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ややこしいイースター

2012年02月26日
線路と煙突

 先週の水曜日から、教会歴は“受難節”に入りました。

 主イエス・キリストの十字架を頂点とする受難を覚えて、悔い改めの生活をする期間です。

 4月8日のイースター(復活日)前日までの46日間がその期間です(日曜日は計算に入れないので40日間。ちなみに“40”という数は聖書で苦難をあらわす数字)。

 しかし、4月8日と言うと“仏教の花の日と一緒だ”と思われるかもしれませんが、イースターは4月8日と決まっている訳ではなく、毎年移動する厄介な日なのです。

 たまたま今年が4月8日だったということであり、この日からさかのぼって受難節の始まりである“灰の水曜日”の日付が決められています。

 しかし、イースターはややこしいのです。

 来年2013年のイースターは3月31日ですから、2012年度は年度内に2回もイースターがあるということになりますし、2014年のイースターは4月20日ですから、2013年度はイースターが無いということになります。

 言葉にすると分かりにくいですが、3月22日~4月25日と年度の境を挟んで移行するので、毎年ある行事にも関わらず、イースターが二度ある年度や無い年度などができてしまうのです・・。

 ややこしいイースター・・。

 でも、前にも書きましたが、算出方法もややこしいのがイースターです。

 イースターの算出方法は、325年に行われた第1ニカイア公会議で、アレクサンドリアの教会で守られていた方式を採用したので“太陽暦の3月21日以降で最も早い、太陰暦の14日の次の日曜日”と決まったのです。

 決まったのですが、これは分かりにくいということで、中世から(現代に至るまで)“3月21日(暦上の春分の日)当日あるいはそれ以降の最初の暦上の満月(新月から数えて14日目)を過ぎたあとの最初の日曜日”となりました。

 もっと簡単に言い換えると“復活祭は春分の日の後の最初の満月の次の日曜日”ということです。

 覚えておくと、外国などで役に立つことが、もしかするとあるかもしれません・・。

 
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行事 | コメント(2)
コメント
久しぶりに訪問させて頂きまして(当然カウンターと拍手もしました)すみません。
イースターにちなんで?教えて下さい。

私達はプロテスタントで私の知っている限りでは他のプロテスタント宗派では、聖餐式が1ヶ月1度だけなのですが、カトリックでは毎回の礼拝で聖餐式が行われます。ワイン(イエスの血=今はぶどうジュース)は無く、パン(イエスの身体)だけの聖餐に預かるのですが、他国では1日3回行う教会もあり(人々の都合と予定にあわせて改定されたものと思います)3回も聖餐式を・・・
どうして、プロテスタントは1回で、カトリックは毎回なんでしょうか?
カトリックの友人に聞いたら、何で1ヶ月1度だけなの?と逆に聞かれました。
ご伝授下さい。
15階の子 さんへ
ほんとお久しぶりです。
コメントありがとうこざいます。

> プロテスタント宗派では、聖餐式が1ヶ月1度だけなのですが、カトリックでは毎回の礼拝で聖餐式が行われます。
> どうして、プロテスタントは1回で、カトリックは毎回なんでしょうか?

 実は、ローマ・カトリックでもプロテスタントでも、礼拝学的には、主日の礼拝では聖餐式(カトリックでは聖体拝領という)を行うものなのです。というのも、礼拝とは御言葉と聖礼典の二つが中心で、①御言葉とは聖書朗読や説教で、②聖礼典はカトリックとプロテスタントでその数が違いますが、ここに聖餐式が入っています。
 問題は聖餐式ですが、カトリックは実体変化、つまりパンと葡萄酒は司祭によって聖別されると、パンは味も形もパンだけれども、実体はキリストの体と血に変化し、キリストの体と血と同じ恵みを与えると考えられているのに対して、プロテスタントの多くはパンも葡萄酒も聖別されて実体が変化するのではないが、御言葉と結びついてキリストの体と血と同じ恵みを与えると考えています。
 カトリックでは、この聖体拝領が礼拝の中心になるよう礼拝式文が構成されているのに対し、プロテスタントの多くはどちらかというと説教の方に重きが行っている礼拝式となっています。
 それで、プロテスタントでは近代合理主義の考えの影響で、毎週聖餐式をしなくてもいいのではないかと考えられるようになり、月に一回とか、年に数回というようになったのです。

> ワイン(イエスの血=今はぶどうジュース)は無く、パン(イエスの身体)だけの聖餐に預かるのですが、他国では1日3回行う教会もあり(人々の都合と予定にあわせて改定されたものと思います)3回も聖餐式を・・・

 カトリック教会では実体変化の考え方が非常に重くあります。なにせキリストの体と血そのものに変わるわけですから、聖別されたパンと葡萄酒の取り扱いはあだやおろそかにすることは出来ないのです。
 どういうことかと言いますと、長い歴史の中で、キリストの血であるワインはこぼされることがあったため、司祭だけが飲み、信徒に飲ませないようになりました。これを一種陪餐と言います。
 もちろん、信徒側から不満も出たでしょうが、血肉併存説によって一蹴されてしまいます。
 1日3回というのは、礼拝回数が一日3回あるというだけのことでしょう。礼拝の数だけ聖体拝領もありますから。

 以上、簡単で申し訳ありません。 

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