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七夕ですね

2015年07月07日
西の空
 
 今日は七夕ですね。と、言っても、教会行事ではないので、教会では笹の葉も短冊も飾りません。教会の庭には、七夕飾りにちょうど良い小さな竹が生えているので、勿体ない気もしますが、例年そのままです。

 七夕って、一年に一度だけ「おりひめ(織女 )」と「ひこぼし(牽牛)」が天の川でデート出来る日で、雨が降ったら会えないと言われますが、こんな梅雨の真っただ中でその伝説はちょっと可哀想な気がします。

 「でも、旧暦だと大体1か月遅れだから大丈夫」と言われる方もおられますが、だったら旧暦に完全移行してあげたらいいのにと思わずにはおれませんが、きっと梅雨空で雨が降る確率が高い方がありがたみがあったり、興味深かったりするから良いのかもしれません。当事者より、傍観者の心理の方が大切にされているようで、少々複雑な気がしますが、そんなものでしょう。

 そういえば、「天の川をはさんで向かい合うように位置している織姫星と彦星は、こと座のベガとわし座のアルタイルで、この二つの星は14~15光年離れているのだから、せっかく晴れても『今から行くね』と手を挙げ、『はぁ~い、気を付けて天の川渡って来てね』と手を振って、それを確認するのに30年以上かかるんだぜ!」と、言われる方もおられます。

 なんだか、七夕って人それぞれに捉え方が違いすぎてびっくりします。

 そうそう、お隣の韓国では、七夕の日に雨になると、織女と牽牛が出会えて涙していると喜ぶというのも、日本からすると意外な反応というか、逆転の発想のような気がします。梅雨時なんだし、そっちの方が良いなと私は単純に思いましたが。

 面白いのは、伊達正宗の時代から続く仙台の七夕祭りがあるかと思えば、もともと水戸商店街の「七夕まつり」だったという茨城県水戸市の「水戸黄門まつり」があったりすることですね。

 全国、いろんな七夕祭りがあって、いろんな考えがあって、いろんな人がそれなりに楽しんでいるということですね。

 七夕行事に全然関係のない牧師には、手も足も出ませんが・・^^;
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行事 | コメント(4)
コメント
こんばんは
「二つの星は14~15光年離れている」が、年に一度デートできるのですね。
七の倍数の光年を行ったら、七月七日にようやく会えるかわいそうな話。
「七夕」の「七」の文字を見たら、ヤコブの結婚のことを思い出しました。
ラバンに七年間仕えて、結婚式の翌朝、花嫁を見たら別の女性だった話です。

会話を一切しなかったのか、当時は顔も見えないほど暗かったのか、
灯りをつけなかったのか、ヤコブは飲みすぎで酔いつぶれていたのか、
レアはラケルと声が似ていたのだろうか、と思ってしまいます。

あるいは一夫多妻制の当時、レアとラケルは事情をよく知っていて、
打ち合わせをして演技したのか、レアもヤコブが好きだったのだろうか。

ラケルは結婚式の夜はさぞつらかっただろう、
ヤコブが怒ってラバンの所に行ったとき、レアもつらかっただろう・・・
などと下世話な疑問をあれこれ考えてしまいます。
いずれにしてもこの出来事はレア(まれ)な事例だったのでしょうか。(笑)

当時、一夫多妻が許されていた理由は、「産めよ増えよ地に満ちよ」の
目的達成のためだとしても、そんなに急ぐ必要もないと思うのですが。
☆バーソ☆ さんへ
宇宙戦艦ヤマトばりにワープ航法を駆使しているということですか^^
ラケルとレアの話は切ない物語ですね。
確かにどうして気づかなかったのか不思議ですが、
それ以前に、当時の女性に人権は全くなかったという背景が大きな問題で、
一夫多妻を求めていた訳ではないヤコブと、父に逆らえないレアが
第三者の欲によって結びつけられてしまった話なのです。
ラバンは娘を嫁に出す見返りを求めていただけで、
娘の幸せを考えての行動ではありませんでした。
そういう殺伐とした中で、
“ヤコブはラケルを愛していたので7年はあっという間だった”という表現に
ほっとするようなヤコブの純愛を感じるものの、
ヤコブのレアへの扱いを見ると、
レアのことを愛していないのは一目瞭然で
レアが本当に哀れに思えてきます。
このあと、子供がたくさん生まれますが、
産めよ増えよ地に満ちよ、ではなく、
ヤコブの愛を自分に向けたいというレアの情念のなせる業が原因でした。
そこにラケルも巻き込まれていきます。
本当にせつない話です。
こんにちは
 優しい牧師さんらしい注解に感謝します。(^_^)
 聖書に関する話は大好きなのですが、以前はなかなかそういうことがなかったので、久々に楽しい思いをしました。ありがとうございました。

 創世記30章14節あたり、「恋なすび」の話に女同士の争いが見えます。レアは、夫を取られたとラケルに怒っているようで、姉妹の関係はその後もうまくいってなかったようですね。

 私が分からないのは、結婚は本来は一夫一婦制が正しいはずなのに、旧約時代の歴史全体を通して、なぜその原則が施行されなかったのかということです。

 創世記を引用してイエスはこう述べました。
「人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」
 ですので人類創生の時代から《一夫一婦制》が正しい原則のはずです。

 イエスは同じ文脈で、離縁に関してこう述べています。
「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる」

 ここで分からないのは、神がなぜ倫理の点で「許す」ことをしたのかということです(「許す」を「譲歩」と訳した翻訳もあります)。人間が頑固だと神は倫理の件でなぜ譲歩するのか。「神は頑なな者には頑なな者になる」と言われており、むしろ逆ではないかと思うのです。

 イエスは「女を見続けて情欲を抱く者は姦淫を犯すのである」と、男にとっては厳しいことを言われました。姦淫は十戒の7番目にある重い罪。結婚の儀式さえ挙げれば妻は何人でもいいはずはないのです。

 むろん当時は、おっしゃるように男性優位社会のせいで女性には人権が全くなかったとか、第三者の欲がからむこともあったとか(レアとラケルの場合はそうですね)、男は戦争で死ぬので絶対数が少なかったとか、未婚女性が単独で生きるのは非常に難しかったなどの理由もいろいろあったのでしょう。戦争未亡人は大変だったろうと思います(現在は国家が補償する制度がありますが)。

 ですがイスラエルは神の特別の助けがあったので、かなり戦いは強かったはずです。女性の人権問題にしても何らかの保護政策をきちんと定めてそれが試行されるようにすればいいだけの話であって、未婚女性は生きていくのが難しいから誰か裕福な妻帯者の男の世話になれというのはおかしな理屈だと思うのです(私は現在のイスラム部族の男性優位社会に関してもかなり遺憾に思っています)。

 生活上なんらかのやむを得ない理由や事情があったとしても、だからといって神の重要な倫理を破ってもいい理由には絶対ならないはずです。「小さな戒めの一つを破るものは律法全体を破る」とも言われているのですから。

 ソロモンの妻700人とそばめ300人は異常な数です。当時の異邦の王であれば当たり前の事だとしても、聖書の神を奉じる国家では決して褒めるべきことではないと思えるのですが、聖書の記述はそれを非としているどころか、むしろそれほどの繁栄と栄光があったと自慢しているように感じます。
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 ブログのコメント欄は議論や論争をする場ではないと思っています。
 これは私が理解できなかった自分の単なる疑問点を述べたに過ぎません。また、この点に関して、それほど真剣に悩み続けているわけでもありません。
 
 ですので、返信(注解)をいただかなくてもけっこうですからね。
 いろいろお忙しいのに申し訳ないですし、くれぐれもどうぞこのままスルーしてくださいね。これを書いたのは、一夫多妻制の話はレアとラケルに関して述べたのではないことを知っていただきたいために過ぎませんからね。(^_^.)
☆バーソ☆ さんへ
なるほど了解しました。いろいろと考察されていて頭が下がります。
一つだけ、一夫一婦制のことだけ書かせていただきます。
ご指摘のように、一夫一婦制が本来求められていた姿だと思います。
アダラハム、イサクなどの族長も一夫一婦です。
イサクの子ヤコブが4人の女性(二人の妻と二人の妻の側女)との間に
12人も子供をもうけたあたりから話がおかしくなってきました。
そもそもヤコブが結婚したのは逃亡先であり、
ヘブライ人としての信仰も信徒の指針も及ばない場所だったのが大きな理由だったかもしれません。
子供の数が多いほど神と間から祝福されていると考えられたので、
多くの子ともを設けるために一夫多妻になったり、
ソロモンのように他国の習慣に感化され手の一夫多妻があったと考えられます。
人間の思いの方が神様の御心より肥大化していたということでしょう。
エゼキエル、ヨブなども一夫一婦ですし、
知恵文学は一夫一婦制による家庭の喜びと苦しみを描いていますので、
紆余曲折を経ながらも、旧約聖書では
結婚観や結婚の倫理観は一夫一婦制に収束していると言えます。
それで、新約時代になると一夫一婦制がユダヤ人の結婚の通則となりました。
それから、女性の生活保障という観点は聖書の一夫多妻にはないと思います。
あるとすれば、レビラート婚の規定で、
子をもうけた後で夫が死んだ場合、その弟が兄嫁と再婚するというものです。
いや、でも、やっぱり女性というより、跡継ぎのためというか、亡くなった兄のためかもしれません。
いろんな人の思惑や欲、情や打算などが複雑に介入してくるものですから、
歴史的にも、現実問題的にも
結婚というのは難しいというか、ややこしいものですね。

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