みんなに

2012/06/02 Sat 21:04

つづじ

 「どんな聖書の言葉が好きですか?」と、時々聞かれることがあります。

 しかし、どこもかしこも好きなので、「ここです!」とはなかなか答えられません。

 でも、しいて言えば、金言格言のような言葉とか、座右の銘になるような言葉とかではありません。

 たとえばこういう聖書の箇所が私は好きです。

 「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。」エフェソの信徒への手紙2:8~9

 救いって、結局、人間の努力や偉さが重要ではなくて、恵みとして全ての人に投げかけられているという、そういう言葉が、一番しっくりくるような気がします。


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思ったこと | コメント(4)
コメント
NoTitle
 どう努力しても自分は聖人はもちろん、善人にもなれないと思うようになりました。親鸞の教えが一番身に沁みます。
 よく、キリスト教と浄土真宗は似ていると言われますが、どう思われますか。大変な問題を持ちかけてすみません。とても500字やそこらでは答えられないでしょうからね。しかし、興味が以前からあったもので、つい聞いてしまいました。
スキップ さんへ
コメントありがとうございます。
親鸞の悪人正機説(本来は法然の言葉だったとも言われますが)は、確かに私にもしっくりきます。
それから、キリスト教と浄土真宗は似ているというのも、確かに時々耳にしますし、私も似ているなぁと思います。
まことしやかに、親鸞がキリスト教から学んだかのように言う人もいますが、それは行き過ぎだと思います。
親鸞がキリスト教から学んだかどうかは、よほどの資料や文献が発見されない限り、論証できないと思うからです。
しかし、私はそんなことはどうでも良いと思っています。
そもそも仏教というのは、キリスト教などと違って“正典(キャノン)”が無いのだから、
いろんな教えが派生してしかるべきだからです(経典は正典ではありません)。
キリスト教の影響を意識的・無意識的に受けていようが、独自にキリスト教寄りの教えに到達していようが、それはありだと思います。
大切なポイントは、仏教の一宗派をもって仏教全体を語れない、ということをわきまえておくということでしょうか。
NoTitle
 有難うございました。少ない字数で、大筋の理解を得たように思えます。
 宗教の名の下、戦争をし、殺戮を繰り返すことが、なんとも悲しいですね。
スキップ さんへ
いえいえ、言葉が全然足りなくて申し訳ないです。
宗教の名のもとの戦争ですが、ホント悲しい限りです。
神様の名を借りた人間の争いですものね。
神様は自分の後ろではなく(後ろ盾ではなく)、
自分と相手の間に居られるとわきまえられれば
随分違ってくると思うのですが・・。

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