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良い人にならなくていいよ

2006/12/09 Sat 11:52

先日、四国新聞の文化欄の囲み記事みたいなのに「良い人ばかりの家より悪い人ばかりの家が良い」というようなものがありました。良い人を自認する親に育てられる子は批判や否定しかされないからビクビク育ってしまうのに対し、悪い家族というのは皆が自分の非を認め合うので暖かい家庭になるというような内容でした(間違っていたらゴメンナサイ)。ちょっと極端な気がしました。悪いと言っても自分の非を素直に認め合う人たちってそんなに悪くないと思いますし、業田良家著「執念の刑事」に出てくる首領のような極悪非道な家族に囲まれていたらかえって良くないような気がします。けれども、良い人云々という部分には共感を覚えました。実際、自他共に認める‘良い人’や‘正しい人’は自分のもたらす弊害に気付かないことが多いからです。例えばその典型例として牧師などが挙げられます‘正しく良い人’である牧師が夫として、父親として家庭に君臨しているケースを時々耳にします。もちろん、それは亭主関白やワンマン親父の体裁ではなく、あくまで家族思いで優しく親切丁寧、愛の塊の様相を呈しているのです。なんといっても‘神様に仕える身’であり、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」と教えている立場ですから。だからこそ何かあると自分のことを当然のように棚に上げた上で優しく話し合い、結局問題は自分以外の人間にあると論理的に説明して責任を転嫁してしまうということが起きやすいのです。口もたちますからね。もちろん全ての牧師がそうだと言うのではありません。恐らく極々一部の方でしょう。しかし、良い人、特に自他共に認める良い人というのは、裸の王様になってしまいやすいので、よくよく自分と言うものを玩味しなければならないのかもしれません。「良い人であるこの私が嫌な思いをさせられているのだから、相手が間違っている、あるいは悪いに違いない!」なんて考え出したら要注意です。そもそも‘良い’‘悪い’なんて相対的なことですし、世の中に‘良いこと’‘悪いこと’はあっても‘良い人’‘悪い人’なんて存在しないように思うのです。良い面悪い面を皆が持っていますし、それでいて、みんなかけがえの無い存在ではないかと思うのです。良い人よりも暖かい人になれたらいいなと思います。
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コメント
はじめまして。
私は、自分を良い人とか正義の人だと自認する人は、あまり仲良くなりたくないです。そういう方は、自分の正当性を主張する事が強すぎて、そばにいるとむかついたり、その人を許せないと思う嫌な自分が見えてきて、その思いを、かなり引きずってしまうので。
不完全な自分や他人を認められる心を持ちたいと思っています。それが優しさだと思うので。
ちなみに、仕事関係でディベートを行うとき、練習課題として「ウルトラマンは正義の味方である。是か非か。」というテーマを出します。答えは、圧倒的に非が多い。誰にとっての正義か、悪か。客観的な答えは出ないかもしれないなと思う事も多いです。
神様は信じているのに、その対象となる神様がどの神様だか分からないのは、不信心ですか? とりあえず、自身に恥じないように生きていきたいと思う今日この頃です。
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