セミの羽化って厳しい

2015/07/24 Fri 19:21

羽化

 夏と言えば“セミ”ですね。梅雨明けしたら途端にセミが大合唱しています。

 上の写真は(実は下の写真も^^;)、以前ブログで紹介したことがあるものですが、四日市教会の庭では毎日セミが羽化しています。

 セミが這い出て来たと思われる地面の穴が日に日に多くなるので、結構な数だと分かるというだけではなく、実際にセミが羽化している様をよく目撃します。

 最初は、相当感動して子供たちと観察したものですが、観すぎたせいで、今ではちょっと飽きてきたというか普通になってしまいました。

 しかし、そんなに覚めてしまったのは、回数が多いからというよりも、悲惨な羽化まで目撃してしまうことも多いからです。

重なりすぎ

 実はセミってちょっとしたことで羽化できずに死んでしまうのです。

 羽化の途中で蟻にたかられても駄目ですし、誤って落下してしまうと完全にアウトです。

 変に低いところで羽化を初めてしまって、結局羽を伸ばしきれないまま死んでいるのも目にします。

 2枚目の写真、抜け殻が重なって愛嬌があるように見えますが、この中の何匹かは羽化する前、つまり背中を開ける前に後から来たセミに重なられたせいで、羽化できないまま死んでいます。

 7年も8年も地中に居て、やっと日の光を浴びようかという時に、最も大きな試練が待ち受けている訳で、自然界の厳しさをまざまざと見せつけられている気がしますね。

 毎日無事に羽化してくれと祈るばかりです。
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出来事 | コメント(5)
コメント
No title
地球上のもの全て生きることに精一杯で愛しいですね。哀しいほど。に読んだ後とても心に沁みるものがありました。(年のせい?)
もこ さんへ
コメントありがとうございます。
私も歳のせいかうるうるしてます。
こんばんは~
教会の庭はなかなか環境が良さそう。重なったセミの写真は珍しいですね。

「胡蝶の夢」という中国の説話があります。
荘周がひらひら飛び巡る胡蝶になった夢を見た。目が覚めると荘周であった。
荘周が胡蝶になった夢を見たのか、胡蝶が荘周になった夢を見ているのか、
どちらか本当なのか分からない―――。

セミの人生は、地中にいる時が本来なのか、地面から出てきた時が本来なのか、
どちらがセミにとって本当の人生なのかと思うことがあります。

地面から出てきたらせいぜい数週間の命で、地中には7年も8年もいるわけですから、
地面の中にいるときのほうが本来である、と考えることもできるように思います。

人の齢は70年か80年と詩篇作者が言っています。一方、天国では永遠の命が約束されています。
人間は永い間、この地球上で生きてきました。
では、地球上に生きている時が本来なのか、それとも天国にいる時が本来なのか。
そんなことを考えることと興味深いものがありますね。
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☆バーソ☆ さんへ
昨日は出かけていて、今日も朝から色々していたので、
パソコンをやっと開くことが出来ました。
コメントを下さっていたのですね。ありがとうございます。
教会の庭は舗装されていない土のままですし、
何本も木が植えられているので、
虫さんたちにはきっと良い環境なのだと思います。
「胡蝶の夢」は(荘子だと思っていましたが、そういえば荘周と言った方が良かったですかね)良く分かりませんが、
アインシュタインの相対性理論みたいだなと思ったことがあります^^;
確かに、はるかに長い時を過ごす地下の時代がメインと言えるのかもしれませんし、
地上で成虫として1週間過ごすのは子孫を残すためですから、
交尾と産卵が出来る体になるために(そこに向かうために)地下の時代があるということで、
成虫の短期間こそがメインであるということも出来そうですね。
☆バーソ☆さんはどちらが本当の人生なのかと言われますが、
どちらも本当の人生で良いのではないでしょうか。

  人の齢は70年か80年と詩篇作者が言っています。一方、天国では永遠の命が約束されています。
  人間は永い間、この地球上で生きてきました。
  では、地球上に生きている時が本来なのか、それとも天国にいる時が本来なのか。

良くご存知ですね。詩編90編に「人生の年月は70年ほどのものです。健やかいな人が80年を数えても・・」とあります。
しかし、“天国では永遠の命が約束されています”とか、
“地球上に生きている時が本来なのか、それとも天国にいる時が本来なのか”というのは少し誤解があるようです。
キリスト教で言う永遠の命とは死後の命とか、不死の命とか、霊魂の不滅というような意味ではありません。
それに天国は死んでから行くところでもありません。
ヨハネ福音書17章3節にある通りです。
「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」
この「知る」とは“つながる”、“一体となる”という特別な関係性を表わす言葉であり、
“永遠”というのは、時の長さ以上に深さを意味している言葉で、
神様の命につなげられて味わう深く生きる命というような意味です。
ですから、永遠の命はキリストを信じ従う時からすでに始まっている命ということになります。



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