小さかったのかとびっくりします。当然のことですが、太陽もほとんど同じ大きさです。
 人間の目ってズーム機能なんか無いのに、興味に応じて、見たいものに応じて望遠レンズみたいだったり、広角レンズみたいだったりするのが凄いです。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

トイレの臭いトイレの匂い

2007年10月23日
 一年前にもこんなことがありましたが、教会のトイレがやけに臭うようになってきました。浄化槽のバクテリアが少なくなったのでしょうか。浄化槽の会社に電話しないといけないようです。
 内海教会のトイレは礼拝堂横の廊下に面してあり、個室でありながら天井が開いているという特異な作りなものですから、臭い始めると廊下ににおいが充満し玄関にまで達してしまいます。
 数日前からこんな状態になってきましたが、土日は会社が休みでしょうし、昨日は忙しくて連絡できませんでした。今日、図書館で絵本の読み聞かせのボランティアを終えてから連絡するつもりです。
 今朝、新聞を取りに行ったとき、玄関で“やっぱり臭うな”と思いつつ、表に出ると、今度はどこからともなく金木犀の香りが・・・。そう、金木犀の季節なのでした。
 しかし、いつもなら“良い匂い”だと季節の恵みを享受するところなのに、とっさに思ったのは“表に出てもトイレの別の臭いみたいだ”でした。
 
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

ご用心

2007年10月22日
 “頼まれた説教と招かれた食事は断らない”主義できましたが、今日、ある分区の信徒修養会の講師(?)をお断りしてしまいました・・・。
 不本意さと申し訳なさが交錯して気持ち的に不快感を感じてしますが、小豆島と言う立地条件では日曜日の午後の修養会に行くとなると、午前中の礼拝を取り仕切ることは出来ませんし、礼拝を休むわけにはいきませんから、必然的に前日から海を渡っておくことになります。
 しかも、翌日から2日間連続で会議の予定が入っていますし、前日の金曜日も委員会が入る予定になっています。つまり、5日間も連続で教会を空けなければならないのです。
 人数がもう少し多い教会でしたら、日曜日も信徒礼拝として守ったり出来るかもしれませんが、現状から言うと限りなく無理です・・・。
 また、私の体力の問題もあります。心臓の寿命を延ばすために心機能を落とす薬が昨年より処方されており、ちょっとのことで物凄く疲れてしまうのです・・・。その観点から言っても5日間はちょっと無理です・・。今回の見舞いと葬儀で4日間出かけただけでも相当後を引いていることからも容易に想像できます。
 心臓が悪くても心機能は高く、体力に自信はあったのですが、心機能を落とされては用心するしかありません。
 それにしても講師をお断りして大変申し訳無く感じました。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

基本に忠実に ヒムプレイヤー

2007年10月21日
 内海教会ではオルガニストがいないため、ヒムプレイヤー(讃美歌自動演奏機)を使って伴奏しています(もちろん私が聖壇の所で操作しています)。
 ところが、困ったことにこのヒムプレイヤーは時々調子が悪くなるのです。とは言っても、ヒムプレイヤー本体の問題ではなく、接続しているアンプとスピーカーの調子や接触が悪いのです。
 時々、左右のスピーカーの音量が極端に違ってしまったり、ボソボソとした雑音が入ってしまったり、最悪の事態、音が出なかったりしてしまうのです。
 それでいつも礼拝前に音量も含めて、音が出るかどうか確かめたりアンプの調整をしたりするのですが、何と今日は全く音が出ず、仕方なく今日の礼拝は(部分的に)アカペラでする羽目になってしまいました(何曲かは妻が即興で「主旋律だけなら」と弾いてくれたのでした)。
 前にも書いてきたように先週は慌ただしく過ぎたため、今週の週報の印刷は日曜の朝(今日)になってしまい、今日に限ってヒムプレイヤーの音の確認をしていなかったのでした。
 そういうときに限って調子が悪いとはまるっきしトホホです。
 いついかなるときも基本に忠実であることの大切さを思い知りました。
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0)

家族で

2007年10月20日
 大伯父の葬儀では“忌引き”扱いにはならないでしょうし、高校も中学も中間試験の真っ最中と言うこともあり、長男と長女は伯父の葬式に行けませんでした。
 二人は健気にも自分たちで食事を作ったりして過ごしてくれました。いつもは寝坊気味で、起こさないと遅刻になるようなこともしばしばでしたが、親が居なければ居ないでかえってがんばるものなのかなと思わされました。もっとも、洗濯物を溜め込んでいたのには閉口しましたが・・。
 次男と三男は置いていくことは出来ないので、必然的に同行してもらった訳ですが、私も妻も相当疲れたので、子供たちはなおさらだったと思います。小さいながらもがんばってくれたなぁと感動するやら申し訳ないやら。
 今日は娘がクッキーを焼いたので皆で食べました。
 なんだかんだと言っても家族全員で支えあって楽しく生きているのかなと思った週末でした。
プライベート | コメント(0) | トラックバック(0)

またいつか

2007年10月19日
 今週のこの数日間で岡山県、広島県、山口県、香川県、愛媛県、高知県を通過したり滞在したりしました。すべて車での移動です。1000km以上走った計算になります。
 父の見舞いに続いて伯父の葬式に列席するためでした。
 さすがにへとへとですが、なんともいえないけだるさは別の理由のようです。
 伯父の葬儀の際、私は日本基督教団の牧師ですが、所属する団体の違いもあり、牧師でありながら何一つさせていただけなかったのが残念でならなかったのでした。
 伯父は生前
「俺の葬式の時は慶仁にお祈りしてもらいたい」
と言っていたと聞いていただけになおさらです・・・。
「さよなら。おんちゃん。またいつか天国で会おう!」
プライベート | コメント(0) | トラックバック(0)

高知の伯父さん

2007年10月17日
 高知にいる伯父が亡くなったとの訃報。
 この伯父一家は親類の中で唯一のクリスチャンホームでした。
 以前、私と母が伯母に誘われて教会に行ったことを書いたことがありますが、その伯母の夫です。
 まさに“土佐のいごっそう”を地で行く人で、存在感は半端ではありませんでした。
 考えてみるとこの方の存在が無ければ、キリスト教と出会っていなかったかもしれませんし、牧師にもなっていなかったかもしれません。
 私にとってのキーパーソンの一人と言える人物です。
 私が牧師になろうと神学校に行く前、この伯父に呼び出されて
「ええか、よしぃと(慶仁)。地獄の釜のふたを開けたらやにゃあ、坊主と牧師がウジャウジャ居るもんぞ。それを覚悟して牧師になれ。」
と、言われたのを昨日のように思い出します。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

山口は遠かった

2007年10月16日
 昨日から一泊で山口県にいる父の見舞いに行って来ました。
 もうかなり元気で安心しましたし、久しぶりに孫たちと会えて嬉しそうにしている姿を見ていると、行ってよかったと思いました(少しばかり遅くなりましたが)。
 しかし、山口は本当に遠くて疲れてしまいました。
 土庄から岡山行きのフェリーに乗り、あとは高速道路ですが、250km以上あります。おまけに、国道で工事が多くて辟易して高速に入ったものの、高速でも工事や除草作業に電球の付け替えの繰り返し・・・。
 必要以上に疲れる道路事情だったとはいえ、グロッキーな自分が情けない気がします。
 以前は30時間以上連続で車を運転したとか、休憩ほとんど無しで松山~東京を往復したとか、そういう過去があるだけに、体力が落ちてきたのかなと、少しさびしくなりました。
 ただ、このままにはしておけませんから、そのうち新たな武勇伝を作りたいと密かに思っています。
プライベート | コメント(0) | トラックバック(0)

今日は短くしてみました

2007年10月15日
 聖書は旧約聖書に39巻、新約聖書に27巻の合計66巻が合わさった本です。“さんくにじゅうしち”と覚えると覚えやすいです。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

長すぎ・・読まなくてもいいです

2007年10月14日
 今日は“聖書を読む会”があり、創世記22章1~19節を読みました。「アブラハム、イサクを捧げる」と見出しのついたところです。
 いつもどんな話をしているのかと思われているかもしれませんので(誰が?・・)今日はお話したことを掲載してみることにしました。しかし、長くなってしまったので、別に読まなくても結構ですよ・・・。
                     
 人生は選択の連続です。必ず何かを選び取らなければならない、事あるごとに、そんな岐路に立たされます。どんなにその時の自分が未熟であっても、状況を理解し尽くしていなくても、その選択の決断にはどれ程の重みがあるのかが分かっていなくても、選択し続けなければなりません。生まれてから死ぬまでの間、選択の連続です。それを選ぶしかなかった、周りの皆にその道を勧められて断れなかった、状況的に選択の余地が無かった、こうするしかなかった、と言ったところで、その結果の責任を取らなければならないのは自分自身です。どういういきさつであったとしても、その選択をしたのは他ならない自分自身だからです。どういう事情であれ、自分で下した選択の責任は自分に帰ってきます。
 殺すことが出来れば信仰があると、短絡的に考えることには無理があります。しかし、「いや、アブラハムは子供の人格を無視するような人とは思えないし、第一イサクは年老いてやっと授かった子供だ。繁栄すると約束された子孫だってイサクがいなくなればいきなり途絶えてしまうことになる。アブラハムにとっては簡単に殺すことの出来ない対象がイサクだ。」と考えられます。では、神様はどうして殺せないイサクを殺せとアブラハムに命じたのか。本当に殺させたかったのか。それとも、最初から殺させるつもりは無いのにアブラハムに命じたのか。途中で気が変わったのか。正義であり、真実である神様にしてはどこに一貫性や正当性があるのかが悩むところです。
 この箇所には全く心理描写というものがなされて下りません。アブラハムの心の葛藤、父親に縛られ刃物を向けられたイサクの心理が全く記されないまま、物語が展開していきます。しかし、誰が読んでも、アブラハムがここで神様の言葉だからと従順に何も疑わずイサクを殺そうとしたとは思えません。言葉で言い表せない、深い深い苦悩がここにあったはずです。この年になって初めて授けられた息子。神様が何度も何度も約束してくださった祝福の民の出現がこの子から始まる。この子が生まれるのを何年待ったことだろう。そして、この子が誕生してからどれだけの喜びと共に、一緒に成長してきたか。目に入れても痛くない息子。自分の命より大切な息子。それがアブラハムにとっての息子イサクです。その子を神様が犠牲として捧げよと命じる。当然出来ないと思う。しかし、神様を信頼している。拒めば神様からの祝福はなくなってしまうかもしれない。でも、肝心のイサクが居なくなれば、約束された子孫はなくなってしまうではないか。私は必ず、何かを失ってしまうではないか。もし、別の子が与えられて、そこから子孫が繁栄したとしても、このイサクは戻らない。しかし、神様には逆らえない。でも、従いたくない。しかし、神様は無から有を生み出されるお方ではないか。いやそれにしても、息子を手にかけることはできない。ああ、八方塞がりではないか。どうすればいい。神様の命じられるようにイサクを殺せるか、殺せないか。どちらか一つなのか。どうすればいいんだ。・・・。
恐らく、そういった事柄がいつまで経っても、ぐるぐるぐるぐると堂々巡りで、結論が出ないまま、考え続けながら、結論が出ないまま、アブラハムはロバに鞍を置き、捧げ物に用いる薪を割った。さらに悩み続けながら、二人の若者とイサクを連れて、神様の命じられた所に向かっていった。結論が出ないまま、祭壇を築き、薪を並べ、イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。さらに悩みつつ結論が出ていないまま、アブラハムは刃物を握って振り上げた。結論の出ない悩みの中で・・・。そういうことではないかと私は思います。イサクの体に刃物が触れる直前まで、アブラハムには「苦悩」と「行動」がありました。刃物がイサクの体に触れる寸前のところで、アブラハムの行動はストップしてしまったのではないかと、結局は淡々とここまでは行動して来ざるを得ないままだった。しかし、そうでありつつも、いずれにせよ、アブラハムの行動はここで止まってしまったのではないかと、私は思うんですね。アブラハムを貫いているのは悩みです。深い深い苦悩です。
 最初に申し上げましたように、人は自分の選択の結果を引受けていかなければなりません。自分の行動の結果の責任を取らねばなりません。未熟さ、過ち、混乱、興奮、そういった要因から適切な選択が出来ないことも多々あって、間違った選択をしてしまうことがどうしてもあります。それが、私たちの現実です。しかし、神様は何よりも私たちの心をご覧くださっていることを思います。私たちはこの身に結果を引受けるだけに、結果を重視しますが、神様は私たちの選択のそのとき、その心をご覧になられていると言うことを、この箇所を読んで強く思わされます。このところはまさにアブラハムへの試練、試みだと言われますけれども、まさしく試み、アブラハムの心を神様が見るものでした。彼の苦悩をしっかりとご覧になられた場面でした。
 神様の言いつけどおり、アブラハムがイサクに手をかけていれば、彼は間違いなく神様を何よりも第一とする信仰を持っていたと言えるかもしれません。しかし、その場合、彼は人の命を軽んずる者、愛の無い者となってしまいます。反対に、アブラハムがイサクを守るために、神様の言いつけに背いていれば、彼は親らしい愛情を持った者であることが証明されますが、神様をないがしろにする不信仰者となっていたはずです。
 私たちは一つの選択の時に、つい、「あれか、これか」と考えてしまいます。また、「あれか、これか」と言われるとその二つしか選択肢が無いように感じてしまうものです。余談ですが、デパートの店員さんは、この心理を巧に利用しているような気がします。買う気も無くて、ただなんとなく、ネクタイを見ていたりすると、「このネクタイですか。お出ししましょう。」と言って、次々とショーケースの上に出して並べます。それから、どのような色が好みなのか、どれが好きかという事を聞いてきて、二本残して、最後にこう言います。「どちらになさいますか」。私の父は船乗りなので、ネクタイは要らないんですが、時々、こうやってネクタイを買って帰ってきました。フルコースの料理をレストランや結婚式場で食べる。「デザートにケーキかフルーツの盛り合わせがございますがいかがいたしましょうか。」と言われると、お腹いっぱいでもついどちらかを頼んでしまって、結局残すということもあります。最初から、もういらないという選択肢もあったはずです。ある国の独裁者は勝手に戦争を始めておいて、「われわれは勝つか、負けるかしかない。我われは勝つのだ」と、戦争を肯定する考えを国民に植えつけて行ったといわれる人もいます。勝つか負けるかではなくて、戦争をやめるという選択肢を意図的に消していったわけです。
 「あれかこれか」でしか、考えられないと思っていても、実は第三の選択があるのではないか。私たちは選択を迫られるその時々に、あれかこれかに加えて、第三の選択の可能性を考えるべきだと思います。考えなければならないんです。
 アブラハムはこの第三の選択をしたのではないかと私は思います。全存在を賭けて、魂の奥底からとことん「悩む」という選択肢です。結論を出せないという選択肢です。アブラハムは神様より人の命、息子イサクの命を軽く考えることはなかった。イサクより神様を低く扱うこともなかった。どちらが上でも下でもなく、次元が違ってどちらも大切だということを、この悩み苦しむ姿勢で表わしたということです。悩むということで、結論を出せないということで、アブラハムは神様の御心に適う答えをしたということです。
 気になるのは、正義と真理の神様の一貫性はどうなっているのかということではないでしょうか。一度は殺せと確かに命じておきながら、最終的には殺すなと言う。そこに正義と真理はあるのか、それでも神様なのか、ということです。実は、それは、いま、アブラハムが神様の御心に適う答えをしたということと関連しています。実は、神様は、嘘をついておられません。そう言うと、私の方が、嘘つき呼ばわりされそうですが、神様は主張さえ変えておられないのです。確かに神様はイサクを焼けつくす捧げ物としてささげなさいと言われました。簡単に言い直すと、私のために(神様のために)殺しなさいということです。私たちは今日、何度か、アブラハムのイサクに対する気持ちを推察してみました。そして、言うまでもなく、彼にとってはこの上もなく大切な存在であることを理解してきました。私たちにとっても、自分の子供は何よりもかけがえのない存在です。特に状況が状況ですから、アブラハムの思いはその何倍にも膨れ上がってたものだったのではないでしょうか。そこで、彼のこれまでの歩みですが、彼は自己保身のために嘘をついたことが何度もあります。息子の誕生を約束されても信じないで笑ったこともありました。アブラハムも弱い一人の人間でした。もしかすると、この目に入れても痛くない子供を何ものよりも中心に考える、自分の中心に据えるということが起きるかもしれない。起きていたかもしれない。物事の中心、それは神様のおられるはずの位置です。そこにイサクを置かないように、息子への愛故に不信仰に陥らないように、という事を神様は犠牲として捧げるという言葉で語られたように思えます。アブラハムは確かにイサクを神様の居られる中心から消し去りました。悩み苦しむことで、自分の中の何が何でも一番のところからイサクを消し去りました。それは、神様の座は何者にも譲れないことを実感した、確認したとも言えます。その座に据えようとしたイサクを殺したともいえます。本当に命を奪い取ることだけが殺すことではありません。アブラハムはイサクを殺さず、殺したといえます。子供が思春期を経て大人に成長していく中で、親を乗り越えていく、その壮絶な戦いを親殺しと言われるのに似ているかもしれません。ですから、ここで、アブラハムが悩む中で、神様の思いは達成されました。本当にもっとも良い形で達成されました。
 絶望の中で心を見られる神様が、私たちと共に居られる。あれかこれかだけではない、神様は私たちに、新たな道を供えてくださる。希望は真っ暗闇のような悩み苦しみの中で、見上げるかすかな一筋の光かもしれません。希望は暗闇だからこそ、見ることが出来、見上げることが出来るかすかな明かりなのかもしれません。希望、希な望み。しかし、そこに確かな救いの現実がある。それを神様は供えていてくださる。そう信じて、神様と共に歩むのが信仰なのでしょう。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

お祭りのシーズン

2007年10月13日
 朝から太鼓の音や勇ましい掛け声が窓の向こうで鳴り響いています。
 明後日、小豆島町のお祭りがあるので、その練習のようです。とにかく皆熱心で感心させられます。
 小豆島の人たちはお祭りが大好きというか、とても大切にしています。
 うちはキリスト教の教会ですから、お祭りに参加するのは変です。かといって拒絶する気にもならないのですが、なんとも言いようの無い季節という気がします。
 もっとも、地域の人たちから見れば私たちはやはりそよ者でしょうし、違う宗教の人間ということで、違和感を持っておられるような気がします。
 お祭りのお誘いもありませんし・・・。半分助かっているような、それでいて寂しいような・・・。
 祭りのシーズンは何か腑に落ちないような、なんともいえない気持ちになります。
行事 | コメント(0) | トラックバック(0)

聖書を読む

2007年10月12日
 聖書を毎日読むのは楽しいものです。同じところを繰り返し読んでも新しい発見があったりします。聖書は深い言葉で書かれているからでしょう。特に人生経験を深めていくと、今まで気付かなかったメッセージに気付かされ、はっとすることがあります。ですから自分の人生を通して読むことを人には勧めています。
 もちろん、それは勝手な解釈でもオーケーという意味ではありません。勝手な解釈に陥らないためには、聖書の他の箇所と整合性があるかどうかを確認すると一目瞭然です。聖書を読み始めてまだ日が浅いので整合性があるのかどうか分からないという場合は、ひとまずそのひらめきを保留して聖書を読み進めていけばいいと思います。
 人によっては、聖書を占いや託宣の類のように使う人がいるようです。パッと開いたところに書いてある言葉をその日の指針のように考えるなどその典型でしょう。しかし、このパッと開くやり方は一歩間違うと変なことになりますからご注意。
 パッと開いたら「そこでユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首を吊って死んだ(マタイ27章5節)」が出てきて、“これは不吉だ。良くない”と改めて開きなおしたら「そこでイエスは言われた。『行って、あなたも同じようにしなさい。』(ルカ10章37b)」だった・・・、ということになる可能性だってあるのです。
 第一、慣れてきたら、聖書のどのへんにどういう話があるのか、何書があるのか分かってきたりしますから、自分の意図が作用します。まったく偶然に示される聖書の言葉とは程遠いと思います。
 聖書は好きなところから読んでも良いし、最初から読んでも良いと思います。でも、出来れば自分一人だけでなく、何人かで一緒に読むと楽しさこの上ないです。
 「この聖書の箇所から私はこのような事柄を感じた」と、それぞれが自分の人生と照らし合わせて、受け取ったものをつき合わせながら読むのが好きです。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

写真部

2007年10月11日
 昨日のブログの中で“高校3年生の時に写真部に入部した”と書きました。
 “高校3年生といえば受験もあり、部活は早めに引退するものなのに、どうしてそんなタイミングで入部したのかな”と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
 実は高校では書道部に入っていたのです。小学3年生から中学2年生まで書道塾に通わされていた過去があり、また、一年の担任が書道部の先生だったこともあり、なんとなく入ってみたのでした。
 小学校の頃、柔道の道場に通っていましたし、中学校では剣道部に入っていました。そのように“体育会系でここまで来たものの、自分は文科系ではないか”と思うようになっていたのも理由のひとつとして挙げられます。
 しかし、担任に誘われるまま入部したものの、書道はそれほど好きではなかったようで一年ほどで退部してしまいました。入ってみると男子部員は私一人しかいませんし、字が一番下手なのに男子というだけの理由で部長にさせられたりと、窮屈になってきたのです。退部したのは2年の夏でした。
 そういえば書道部ではこんなこともありました。
 「クラスマッチの表彰状は書道部の部長が書く伝統があるのでお願いします」
と生徒会役員たちが部室にやって来たのです。このときは弱りました。
「副部長の方が上手いので今回は副部長に書かせましょうか?」
とささやかな抵抗を試みたものの、
「そんなに謙遜なさらないで書いてください。下手でも構いませんから。」
と返されてはいたしかたありません。
「それではまず一枚だけ書いてみますね・・・。」
と、書いて渡すと、生徒会役員さん眼を丸くして
「・・・そうですね。今回は副部長さんにお願いしましょうか・・・。」。
だから最初に言ったのに・・・。
 しかし、3年生になってはたと思ったのは、“卒業アルバムの部活の所に自分の写真は載らない・・・”ということでした。そう、卒業アルバムの写真を一枚増やすために写真部に入部することを思いついたのでした。
 それ以外ならどこも無理ですが、写真部なら3年から入ってもやっていける実力を持っているという自負心があったからです。実際、過酷な条件下で、しかも独学でやってきていますから余裕でした。それどころか、入試が近づくと写真部の友達と二人で、証明写真を格安で作るアルバイトを学校にばれないようにしたりしました。
 結局、大学に入っても写真部に入りましたし、2年生で部長になりました。えへん。ま、それは半分冗談で、3年生部員が一人もいなかったのと、同級生のほとんどが幽霊部員だったからなのでした。
 それでも、1年生(新入部員)が5人ほど入ってきたので、部長としての大学の写真部は楽しい船出となりました。このときのエピソードはとても書ききれないほどあります。
 神学校では最終学年で写真同好会を作りました。正式名称は“○○○○と森の仲間たち”というへんてこなサークルでしたが・・・。ちなみに○○○○には当時の一年生女性部員の名前を入れていました。なんとなくインパクトがあるような気がしたからです。その子にしてみれば大きな迷惑だったに違いありません。そう、これは完全に私のわがままで作ったサークルでした。
 現像道具は私が高校のとき揃えたものを田舎から送ってもらって使うようにしました。私以外はほとんど写真初心者ばかりだったので、初めての暗室作業で全紙(印画紙で一応一番大きなサイズ)にプリントしてパネル張りしたりと、とんでもないことをしていました。もちろん、学園祭では写真展示をしっかりしました。しかも、会場は喫茶店にしてです。
 振り返ってみると、どの写真部も大切な思い出ですし、どの部員も大切な人たちです。私の青春は写真部とともにあったのかなと改めて思いました。
 
楽しみ | コメント(0) | トラックバック(0)

デジカメ遊び

2007年10月10日
 私が写真を撮るのが好きなのは、絵が下手だという美術的なコンプレックスがあるからだと思っています。
 中学生の頃から動物や風景写真を撮るのが好きでした。高校生になると最低限必要な道具を出来るだけ安く揃えて現像をするようになりました。もちろん、白黒です。暗室は自分の部屋の窓や戸の隙間を新聞紙などで塞いで作りました。もちろん作業は夜になります。床にはビニールシートを敷き、薬品のバットを並べました。水はバケツに汲み置きしたものを使います。後に写真部でその話をしたら驚かれたほど、ぎりぎりの装備でした(写真は全く趣味で個人的にしていましたが、後に高校3年のとき写真部に入部したのです)。
 けれども、深夜たった一人で自分の撮った作品の像が浮かび上がってくるのを眺めて感動したのを懐かしく思い出します。
 しかし、今となっては昔会得した写真技術のほとんどは全く不必要なものとなってしまいました。
 撮影時の状況に合わせて絞りとシャッタースピードの的確な組み合わせを瞬時に判断するとか、露出補正とか、フィルム現像や印画紙への現像などの微妙なテクニックも今ではほとんどコンピューターが考えてくれる時代になってきましたし、第一今はデジカメですからフィルムなど使わなくなってしまいました。
 悲しいといえば悲しいのですが、労力と手間が大幅に節約でき、何より経済的に大いに助かるようになってきたので、なんとなく受け入れています。何といっても、経済的に助かることと、その気になればパソコンで直ぐに写真に仕上がります。しかも、お気に入りのものをカレンダーにしたり葉書にしたりとても手軽だからです。
 やはり21世紀になっているんだと思いますね。
 ただ、手放しで完全に受け入れるほど人間が出来ていませんから、写真はカメラではなくもっぱらケータイでしか撮っていません・・・。どこかに抵抗感があるのでしょうか。
 ・・・実はデジカメをひとつ持っているのです。ただ、あまり使わないうちに調子が悪くなってしまって、完全に使わなくなってしまったのでした。
 先日、何気なくその壊れかけのデジカメを見てみると、使えそうだったので、冗談で3歳の次男に「好きなものを撮っておいで」と渡してみました。
 撮ってきたものをパソコンで見てみると、その意外性に大笑いしてしまいました。やっぱり写真って面白いですね。

 20071010172045.jpg

 これなんだと思いますか。扇風機の上部を表から撮ったもののようです。

20071010213446.jpg

 これは扇風機のスイッチ部分。

20071010172340.jpg

 これもそう。

20071010172453.jpg

 これ何ウルトラマンみたい。・・・と思ったら、

20071010172643.jpg

 冷蔵庫横のウルトラマンのポスターのどアップ。

20071010172804.jpg

 かと思うと、弟の頭。
 デジカメで子供と一緒に遊ぶのもいいなと思ってしまいました。現像代は要りませんしね。やっぱり良い時代になってきたのかもしれません。
♪ホントの幸せ教えてよ、壊れかけのカメラ・・・。
プライベート | コメント(0) | トラックバック(0)

快適な仕事環境

2007年10月09日
 今日は坂出教会のT牧師と“四国教区だより”106号(10月末発行予定)の原稿を最終的にチェックしました(前にも言いましたが、教区だよりの編集長をしているのです)。委員会でのチェックを終えて、最終的に細かい所を詰める作業を二人でするように委託されていたのです。
 ファクスとメールと電話でのやり取りでしたが、そばで一緒にいるのと変わらないほど渋滞無く作業出来ました。牧師になったばかりの頃からは考えられません。やはり、何といってもインターネットの力の大きさなのでしょう。
 私が牧師になったのは1990年でしたから、丁度ワープロが手ごろな値段で普及し始めた頃でした。しばらくして、ラジオ番組の謝儀でやっと買ったファックスを手にして「これで仕事する体制は万全だ」と思ったのが、今思うと恥ずかしい気がします。
 しかし、時代に対応する柔軟性があまり無いので、パソコンが普及し始めても、教会以外の場でパソコンをいじらなくてはならなくなってもワープロとファックスで大丈夫だと高をくくっていたのですから全くお恥ずかしい・・・。
 そんな折、中学生になった長男はパソコンに興味を持つようになり、お年玉でパーツを買い集め自分のパソコンを作ってしまいました。最初は一緒にパソコンのことを調べたりしていましたが、いつの間にか付いて行けず置いてきぼりになってしまい、息子は完全独走状態に入ってしまいました。
 今までミニ四駆にしてもポケモンにしても張り合って負けたことが無かったのでショックでした。
 話が少し逸れ気味ですが、結局、息子が中学2年生の時私のパソコンを作ってもらいました。これはなかなか良く出来たマシンで、今でもずっと使っています(コンパクトなキューブタイプで、しかも高性能なのです。スペック的にはOSをVISTAにしても大丈夫なくらいらしいです。自作パソコンの利点ですね)。
 インターネットにしても数年前に息子がしつこくせがまなければ引いていなかったような気がします。
 今にして思えば、こんなに便利な仕事環境でいられるのも、仕事が楽にこなせるのも息子のおかげだなぁと思えてきます。分からないときや困ったときはすぐに(?)対処してくれますしね。
 ま、何はともあれ、“教区だより”は予定通り発行できそうです。
 T牧師も忙しいのにレイアウトに校正ありがとうございました(T牧師はこの記事を読まないとは思いますが・・)。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

天使の散歩道

2007年10月08日
 一年ほど前に行ったエンジェルロードに、なんとなくまた行ってみました。潮の満ち干きで1日2回三つの島が陸続きになるところです。
 午後2時ごろ、なんとなく干潮時間を見ていたら、今日の2回目の干潮は午後3時19分とあったので行ってみようかなと思った次第です(ちなみに今日の1回目の干潮は午前3時)。
20071008165408.jpg

 教会から車で西へ20分ほど走った所に小豆島国際ホテルがありこの横からエンジェルロードに行けるようになっています。
 前回来たときはちょっと中途半端な時間だったのですが、今日はパッチリ道が出来ており歩きやすいと感じました。 
20071008165957.jpg

 岩場のところどころの窪みには、海水と一緒に取り残されたヤドカリなどの小生物がいました。もっと陸寄りなら可哀想な結末が待っているのでしょうが、どれもが水際のため、またすぐに海面下に戻れるので1センチほどのカニやヤドカリを安心して観察できたのが意外な面白さでした。
20071008170815.jpg

 前回、最先端の余島まで行けなかったので、今日は行ってみようかとも思いましたが、暑さと帰りのしんどさを考えるとやはり気持ちが萎えてしまい途中で引き返しました。
 来年(?)はぜひ余島まで行ってみたいものです。
地域情報 | コメント(0) | トラックバック(0)

単純に命を大切に考えたい

2007年10月07日
 伝書鳩がちゃんと自分の巣に戻ってくる確立は近年低くなっているそうです。鳥は方位を知るための弱い磁石が頭の中にあるのですが、恐らくこれが電磁波の影響を受けていることによるものだと思います。確かに、高圧送電線、変電所、携帯電話の中継アンテナ等々電磁波が氾濫している社会になって来ました。
 電磁波被曝の害については10年以上前から取り沙汰されていますが、一向に改善策が取られるようになったと聞いたことがありません・・・。欧米に比べて日本は遅れていると言わざるを得ないようです。
 しかし、被曝といえば電磁波以前に放射線被曝が頭に浮かびます。科学の力では処理できない核廃棄物を毎日生み出している社会とは、客観的に考えるとやはり異常です。「そんなこと言うなら電気を使うな」と言われそうですが、それとこれとは話が違います。
 旧約聖書の創世記にアダムとエバが神様の言いつけを破って禁断の木の実を食べたことが記されています。皆さんよくご存知の物語だと思いますが、人間が最初に行った罪の出来事です。
 ここで人は“善悪の知識の木”から実を取って食べたのですが、エデンの園にはもうひとつ“命の木”もありました。つまり彼らは“命の木”からではなく“善悪の知識の木”から実を取って食べたということです。
 人の罪の根底にあるもの、それは“命”より“知識”の方を選んだことだ、ということがここで言われているような気がしてなりません。
 知識、名誉、優越、をまず第一のものとして選び自己保身を図る。そのために、他者のことを後回しにし、最悪無視して切り捨ててしまう。そんなことがイメージされます。
 マザー・テレサは“愛”の反対語は悪意や妬みなどではなく“無関心”だと言いました。単純明快に“命”を大切にするそんな思いの大切さを考えたいと思います。

※文章中“被曝”という言葉を使っていますが、“被爆”の間違いではありません。“被爆”は「原水爆などの爆撃を受けること」で“被曝”は「放射線などにさらされる」という意味ですから使い分けた方がいいようです。 
思ったこと | コメント(0) | トラックバック(0)

のんびりできるところへ

2007年10月06日
 「いろんな所に行ったことがあるんですね」と時々言われることがありますが、外国は韓国と香港しか行ったことがありませんし、日本国内も行った事のない所だらけです。
 ただ、行った先が結構広範囲な上に、思い出が強いためいろんな話をしていると日本国内を“広く濃く”巡っているように思われるのかもしれません。神学生時代の研修で7ヶ月間北海道で過ごした事とか、会津で農家にホームスティをしたとか、山梨の高森草庵というドミニコ会の修道院で修道生活をしたとか、九州をバイクで野宿ツーリングして回ったとか、確かに濃そうですが、それほどでもありませんし、隙間だらけの行動範囲です。
 しかし、最近は島にこもっているので“旅”に出たいなと思ってしまうときがあります。しかも、行った事のない場所に行ってみたいと思うのです。和歌山県、福井県、青森県、秋田県、宮城県などでしょうか。
 けれど行ったことがあるといっても例えば大阪など何十回も行きましたが、ほとんど釜ヶ崎しか知りませんし、沖縄にしても北海道にしても、またその他の場所にしても、研修など仕事で行っただけで観光などしたこともありません(韓国も香港も)。
 観光旅行自体、高校の修学旅行以来行ったことが無いと言っても過言ではないかもしれません・・・。
 しかも、よくよく考えてみると私は観光にはそれほど興味はないような気がします・・・。
 自然があってのんびりできるところに行くのが一番と思っている気がします。
 ・・・今居る小豆島自体がそういう所なのがなんとも言えないところです。
 ちなみに松山に居るときは“久万高原”にあこがれていました。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

往復はがき

2007年10月05日
 今日は11月23日(祝)に予定している“内海教会創立60周年記念礼拝”の案内を往復はがきに印刷して第1部を発送しました。
 私は“筆ぐるめ”というソフトを以前から使っているのですが、往復はがきは初めてで、その上やり方が面倒なのもあり、17枚も印刷ミスしてしまいました・・・。印刷関係は得意分野だっただけに少々ガクっときました。
 香川分区の青年委員会開催日時を決めるための往復はがきや、11月最初の日曜日にある“永眠者記念礼拝”の案内も往復はがきで作成しましたから、全部で125枚も印刷した計算になります。
 何とか完成したものの、往復はがきはきちんと往信用が表になるように折って投函しなければなりませんから、やっと出来たと喜ぶのもつかの間、疲労でピントの合わなくなった眼で一枚ずつハガキの角を確認しながら半分に折る作業が待っているのでした。
 明日は眼を休めることにします。
行事 | コメント(0) | トラックバック(0)

疲れ気味

2007年10月04日
 昨日は通院する必要があったので、2日続けて高松へ行ったことになります。
 しかし、ご多分にもれず、通院だけでなく、お見舞いや、案内(内海教会創立60周年記念礼拝)を届けたり、グレース(キリスト教書店)に行ったり、分区社会部の打ち合わせをしたり、教会で必要な買い物をしたりと、あれもこれもと実にたくさんのことをこなしてきました。
 島から出る機会は最大限に活用しないと損ですから。
 けれども、さすがに疲れてしまったようで、昨日はブログが書けませんでした。
 ちょっと体力が落ちているのを感じます・・・。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

右から左から

2007年10月02日
 今日は香川分区の“教師学習会”と教区だよりの“編集会議”に出席するため高松へ行ったので、ついでとばかり、会が始まる前に床屋へ行って来ました。
 もともと散髪代を節約する習慣が学生時代からあり、安い店でしか散髪しません。残念ながら小豆島には安い散髪屋さんが無いので、今日のように何かの折で高松へ出たときにカットするようにしています。
 実を言うと、学生時代から(数年前まで)散髪は自分でしていました。今でも時々しますが、自分の髪を切るのはかなり面倒なので、最近では極力安い散髪屋さんを利用するようになって来ました。
 松山に居たころ散髪代1,000円の店がいくつか出来たので、安さにつられて利用し始めたのがきっかけでした。
 残念ながら香川で1,000円の店を見たことがありません。そこで、昔から安さで知られているチェーン店を利用するようにしています。
 松山の1,000円の店はカットのみでしたが、ここではカットの他に顔剃りもしてくれますし、オプションでシャンプーを付けても1,890円です。
 20年以上タダでしていたのに比べると出費ですが、相場より遥かに安いので不満はありません。
 しかし、今日ちょっと恥ずかしいことがありました。
「お客さん、髪は分けますか?」困った感じで床屋さん。
「はい。分けます。」当然なんだけどなといぶかりながら私。
「どちらから分けますか?」少し困惑したような床屋さん。
 そこで、鏡に映った自分の頭を見てみると、ややや、熱ぅ~いお好み焼きの上に載った鰹節よろしく、ふにゃふにゃのグチャグチャ、ふざけているような髪形になっているのでした。
 時々そういうことはありますが、どうやらヘルメットのかぶり方が適当過ぎたようなのです。しかし、よりによってこの髪型で床屋へきてしまうとは・・・。
 そういうムチャクチャな髪型をしている変な中年男性と思われたようです・・・。
 おまけに、髪を慌てて手で修正しようとしたら、床屋さんが私の首にケープを巻きつけようとするタイミングと合ってしまい、まるでケープを振り払った状態になってしまい、不穏な空気に包まれてしまいそうでした。
 慌ててはいけませんね。
「で、どちらから分けるのでしたっけ?」平静を装う床屋さん。
「ええと、右からです。」これで普通の流れに戻れるかなとやや安堵する私。
「お客さん!」やや大きな声。
「はい。何でしょう。」本当に何でしょう。
「お客さんは髪の流れから言うと、右からではなく左から分けるのが本当ですよ。」
 「がーん、がーん、がーん」16歳からずっと右から分けて来たのに、それは間違いだったのか・・・。
 人生の3分の2も過ちを犯したまま生きてきたのか・・・。
 私の表情から何かを察してくれたようで
「でも、お客さんの場合、どちらからでも大丈夫そうですよ。」とやや弱弱しい声で前言を翻してくれる床屋さん。
 店を後にし、ムーディ勝山の“右から来たものを左に受け流す歌”を歌いながら会議に向かう私でした。 
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

池田の桟敷

2007年10月01日
20071001211547.jpg

 池田にある“小豆島ふるさと村”から“池田港”へ向かう途中に棚田のようなものがあります。石が綺麗に積み上げられているのを初めて見た時、あまりの美しさに車を止めて眺めたのを覚えています。
 その後ここを何度か通ったものの、田植えをしている様子も無ければ畑仕事をしている様子も無いので変だなぁと思っていましたのは確かです。
 最近になって、それは棚田ではないことを知りました。なんとそれは“桟敷”だったのです。よく見ると教育委員会の立てた看板があり、しかも、それは“重要有形民俗文化財”に指定されているのでした。その看板にはこのように書かれていました。
「重要有形民俗文化財 池田の桟敷
   昭和五十一年八月二十三日指定
 自然の地形を巧みに利用した切石積の傑作である。桟敷の規模は幅六十四メートル、六~八段の階段からできており高さは約十五メートルもある。古代ギリシャの野外劇場を思わせる桟敷であり、秋祭の太鼓台や神輿の大練りを見物するために築かれたものと思われる。構築年代については立証すべき資料が見当たらないが、亀山八幡宮古図面から安政二(一八五五)年以前の築構と推定される。この桟敷の特色は規模の大きさもさることながら、桟敷のひとつひとつを村の有力者その他が占有していたが、後になってそれを売買できるしくみになったことである。なお亀山八幡宮の祭礼は十月十六日である。
 池田町教育委員会」
地域情報 | コメント(2) | トラックバック(0)
 | HOME |