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 “自分のことは自分が一番よく分かっている”

 どこかしらで、時々耳にしているような言葉ですが、それを聞いて“そうだそうだ、その通りだ”と思う人もいれば、“自分でも気付いていない自分があることくらい理解しろよ”と冷静に批判する人もいると思います。

 いずれにしても、“自分は冷静に自分のことを見てますよ”という気持ちだと思います。 

 それこそ、少々、心理学やカウンセリングをかじっている人なら“ジョハリの四つ窓ぐらい知っているし”とか考えておられるかもしれません。

 ※“ジョハリの四つ窓”というのは、ジョセフ・ラフト(JosephLuft)とハーリー・インハム(HarryIngham)という二人の人が考案した理論で、心を四つの領域に区分したもの。人は、a.自分で知っている自分とb.自分は知らない自分があり、同様に、c.他の人に知られている自分と、d.他の人にも知られていない自分という見方が存在します。これを重ねると①自分も他の人も知っている自分、②自分は知っているが他の人には知られていない自分、③他の人は知っているが自分は知らない自分、④他人も自分も知らない自分という四つ(田の字)に区分できるというものです。

 実は私も、そう思っていました。自分に対しても他人に対しても、分かったつもりにならない謙虚さを持たないといけないと。

 ところが、そういう謙虚さを持って冷静に自分を見つめて、その上で自分でよく分かっていると思っていたものが、見方を少し変えてみると全然違う自分の心がそこにあることに先日気付かされたのです。

 ある方とじっくり話をしたときに、分かりきっている自分と思っていたところに課題が潜んでいることに気付かされ愕然としました。ちっともそんな見方をしたこともなければ、そんな見方をしようとも思わなかったせいですが、まったくの予想外のことでした。

 ややこしいですが、ほんの少し角度を変えただけで、今まで分かっていると思っていたのに分かっていなかった部分があることが分かったのです。

 人の心は難しいものですね。自分の心でさえこれですから、他の人の心なんて分かるはずがありません。改めて、更に謙虚に生きていかねばと思わされました。

 そして、私は心を入れ替えねばと、ふんどしの紐を締め直すのでした。

 あ、本当はふんどしなんて穿いてませんから・・。念のため。

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思ったこと | コメント(4)
コメント
こんばんは~
先日はご親切に、丁寧な注解をありがとうございました。
何度も拝読させていただきました。勉強になりました。

さて、今回の記事も興味深いですね。
分類の第4番目について、こう思いました。
「他人も自分も知らないが、神から知られている自分」
神は心を見ると言われていますので。

ところで、ふつう人が「心から~」という言い方をする場合は、
衷心より、真心を込めて、というような意味です。
ところがエレミヤ17:9(口語訳)にはこうあります。
 「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。
 だれがこれを、よく知ることができようか。」
人間は自分の心さえよく知っていないのですから、他人の心を知ってないのは
まあ、無理がないことなのでしょうか。

以前、知人と話をしていて、心が心臓(ハート)にはないとしたら、
いったいどこにあるのだろう?と言ったら、
「宝のある所にあるんじゃないですか」と言われ、一本取られたことがあります。

人が、自分のことは自分が一番よくわかっていると思わなくなれば、
もっと謙遜になれ、もっとふんどしがきつくなるのでしょうかね。
☆バーソ☆ さんへ
いつもコメントありがとうございます。
そう、エレミヤ書17章9節はまさに人の心は矛盾に満ちて測りがたいものだとの告白の言葉。
結局、人の心を知りえるのは神のみだというのが、続く10節の言葉です。
そういえば、今から25年以上前、教師(牧師)試験の面接のとき、
「あなたの長所は?」と聞かれて、「気長に物事を考えることです」と答え、
「では短所は?」と聞かれて、「少々気が短いところですかね」と答えると、
「君は不誠実な人間だな」と一人の面接官に言われてしまいましたが、
「でも、人ってそういうものではないですか」と別の面接官が言い出してくれて
数名の面接官全員が「そういえばそうですね」と言っていただいたことがありました。
心の問題、宝のあるところというのは確かに一本ですね。
とにかく、心なんて自分の心も他人の心も分かりはしないと、謙虚に構えるのが一番でしょうね。
そうそう多田富雄さんの「免疫の意味論」はなかなか興味深い本ですよ。
自分のことを確かに自分だと認識しているのは体の何処かというと、
多くの人は心とか、結局は脳だよと答えるけれども、
それは間違いで免疫だ、器官で言えば心臓のすぐ前にある胸腺だというのです。
多田氏は移植を例に挙げ、もし脳を移植したらどうなるか?
移植された脳は、その体を“自分の体”だと認識するが、
実際は免疫が脳を“自分ではない”と判断し攻撃するのであり、
つまり、脳がどれだけこれは自分だと主張したところで、
その判断は間違いなんだと言います。
自分を自分だと認識しているのは、心でも脳でもなく免疫だというのは、結構考えさせられる事実です。
謙虚さは必要不可欠ですね。
No title
興味深いお話ですが、どういう方とどういう話をしていた時に気づかれたのでしょうか?
ちびとく さんへ
人生の先輩と生活習慣について話し合っていた時、
深くその意味を考えることなく継続しているものが
結局どういうことを意味しているのかと思わされたのです。



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