何のストレスもなく発揮できる生活力・・なんてね
2014 / 08 / 17 ( Sun )
くも-2

 実はこの10日間ほど、妻が子供たちと実家に帰っていたので、一人暮らしをしています。

 独身状態だねなどと言われますが、そういう言葉は何が言いたいのかよくわかりません。

 嬉しくもないし、楽でもないからです。

 しかし、時には何もかも一人でこなすという生活を送るのも良いかもしれませんね。

 家族のありがたみを実感しますし。

 それにしても、朝昼晩と全部自炊し、洗濯も掃除も、庭の手入れも仕事も全部頑張ってるのは、我ながらえらいなと思いました。

 自画自賛ですが、生活力はあるなーと思います^^;

スポンサーサイト
20 : 41 : 53 | プライベート | コメント(6) | page top
終戦記念日に思った
2014 / 08 / 16 ( Sat )
東洋紡塀越し

 昨日は終戦記念日でした。

 侵略戦争だったという視点から敗戦記念日と言うべきだとの論もありますが、じゃあ次は勝とうとなりそうで、私はそんなに好きな表現ではありません。

 やっぱり、第二次世界大戦で日本が唯一手に入れた、世界にたった一つしかない宝である憲法第9条の視点から、日本はもう戦争もしない加担もしない、日本の戦争は1945年で終わったという意味での終戦記念日と理解したいと思います。

 日本国憲法なんてアメリカから押し付けられた憲法じゃないかとか、そんな押し付け憲法を後生大事にする必要はないとか、憲法を改正しない国なんかないとか、いろいろと言われる方もおられますが、良いものは良いし、変える必要もありません。

 アメリカから日本に戦争協力を求められても、むしろアメリカがもたらした憲法がありますからねと開き直れるはずですから、憲法の改正も憲法解釈を変更する必要もないと思います。

 そもそも、何度も憲法改正している諸外国でさえ、憲法改正には相当高いハードルがあります。

 時の内閣の解釈変更には正当性も民意も永続性も無いというのが問題です。

 つまり、集団的自衛権云々と言うのなら、小手先ではなく、公約に掲げて総選挙した後、法手続きに則って憲法改正を行うべきであり、それ無しに憲法解釈で押し切ろうとしていることが間違っています。
 
 大切なのはルールと民意を尊重することでしょう。

 69年間、戦争において(敵味方)一人の命も失っていない日本は誇らしいと思うのですが。


08 : 09 : 25 | 思ったこと | コメント(2) | page top
和泉式部の化粧水
2014 / 08 / 15 ( Fri )
和泉式部の化粧水

 突然、完全なるオフ日がやって来ました。

 しかも、(家族は妻の実家に帰っているので)家には私一人という、完全な自由がやって来たのです。

 しかし、家族がいないと、結局何をしていいのか分からない自分に驚く始末・・。

 朝食の後片づけをし、洗濯物を干し、金魚に餌をやって、掃除機をかけて回り、庭の草抜きと水やりを終えたら、もうすることが無くなってしまいました・・。

 う~ん、そうだ!前から気になっていた、四日市市曽井町にある“和泉式部の化粧水”を見に行ってみよう!!

 ということで、愛車のスカイウェイブ君とお出かけです。

 確か・・尾平のイオンを超えて・・おびら眼科を曲がった所と・・

 あまり目立たないので、少し迷ってしまいましたが、何とか到着です。そう、上の写真と下の写真。

 西消防署の裏手の方にあります。

化粧水全景

 そうそう、言い忘れていましたが、和泉式部とは百人一首でも有名なあのお方です。

 その和泉式部が、観音寺(このすぐ北隣にありました)に来て、顔にあったあざをこの井戸で洗ったらきれいに消えたという伝説のある湧水なのです。

化粧水案内板

 何だかすごく歴史がかっているじゃないですか。

 千年以上前からここにあるということですからね。

澄んだ綺麗な水でした

 水はとても綺麗に澄んでいました。

 でも、どういう訳か石の水槽は足元に広がっています。

 今までの経験から言っても、たいていの場合、湧水って手ですくいやすい高さにあるような気がしますけど・・。

水質基準に適合しています

 札をもう一度見直してみると“この水は水質基準に適合しています。ご自由にご使用ください。”

 水質的に問題はないようですが・・ご使用ください?

 飲用ではないということかな・・。

 あ、そういえばこの形、野菜とか洗うのに便利な作りなのか!

 周りは田んぼや畑が広がっていますからね。
 
 地元の人たちの生活に密着した湧水だということのようです。

 あ、いろいろ考えてたから、そのまま帰ってしまいましたが、私の顎にもあざがありましたから塗ってみれば良かったかな。

21 : 11 : 51 | 地域情報 | コメント(6) | page top
全国でここだけ
2014 / 08 / 11 ( Mon )
大手町

 先日、四国の愛媛県松山市に行ってきたとき、大手町駅で下車する機会があったので、写真を撮ってきました。

 伊予鉄道の大手町駅の北側には全国でもここだけにしか残っていない“あるもの”があるのです。

 それは上の写真。

 え、何か分からないですって?

 鉄道好きの人なら瞬時に分かるものです。

 もちろんも路面電車とかではありません。

 写真の中央やや左をご覧ください。

 ここは、ほぼ90度で鉄道の平面交差になっている全国唯一の場所なのです。

 どちらも伊予鉄道で、郊外線と市内線の平面交差となっています。

 しかも、どちらも上りと下りの二本ずつあり、なおかつ道路のまん真ん中にあるという大胆さ。

 写真に撮ったのは初めてですが、周りから見たら、きっと鉄っちゃんだと思われたでしょうね。違うのにT.T



19 : 12 : 59 | 未分類 | コメント(4) | page top
東海道に残っている二本の松
2014 / 08 / 06 ( Wed )
かわらずの松

 子どもたちが“大きな木のあるところに連れて行って欲しい”というので、大きいかどうか自信はありませんが、四日市の東海道沿いに残っている日本の松の木を見に行ってきました。

 詳しくはわかりませんが、どうやら夏休みの課題のようです。

 東海道は抜け道としてよく使うので、この日本の松の存在を知っていましたが、まじまじと見ることは滅多にないので、私の方がじっくり見たかったのかもしれませんね。

 まず行ったのは上の写真、四日市市羽津にある“かわらずの松”です。

かわらずの松-看板

 この松は樹齢200年で、四日市市の東海道で残っているのは日永地区とここ羽津地区の二本だけになったこと。昔からこの付近の町名を「川原須 」(かわらず)と言われていたので「かわらず の松」と命名したとあります。

 江戸時代から残っている松の木だいわれると、とっても貴重な存在に思えます。

名残の一本松

 お次のこのクネクネと曲がっている松の木は、同じく四日市市日永の東海道沿いにある“名残の一本松”と言われる木です。羽津からは車で20分ほどの距離。

 立て看板を見るとこんなことが書かれています。

「むかし、この辺りから泊の集落までは東海道の両側に低い土手が築かれ、その上に大きな松の木が並んで植えられていた。その向こうには、家は一軒もなく、縄手(なわて)と呼んでいた。この松は、その蝿手に植えられていたものが残った貴重なものであり、往時の東海道や日永の歴史の一端を今に伝えるものとして大切に維持しなければならない。縄手の道の幅は、土手も入れて約5間(9m)であった。松の木が無くなった現在の道幅とほぼ一致する。因みに、旧東海道の道幅は、3間(約5.5m)で、現在も変わっていない。」

名残の一本松-看板

 かつての松並木も、残っているのはこの二本だけで、地元の人たちも愛着を持って手入れしている様子が伺え、また、参勤交代で東海道を通った人々や当時の行商人、伊勢参りの人たちも見たのだろうな、などと昔に思いをはせるとなかなか感慨深さを感じます。

14 : 06 : 22 | 地域情報 | コメント(2) | page top
| ホーム |