教会のお墓
2015 / 09 / 10 ( Thu )
教会の納骨堂

 今週土曜日に納骨式があるので、一応下見をしておこうと教会墓地に行ってきました。

 スゴイ!雑草が一本残らず抜かれています。

 礼典部長さんが昨日「抜いておきました」と言われていましたが、まさかここまで完璧にとは・・。

 感謝感激です。

 実は、四日市教会では、皆さんがいつも先回りしてご奉仕くださることが多いのです。

 頭が下がります。
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コメント
--こんばんわ^^--

「我らの国籍は 天に在り」…確かに、人が何処から来て、何処に還るのかと言われればそこしか無い。
でも、それは地上で積んだ業次第…天に還れない人も大勢いるんですよね~><
by: sado jo * 2015/09/11 00:18 * URL [ 編集 ] | page top
--sado jo さんへ--

コメントありがとうございます。
“天に還れない人も大勢いるんですよね~><”という言葉に、
“私は人として正しく生きているか”という内省を感じ、真摯な姿勢に襟を正される思いがしました。
そんなこんなで、改めて考えてみると、この言葉は教会の内外共に少し誤解されている可能性があるように思えます。
共通している誤解は、この世で生きている間に功績を残した者だけ、
正しく生きた者だけが天国に行けるという先入観かと思います。
この誤解が教会内部にもあるとすれば、
“私はキリスト教の洗礼を受けたから、キリスト者らしい愛の行いをしているから天国に招かれて当然”ということでしょう。
なんだか教会という救いの囲いがあって、そこに入っているかどうかという変な優越感がありそうです。
しかし、キリスト教が語るのは、
人はみな罪人に過ぎないこと、
主イエス・キリストの十字架での身代わりの死によって、すべての人の罪がゆるされている、ということです。
正しい人は一人もいません。
あなたも私も罪ゆるされた罪人という点で同じです。
ここで、罪人とか罪というと、犯罪とか悪い行為を連想しますが、
根本的には、してはならないことをしてしまうこと、すべきことが出来ないことというような意味です。
“罪”と訳されているギリシャ語の“ハマルティア”を直訳すると“的外れ”になることからもそれはお分かりかと思います。
裸で生まれてきた私たちは裸で死んでいきます。
天の御国にはこの世で手に入れた、財産も地位も名誉も何もかも何一つ持っていくことが出来ません。
そのことを覚えて、今を生きよう、自分の力ではなく神様の導きと支えを信じて生きて行こうというのが
「我らの国籍は天にあり」という言葉の意味です。
by: ショウゴ * 2015/09/11 09:12 * URL [ 編集 ] | page top
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