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手を抜かないマイベスト!

2007/05/11 Fri 20:22

 今から数年前“愛媛いのちの電話”の事務局長の任を受けたとき、内報誌に「自分に出来ることをします」と書いた所、ある相談員さんに「出来る事しかされないんですね」と言われました。私としては、その部分はさりげなく書いたつもりだったのですが、ちゃっかり見つけられていたようです。しかし、それはネガティブな気持ちで書いた言葉ではありませんでした。ただ、説明するのが面倒くさかったのでちょこっと書いてやり過ごしていたのでした。「自分に出来る以上のことは出来ませんからね。あなたは私に実力以上のことをすべきだと仰るつもりですか。」と言うと、「いいえ、とんでもない。正直な方だなと思ったんですよ」。相手もよく分かっておられたので二人で思わずクスクス笑ってしまいました。
 人は無意識的にかもしれませんが、環境に順応しようとするものです。特に自分に与えられた役職・役割にふさわしい人間になろうとし、考え方や行動まで枠にはめてしまい易いものです。それでもうまくいっていたり、能力が高くて困らない場合は問題ありませんが、必要以上に努力しなければならないとか無理をし続けなければならないような場合は悲劇です。挫折、病気、家庭へのしわ寄せなどが起こります。
 つまり、人が自分の能力以上のものを振り絞り続けるのは危険な事なのです。当然と思ってしまっている「やるからにはその役割に求められている最善を尽くさねば」という考え方は誰の言葉でしょうか。何処から出てきた言葉でしょうか。誰が決めたのでしょうか。それは思い込みではないでしょうか。“出来ないことは出来ない”としっかり認識して、“恥ずかしい”だとか“責任放棄だ”とか、小ざかしいことは考えないで、誰かに応援を頼んだり代わってもらったりするしかないのです。つまり、その役割におけるベストを目指すのではなく、自分(なり)のベストを尽くすことを考えるべきだと思うのです。誤解を恐れずに言うなら、自分に出来ることをすれば良い訳で、突き詰めれば“自分に出来ることさえすれば良い”と考えていいと思います。もちろん、マイベストを目指すのですから、そこに手抜きはありません。手は抜かないでベストを尽くすけれども、そのベストはマイベストですよということです。
 私はいっぱい失敗してきたので、そんなふうに考えるのかもしれません。「いつも飄々としていますね」と言われるのはそのせいかな・・・。
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思ったこと | コメント(1) | トラックバック(0)
コメント
正論だと思います
仰るとおりだと思います。

世尊の弟子シュローナは富豪の家に生まれ、生まれつき体が弱かった。
世尊にめぐり会ってその弟子となり、
足の裏から血を出すほど痛々しい努力を続け、
道を修めたけれども、なおさとりを得ることができなかった。
 世尊はシュローナを哀れんで言われた。
 「シュローナよ、おまえは家にいたとき、琴を学んだことがあるであろう。
糸は張ること急であっても、また緩[ゆる]くても、よい音は出ない。
緩急[かんきゅう]よろしきを得て、はじめてよい音を出すものである。

 さとりを得る道もこれと同じく、怠れば道を得られず、
またあまり張りつめて努力しでも、決して道は得られない。
だから、人はその努力についても、よくその程度を考えなければならない。」
 この教えを受けて、シュローナはよく会得[えとく]し、やがてさとりを得ることができた。

パーリ、長老偈註より

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