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実り

2011/09/22 Thu 19:51

台風一過 直後の晴れ間

 四日市は大した被害もなく、台風が通過してくれました。

 上の写真は昨日の21日、台風通過直後の西の空です。

 清々しい青空が顔を覗かせています。

 明日23日が小学校の運動会なので校庭の様子を心配していましたが、今日の夕方見てみると、すっかり大丈夫そうでした。水はけが良いとは聞いていましたが、まさかここまでとは。とにかく、運動会はこれで安心です。

被害に遭った柿

 台風の被害と言えば、牧師館の雨漏りと、牧師館前の柿の実がいくつか落っこちていたこと。

 といっても、僅か数個の被害で済みました。

 ほっ。

 っといっても、実は今年、柿の実がたくさん実ったからであって、これが昨年だったら、こんな余裕は無かったはずです。

たわわ

 これは今年の柿の木ですが、昨年はというと、たった3個しか実が付きませんでした。

 たった3個ですよ。

 補足ですが、もう一本柿の木があって、それは昨年も一杯実を付けました。

 柿の木は不作と豊作が交互にあると聞いていましたが、こんなに極端な収穫差があるのは驚きです。

 しかし、冷静に考えると、実りの数で失った実に対する思いが左右されるのは、いかんなぁと思いました。

 どの実も同じ価値のはずですからね。

 私だって、どれほどの実りを付けてると言えるのか、考えてみると恥ずかしいものです。

 柿ではなくぶどうの話ですが、ルカによる福音書13章6~9節を思い出しました。

 「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

 このたとえ話、実を付けなかったぶどうとは人間のことです。園丁はイエス・キリスト。

 実りを付けられなかった木を、価値無しと切り捨てるのではなく、思いやり、世話をしながら気長に待ち続ける主イエスの思いが込められている話です。

 じゃあ、さあ、来年実を付けなかったら、どう言うの?って考えますか。

 たぶん、来年もまた同じように言うのだと思います。

 「もう少し、手入れをしてみます。来年こそは実がなるかもしれません。」

 人間だって神様が気長に待っていてくださっている、実をなかなか付けられなくても大切にされている。そう思うと、何もかも大切に考えたいと思わせられます。

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思ったこと | コメント(6)
コメント
私は、この手の話(イエス様の愛の話)は駄目なんです。
すぐ涙が出てきて。
でも、主人の植えた木の機嫌が悪いと「切ったら!」と平気で言うのです。
私って神様が救おうと思って下さる種類の人間なんだろうか?と時々思います。
でも、神様は私を私以上に愛して下さってるからなあと(思い上がり?)
と思っています。
勝手って言えば、この上なく勝手ですねえ。
こんばんは。秋ですね。急いでポチですみません。
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ねこあいちゃん さんへ
人間はみな身勝手なところがあります。
それを認知しているかどうかも大切な点ではないでしょうか。
待ってもらったり、勝手なこと言ったり・・。
でも、みんな神様に愛されているのだと思います。
癒しグマ さんへ
ほんと秋ですね~。
鍵コメントさんへ
コメントありがとうございます。
そうですね。ゆったり構えてお過ごしください。
今日の運動会は本当に好天に恵まれて
楽しい一日となりました。感謝です。

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