スカイウェイブ6周年

2015/06/30 Tue 18:13

6年前

 これは懐かしい写真です。

 今も乗っている“スカイウェイブ250タイプM”納車日の写真で、まだピカピカのスカブ君と内海教会(小豆島)。

 日付は2009年6月30日。

 そうです。ちょうど6年前の今日が納車日でした。

 6年間も乗り続けたのは今までで最長記録です。

 実はこのタイプMの前には、タイプSに2006年秋から乗っていたので、スカイウェイブ250ということで言えば9年近く乗っている計算になります。どうりで自分の手足みたいに感じる訳です。

 歳も40代前半だったのに、今や50代前半・・。それは置いといて・・。

 もちろん大きなの(リッターバイク)に乗りたい気持ちはありますが、子供が4人も居る身では車検の無いバイクがベストチョイスということで半ばあきらめています。

 しかし、この手のビッグスクーターは、バイクのような乗り心地はもちろん期待できませんが、シート下に大きなトランクがあるので、ヘルメットだけでなくレインスーツやカバンなどの収納や、バイクから離れるときにナビを仕舞っておけたりして重宝します。

 なんといっても、車格が大きく見えるので、パワーは無くても貧相な感じがしないのも良いところです。

 おまけにタイプMは7速マニュアルモードや7速オートマチックモードも選べるので、結構軽快に楽しく運転できるのがメリットです。

 しかし、明日から7年目かと思うと何やらすごいなぁと思えてきました。こんなに長いこと買い換えないで乗り続けたバイクは今までありませんからね・・。

 しかも、一回も転倒してません ! ・・・・・タイプSは軽トラックの老人にぶつけられて全損でしたけど・・。

 とにかく、もうしばらく仲良くやっていきたいと思っています。
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とんぼ

2015/06/28 Sun 20:35

トンボ

 何処を見ているのですか

 キョロキョロしたり、向こうを向いていたり

 何処を見ているか分からないのに

 きっと、私は見えているのでしょうね

 私なんか、見ているようで見てないことばかり

 キョロキョロしてても、見ているものはたかが知れています

 トンボ玉の穴から世界を眺めて見た方が

 意外と何かを見つけられるかも



 
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足元

2015/06/27 Sat 17:46

足元

 私は良く躓いたり、転んだり、物を踏み壊したりします。

 犬のウンチはもちろん、小豆島にいた頃には思いっきりサルのウンチを踏んでしまったこともありました。

 足元を良く見ないからだと、しょっちゅう妻に指摘されますが注意力がついて行きません。

 そういえば、マンホールの穴にすっぽり落ちたこともあるくらいで、その時傷めた左手首は10年以上経った今でも痛みます。

 早々懲りても良さそうなものなのに、人間の注意力とか行動パターンは感情とは別システムで動くのでしょうか。

 しかし、ふと足元を見ると、上の写真のような意外な出会いがあったりします。

 人の足元を見るというのは良くない諺ですが、自分の足元は良く見た方が良いかもしれません。

 
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2015/06/26 Fri 21:03

塩枕

 私はひどい肩こり症のためか、自分に合った枕を探すのが大変です。

 いったい今まで何個の枕を買ってきたのか数えきれません。今使っているもののベストとは言えませんから・・。

 特に30歳を越えたあたりからその傾向は顕著となり、ひどい時はベッドの頭の所に夜中に変えるための枕を二つ三つ置いていたものです。

 そばがら、パイプ枕、羽毛、ウレタン、低反発のものなど、ありとあらゆる枕を試してきましたが、これがベストと言えるものにまだ出会っていません。

 通販生活(カタログハウス)のメディカル枕も試しましたが、しばらく使うとやっぱりダメでした。

 しかし、しばらくというか、一晩のうちでも夜中にしんどくなって取り換えることもあるくらいですから、これというものが見つかるとは思えなくなってきました。

 写真のものは“塩枕”。中身は塩です。2000円もしましたが、ここまで来たら、ああだこうだと考えずにとにかくトライ。

 しかし、湿気ですぐに硬くなってしまうようで、私にはダメでした・・。残念。しかし、こんなことはしょっちゅうです。

 特注で自分専用の枕を作ってくれるお店が四日市にもありますが、何万円もするのでちょっとそこまではと腰が引けています。

 安眠出来るのはいつのことやら・・。

 でも、良く考えてみると、今まで枕につぎ込んできた金額とこれからつぎ込む金額を考えると、観念して自分枕を作った方が良いかもしれませぬ・・。

 

 
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ステレオ警報機

2015/06/25 Thu 19:30

家と線路①

 昔、大きな病院に続く幹線道路の近くに住んだことがあります。昼間に聞こえる車の騒音も相当なものでしたが、夜間の救急車のサイレンにはほとほと参ったものです。どんなに熟睡していても飛び起きていましたから・・。

 それでも、人間というのは良くできているもので、しばらく住んでいると騒音にも慣れてきました。それが当たり前になるのでしょうね。そういえば、どんなに片方のイビキが凄くても、寝室は一緒で平気というご夫妻がいます。慣れ、なんでしょうね・・。

 しかし、上の家の方はすごいなと思いました。おそらく慣れておられると思いますが、振動も相当のはずですからね・・。始め見た時は目を疑いました。警報機が家の真横にあり、しかもステレオですから。

家と線路②

 左から電車が来ました。

家と線路③

 右に抜けて行っているところです。

家と線路④

 抜けましたね。

 しかも、道路がちょうどYの字になっていますから、交通事故も多そうな気がします。事故が多くなくても、ひやっとする交差点であることは間違いないでしょう。

 四日市の一風景。

 おっと、言い忘れるところでした。実は私の両親は今から60年程前まで四日市市に住んでおりまして、多分この近くに家があったはずです。そんなことを考えながら歩いていたので、なんだか身近に感じる町並みでした。

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夏至観音

2015/06/23 Tue 16:24

夏至観音

 昨日は夏至。夏至で思い出したのが、6年ほど前に見た“夏至観音”です。

 小豆島町坂手にある小豆島88か所の1番札所、洞雲山では、夏至をはさんだ約50日間だけ、岩肌に浮かび上がる観音像を見ることが出来ます。太陽の光が洞窟に差し込む時、周りの岩壁でうまい具合に光がトリミングされ、観音像の形になるのだとか。

 時は梅雨時なので、観光客は見られない可能性が高いと思いますが、当時は小豆島に住んでいたので天気の良い日に、一度だけ見に行ったことがあります。ただし、夏至より少し早く行ってしまったので、完全な形ではなかったかもしれません。上の写真はその時のものです。

 しかし、この観音様の形に見えるのはほんの一瞬で、あれよあれよという間に終わってしまいったのを覚えています。集まっているのはきっと信心深い人たちで、私なんか冷やかしみたいな存在は居るだけで申し訳ないかなと思ってカメラを構えていましたが、手を合わせたりお祈りする人はまず見当たらず、みんな「どこ?」「いつ?」「あれなの?」「もう終わったの!」などと大騒ぎで、思わず笑ってしまったのが懐かしい。

 何十年か前に、あるお遍路さんが撮った写真の中から偶然見つけたもので、住職や寺の関係者は全く知らない現象だったとか。

 誰か、四日市教会の敷地内のどこかに、こういう現象の起きる場所を見つけてくれないものでしょうかね。そしたら、きっと楽しいのに。

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名古屋聖文舎さん

2015/06/22 Mon 14:59

聖文舎カー

 キリスト教関連の本というのは、どこの本屋でも手軽に帰買えるいうものではありません。比較的大きな本屋さんでも、哲学・宗教もしくはスピリチュアルなどというコーナーに、仏教や新興宗教、哲学書や霊感関連の本などと一緒に、しかも、ほんの少しだけおいてあるというのが普通です。

 多分、仏教関係者も同じ感想だと思います。早い話が、専門書というのは売れ筋の本でないので、置かないか、置いても極少量になってしまういうことです。ですから、最新刊の神学書などは情報を入手して取り寄せるしかありません。

 しかし、全国にはキリスト教専門の書店というものが僅かにありまして、キリスト教関係の本はもちろん、CDやDVD、一筆箋やハガキといったものまで取り扱っているので助かります。

 顧客のほとんどが教会関係者という少数者に限定されますから、収益以前に社会的あるいは信仰的責任感を持って店を開いているとしか思えません。ありがたいものです。

 しかも、キリスト教関係の情報通とも言えますから、新しく出た本の情報はもちろん評判なども聞くことが出来ます。キリスト教に興味や関心があるけれども、どんな本を読んだらいいか分からないという人にも、おそらく的確にアドバイスしていただけると思います。

 普通の書店ではそもそもキリスト教関係の本が少ないうえに、知識の面でもアドバイスしていただくのは不可能だと思いますが、キリスト教書店では、客が少ないということもありますが、時間を割いて親身になってもらいやすい環境であることも手伝って、きちんと応対していただけると思います。

 しかし、残念なことに、三重県下にはそういうしっかりしたキリスト教書店が無いのです・・。前任地の(小豆島にある)内海教会にいた時は、高松市内の“CD・BOOKSグレース”さんというキリスト教書店さんに何かとお世話になったものです(今は閉店しているようですが)。

聖文舎さん


 ところが幸いなことに、名古屋市内にある“名古屋聖文舎”さんが、月に一回三重県下(全域ではないようですが)の教会を回ってくださっているのです。

 店に行くことは無くなってしまいましたが、店に行かなくても、カタログや図書目録などでこまめに最新情報を頂くことが出来ますし、電話で注文しておけば、配達時に(送料も要らず)届けてくださるので大助かりです。

 Amazonなどネットで本を買う人も多いですが、専門書はこういう専門書店を通して買うことで、かけがえのない店を守っていくという視点は大切だと思います。適当にネットで買うよりも、「なんだか勇気が出るような本は無いですか」とか、「簡単にキリスト教のことを知るのに良い本を教えてください」とか、「素人でも分かりやすいお祈りの本ってありますか?しかも、安い本で。」などと、相談に乗ってもらえる本屋さんって後代に残したいですものね。

 面白いことに、以前は海外でしか手に入らなかったような、キリスト教関係の小物やアクセサリー、最近では家庭祭壇(仏壇みたいなもの)まで注文できます。頼めばカタログを送っていただけるはずです(毎年クリスマス前に新しいのが出ます。しかも、これ見ているだけで楽しいです。)。通信販売もしているそうです。

 もしかしたら、興味のある方がおられるかもしれないので、名古屋聖文舎さんの住所と電話番号を載せておきます(ちゃんと許可を取ったので大丈夫でしょう)。

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 名古屋聖文舎

 〒464-0850 名古屋市千種区今池5-28-4 電話 052-741-2416 FAX 052-733-2648

 営業時間 10時から18時
 
 休業日 日曜・祝祭日 年末年始・8月中旬 11月12月を除く毎月第1月曜日

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サプライズ・ケーキ

2015/06/21 Sun 19:15

サプライズ

 先週書いたように、先週、妻の勘違いで一週間早い父の日をしてもらいました。

 さすがに、勘違いしていた妻は相当恥ずかしがっていましたが、その気持ちが嬉しかったので、今日は私の方からケーキを買うというサプライズを仕掛けてみました。

 それは先週予告した通りです(半分冗談でしたが)。

 父の日に父自らがケーキを買って帰るとは思うまいと書いていましたが、良く考えてみると妻がこのブログを読んでいてもおかしくないので、さすがにサプライズにはならないかもしれないと半ば不安を感じつつ買ってみました。

 はたして、彼女にこの企みは知られていました。

 しかし、日曜日ですから、私は礼拝を終えても会議などで忙しくしていたので、やっぱり無理だろうなと思っていたようです。

 でも、私はちゃんと買いに行きました。半分ジョークですから、真剣にしないと面白くありません。

 しかも、良く買っている馴染みのお店ではなく、普段あまり行かないお店で買うという凝りようだったので、どれも新鮮に感じるケーキということで、中途半端と言えば中途半端ですが、サプライズは半分成功したような印象でした。

 私の好きなお刺身とかでなく、家族が喜ぶショートケーキにしたのがなんとなくあざとい気がしますが良しとしてください^^

 なんだか不思議な父の日でした。


 
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ガクアジサイ

2015/06/20 Sat 20:56

ガクアジサイ

 私は紫陽花の中でもガクアジサイが一番好きです。

 真ん中の小さな粒粒の花が何となく可愛いから。

 現在は500種類以上の品種があるそうですが、ガクアジサイが一番ほっとするいでたちに思えます。

 アジサイの原産国は日本で、原種はガクアジサイなんだとか。

 今では世界中に広がっていて、何百種類もあるアジサイのお母さんがガクアジサイということですか。

 なんだかアダムとエヴァみたいです。

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どこか遠くへ

2015/06/19 Fri 21:22

インドハマユウ

 ユリのようにも見えますが、これはインドハマユウ。

 教会の庭で毎年花を咲かせてくれます。

 清楚な雰囲気があって、きれいなことにはきれいなのですが、萎れやすいので飾ることも写真を撮ることも難しい花です。

 なにせ一本の茎に付いている沢山の花のどれかが、全部咲いてしまう前に、さっさと萎れて茶色く垂れさがるので、どこからどう見ても美しいと言える状態が殆どありません・・。

 それでも、毎年たくさんの花をつけてくれるので、それなりに楽しませてもらっていますけどね。

 ちなみに、このインドハマユウの花言葉は“どこか遠くへ”、“あなたを信じます”、“汚れがない”なのだとか。

 私もピュアに気持ちでどこか遠くへ旅に出てみたいなぁ^^

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ちょっと考えてみると

2015/06/18 Thu 17:06

あじさい

 “ちょっと考えてみる”って、大切なことだと思います。よお~く考えるとか、深く考えるとか、じっくり考えるなんてこと以前に、ちょっとで良いと思います。ちょっと考えるだけで、自分の凝り固まった世界から抜け出して、新しいものと出会えるようになるからです。

 たとえば、エレベーターの中に鏡がありますが、何のためにあるのかなと、ちょっと考えるだけで世界も自分の行動も広がります。

 いつもはエレベーターに乗っている間に、自分の髪形や服装をチェックしているだけなのに、エレベーターの中の鏡はどうしてあるのかなと意識すると、少し低い位置にあることが分かります。

 そこで改めてエレベーター内を見まわしてみると、同じく低い位置に車椅子用のボタンがあるのにすぐ気付きます。

 次に車椅子の人がエレベーターを利用している場に出会わすと、前向きに入れても、転回出来ない車椅子はそのままバックでエレベーターから降りていることが分かります。

 分かる人はイメージだけでも分かるかもしれません。そう、あの鏡は車椅子の人(介助者の場合も)が、バックでエレベーターから降りるときに必要なものだということです。

 そうしてみますと、車椅子の人が自分の乗っているエレベーターに乗ってこられたら、介助ボランティアをすることが無いにしても、鏡の前に立ちはだかってはいけないことに気付かされると思います。

 こんな具合に、ちょっと考えるだけで世界が広がり、自分の行動も変化し始めます。

 「だって知らないもん」

 「そんなこと気付かないよ」

 「分かるかよ、そんなこと」

 それでは、勿体ないです。人生が。

 自分の殻に閉じこもっていると分からないものが分かるようになると、人生が楽しくなります。潤ってきます。ちょっと考えてみるって、ほんのちょっとのことです。

 「よ~く考えてみろよ」と他人に誘導される思考ではなく、自分の頭で素直にちっょと考えてみるだけのことです。

 何でもちょっと考えてみる姿勢って、人生に余裕を感じられるようになるかもしれませんよ~

 
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バリアフリー

2015/06/17 Wed 20:02

エレベーターJR四日市駅

 これはJR四日市駅です。嬉しいことに、今年エレベーターが設置されました。

 実は、四日市市の中心駅はJRではなく近鉄四日市駅で、両駅の利用者は8倍も差があるそうです。もちろん、JRが近鉄の8分の1です。四日市教会はJRに近いので、私はもっぱらJRを使いますが、市民のほとんどは近鉄電車を使っていると言っても過言ではないでしょう。

 南(伊勢方面)に行くには路線的に遠回りになったり、乗り換えが必要になったりということも一因なのかもしれませんが、今では便数も少なく、ホームに降りるのに必ず階段を上り下りする必要があるとか、マイナス要因がいくつも重なってしまっています。今ではキヨスクもレストランも店をたたんでいる状態です。

 以前からエレベーターの設置が望まれていましたが、利用者が少ないので実現が難しかったのかもしれません。結構お金がかかったようですが、近所の高齢者たちはとても喜んでいます。

 四日市の話ではありませんが、昔、似たような作りの駅の駅員さんに「この駅は車椅子の方が使えませんね。」と言ったところ、爽やかな笑顔で「ええ、それが、幸い当駅を使われる車椅子の方はおられないので、今のところ問題は無いんですよ」と言われたことがあります。

 ・・・・・・・。いや、それって、使えない構造だから、車椅子の人が来られていないだけの話って、小学生でも分かるでしょ・・。しかも、それ以前に、幸いって・・。問題は今のところ無いって言われても、駅側の考え方の中に大ありじゃないですか・・。

 そういう、嫌ぁな思いをしたことがあったので、四日市駅の状態にくすぶった思いを抱えていましたが、エレベーターが出来て本当に良かったと思います。建物以前に自分たちの心のバリアをフリーにしておきたいものです。

 
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私はダメな牧師

2015/06/16 Tue 19:35

水連ですか

 「『神も仏もあるものか』と言われたんですよ。非常に大きな苦しみを抱えておられる方に。こんな時、どう答えて良いか分かりますか皆さん。」

 ある集まりで、それなりの立場にある牧師さんがそう言うと、そこにいた牧師たちは「うぅ~ん・・。確かに難しいですね・・」と、困ったような表情で反応し、私はその様子に違和感を覚えました。そして、そういう私は、自分が変わり者の部類に属する牧師なのかもしれないと思いました。何年も前のことです。

 周りの牧師たちは、“神も仏も無い”という言葉を不信仰と結び付けて、“牧師たる自分はその人を信仰の道に導かねばならぬ”と考えているとしか思えませんでした。どうすれば、そういう不信仰な心になっている人を導けるかと考えているのが見え見えなのです。そこで感じた違和感というのは、おそらく“導いてあげねば”“教えてあげねば”という上から目線なのだと思います。

 「そうですか・・、神も仏も無いと、そういう心境なのですね。」とか「今お聞きした状況では、神も仏も無いものかと、そういうお気持ちになられるのは良く分かります・・。」で良いと、私は思います。そんな状況を自分に話してくれたことに感謝して、そのまま受け止めたいと思うからです。

 立場上、相談して下さっている相手の気持ちを、そのまま受け止めることが出来ないと言うのなら、そんな立場は捨ててしまっても構わない程のものだと私は思います。
 
 信仰的に正論を語り続け、聖書と祈りを通して正しい道を示し続けるのが牧師っぽい姿勢のような気もします。でも、私には以下のような言葉は、さんざん相談に乗っておいて、「頑張ってね」「自分で頑張るしかないよ」というような、相手を見捨てる言葉のように思えます。

 「そんな不信仰な気持ちではいけません。この聖書の言葉を聞いてください。」

 「神様はおられますから安心してください。」

 「祈りなさい。」

 そんな言葉や態度を相手が求めているとは到底思えません・・。教えてあげる、導いてあげる、救ってあげる・・それは傲慢な言葉であり態度だと思います。多分「それは辛かったですね・・」としか言えないような私は、牧師として失格者なのかもしれません。でも、それが聖人君子でもなければ人格者でもないありのままの自分の姿です。

 「でも、偉そうに教会で説教しているくせに」と言われるかもしれません。上の立場から語っているように見えるのかもしれません。でも、実際は教会に集まっている人たちの悲しみや喜び、痛みや願いを“分かち合わさせて頂いた”上で、皆にこの聖書の個所から与えられている慰めや希望は何なのかを“聴いて”説教なりを語らせて頂いているというのが実情です。

 語ることではなく聴くことが中心であり、語ることは聴くことという言い方もできます。

 牧師なんて、本来自分の内に何も無いのだと思います。教え、諭し、導く力も能力も無いのです。何も無い自分が誰かと関わらせて頂く中で、共に祈り、神様から必要なものを頂くことしかできません。何か持っているとか、この人より自分は上の立場だと思った瞬間に信仰は失われるような気がします。

 こんな弱気なことを書くと、やっぱりあんたはダメな牧師だねぇと誰かに言われそうですね。

 
 
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レコードやソノシート

 引越しの度に荷物を処分して来ましたが、なんとなく手放せないで残っているのがこのソノシートとレコードです。もちろん、他にもレコードはたくさんありましたが、もはやプレーヤーも無いので、それらは全て処分しています。しかし、プレーヤーが無いからというより、最近ではCDさえも多く手放していますから、音楽そのものに執着が無くなってきているのだと思います。

 しかし、この数枚のレコードたちは、子供の頃、小さなプレーヤーで繰り返し繰り返し一所懸命聞いていたもので、あまりにも大切なものという印象が強かったからかもしれません。黄金バットは生まれて初めて買ってもらった自分のレコードで、何度聞いても、これを聞いている間は夢の世界にいるような気がしていました。キャプテンウルトラやウルトラセブンなんて、確か始まったばかりのUHF放送で、我が家の古いテレビでは観ることが出来なかったので、それはもう貴重なソースでした。想像を膨らませて何百回聞いたか分かりません。しかも、この二枚はお年玉で買ったもの。つまり、初めて自分で買ったものでした。赤影もそうですね。そうそう、ガッチャマンに至っては高知で放送されませんでしたよ。とにかく、強烈な思い入れが詰まったレコードです。

 その他は、ちょっと大きくなってからのものなので、それほどでもありませんが、テレビアニメで初めてファンクラブが出来たと言われる海のトリトンなんかはちっょと貴重な気がします。ここだけの話ですが、私のカラオケでの18番はこの“海のトリトン”です。そうそう、カラオケついでに言えば、カラオケの無い場で盛り上がれるのは“ガッチャマン”です。機会があれば、お試しあれ。

 宇宙戦艦ヤマトとかキャプテンハーロックなどは何故か手放していますね。持っていることがちょっと恥ずかしく思えたのかもしれません。そういえば、この中でも仮面ライダーV3はちょっと恥ずかしい気がします。本当なら仮面ライダーが残っているべきだと思いますが、実は仮面ライダーは持っていなかったので、なんとなくV3を残したのかもしれません。仮面ライダーはテレビで毎週欠かさず観ていたので、レコードを買おうという気が起きなかったのかもしれません。ちなみに、我が家にUHFチャンネルが見えるテレビ(ここからやっとカラーテレビ)が導入されたのは1971年。それも随分過ぎてからでした。

 ワクワクしながら初めてカラーで観たヒーローものは“帰ってきたウルトラマン”。良かったねーと言われそうですが、この最初に見た記念すべき帰ってきたウルトラマンは“怪獣使いと少年”という問題作で、分かる人にはわかってもらえると思いますが、それはもう、後味の悪い回で、げんなりしたのを昨日のように覚えています。考えてみれば、あのころのアニメやヒーローものは、結構脚本家のメッセージが込められていて、重い内容のものが多くありました。商業路線第一の今のアニメからは考えられません。

 今日は珍しくオタクっぽいことを長々と書いてしまいましたが、最後に付け加えておきます。この中で一番好きなのは右下の“あしたのジョー2”です。これはこの中で一番新しいというか、ずば抜けて新しいレコードです。なにせ1980年10勝からの放送ですから、私はもう高校生~大学生の時代です。1970年前後に少年マガジンに連載され、テレビ放送もされたあしたのジョーの後半部分をリメイクしたもの。少年時代に観た時には感じなかった熱いものを青年期にぶつけられたようで、魂を揺さぶられたのを思い出します。この主題歌はあまり知名度が高くありませんが、ものすごく良いです。そうそう、これもカラオケで歌います。あまり受けませんが・・。

 ん・・オタクでもないんですが、今日はちょっとオタクっぽいですね。番外編ということでお許しください。

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サプライズ!

2015/06/14 Sun 21:12

かえる

 今日は、三重地区の津市にある、津示路教会で行われた牧師就任式に行ってきました。小さな教会なので、113名の出席で満席御礼状態。たくさんの人に祝福された就任式でした。

 しかし、人が多すぎて動きが取れず、2時間半以上もパイプ椅子でじっとしていた私はさすがに疲れました。普段からじっとしていることが多いせいか、黙って座っているのはそんなに好きではありません。

 そうしてみると、教会の礼拝でじっと座って、私の話を聞いて下さっている教会員さんたちはすごいなぁと思いました。それにひきかえ、私はなんてわがままなんだと、そんなことを思いながら帰宅すると、時は既に7時になろうとしているところ。

 我が家の夕食は午後6時と決まっているので、普通なら一人で晩御飯というパターンでしたが、どういうわけか待ってくれていました。しかも、スーパーのでしたが、ちょっと高めのお寿司が食卓に並んでいます。

 「 ! ああ、今日は父の日だね。」

 「そうなの。そう思って奮発してみたんだけど。」

 妻の話は続きます。

 「でも、何となくそれっぽくないから、今ネットで調べてみたら、父の日は第3日曜日とあって、来週みたいの。間違えちゃった。」

 ああ、そういうことね。私だって、父の日は6月第2か第3なんて、いちいち覚えてないから、気にしなくていいと思います。本人は間違えて相当恥ずかしいと言っていましたが、気持ちが大切ですよね。一周ずれてのサプライズなんて、絶対気付けないから、ある意味最高のサプライズになりましたしね。

 では、来週は私の方からケーキでも買ってきて、サプライズを仕掛けましょうか。父の日に父の方から買ってくるとは思うまい。

 ははは。



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雑用~渡辺和子さんの言葉

2015/06/13 Sat 05:48

白と陰

 渡辺和子さん(カトリックのシスター)の本はどれも素晴らしい内容のものです。最近では「置かれた場所で咲きなさい」が有名でした。私が彼女の著作の中で印象に強く残っているのは「美しい人に」です。この本を初めて読んだのは20年以上前のことですが、その時は世の人すべてに読んでもらいたいと思ったものでした。

 中でも“雑用”というお話が好きでした。

 彼女が修道女となって、アメリカ東部ウォルサムにある大きな修練院にいたとき、一日の大半が、掃除、洗濯、アイロンがけ、繕いものなどといった雑用ばかりに費やされていたそうです。当然と言えば当然ですが、100人以上の修練女たちの食事のためにお皿を並べていたとき、先輩から「あなたは、食堂でお皿を並べながら、何を考えていますか。」と問われて「別に何も・・」と答えながら心の中で赤面したというところから話は始まります。

 先輩は「一つ一つ、音を立てないように、静かに置いてごらんなさい。そして、そこに座る人が幸せになるようにと、心を込めて置いてごらんなさい。」と言って自分の仕事へ帰って行かれました。

 渡辺和子さんはこのことから、やりがいの見い出せないような単純作業を、やりがいのあるものにしていくべきことを学んだというのです。そうすると、単純で機械的な仕事に費やされる時間に意味が出来てくるのを感じたと言います。

 そして、“世の中に、つまらない仕事というのはない。雑用と呼ばれる職種もない。それは人間がつまらぬものにしているのであり、人間が用を雑にしている時、生じるものなのだ。”(「美しい人に」p156)という言葉が添えられています。

 つまり、雑用という用事など無くて、人が雑に用事をこなそうとすればそれが雑用になってしまうということでしょう。

 さらに渡辺和子さんは続けます。人生は苦しみや不幸が無ければ幸せかというとそうではない。苦しみや不幸に意味を見出せた人生が尊い人生なのだと。そして、“人生の終わりに「あなたの生涯にどんな意味がありましたか」の問いに答えられる人こそ、真に生きる責任を果たした人です”と結んでいます。

 不平を言うことも、言い訳をすることも、私たちの自由です。何を考えても良いし、何も考えなくても問題はありません。でも、どうせ自由なら、一つ一つの事柄に意味を見い出していくことを積み重ねて行けたらと思います。

 同じ長さの人生を、どれだけ深く味わえるかというのも、また一興です。

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頑張らないで

2015/06/11 Thu 17:38

淡いいろ

 居心地が悪い、気分が悪いと嘆く人を時折見かけます。仕事、家庭、サークルどこもかしこも居心地が悪いと嘆きます。そんな人は、大体、まじめで一所懸命生きている人。しかも、周りの問題というよりその人の問題であることが多くあります。でも、まじめで一所懸命ですから、正しいことを正しくこなして生きている訳で、そんな自分に問題が内包されているとは思えません。だから自分で居心地を悪くしているのに、まったく気付けないのです。

 正しいから、一所懸命だから、“自分が変わると相手も変わる”という言葉の意味が理解できません。自分がこんなに頑張っているのに、周りの人はどうして頑張れないといぶかるばかりです。実は、相手をそのままで受け止めることが出来ていない訳なのに、頑張らない者をどうやって受け止められるのかと、思考は平行線で交わりません・・。

 考えてみると、そういう人は、実力以上の点数を自分にも他者にも求めているのかもしれません。誰に対しても100点を求めてしまう。あるいは100点を取る努力とか、せめて90点を求めてしまう。職場でも家庭でも、どこででも。80点がベストの妻にも、70点しか取れない後輩にも、50点しか取れない子供にも100点を求める。自分は自分で100点を目指している。しんどいけれどもそれが正しいから一所懸命努力する。なのに周りの者たちは100点でないのに100点を目指してもいないから腹立たしい。そんな不満が言葉に出る。行動に出る。言い訳は聞かない。もっともな理由も聞きたくない。聞いたってしょうがない。100点ではない以上話にならない・・。

 周りの人は引きます。家族だって引いてしまいます。そうすると、自分は正しいし、こんなに頑張っているのにと、引いてる者たちへの批判が湧いて来ます。更に言葉や態度に出てしまう。ますます引かれてしまう。まさに負のスパイラル・・。

 そして、いつどこででも、居心地が悪いと不平不満を口にする・・。

 75点しか取れない自分をそのまま受け入れる。80点しか取れない家族をそのまま受け入れる。70点、60点しか取れない人をそのまま受け入れる。自分と相手の現実を受け止められたら、「○○すべき」「○○であるべき」という正しそうに感じた言葉が、宙に浮いた無茶な言葉だということが分かるかもしれません。

 もし、ほんのちょっとでも、居心地の悪さや不安を感じたら、頑張らないで、素直に目と耳を傾けてみてはいかがでしょう。

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超低空飛行にも

2015/06/10 Wed 17:45

うっ

 人生良いことばかりではありません。山あり谷あり。紆余曲折。恵みの雨だけでなくヒョウさえも降り、清々しい快晴があルカと思えば突然のゲリラ吹雪だってあります。意気揚々と快適に過ごせる日々も、超低空飛行の時もあります。

 そのたびに、喜怒哀楽のジェットコースターでは疲れ果ててしまいます・・。

 でも、超低空飛行にもそれぞれ意味があることを思うと、私たちの超低空飛行にも意味があるはずだと思います。鳥なんか虫や餌を捕獲するためですしね。

 過去にあった超低空飛行を思い起こすと、あの時代があったから、あそこを乗り越えてきたから今の自分があることを実感することができます。もちろん、思い出したくなかったり、無かったことにしておきたいと思う超低空飛行もありますが、役に立たない過去は存在しません。無いと言い張る人がいるなら、それはまだ気付いていないか、それを肥やしに成長するのがもう少し先なのかもしれません。

 その都度その都度、反省したり努力したりは大切ですが、ちょっとしたことで一喜一憂するのはどうかなと思います。人生トータルで眺められたら、“いろいろるけど(いろいろあったけど)私の人生なかなかのものじゃないの”と考える余裕がで出来そうで、同じ人生ならそちらの方が楽しそうな気がします。

 都合の良い考え方かもしれませんが^^; 、きっと神様ってお方は、そんな大きな視野で暖かく見ていて下さっているのではないかなと私は思っておりますです。

 私の人生、超低空飛行がやたらと多いのです・・。

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美味しくて幸せ

2015/06/09 Tue 20:14

葉

 一番好きなものを食べた時が、一番幸せを感じる時かもしれません。

 先日、お寿司を食べました。う~ん、旨いと思わず唸ります。必要以上に美味しく感じたり感動したりします。恐らく一番の好物で、一番贅沢に思う食べ物がお寿司だからですね。やはり、高知出身だから、肉より魚、魚ならお刺身やお寿司となるのですよ。

 しかし、しかしですよ・・。

 美味しいものを食べた時が一番幸せを感じると言いましたし、それはそうだと思いますが、もしかするとそれ以上に、自然の中で美味しい空気をいっぱいに吸い込んだ時の方がもっともっと幸せを感じるかもしれないなと、そんなことも思います。

 ということは、自然の中でお寿司を食べられたら、それが本当の最高かもしれませんね。持っていく間に痛んでしまいそうですが・・。
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偉いなぁ小学生

2015/06/08 Mon 14:09

はくちょう

 歴史的な暑さの日が続いたかと思うと、今度はがぜん涼しくなって、北海道では雪景色になったというニュースが流れて驚かされました。

 毎日、その日に着るものを考えなければなりません。いや、実際には前日に天気予報で気温を確認していますし、一日のうちでも寒暖の差が激しくて、上に一枚羽織ったり、袖をめくってみたりと、考えてみれば厄介な季節です。

 そうかと思うと、小学校ではあと1~2週間でプール解放なんだとか・・。聞いただけで寒気がしそうです。「子供たちは元気ねぇ~」なんて一言で片づけて良いものかどうか悩みます。もっとも、プール授業には、気温や水温が最低何度以上でないと駄目という決まりがあるそうなので、虐待になる心配はなさそうですが、だから良かったとも言えないような・・。

 と言うのも、噂の(というか、私は見たことが無いので)熱湯風呂とやらは、人間が火傷しないぎりぎりの温度で行っていると聞いたことがありますが、ギリギリってことは、ギリギリセーフなのでしょうが、「だったら安心だね」なんて言える温度ではないだろうと思うのですよね。

 ギリギリじゃなくて、何についてでも余裕がもっと必要な気がします。科学的にはギリギリセーフでも、心理的にはスレスレアウトってありますからね(なにしろ、ぎりぎりって“限り限り”のことですから、限度いっぱいで、それ以上余地がない訳ですからね。ちなみにスレスレは確か“擦れ擦れ”のことですから、もう当たってしまっている訳で、最初から完全にアウトで両者はとても近い関係だということを考えると、持つと距離感が欲しくなります)。

 ちなみに、小学校でプール授業があるのは6月~7月の本の僅かの期間しかありません(T_T)。二学期に入ると運動会の練習が始まるからです。だから、寒くても喜んで子供たちは泳ぐのかな・・。偉いなぁ。
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鉄道の旅

2015/06/07 Sun 20:06

煙突

 昨日の土曜日、子供たちは地域の子供会の行事でお出かけしてきました。朝早くに起きて、電車で移動。帰ってきたのは夜遅く。もちろん、お母さんたちも一緒です。しかし、それはもうすっかりへとへとで帰ってきました。

 往復は電車や新幹線とはいえ、基本的に一日自分の足で歩き回った訳ですから、疲れ切っても致し方ありません。しかも、考えてみると、私が根っからの車好きということもあって、我が家の子供たちは電車の旅なんて生まれて初めてのことでした。

 そもそも、私が電車やバスより車やバイクでの移動する傾向にありますから、家族で動くときなんて絶対車に決まっています。子供たちはいつもドアツードアしか経験したことなかったのです。

 そうしてみると、電車の旅も良い経験だったと思います。駅まで歩いて、乗り換えで歩いて、ホームで待って、また歩いて。しかも、すべて自分の荷物は自分で持って。やっぱり必要な経験ですね。修学旅行でまごついたり疲れ果て過ぎても可愛そうですし。

 そんなことを考えると、私も車やバイクばかりでなく、たまには電車で移動してみるかなと言う気がしてしました。

 ・・でも、やっぱりバイクに乗ってしまいそうです^^;

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2015/06/06 Sat 20:20

木陰の道

 仲間と歩く道

 家族と歩く道

 一人で歩く道

 雰囲気は違っても、先が見えないのはどの道も同じ

 楽しくても、寂しくても、不安でも、先は見えない 分からない

 暗くても、明かりが射し込んでいても、やっぱり同じ

 道は道で、道は未知、

 未知は道で、道は道

 自分のことを良く知っていてくれている誰かが

 向こう側で待っていてくれるとしたら

 何だかほっとする

 暖かい場所が用意されているなら

 どんな道のりでも振り向かないかもしれない

 何があるのだろう

 この道の彼方に



 
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はかないけれども

2015/06/05 Fri 08:54

スモークツリー

 教会員さんが一人、長い闘病生活を経て天に召されました。
 
 故人の足跡、笑顔、強さ、優しさ、祈る姿が思い起こされます。

 少し早すぎた死に、愕然とした思いが募りますが、すべてを神様の御手にお委ねし、

 残された遺族の方々にも、神様の慰めが与えられますようにとお祈りいたします。


 この写真は、先月末に教会の婦人会で出かけた松阪農業公園ベルファームで見かけた木。

 “スモークツリー”(別名ケムリノキ)というウルシ科の落葉中高木です。

 煙のような花穗がふわふわしています。

 花言葉は“はかない青春”。

 はかなく消え行く煙のような花だからでしょうか。

 確かに、夢や希望に満ちた青春は束の間のこと。

 でも、それ以上に、人生そのものが、はかないものかもしれません。

 それでも、人は天を仰いで生き続けます。

 どんな時も、どんな人も、神様の眼差しに包まれているからだと思えてなりません。

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新美南吉記念館

2015/06/04 Thu 21:05

新美南吉記念館

 先日、子供たちを連れて、愛知県半田市岩滑西町1‐10‐1にある“新美南吉記念館”に行ってきました。

 一見すると小高い丘のある公園ですが、広場や散策できる小道もある記念館です。

でんでんむしの

 駐車場から入ったところすぐに、美智子さんが好きだということで話題になった、“デンデンムシノカナシミ”の碑がありました。

ごんぎつねjpg

 もちろん、“ごんぎつね”の碑もあります。

 もっとも、ごんぎつねは“権狐”と書くそうで、しかも、この碑は “「権狐」草稿碑”というのだそうです。

てぶくろをかいに

 建物の中には、各種さまざまな展示物が趣向を凝らして展示されています。

 本物の猟師の銃や、物語に出てくる小物、新美南吉にまつわるものなどはもちろん、絵本の世界をジオラマにして物語を展開しているものや、視聴覚機器、はたまたごんぎつねさながらの狐の剥製などもありました。

 実物大の“てぶくろをかいに”のワンシーンの横には図書館までありました。

 売店や喫茶店もあります。

 でも、今回私が一番感銘を受けたのは、昭和17 年4月22日の日記にしたためられていた、南吉28歳の時のこの言葉ですね。

ほんとうに

 “ほんとうにもののわかった人間は、俺は正しいのだぞというような顔をしてはいないものである。自分は申しわけのない、不正な存在であることを深く意識していて、そのためいくぶん悲しげな色がきっと顔にあらわれているものである。”

 
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綺麗な薔薇には棘がある

2015/06/03 Wed 16:41

_バラ

 人は嘘をつく。

 嘘をつかない人は、まずいない。

 問題は“嘘をつくかつかないか”ではなく、

 その“嘘を認識しているかどうか”ではないか。

 嘘には二つある。

 ついて良い嘘か、悪い嘘か、なんてこと以前に、

 もっと大雑把に考えてみると、

 他人につく嘘と、自分につく嘘の二つが思い当たる。

 そして、更に、ついて良い嘘か、悪い嘘か、

 なんてこと以前に最悪なのは、

 自分につく嘘なのだと思う。

 他人につく嘘は嘘だと分かっているのに、

 自分についた嘘を、人は嘘と思っていないのだから。

 人は自分をだましてしまう。

 欺いてしまう。

 そして、その認識さえ無い。

 その異常さに、自分でちっとも気付かない。

 言動不一致、一貫性の無さ、行き当たりばったりなのが分からない。

 人は自分を完全にだます。

 分かる人には気付かれているというのに。

 

 
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出来るだけ自由に

2015/06/02 Tue 15:18

難しい名前の花だという事は覚えている

 みんな同じようで同じではない。

 どうせ同じでないのなら、出来るだけ自由に生きた方が良い。

 誰かのようにとか、誰かに認められるためにとか、不自由に生きてどうするの。

 明日は萎れるかもしれない花でさえ、自由に咲いているのに。

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煮えきらない

2015/06/01 Mon 18:00

津

 今日は津市にある津教会で三重地区総会がありました。

 基本的に“しゃんしゃん総会”なので、もめたりすることは無く、リラックスして過ごせます。

 前任地の内海教会に居た頃は香川分区長をしていましたが、三重地区では三役でもないので楽なものです。

 そんなことはともかく、隣席に座った別の教会の信徒さんから「ブログやめてると思っていたのに、この前見たらちゃんと更新されてましたね」と言われてしまいました・・。

 う~ん・・、そうですよね・・。最近、休み休みの更新で、ひどいときは1か月も休んでいますから・・

 やめるならやめる、続けるなら続けると、はっきりすべきなのでしょうね・・。

 とりあえず、やめるとはすぐに結論付けにくいので、しばらく続けて頑張っていくことにします。

 ・・と、自分に言い聞かせつつ、やってみることにします。

 煮えきらなくてごめんなさい。



 
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