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次第に暗くなってくる闇の中の希望

2011年09月09日
厚い雲の黄昏

 聖書では、一日の始まりが日没から始まります。

 ユダヤの暦がそうなっているからです。

 そういうことは知識として知っていますが、良く考えてみると不思議な気がします。

 日本では、夕暮れ時に一日を振り返ったり、もの悲しい感情を持ったりと、少しモラトリアム的傾向にあるような気がするからです。

 つまり、“終わり”という枠組みにとらわれた印象があるのです。
 
 ところが、“一日の終わり”ではなく、反対に“一日の始まり”という人たちがいるのです。

 考えてみると、これは不思議です。

 彼らは夕焼けを見つめたり、夕闇に包まれたりしながら、一日の始まりをどんな気持ちで迎えるのかなと思ってしまいます。

 ウキウキなんてことは無いかもしれませんが、きっと違う感覚なのではないかなと、そんな気がします。

 もし、ユダヤ人に出会う機会があったら絶対聞いてみようと思います。

 それにしても、同じ景色、同じ光景も、まったく違う立場や視点から、見ている人もいると思うとなんだか愉快です。

 でも、考えてみたら、世の中の人みんなそれぞれ背負った人生を通して、夕暮れを迎えている訳ですよね。

 自分だって、嬉しい時、悲しい時、切ない時、で同じ景色も全く違って見えますからね。

 それでも、別の捉え方が可能性としてあると知ることで、出来れば、悲しい時や切ない時でも、夕暮れの中で悲しさ切なさだけでなく、かすかなものでいいから、希望も一緒に感じていたいなぁと思います。

 そう思ってみると、それ自体が希望なので、たぶん、闇の中に紛れ込んでいるささやかな希望を感じられるかな。

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思ったこと | コメント(4)
コメント
ほんとにそうですよね。違う視点から見る。
今日はレイキのセミナーでちょうどそのことを話していたので、、不思議です。今日のシドニーの日没前はすごいエネルギーの太陽で、、思わす立ったまま、瞑想してしまいました。
オレンジの光の中にいたのに、、、目を開けると、エメラルドグリーンの光の中に代わっていました。何億の人が見ていたのでしょう。
ami さんへ
オーストラリアの夕陽なんて、とても綺麗なんでしょうね。
いろんな国のいろんな夕陽も眺めてみたくなりました。
夕方始まりの一日
私も、少し前からそのことをずっと考えています。
どんな感じで、なんで夕方が一日の始まりだと考えたのか?
ずっと朝が一日の始まりだと思ってきたので(だから耐えてこられたことも一杯あるので)、感覚的になかなかそこへ行けません。そこへ行ってみると違う風景が現れるような気がするのですが・・・私はそこへ行ってみることができるのでしょうか?
ねこあいちゃん さんへ
コメントありがとうございます。
当たり前と思っていることなのに
まったく別の視点があるということです。
それぞれDNAに染み込んでいるものでしょうね。
彼らの観方に立てなくても、
別の捉え方の存在を知る発露となればなと思うのです。
そういう可能性はみんな持っていると思います。

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