配慮からスタートする必要

2012/07/09 Mon 22:14

人の顔みたいな倉庫である

 問題的な行動をする人に注意するのは、結構難しいものです。

 実際、迷惑をこうむったり、被害を受けたり、嫌な思いをさせられたとしても、相手にその旨を伝えるのに一苦労します。

 “嫌われたらどうしよう”という消極的な理由はさておき、こちらの真意が相手に伝わらないことが多く、そうなると余計にややこしくなることを知っているからです。

 相手に“悪意や敵対心がある”と、はっきり分かっていれば対処しやすいものですが、問題は相手に“悪意が無い”場合です。

 しかも、善意でやっているつもりなら尚更です。

 「悪気があってしている訳じゃないのに、悪く言われた。」「善意でしてあげているのに、否定された。」

 そんな“あなた何様なの!”というような反応がたいてい返って来ます。

 悪気が無い訳ですから、後ろ足で砂をかけられたというような印象になってしまうのも分かります。

 良かれと思ってしている行動が否定される訳ですから、腹も立つでしょう。

 しかし、問題はそこにある“してあげている感”ではないでしょうか。

 “してあげている感”には、“相手がどんな気持ちになるか”とか、“相手が本当に喜ぶのか”とか、“相手を傷付けはしないか”というような配慮が抜け落ちます。

 善意はもちろん貴く、大切なものです。

 しかし、配慮不在の善意は独りよがりになりがちです。

 ですから“善悪”と“配慮の有無”という二重性を理解することが必要となりますが、この二重性を理解していただくのは意外と難しいものです。

 特に、善悪でしか考えていない目上の人に“思い込みからではなく、配慮からスタートする必要”を訴えるのは、かなりきついと言えます。

 それ以前に我が身の内省を肝に銘じておきたいものですね。

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思ったこと | コメント(2)
コメント
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鍵コメントさんへ
コメントありがとうこざいます。
してあげる感にさいなまされるのは、親子間が多いかもしれません。
自分が悩み、そして、気付かぬうちに子供へ・・。
意識しないと、親にされたように子に接しますからね。
でも、自覚さえすれば、連鎖は断ち切れるはず。
ちょっとずつみんなが意識を持つと、良くなっていくと信じたいです。

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