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私が正義ではない

2012年02月24日
鳥と十字架

 1958年の今日2月24日は“月光仮面”の放送が始まった日だそうですね。

 私の生まれる数年前のことで、もちろん観たことも無ければ思い入れもありません。

 ところが、私が小学生の頃(確か5年生だったので1972年頃か)、現代風にアニメ化されて放送されまして、ウルトラマンや仮面ライダーなどが乱立していた時代だったこともあり、月光仮面のアニメの方は観ていた記憶があります。

 歌の歌詞は同じなのに、曲はやたらテンポ良くカッコイイものになっていました。

 今にして思うと、ヒーローもの大好き少年でしたね。

 のちに知ったことですが、“正義の味方”という、ごく当たり前のヒーローの肩書のようなものは、この月光仮面からで、原作者である川内康範氏の作だということです。

 しかし、良く考えてみると“正義”ではなく“正義の味方”としたのは、とても優れた表現だと思います。

 “正義を笠に着る”などという表現がありますが、自分が正しいと思い込むと人は過ちに陥りやすそうに思うからです。

 そう思うと“正義”の“味方”という謙虚そうな表現は大切な気がしますし、その後の日本のヒーローものが“正義の味方”という表現を踏襲してきていることは、すごいことだなと思いました(実情は別として・・)。

 しかし、この月光仮面というネーミングは、人々の苦難を救済する菩薩(日光菩薩)のイメージで、まず“日光仮面”が考えられたそうです。

 それを発展させて月光仮面となったということですが、月光仮面に落ち着いて良かったと思うのは私だけではないでしょうね。

 そういえば、“巨人の星”の主人公“星飛雄馬”も最初は、“明けの明星”から“星明(ほしあきら)”だったというのは有名ですね(ちなみにこの名前は明子姉さんに使われています)。

 話がそれてしまいましたが、自分が正しい、自分こそが正義だと思い込んでいると、人は相手の正しさを受け止めることが出来なくなります。

 会話が出来なくなると言っても良いですね。

 それは双方にとって不幸なこと。

 慎み深さを身につけたいものです。

 
 
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思ったこと | コメント(2)
コメント
最近、大学受験でいろいろと大学を受けたのですが、
「正義と平和」をテーマとした文章が国語で出題されました。
しかも、月光仮面が例として挙げられている文章であり、
この記事とかぶっていてびっくりです。

入試の文章は、どちらかというと正義を擁護するものでしたが、
私は、正義は使い方次第で危ないものになりうると思います。
正義を悪用して戦争を仕掛けることもできるわけですし。
(正義を悪用しているわけではないが、正義の名の下で戦争をするということがあるのは
わかっていますが。)

「正義の味方」は謙虚な表現、そんな風に考えたことはありませんでした。
なるほど。
poplog さんへ
戦争は正義の名のもとの大量殺人で、
自爆テロとも同類です。
仰る通り、正義は捉え方でとても危険になりますね。
自分が正義だと信じる者同士の争いには
歩み寄りも終止符もありません。
聞く耳さえないでしょう。
正義を確信することで平和が遠のく事実・・。
私は牧師なので、正義=神 と考えてしまうのですが、
いずれにしても、自分の背後に正義とか神がいると信じ込むのではなく
自分と相手の間に“正義=神”がいる、と信じられるだけで全然違うと思うのですが。

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