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人生の真実を態度で教えてください

2012年07月17日
道の向こうに

 大津市立中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺したとされる問題は、真相に迫るような情報が次々と明るみに出て来つつあります。

 現段階では、いじめと自殺の関連性は証明されていませんが、そういうこと以前に、この少年の置かれていた状況を思うといたたまれません。

 いじめがあったこと、それも執拗にいじめが継続していたことは、生徒たちのアンケート結果から明らかです。

 いじめていた者も、見て見ぬふりをしていた者も、教師も加害者です。

 ふざけてたんだ、ケンカなんだ、ちょっとからかっただけなんだ、よく分からなかったんだ、関わりたくなかったんだ、自分に火の粉が飛んできて欲しくなかったんだ、こんなことになるなんて思ってなかったんだ・・。

 そんな言い訳で自分を誤魔化す人もいるでしょうし、心を痛める人も、心に深い傷を負った人もいるでしょう。

 本当に悲しい出来事です。

 私は社会学者でもなければ、評論家でもないので、これ以上のことを無責任に語ろうとは思いませんが、子を持つ者として一言言いたい事があります。

 このように生徒が被害者となり、加害者となり、心に深い傷を負わされた現実があるという視点からです。

 誰も被害者になって欲しくないし、加害者にもなって欲しくない。

 傍観者にもなって欲しくないし、心に傷を負って欲しくもない。

 自分の責任を棚に上げて平気で生きる者にもなって欲しくない。

 それが全ての親たちの、いえ全ての者の願いだと思います。

 学校はそのことを教えるべきです。教えなければならないはずです。

 しかも、それは口先だけや言葉だけでは伝わりません。

 “先生の姿勢のみ”だと私は思います。

 新約聖書のルカによる福音書15章4節に、こんな羊飼いの話があります。

 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」

 一匹のために九九匹を残して探しに行くというのですから、考えようによっては無茶苦茶です。

 もちろん、一匹のためには九九匹はどうなっても構わないというのではなく、一匹を大切にする姿勢がここで言われています。

 多くの人は、この話を聞いて、この羊飼いは頭がおかしいのではないかと思ったり、現実味が無く下らない話だと考えたりします。

 確かに、経済的な価値観で言えば、おかしな話でしょう。

 でも、それは自分が単なる傍観者の立場に身を置いているからです。

 この九九匹の羊の側に立って考えることさえしていないと思います。

 他にもこんな羊飼いの話があります。

 「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。―― 狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。」ヨハネによる福音書10章11~14節。

 羊飼いが死んでしまっては、それこそ羊たちは狼の餌食になってしまいそうですが、羊を守るために命を捨てるのが良い羊飼いだと言います。

 しかし、ここで言われているのは、言葉や口先だけで“あなたが大切だ”と言ってよしとするのではなく、命を懸けて一匹を大切にするのが良い羊飼いだということです。

 こんなことを言うのは、先生は羊飼いの立場ではないのかと思うからです。

 命懸けで一匹を探し守る羊飼いの姿を見る九九匹は、“何でそんなくだらないことしてんですか”“全体が大事じゃないんですか”と恨み節を本当に口にするでしょうか。

 私がその立場だったら、何よりも安心するのではないかと思います。

 私が道に迷った時、私を命懸けで探し守ってくれる人が居るとなれば、どんなに心強いでしょうか。

 九九匹のうち何匹かは、もう既に同じように大切にされた思い出があるかもしれません。

 “あの羊飼いはそういう人なんだ”

 そうであるなら、安心して過ごせると思います。

 “あの先生は、失敗も批判も恐れず、一人を大切にしてくれる”

 そんな安心感があったら、いじめを見て見ぬ振りすることも、いじめも無くなってくるのではないかと思います。

 もちろん、口で言うほど簡単なことではないでしょう。

 でも、先生方には、先生とはそういう立場にあることを肝に銘じて頂きたいと思います。子を持つ親として。

 そういえば、ある大学で数学の教授をしている友人の言葉を思い出しました。

 ちゃらんぽらんで、お節介で、損ばかりする男ですが、命懸けで教師として生きている人でした。

「俺はな、数学で学生たちに人生を教えているんだ。」

 親もまたその態度で、子供たちに大切なものを伝える役割があることを肝に銘じていたいです。


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思ったこと | コメント(14)
コメント
同感です。
こんばんは。
自分の命も相手の命も、同じ命。
体も切れば血が出るし、叩かれれば痛い。
ナイフのような言葉で心も傷つけられる、それは時には体の傷より深くて痛い。
その辺りの共有感と真剣勝負の感覚を人生に取り戻して欲しいと思います。
保身?
保身ってなんですか?
自分のなすべき事も出来なくて、何を守りたいのか理解に
苦しみます。
なんで先生になろうと思ったのか?先生は何をなすべきか?
考えたことがないわけではないでしょう。
先生として出世したって、先生の親玉になる位じゃありませんか。
親は子どもにしてはいけないことを小さい時から教えるために
親をしているんではないですか?
犯罪者といっても言い過ぎではないような事態を作っておいて
「先生」だったり「親」だったりでいられる神経がおかしい!
「人」になって「人」に何をしてきたのか、よく考えるべきです。
この加害者になった子どもを責任を持って立ち直らせ、深い傷を
負った周りの子ども達をきちんとケアしてこそ「先生」であり「親」
であると思います。
私たちも見ぬふりをすることがないように、傷が小さいうちにみんな
で考える事をしていきましょう。
子どもは、みんな大切な子どもです。国の宝です。
きちんとした大人になってもらわなくてはなりません。
悲しいことが無くなりますように。
無くならないことに慣れてしまうことがありませんように。
こんばんは
わたしはその自殺したことをよく知りませんが、たくさんの方がブログで話されています。
中学を卒業の時、国語の先生から、ひとつだけの約束をさせられました。
それは、どんなことがあっても、絶対に自殺しないことでした。
昔はそんな一生懸命な先生が多かったような気がします。
yokoblueplanet さんへ
そう、いのちの尊さを実感してほしいものです。
相手の気持ちがどうなのかという想像力も。
狭く浅い視野を広く深くと願います。
ねこあいちゃん さんへ
子どもを守れないのはもとより、
「いじめに気付かなかった」というのは、言い訳にもならないばかりか、
教師失格との敗北宣言としか言いようがありません。
(教科書で教科を教えるにしても)教科書を教えるのが教師の仕事ではないはず。
共に生きる中で人生に対する考えを深めていける、そんな学校づくりを目指してほしいものです。
くなくとも、子どもを守ってくれないのなら、教師を辞めるべきだと思います。
もちろん、親の姿勢も大切。
いろんなことを考えさせられます。
ami さんへ
一人を大切にし、向き合ってくれる先生が
昔はもっともっといたような気がします。
もっとも、個性も強烈でしたが。
私は親として子どもをきっちりしつけた自信はまったくないけれど、
とにかくめちゃめちゃ可愛がることで、
自分を大切にすること、親から大切にされている人を大切にすることを、
子どもに伝えられたような気がします。
ちかおばちゃん さんへ
親が子供にしてあげられる一番大切なことは
可愛がることだと私も思います。
何点取ったら偉いとか、何ができたら意味があるとかではなく、
無条件に自分には価値があることを伝えることだと思います。
自己価値観を養うことから、すべてが始まるような気がします。
毎日の報道、心が痛みます。
市は和解を望んでいるようですが、お金で解決する事だけは
やめて欲しいと思います。
学校という閉鎖的な場所で行われている犯罪が、いじめ
という言葉に置き換えられている事がそもそも間違いではないでしょうか?
証拠がない・と言う理由で、万が一 自殺に追い込んだ生徒が
罪に問われないとしたら・・・
大人は、どうするのがこの生徒たち、
そして今の若者の将来に一番良い方法か
真剣に考える責任があると思います。
こんにちは~♪
大津の事件は子どもも人権をもった人間だということを改めて考えさせられる事件だと思います~。
一人一人の子どもの将来を託された教師が、どれだけ子どもたちを人間として見てきたかが問われているようにも思います。
turip さんへ
証拠が無いとか、関連性を立証できないというように、
このことが誤魔化されてしまえば
ここにかかわったすべての者が
悔い改める機会を失うということです。
自殺した子のためにも
これから出会うすべての人のためにも
そして、自分のためにも
今回のことがどういうことかを
受け止めて欲しいものです。
まり姫 さんへ
教師は子供に勉強を教えるのが仕事だと思っていたら大間違いです。
教育しいろんな面を育てていることが前提であって、勉強はその一部です。
学校で教師が子どもを育て守らなくてどうするのかと思います。
親は教師にすべてを託しているのですから、奮起してほしいのですが・・。
「結果が全て」としか教えない社会
何時からこんな国になったのか?元々だったのか?一部だけなのか?
「人間誰もが過ちを犯す。でも悪いことは悪い。人は互いに赦されて生きているのだから、
過ちを真摯に受け留め、明日に向けて反省し共に生きる。

たったそれだけのことが伝えられない「教育」とは何なのか?
「結果が全て」
「バレなきゃ何をしても良い」
「カネと権力があれば法も社会も支配出来る」
「成功しない人は人ではない」
「貧しいのは本人の努力が足りないからだ」
「失敗した奴は価値がない。罵倒され切り捨てられて当然」
→それが社会の現実ルールだ
と言わんばかりの教育が
「教育」なのだろうか。
幻のhighwaystar さんへ
自己保身と世渡り上手・・なんだかとてもむなしい気分にさせられます。
“何のために勉強しているのか?”と聞くと、たいていの人は“自分のため”と答えます。
親も学校もそのように言い聞かせているのでしょう。
戦前は“お国のため”という答えが圧倒的だったそうです。
軍国主義だったからでしょうが、“自分のため”ではないところが、今よりましだった気がします。
本当は“共に生きるため”ではないかと思います。
誰もが大切にされ、人権が認められて幸せに生きられる世の中を作るために、人は勉強するのではないでしょうか。
それが“自分のため”に矮小化されたところに、日本社会のゆがみのもとがありそうです。

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