じっかい
2008 / 01 / 31 ( Thu )
 昔、父が時代劇で同心や岡っ引きが持っている武器“十手”を“じって”と発音していたので訛っているのだろうと思っていたのですが、よくよく聞いてみると、“十”は“じゅっ”とは発音しないそうなのです(“じゅう”や“じっ”、“とお”などと読む)。つまり、それ(じっ)が正しい読み方だったという訳です。それまで私は“十手”を“じゅって”だとばかり思っていたので恥ずかしかったのを覚えています。確か小学6年生の頃でした。
 父は“十時十分(じゅうじじっぷん)”と覚えると良いと言っていたような記憶があります。何年か前にテレビ番組の“トリビアの泉”で“十時十分”の読み方が取り上げられたとき、“そうそう、そうなんだよ”と思ったものです。
 前置きが長くなってしまいましたが、聖書に出てくる“十戒”も“じゅっかい”ではなく“じっかい”と読むのが正しいということが言いたかったのです。結構“じゅっかい”と読む人が多いので、反対に
「訛っているよ」
と言われることもありますが、間違いではありません。“十戒”は“じっかい”です。
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蛙の人魚?
2008 / 01 / 30 ( Wed )
 おとといは雪の日バイクで松山から帰った話でしたが、途中で池田港の“蛙の人魚像”についてほんの少し触れていました。本題とはまったく別なので、ここに引っかかる人がいるとは思ってみいませんでしたが、妻が引っかかりました。
「“蛙の人魚像”って書いてあるけど、“人魚”と言えるのかな・・。」
 いわれてみればその通りです。なるほどと思わず頷いてしまうのでした。
 確かに下半身は“魚”でも、上半身は“人”ではなく“蛙”ですから“人魚”のはずがありません。
 ・・では“蛙魚”とでも言うのでしょうか(書いてみたものの何と読むのか分かりませんが・・)。
 役場の人に聞いた方が早いような気もしますが、迷惑がられるような気がして躊躇してしまいます・・。謎は謎のままの方がいい場合もあるかもしれません・・。
 実際、郵便局に
「民営化して“官製はがき”は何と言うようになったのですか。」
と聞きに行ったら、迷惑がられた挙句
「分かりません・・。それどころではないくらい忙しいので御免なさい・・。」
でしたから、二の舞はごめんです。

 ところで“人魚”は上半身が“人”で、下半身が“魚”ですが、単純に考えると、上下が反対だったら“半魚人”なのでしょうか。

 またまた、話しが逸れてしまいました・・。失礼しました・・。

 ちなみに、旧池田町のシンボルが“蛙”なのは“池”にも“田”にも“蛙”が鳴いているからだそうです。港以外にも蛙の石像はあります(蛙の二十四の瞳など)。
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家庭での絵本読み
2008 / 01 / 29 ( Tue )
 どこの幼稚園でもあるように、次男の幼稚園でも図書(絵本)の貸し出しがあります。ところが貸し出し期間は一泊二日ときわめて短く、借りた翌日に返却しなければなりません。
 読まないまま返したくはありませんし、楽しみに借りてきた本は読んであげたいもの。そこで毎日新しい本を読んでいます。それにしても次男は結構いい本を選んでくるので感心しています。
 余談ですが、私が小豆島町立図書館で絵本の読み聞かせをするための絵本も、次男に選んでもらうことが多いのです。彼は絵本を見つけ出す特別な“嗅覚”でもあるのかと思うほどで、私なら1時間も2時間もかかるようなところをほんの数分で見つけ出してくれるのです。
 そう、私も絵本の読み聞かせボランティアをしている訳ですから、よその子に絵本を読むのに自分の子に読まない訳にはいきません。第一、私も妻も絵本を読むのは大好きなのです。
 とちころで、今日、妻が幼稚園で先生から面白い話を聞いてきました。各家庭での絵本読みのことです。
 次男は「今日も、お父さんとお母さんに読んでもらった。」
と嬉しそうに幼稚園で話すのだそうです。すると周りの子達は
「えーっ。うちはお母さんしか読んでくれない。」
「うちもお母さんだけ。」
と反応していたらしいのですが、しばらくすると
「お父さんにも読んでもらった。」
「お父さんにもお爺ちゃんにもお婆ちゃんにも読んでもらった。」
とみんなが言い出すようになってきたのだそうです。
 いつのまにか絵本読みを家族ぐるみで楽しむことが各家庭に広がっているというのです。
 各家庭で家族に囲まれて絵本を読んでもらっている子供たちの笑顔が浮かんで来るようでとてもほのぼのとした気持ちになりました。
17 : 45 : 11 | 出来事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
またもや雪のツーリング
2008 / 01 / 28 ( Mon )
 先週20日(日)の琴平往復に次いで、今日も雪の中の激走となりました。
 琴平の場合、距離はせいぜい30~40kmですが、今日は松山から約170km(往復340km)でした。琴平でもう雪はこりごりで“しばらくは雪や雨の日にはバイクに乗らないぞ”と決めていたのですが、昨夜観たNHKの天気予報では大丈夫そうだったのでバイクで出かけたのでした。もちろん仕事で、四国教区の伝道部の委員会があったのです。
 高速バスだともちろん楽なのですが、やはり時間のロスが多いのでどうしても敬遠気味なのでした。
 今朝は6時起きで、7時15分池田港発高松行きで出発です。池田港に着いたのは7時少し前。もちろん雨はまだ降っていませんでしたが、曇り空の下、あたりはほんのり暗いです。
池田港 人魚像

 この写真でバイクの向こうに写っているのが池田港名物(?)の“蛙の人魚像”です。
池田港 船

 乗る船は“キリンさんの船”でした。池田の船は“きりんさん”と“パンダさん”の船があるのです。
 池田の話はそれくらいにしましょう。
 会議は11時からでしたが、昼前には雨が降り始めました・・。う。がぁーーーん。
 祈りもむなしく、帰る頃には雪に変わっているではありませんか。
 松山インターから高松西インターまで約150km・・。またもや少々ビビリながら長距離ツーリングの開始です。
 うわっ、雪、雪、ゆきーっ。桜三里のあたりは長い橋が多いので特に危険です。橋は下からも冷やされるので凍結しやすいからです。ヘルメットのシールドに積もる雪を左手で掻き除けながら慎重に走行します。
雪の高速

 途中、石鎚山サービスエリアに給油のため立ち寄りました。雪が見えますかっ。ガソリンスタンドでは“こんな日にバイクがっ”と驚かれてしまいました。
雪の高速2

 とにかくのんびりしている暇はありませんから直ちに出発です。遅くなるほど路面状況は悪くなりますから時間との戦いです。かといって飛ばすのは危険・・。
 松山インターに乗ったのが14時40分頃で、高松にしインターを下りて高松港に無事到着したのが16時47分でした。
 うーん。残念。石鎚山サービスエリアで写真なんか撮らなければ間に合っていたかも・・。
 港に到着するなり16時45分発池田港行きの“キリンさんの船”がちょうど出航したところでした・・(離岸して方向転換し始めたところ)。
 仕方なく17時20分発土庄行きに乗ることに・・。
 何はともあれ、今回も無事帰ってくることが出来たのでよしとしましょう。
 ・・しばらくは“雨”や“雪”はもちろん“曇り”でもバイクで出かけないことにします。
20 : 05 : 05 | 出来事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
おすそわけ
2008 / 01 / 27 ( Sun )
 次男(4歳)、三男(2歳)はヒドイのです。
 いきなり後ろから首に飛びついてきたり、勝手に背中にらおぶさってきたりします。寝転んでいると必ずまたがってきますし、両手の平で私の頬をパンパン叩いたりして喜んだりもします。そうかと思うと、何の前触れも無く突然背後から飛び乗ってきたりもします。
 でも、それは愛されている証拠なのでしょう。
 しかし、先日前から抱きつかれた時、くしゃみをされたり、ゴホゴホ咳を浴びせられたりが続いたので一抹の不安を感じていたのですが、まさしく愛のおすそ分けをいただいたようです。
 昨日から喉がカサカサしたみたいな違和感を感じるようになり、今日は喉が痛くてたまりませんでした。熱も37度ちょっとあります。礼拝で讃美歌を歌うのが本当に苦痛でした。大きな声が出しにくい上に、ちょっと気を抜くと声が裏返ってしまいそうでした・・。早くよくなるようにがんばらねば・・。
 しかし、今までの経験から言うと、子供からもらった風邪は強力です・・。仕方ないのでしょうね。愛される父としては。
 それにしても、この二人は
「喉が痛いから今日は一冊で勘弁してね」
と哀願しているのに、
「これ読んで」
と、何冊も絵本を持ってきます。
 次男と三男はヒドイのです。
22 : 35 : 05 | プライベート | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
未熟さの中で
2008 / 01 / 26 ( Sat )
 最近、長男長女と将来のことについてよく話し合うようになりました。それぞれが自分の進路について真剣に考えるべき時になってきたからでもあります。
 子供扱いしてはいけないと思いつつも、世間知らずで恐いもの知らずの考え方を聞いたりすると、こちらが不安になってしまうのがつらいところです。つい、考えの甘さを指摘してみたり、頭ごなしに叱ってみたくなりますが、子供たちは子供たちなりに自分の将来を自分で責任を持って考えようとしているのですから、ぐっと我慢してみたりもします。
 しかし、心労面から言わせてもらえば、何といっても親の方がしんどいと思います。同時に、今、子離れすべき時に差し掛かっていることを実感しているのも事実です。
 それにしても、人生の重大事に向かって彼らは間違いなく歩んでいるという紛れも無い現実の前に胸がきゅんとなります。
 “人生最大の二つの重大事とは①職業の決定、②結婚相手選び”だと言われます。確かにそうです。この二つは人生において人生を左右する決定的に重大な事柄です。しかも、それをまだまだ未熟な20代(遅ければ30代)の時期に人は自分で決定しなければならないのです。
 「結婚についてはまだまだ先のことだとは思うけれど、二大重大ごとに限らずすべての事柄は、未熟さの中で自分で責任を持って選択していかなければならない」
 そんなことを昨日は子供たちと話しました。子供たちと少しずつ人生について深く話し合えるようになってきたとも言えますが、話し終わっても胸騒ぎがしてしまう、そんな父親なのでした。
20 : 44 : 53 | 出来事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
雪の日
2008 / 01 / 25 ( Fri )
 この前、雪の降った日に撮った内海教会と山です。
雪山と教会08

 寒霞渓に行くと綺麗だろうという単純な考えで、行ける所まで行ってみたものの、“紅雲亭”(ロープウェイ乗り場)のはるか手前で通行止めになっており、景色を堪能することは出来ませんでした。
 もつとも、スタッドレスタイヤを履いているわけではないので、どこまでも上っていくことは最初から不可能でしたが・・。
 雪の神懸通り

 でも、通行止め付近の道路には全く雪なんて積もっていなかったのですが・・。
19 : 03 : 32 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
子供用ソファー
2008 / 01 / 24 ( Thu )
子供ソファー全景

 テレビ台が低すぎたのか、下の子供たち(4歳と2歳)がテレビを観る時どうしても近寄ってしまうので、ちょっと前に高いものに替えてみました。
 そうすると、近寄ることは無くなったものの、今度は必然的に視線を高くしないといけなくなったため、テレビが観辛くなってしまいました。子供たちも見ていると首が痛そうです。
 そこで何か良い手は無いものかと考えていましたら、インターネットで格安の子供用ソファーを発見しました。
 ミニチュアサイズで子供たちにはぴったりのようですし、これがあればテレビも観やすくなるし行儀も良くなるはずだと、手に入れることにしました。値段もすごく手ごろでした。
子供ソファー後

 早速取り寄せ買い与えてみると、思惑通り子供たちはテレビを観る時行儀も良い上におとなしくなりました。しかも、その様子がとても可愛いのです。“良かった良かった”と笑顔で見守る私たち夫婦なのでした。
 ところがこのソファー。カバーの中は骨組みの無いウレタン100パーセントと、見た目よりずっと軽いのです。それで子供たちはテレビを観ていないとき、面白がって乗ったり蹴ったり投げたり裏返したりと、まるで粗大おもちゃの扱い・・。家の中はてんやわんやです。
 危なっかしいやらうるさいやら・・。うすうすは感じていましたが、やはり“思惑通り”なんて夢のまた夢なのでした。とほほ。
20 : 16 : 56 | プライベート | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
教区だよりの記事変更
2008 / 01 / 23 ( Wed )
 今週月曜日の21日に予定していた教区社会部主催の“伝道協議会”が、あいにくの雪のため延期になりました。
 私は社会部委員の一人なので、延期の日程調整など関わらなければなりませんでしたが、大体のことは委員長さんが率先して話を進めてくださったのでそれほど負担感は感じないですみました。
 しかし、それはさて置き、私にはもうひとつ“四国教区だより編集委員長”という顔があるのでした。
 実は今回の“伝道協議会報告”は教区だよりに掲載予定だったため、紙面に穴が開いてしまったということなのです・・。
 今回号の締め切りは(1月25日と言いつつ、目いっぱいのリミットが)1月31日なので、1週間ほどしかありません。新たな企画を練った上で誰かに新しく記事の執筆を依頼するのも酷な状況なのでした。
 そこで、急遽、四国教区内の6つの分区(香川、東予、中予、南予、高知、徳島)からそれぞれ一名の教師に“本の紹介”をして頂いてこの場をしのぐことにしました。
 それにしても、突然くじに当たった先生方は皆一様に快くお引き受けくださったのには驚くやら感激するやらでした。
 実のところ“日数もあまりないし固辞されるかもしれない”と思っていたので本当にうれしくてたまりませんでした。当日中に原稿を贈ってくださる先生もいらっしゃいましたし。
 こういう出来事に出くわすと、四国教区は安泰だなと思うのでした。
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無理難題でも
2008 / 01 / 22 ( Tue )
 今春、長女は中学を卒業し、来春は長男が高校を卒業します(三男の幼稚園入園とも重なります)。収入が少ないので本当に頭が痛い事この上ないです・・。
 「生活は大丈夫?」
と聞いてくださる方も多いのですが、生活は何とかやっていけていますので
「生活は大丈夫ですよ。」
と笑顔で答えるものの、子供たちの教育費がままなりません・・。
 家族六人で生活を切り詰めていることは苦痛ではありませんし、贅沢をしたいとも考えたこともありませんが、教育費が足りないという事態では胸が締め付けられるように痛いものです・・。
 せめてアルバイトが出来ると良いのですが、島では全く無いというのが実情です・・。
 結構、八方塞の感は否めませんが、
「何とかなると良いのだが・・」
と懲りずに考えるのでした。

 そういえば作業所時代に、何人かで通所者の青年(病者)の無理な願望の現実化を考えたことがありました。彼は
「女の子に素敵って言われる車に乗ってみたいけど、お金が無いからせいぜいポンコツ軽自動車しか持てないし、めんどくさいから洗車するのも嫌だなぁ。なんとかならないかなぁ。」
と言うのです。
「そんなん無理やわ~。」
「有り得んよー。」
「無茶苦茶や。」
「わがままやなぁ。」
「アホか。」
と周りからは一蹴されていました。それはそうですね。洗車もしないしワックスもかけないようではポンコツ軽自動車は更に貧相になるでしょうし、しかもそれに乗ってて女の子からキャーキャー言われるなんてラクダが針の穴を通るより難しいことです。
 しかし、そのとき結構退屈を持て余していたこともあり、
「ちょっと考えてみようか。」
と私が車好きの別の通所者に話しかけてしまったのでした。
 最初は“やっぱりどう考えても無理なもんは無理よ”という前提で冗談を言い合っていたのですが、
「ちょっと待て!発想を変えてみると可能性はなきにしもあらずや。ボロが格好良いシチュエーションて無いか?あるぞ。」
と、真剣に語っているうちに身震いするような結論に達してしまったのでした。
 その結論とは“廃車寸前のポンコツ軽トラックに廃車モトクロッサーを載せる”というものでした。そう、モトクロッサーのトランスポーターの雰囲気をかもし出してしまうのです。それなら泥んこで汚れていた方がワイルドで格好良いし、モトクロスをする必要が無いので壊れたバイクを積んでおけば良いのです。軽トラックは年式の古いものなら安く手に入りますし(廃車寸前のなら多分数万円です)、モトクロッサーはスクラップで良いので探せばタダで貰えるものもあるはずです。それを軽トラに乗せてロープで縛って完成。洗車ワックスの必要なし。取得費用も経費も安い。インテリアにこだわる必要も無く、カッコイイのです(フロントのルームミラーにゴーグルでも引っ掛けておけば万全です)。

 無理なものは無理という一面もありますが、どんなことでも、また別の局面もあるはずです。ましてや、神様の御心にかなうものであるなら、必ず何か道が開ける可能性があるはずだと思うのです。
20 : 03 : 24 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
雪道をバイクで
2008 / 01 / 20 ( Sun )
 今日は香川分区の青年委員会が琴平教会で午後2時半からありました。
 前回の委員会で今日の日時と場所を決める際、“バイクで行けば間に合うだろう”と考えていたのですが、あいにくの雨。しかも気温は低く“雨か雪”との天気予報。最悪です。
 なんとか琴電を使って行けないものかとフェリーと電車の時刻表とにらめっこしてはみたものの、礼拝を終えて小豆島から行くとなると絶対に不可能な時間なのでした・・。
 仕方なく予定通りバイクで出発です。
 11時半頃礼拝を終えて、教会の皆さんと事務的な話も含めていろいろ話をしてから12時前に出発。私がバイクで出かけるのを見て教会員さんはびっくりされていました。それはそうですね。自分でも半分あきれてましたから・・。
 土庄港から12時20分のフェリーで高松へ。船は予定よりやや遅れたため、13時25分頃高松上陸。土庄までの15kmと琴平までの30kmは雨に濡れながらの激走。14時15分頃琴平教会に予定通り無事到着。牧師夫妻も青年たちも私がバイクで来たのを見て予定通り驚かれていました。

 青年委員会は“新年会”と言いつつ、内容は“聖書研究会”と“会議”。少人数でしたが、分かち合う聖書研究会はなかなか意義深い時間となりました。青年の皆さん、また一緒に聖書を読みましょう。

 さて、帰りですが、雨は天気予報通り“雪”に変わりました。“みぞれ”と言ったほうが正確ですが、いざバイクに乗ろうとするとびっしりシャーベット状のみぞれがバイクに積もっているではありませんか・・。う~ん。復路が思いやられるぅ・・。雨も雪も長年のバイク生活で慣れているとはいえ、やっぱり雪関係は怖いですねー。少しばかりビビリながら笑顔で帰途に着きます。
 うーん。予想していた通り一面シャーベットを広げたような路面ではないですか・・。バイクなど私以外一台も走っていません。アクセルとブレーキのたびにバイクがズルズルっと大きくふらつきます。ヘルメットのシールドに積もった雪を手で払いのけないと前方が見えませんからどうしてもせざるを得ませんが、ズルズル走っているにも関わらずそのたびに片手運転を余儀なくされるので、まるで自殺行為です。
 11号線まで帰ってくるとやっと雪は雨になり、気温も(私のバイクにはデジタルの気温表示があるのです)1℃から3℃まで上昇し少し楽になりました。
 久々の冒険で少し楽しかったですが、さすがに疲れました。それにしても一度も転倒せずよく無事で帰って来れたものです。お祈りしてくださっていた皆さんありがとうございましたーっ!。
 
21 : 15 : 52 | 行事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
“イエス”ではなく“エス”と歌う
2008 / 01 / 19 ( Sat )
 日本基督教団発行の讃美歌に新しく“讃美歌21”が出版されていますが、内海教会では1954年版のものを今でも使っています。馴染み深いメロディーと歌詞だということも大きい理由ですが、新しい讃美歌21だと讃美歌番号でどんな曲かすぐ分からないというデメリットが以外にも大きくてなかなか踏ん切りがつかないというのが実情かもしれません。
 香川分区の集まりでは“讃美歌21”を使うようになっているので、早く慣れた方が良いのでしょうが、なかなか気持ちが傾きません。ちなみに四国教区の集まりのときはまだ“1954年版の讃美歌”を使うようになっており、教会の実態はねじれていますけれど・・。
 ところで“1954年版讃美歌”には“序”の次に“凡例”が記されており、歌詞や曲についての解説が載っています。そこに興味深いことが書かれています(知っている人は知っていますが、知らないことは全然知りません。当たり前ですが・・)。 

 「イエス」という固有名詞も、聖書の書き方に合わせて、そのようにしるしたが、これは歌う時には「イエス」(Yesu)と発音せず、単純に「エス」(Esu)と発音してほしい。

 讃美歌を歌うときは“イエス・キリスト”は“エス・キリスト”と発音せよというのです(しかも、理由は記されていません)。
 実は神学校時代に音楽の教師からこのことを聞きました。どうということではなくて、“イエス”と歌うと意外と聞きづらく、“エス”と発音したほうが綺麗に“イエス”と言っているように聞こえるから“エス”と歌ったほうが良いのだそうです。
 とりあえず私も讃美歌を歌うときには実践していますが、効果のほどはよく分かりません・・。
17 : 10 : 03 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
バイクは相棒
2008 / 01 / 18 ( Fri )
 最近、会議などが急増して島から出かけることが極端に多くなりました。
 数時間程度の集まりであっても、フェリーの時間に拘束されますし、乗船時間は往復2時間以上かかります。最寄の草壁港でなく池田港や土庄港だと移動時間がさらに加算されます。
 そんな訳で、ちょっとした会議でもほとんど一日仕事になってしまうのが島暮らしの現実です。
 ですから、会議の急増は結構負担を伴ってきました。遠方での集まりや、複数重なった日などは帰宅するとクタクタになってしまうこともあります。
 バイクがあるからまだましであって、そうでなければバスなどの待ち時間が必要となり更に時間がかかってしまいます(バスにしても琴電にしてもフェリーとの連絡はあまり良くありません)。
 「バイクで勇ましいですね」
とか
「バイクで疲れませんか」
とか時々聞かれますが、それは全くの反対であって、心臓が悪い私はバイクがなければダウンしているかもしれません。
 ただのバイク好きではなくて、バイクは無くてはならない私の相棒なのです。
 しかも、10代からずっと乗っているので(数年間乗っていなかった時期もありましたが)、どれだけ寒かろうが遠かろうがへっちゃらです。雨も雪も全然平気です。
 ・・・やっぱりただのバイク好きなのかもしれません。
15 : 12 : 50 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
あれから12年
2008 / 01 / 17 ( Thu )
 12年前の今日、阪神淡路大震災がありました。
 ちょうどその日、風邪のため40度近くの熱で寝込んでいた私は、岡山という近距離(それなりの震度だった)にも関わらず、うんうん唸って全く気付かなかった事を覚えています。
 “ボランティア元年”と言われるほど、この震災に際して多くの方々が取るものもとりあえずボランティアに駆けつけたように、私も隣の県に住むものとして体が勝手に動いたものです。
 とにかく“40度の熱をどうにかしなければ”と気力で直し(たった一日で)、公共交通機関はストップしているものの、自動車ではかえって渋滞を引き起こす上に小回りが利かないのでと、10万円の中古バイクを手に入れて、教会の婦人会に用意していただいた食料その他をバイクに積めるだけ積んで爆走したのは、今思い返しても現実離れした出来事だったような気がします。
 でも、頭や体が勝手にそのように動いたのは紛れもない事実です。
 道路がところどころ遮断されて折迂回迂回の連続。途中、出会った“大阪から見物に来た”という暴走族の兄ちゃんに裏道を案内してもらったり、近道を行くために警察官が迂回しろと指示している道を直進したりもしました。神戸に到着する頃には夜になってしまい(街頭も灯らず)全くの暗闇の上に、累々と続く瓦礫と地割れ。長田区のガス臭さには恐怖心を覚えました。
 あの後も何度か寝袋とテント持参で訪れたのも、今となっては遠い記憶の彼方です。しかしそうは言ってみても、多くの方々の悲しみや痛みに触れたことで、今でも心はその時のうめきを忘れていないようです。
 自分も含めて人間の力の弱さを思います。そして、苦難に立ち向かう強さをも思います。
 あの瞬間に痛みを背負った方々お一人お一人に、真の平安が訪れるようにと祈ることしかできない自分ですが、そのことはずっと祈り続けていきたいと思っています。
20 : 51 : 26 | 出来事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ややこしい
2008 / 01 / 16 ( Wed )
 NHKの夕方子供向け番組で狂言師の野村萬斎氏が
「ややこしや、ややこしや」
と歌って踊る場面が時折放送されますが、昨夕それを見ながら何気なく
「“ややこしい”って本当は“赤ちゃんみたいに手がかかって大変”というような意味だったんだよね。反対語は“おとなしい(大人しい)”だし。」 ※ややこしい(嬰児しい)
と呟くと
「えーっ、全然知らなかったー。」
と家族。
 それはそうでしょうね。“ややこしい”は“複雑”だとか“込み入ってる”とか“紛らわしい”とか“面倒臭い”とか“怪しげな”というような全然違う意味で使われていますから。“おとなしい”にしても“大人のようで手がかからない”というような意味ではなく、“静かな”様子を言いますし。

 最近では“ヤバイ”とか“鳥肌が立つ”とか、まったく正反対で使われ始めているものもありますし、変な略語“キモイ”とか“ムズイ”とか、もともと方言だった言葉“ウザイ”なども若者中心に市民権を得つつあります。
 「日本語が乱れている」「日本語がめちゃくちゃになっている」
と嘆く方々の声も聞こえてきますが、日本語は本来時代と共に変化してきている言語なので、変化して当然なのです。
 そう考えると、言葉を使う私たち一人ひとりがどういった言葉を受け入れ、どういった言葉を使わないかは、未来に対してとても大きな責任を伴っていることなんだなと思います。
 “肩が凝る”という言葉は夏目漱石が“門”で使い始めた言葉が広まったものだというのも随分知られていますが(それまでは“肩が張る”と言っていた)、日本語の言葉は日進月歩だということです。

 そこで特に思わされるのは、新しくて素晴らしい言葉が生み出されることも願って生きたいものだということです。
 “しょうがい”を持っておられる方々や“しょうがい者団体”の方々などからよく聞かされるのは“障害者”という言葉に代わるものが必要だということです。 
「“障害者”って気なく使っている言葉でしょうけど、“差し障りがあって害のある者”と書くじゃないですか。あまりいい言葉ではないし、受け入れたくない言葉ですよ。健常者の方は考えもしないだろうけど・・。」
との言葉が忘れられません。
 
 しかし、新しい言葉は、多くの人に受け入れられて初めて存在可能となります。万人に受け入れられて、しかも良い言葉を意図的に生み出すというのは大変な作業です。

 そう思うと“ウザイ”とか“キモイ”などという言葉を広めた人たちはすごいなと感心してしまいます。
 ・・でも、意図的ではないのかな・・。

 ややこしいなぁ・・。
15 : 51 : 52 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
アンパンマン
2008 / 01 / 15 ( Tue )
 どうしてそんなに人気があるのか分からないのが“アンパンマン”です。
 作者のやなせたかしさんも不思議だと言っていました。
 それで当然のごとく、我が家の子供たちも全員2~5歳の頃“はまって”いました。
 今は2歳の三男が夢中になっています。
 まだカタコト言葉の三男は“おかあさん”や“おとうさん”より“アンパンマン”と頻繁に言うので少々やっかみたくなります。
 アンパンマンの絵やぬいぐるみを見るたびに
“あーっ、アンパンマン”“あーっ、アンパンマン”。
アンパンマンの絵本やビデオを観たいときも
“アンパンマンっ!アンパンマンっ!”。
 お店に行ってアンパンマンのキャラクターグッズを見つけても“アン・パン・マンーーー”。
 しゃべっている言葉を注意してよく聴いてみると、“アンパンマン”が70パーセント、“おいしーっ”が25パーセント、その他5パーセント。
 一日中“アンパンマン”“アンパンマン”と言っていると言っても過言ではないでしょう。
 どんなシチュエーションのときでも
「アンパンマン」
と言っています。少しは
「おとうさん、好きっ!」
とか言ってほしいものです。
 ところで、昨日三男の行儀が悪いので
「スプーンは投げたらいけません!」
と叱っていたら、泣きそうになりながら
「アンパンマンっ!アンパンマンっ!」
と言っているので、“本当にどんなときでもアンパンマンなんだな。可愛いような、へんてこりんなような”などとのんきなことを思っていたのですが、夜よくよく考えてみると“あれはピンチだというのでアンパンマンを呼んでいたのではないか”と気付きはっとしました。
 ・・・そんなーっ。お父さんがアンパンマンにアンパンチをくらっちゃうじゃないか・・。アンパンマンーーーーっ。
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青春
2008 / 01 / 13 ( Sun )
 高1の長男は部活で遠征やら練習試合やらで出かけることが多いのですが、なにぶんにも島ゆえに交通費がかさんでしまうのが辛いところです。
 明日も行くそうです。フェリー片道570円、琴電片道600円ちょっと。それに食事代もかかりますから・・。本人は「明日もちょっくら行ってくるから」という感覚なのですが、何度も何度もですからちょっくらではないのです・・。鹿児島遠征というのもありました。
 でも、楽しく青春を謳歌している息子の表情を見ると、やはり嬉しいのでした。
 私は高校時代、書道部と写真部ですからね・・。青春を謳歌したなどという記憶はまったくありません。
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リトライ
2008 / 01 / 12 ( Sat )
 昨年、大胆なダイエット宣言をし、何人かに無理だよと言われつつも、本人だけは可能だと確信していました。
 しかし、途中まではそこそこうまくいっていたのですが、秋ごろから体重が次第に増加し始め、正月明けには昨年の春と同じ体重に戻ってしまいました・・。びっくりするほどあっという間の出来事でした。
 食欲の秋がネックだったのかもしれません・・。
 しかし、なによりも運動不足が大きいのは火を見るより明らかか・・。
 数年前に10キロ以上のダイエットに成功しているだけに慢心していたところがあったようです。過信せずにもっときちんと取り組むべきでした。メタボリックも怖いですからね・・。
 今年の春までに10キロ減を目標にしていて、まだ春にはなっていませんが、体重が元に戻ってしまったので必然的にリトライということになります。
 やはり想像以上に、内海教会での生活だけでは運動量が少なすぎるようです。“体重を維持しただけでもたいしたものだ”と自分をどうにか誤魔化そうとしてしまいそうな私でした・・。
 
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豊かな答え
2008 / 01 / 11 ( Fri )
 昨日の続きになってしまいますが、物事の考え方というのは結構偏っているものなのではないかと思えてきました。
 例えば、“人は何のために生きているのか?”という問いに対して、生物学的に“子孫を残すため”と言うよりも、殆どの場合その問いに対しては哲学的に考えるものだと思います。
 ところが、“どうして雨は降るのか”、“どうして星は夜光るのか”という設問などには、科学的根拠を示すような答えしか浮かばないものです。
 昔、友人の父上である東京大学の教授から言われたこんな言葉を思い出しました。
「“どうして雨は降るのか”、“どうして星は夜光るのか”と聞くと大抵の人は科学や物理の教科書通りの答えしか浮かばないものだ。本当にそうなのか。教会学校の子供たちの方がもっと豊かで的確な答えを知っていますよ。“雨は乾いた土を柔らかにしてきれいな花を咲かせるように振降っている”し、“星は旅する人が暗い夜にも迷わず道を行けるため”だと知っているのです。子供讃美歌の12番です。雪も“葉の無い枝に暖かそうな真綿の服を着せるため”、鳥が歌うのは“きれいな歌で世界の人にみ神の愛を知らすため”だということもね。子供たちの方がはるかに豊かな答えを知っているとは思いませんか。」
 “確かにそうかもしれないなぁ”とそのとき思ってしまいました。
 豊かな答えを一緒に探してみましょう。
19 : 01 : 49 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
意外な答え
2008 / 01 / 10 ( Thu )
 4歳の次男に
「お目々は何のためにあるの?」
と訪ねると、少し考え込んで
「分からん」
・・・。
「じゃあ、耳は何をするためにあるのかなぁ?」
と聞くと、やっぱり少し考えて
「知らん」
・・・。
「本当は知ってるだろう。・・。お目々はどんなことをするのかな?」
「・・・。テレビを観るためにあるの。」
「・・・。ものを見るためにあるんだよねー。・・・。じゃあ、お耳も何のためにあるか知っているでしょう?教えて?」
「・・。ああ、そうだった。耳掃除をするためだ。」
「じゃあ鼻は?」
案の定
「鼻をかむため。」
 答えって、ひとつしかないような気がしますが、いろいろな角度から考えたほうが真実に近付けるのかもしれません。

 そういえば以前、聖書をはじめて読む青年とキリストの復活のところを読んでいたとき
「どうしてキリストは復活したのかなぁ」
「・・・。」
「・・・。」
「弟子たちを励ましたかったのかなぁ・・。」
 そんな意見が飛び出してびっくりしたことがあります。
 全く思いもしなかった考え方ですが、そういわれればイエス・キリストはこのとき弟子たちを励ましたい気持ちがいっぱいあったような気がします。

 いろんな答えを見つけ出すことにも今年はチャレンジしてみようかなと思いました。
20 : 01 : 13 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
オバケのQ太郎
2008 / 01 / 09 ( Wed )
 4歳の次男が幼稚園から帰って“オバケのQ太郎”という単語を時折口にするのです。
 幼稚園でオバQのマンガか絵本でも見たのかと思いきや、どうやらそうではなさそうです。
 「10月からオバケのQ太郎が始まるんで!」
とか言っていますが、今は1月ですから10月の新番組の話題が出るとも思えません。結局、どうしていまどきオバQなのかまったくの謎ですが、オバQといえばそもそも1960年代の藤子不二雄氏の代表作です。私も少年時代に読んだ記憶がありますし、テレビアニメも観た記憶があります。
 お風呂に入るとき、謎は謎のままですが、
「オバケのQ太郎の歌を歌ってあげよう」
と言うと大喜びしてくれまして、風呂上りには妻に
「お母さん!お父さんって、オバケのQ太郎の歌全部歌えるんでぇ!!!」と、目を輝かせて言っていました。
 “お父さんって凄い”という態度は嬉しかったものの、もっと別のことで尊敬を受けたいような・・・。

 ちなみにオバケのQ太郎は藤子不二雄氏の数少ない正真正銘の合作のひとつだと言われている作品です。
 藤子・F・不二雄作品でもなければ、藤子不二雄A作品でもないのです。1980年代に2人がコンビを解消して活動し始めたのは有名ですが、それ以前からも2人は別々に作品を作っていましたから、アマチュア時代を除けば本当に貴重な合作なのです。
 ちなみに、Q太郎などのオバケたちは藤本氏が、正ちゃんをはじめとする家族たちは安孫子が描いていました。余談の余談ですが、当時トキワ荘の住人漫画家たちで立ち上げたスタジオ・ゼロの運営費捻出のために、脇役たちは石森章太郎たちが描いていた(デザインでしょうけれど)という伝説的マンガでもあります。回数では“ゲゲゲの鬼太郎”に負けましたが、テレビアニメ化も3回ありました。
 さらに余談なのですが、オバQに登場したラーメン好きの“小池さん”は知名度抜群の脇役ですが、彼こそ非常に貴重な人物なのです。
 その後の藤子・F・不二雄作品にも藤子不二雄A作品にも登場する唯一(?)の人物なのです(名前や役柄といった設定は違いますが)。
 そんなこともありオバQは特別なマンガなのでした。
 ・・・子供にこんな話をしても聞いてくれないので、つい描いてしまいました。失礼。
 
20 : 37 : 39 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
大切にしなければ
2008 / 01 / 08 ( Tue )
 今日は香川分区の教師会が坂出教会でありました。
 電車で行くことも出来ますが、乗り継ぎのロスタイムや、帰りのフェリーを考えるとどうしてもバイクになってしまいます(バイクだと小豆島のどの港行きでも関係なく乗れるのです。)。
 しかし、最近バイクにあまり乗っていないのと、年末年始の食べ過ぎなのか少し太り気味ということもあり、少々疲れてしまいました。防寒服がごついので動きづらいためでもあります。
 そういえば、教師会は11月お休みしたので(葬儀のため)、8月以来ということになります。随分久しぶりという気がしますが、行事予定等もその間に動きがあったようで、いくつかの行事日程が私の記録していた日時とずれているものもあり慌ててしまいました。しかし、考えてみるとそれはそうで、もともとは見当としての日程だった訳ですから、後日日程が確定されるのは当たり前のことです。ですから私がそれを聞けなかっただけの話なのです。
 一回休むと情報不足になってしまうのを今回は妙に実感してしまいました。
 良く考えてみると基本的に教師会は2ヵ月毎なので、年間6回しかない計算ということになります。年6日と考えると貴重に思えてきます。
 日曜日の礼拝にしても一週間に1回ですから、1年間で52回、年52日しかないことになります。以外と少ないです。
 何にしても、一回一回を大切にしたいものです。
20 : 51 : 11 | 行事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
疲れやすい
2008 / 01 / 07 ( Mon )
 明日から新学期。
 にぎやかだった我家も、明日から子供たちが昼間居なくなると寂しくなります。
 ・・と言いたいところですが、やっと“解放される”というのが本音かもしません。
 少しはのんびりする時間が欲しいもの。
 休みの日はどうしても子供たちにちょっとずつ時間がとられることになります。それが長期ですから・・。
 子供たちにしてみればほんのちょっとでも、4人居ますからね・・。

 昨日は妻と久々にキャッチポールをしましたが、今日になって2人とも筋肉痛。結構体がなまって来ているんだなと実感してしまいました。疲れが溜まりやすい訳です。
 今年は体を鍛えることを目標に据えたいと思います。
17 : 20 : 49 | プライベート | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
顕現祝日
2008 / 01 / 06 ( Sun )
 以前、1月6日までがクリスマスシーズンなのですと書いたことがあります。しかも、クリスマスツリーはこの日まで飾るとも。
 1月6日は教会暦では毎年動かない“顕現祝日(公現日):エピファニー”という祝祭日で、世界で一番最初のクリスマスに東方の学者たちがイエス・キリストの降誕を祝いにベツレムへやってきたことを覚えます(詳しくはマタイによる福音書2章をご覧ください)。
 彼らを幼子イエス様のもとへ導いたのがひときわ大きく輝く星で、クリスマスツリーのてっぺんに飾る星はこの星を模しています。ですから、クリスマスツリーはこの日にこそ飾られるべきなのです。
 彼らは“黄金”“乳香”“没薬”という宝を献上しましたが、黄金を捧げたことはキリストを“王”と認めたことであり、乳香を捧げたことはキリストを神と認めたことを意味し、没薬を捧げたことはキリストを人と認めたしるしだと言われています。
 とにかく神様の栄光が異邦人に現れたことを覚える日と言えます。
 ちなみに顕現祝日を表すエピファニーはギリシャ語で“輝きわたる”というような意味で、主の栄光がくまなく現れたことを示しています。

 余談ですが、この1月6日の顕現祝日は恐らくすべての祝祭日の中で一番古く制定されたものだと言われています。
 もっとも、教会の祭事というよりは、もともとは教会的民間祭事でしたし、先に述べた三人の学者たちと結びつけて考えたのは西方教会のクリスマスが12月25日に定着してからずっと後のことなのです。
 3世紀の初め頃、エジプトのキリスト教会の間でこの日を救い主が世界に顕現された日として守られていたといいます。“どうしてエジプトで?”というのがミソで、この日がもともとエジプトの太陽神オシリスを崇めるための異教的な顕現もしくは誕生を祝う祝日だったからで、それに取って代わるように選ばれたためです。顕現祝日のこの習慣はやがてエジプトから東方のすべての教会に広まって行きます。
 ちなみに1月6日はユリウス暦では冬至とされていたのです。
 西方教会では12月25日に聖降誕日(クリスマス)を守るようになりますが(ちなみに4世紀ごろの冬至は12月25日だと考えられていました)、顕現祝日は東方教会の慣習を(本当はしぶしぶだったようですが)取り入れます。
 東方教会では1月6日の顕現日から聖降誕日を12月25日に移し、顕現日をキリスト受洗の記念日として守るようになります。
 
 とにかく、顕現日にしても聖降誕日にしてもその成立根拠が異教祭儀にあるため、教会的祝事であるより一般大衆的な祭事の傾向が強かったようで、教会の歴史の中でもしょっちゅうもめていたようです。
 17世紀には“一切の祝祭日が禁じられる事態”もあったといいます。
 何はともあれクリスマスは12月25日、顕現祝日は1月6日が当たり前としていられる私たちは、なんとなく平和な時代に生きているようですね・・。
 
 
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結婚式の笑い話
2008 / 01 / 05 ( Sat )
 昨日は結婚式で讃美歌312番を歌う不思議について書きました。
 しかし、結婚式といっても、教会でというよりホテルなど結婚式場のいわゆる“チャペル式結婚式”において讃美歌312番が歌われることが多いと言い直した方が良いかもしれません。
 ただ、結婚式は教会であってもホテルのチャペル式であっても、讃美歌に馴染みのない方が“親戚だから”ということで出席されているケースが多いので、歌いやすさを重要視しているのかもしれません。

 ・・讃美歌312番の話はここまでにしておいて、ついでに結婚式の笑い話をいくつか紹介してみましょう。

 あるカップルが「結婚の“誓約”を格好良くひざまづいてしたい」というので、そのようにしてみたところ、厳粛な雰囲気の場面なのに会場のあちこちからクスクス笑い声が・・。牧師も新郎新婦も狐につままれたような気がしながらも、式は進行します。式が終わって原因を聞かされてびっくり!なんと!新郎新婦の靴の裏に“○○貸衣装店”と太字のマジックでデカデカと書かれていたのだそうな・・。

 ある牧師さんが結婚式の途中で新郎新婦の名前をすっかり“ど忘れ”してしまったことがありました。“親しいから大丈夫”とメモさえ用意していなかったためさあ大変。顔面蒼白・・かと思いきや、平然と“誓約”の直前になって新郎新婦それぞれに「新郎!汝の名を名乗りなさい。」「新婦!汝の名を名乗りなさい。」と名前を聞き出し、「うむ。新郎○○○○、汝は新婦○○○○を妻とし・・・」と何事も無かったかのように乗り越えたとのこと。凄い。しかも、式後に「今日の結婚式は重みがあって良かった」とかえって評判が良かったとか・・。

 私の友人で、自分の結婚式当日に指輪を忘れ、「皆からは良く見えないから大丈夫だ」と“カーテンレールのリング”を指輪の代用品にして式を挙げたという猛者がいました。

 私がチャペル式の司式を頼まれたときのこと。教会ではしないのにチャペル式ではどういうわけか指輪の交換後に西洋っぽく“キス”をするのが当たり前になっているのですが、リハーサルでうっかりキスのことを話していませんでした。ある牧師がチャペル式でキスをさせるのを忘れてしまったとき、“挙式料は払わない”と新郎が激怒した話などを思い出してしまい、悩んだ挙句、新郎に小さな声で「口付けをしていただけますか」と指輪交換の後に言いましたら、「えぇっ・・」と驚き、照れるような初々しい雰囲気で新婦に口付けをしてくれました。それを見た会場からは暖かい拍手が起こりました。ああ本来はこういうものなんだろうなとそのとき思ったものでした。

 葬式の失敗談は笑えませんが、結婚式の失敗談はなんとなく朗らかに笑える気がします。

 本当は紹介しつくせないほどのエピソードを知っていますが、このへんにしておきます。機会があればまたいつか。
17 : 45 : 36 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
讃美歌312番
2008 / 01 / 04 ( Fri )
 結婚式で歌われる讃美歌(日本基督教団出版局1954年版)の定番といえば429番、430番と並んで312番があります。
 428番から430番までが“結婚式”の項目なので429番、430番はよしとして、どうして312番なのか不思議です。どういうわけか分かりませんが、全国的にこの傾向にあるようです。おそらく、親しみがあり、歌いやすい讃美歌ということで歌われているのでしょう。実際世界的にも愛唱されている讃美歌のひとつです。
 しかし、この讃美歌は、もともと婚約者を結婚式当日に亡くした(溺死)ジョセフ・スクライヴンがその悲しみをもとに、母を慰めるために作った歌なのです。素晴らしい讃美歌には違いありませんが、わざわざ結婚式に歌わなくていいように思えるのですが・・。
 日本基督教団出版局の“讃美歌略解”にも載っていますから、牧師は知らないはずはないように思うのですが・・とにかく不思議です。
19 : 12 : 55 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
御名によって歩み始める
2008 / 01 / 03 ( Thu )
 内海教会では行っていませんが、“元旦礼拝”を行っている教会は多くあります。
 ところで、この“元旦礼拝”いったいどういう神学的根拠によって行われている礼拝なのかそれほど真剣に考えたことがありませんでした。外国でもしているものなのかどうか、それもよく分かりません。書斎にある本を色々と見てみましたが、まったく分かりません。
 もしかすると日本の“初詣”に同調して日本で始まったものなのかと疑ってしまいそうですが、はっきりとしたことが分からない以上なんとも言えません・・。
 新年の始まりというけじめに礼拝する習慣が生まれたものかもしれません。
 少なくともはっきりしているのは、この日(1月1日)は教会暦で“主の命名日”だということです。聖書によると「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名づけられた。(ルカによると福音書2章21節)」とあり、教会暦でイエス・キリストの誕生が12月25日のため、必然的にその八日後が元旦になるのです。
 クリスマスの制定の歴史をたどるとわかりますが、これはたまたまの偶然。ひとつの摂理のようなものを感じます。
 “主の御名によって”一年の新しい歩みを始めよう、そんな先人たちの思いがあるのかもしれません。
19 : 05 : 48 | 行事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
シンプルな宛名
2008 / 01 / 02 ( Wed )
 小豆島に来て時々驚くのは、こちらの方に住所をお訪ねすると、単に「安田」とか「西村」と仰って「番地は無くても届くから」と、まるで番地は不必要だという感じの方が結構いらっしゃるということです。
  実際、それで届くので、二度びっくりです。長年住み慣れているので、配達される方も迷うこともないのでしょう。

 とろこで、今朝届いた年賀状にこのような宛名のものがありました。
08年賀

 こんなシンプルな宛名住所の手紙類を受け取ったのは初めてです。そもそも“三野”という名前自体珍しいので、小豆島では恐らく我家だけだと思います。もしかしたら我家も番地無しの“片城”だけで届くのかもしれません。
15 : 53 : 22 | 出来事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
懐かしい正月気分
2008 / 01 / 01 ( Tue )
 あけましておめでとうございます。
 今年も宜しくお願いいたします。
 昨年は(セミナー参加で)長男長女と大阪の釜ヶ崎で年越ししたため、小豆島で初めて正月を迎えることになりました。
 最近、ある程度大きな町にしか住んだことがなかったので、店が開いていてあまりいつもと変わらなくなった正月のイメージしかなくなっていましたが、小豆島iには昔ながらの正月がありました。
 子供の頃の正月といえば三が日どこの店も閉まっていて、年始の挨拶以外は、ひたすらコタツでテレビを観たり、家族で百人一首やトランプ、人生ゲームなどしていたものでした。料理にしても、延々おせちを食べていた気がします。
 友だちとも遊べず、原則家族だけで過ごしていました。かといって店も開いてないし、寒いので出かけることもあまりありませんでした。
 ですから、少年時代の正月というのは、お年玉が貰えて嬉しいものの、非日常のつまらない数日間という印象でした。それがいつの間にか、大きな店や街は正月から開くようになり、コンビニが出来、正月のあの不便さも非日常性も無くなって来た感がありました。そうなってくると古き良き時代への哀愁を感じるものですが、“オールウェィズ三丁目の夕日”を観るどまりで、過去へタイムスリップすることなど出来るはずはないのです。
 ところが、小豆島の今日は大体どこもかしこもお休みなのでした。どこもかしこもシャッターが閉まり、道行く人は殆どいません。教会のある旧内海町界隈では“つくだ煮屋さん”1軒だけが何故か営業していたのみで、スーパーも本屋さんもお休みでした(土庄に行けば何軒かの大きな店は開けているようですが)。
 とにかく、少年時代の正月に戻ってきたようで、退屈さを感じながらも、“正月って本来こういう雰囲気のものだったなぁ”となんだか懐かしさを覚えています。
 残念ながら明日から2軒のスーパーは開くようですが、それでも個人商店が多いこのあたりは昔の風情が残っていそうで、なんとなく楽しみです。
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